プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

弟が熱心な創価学会信者の女性と結婚します。
我が家は「一応仏教」という一般日本人によくある浅~い宗教スタイルです。
そんな私達家族からしてみると、弟が特定の宗教に熱心な人と結婚するというのは正直戸惑いがあります。
しかし、好きになったもの同士を引き裂くことなんて不可能で、彼女のことを嫌うような態度をとれば、逆に弟にとっては私達家族が敵になってしまいます。
やんわりと弟に確認すると、彼女はこれからも熱心な信者だが、自分(弟)が入信することは絶対にない。彼女もそれで納得している。とのことでした。
彼女が弟に対して「入信しなくていいよ」と言っているようです。これは、「結婚前だから嘘をついているだけ」とかではなく、既にかなり長く交際を続けてきた二人なので、もうそのような形で落ち着いているんだと思います。
そこが一応確認できたので、もう私達家族は何も言わないつもりです。

しかし、私個人の中で疑問、というか不思議に思うことがあるのです。
宗教(創価学会の教え)に詳しいわけではないので間違ったことを書いたらすみません。
まず、創価学会に入信していて熱心に信仰するということは、簡単に言うと「幸せになるため」ですよね?世界中の人々が、今の自分が、そして死後の世界でも、来世でもその幸せが続くように御題目を唱えているんだと認識しています。
だから、熱心な信者は周りの人も幸せになってほしいがために純真な気持ちで仲の良い人ほど入信してほしいと願うのです。創価学会を理解できずに御題目を唱えない人は、「正解がここにあるのに分かっていない人」という感じではないでしょうか。
創価学会の人が信者ではない人と結婚するとなると、その相手も入信させたい(気付かせてあげたい)と思うのが普通です。愛する家族に幸せになってほしいのは当たり前ですからね。
しかし、私の弟の場合、彼女はもう諦めていて弟をなんとかして入信させたいとは思っていないわけです。
これって、極端ですが「彼(弟)は幸せになれないけど仕方ない」と思ってるということなんですか?
創価学会に限ったことではなく、宗教が違うということは生きる上での根本的な考えから全てが噛み合わなくなると思います。
敬虔なクリスチャンと結婚した日本人、ムスリムのインド人と結婚した日本人、などなど。
これらの人達は、相手が自分と同じ宗教に入信しないということに「相手は間違った生き方をしている」「相手は幸せになれないけど仕方ない」と割りきっているんですか?
私は本来、違う宗教の者同士が家族(厳しく言うと友達)になるのは理論上不可能だ(おかしい)と思えて仕方ありません。
本人(弟)の前でこんなことを言ったら喧嘩になりそうなので、先に言った通り二人の結婚については何も口出ししませんが、熱心な創価学会信者である彼女はここに関してどう考えているのかとっても不思議なのです。

※私は創価学会を含め、宗教に否定的ではありません。
このような質問をすると創価学会への感情的な書き込みが寄せられるかもしれませんが、今回私が知りたいのは後半に書いた疑問ひとつです。
創価学会信者の方は勿論、他の宗教の方、宗教にお詳しい方などどなたでも結構ですのでお答え頂ける方、是非宜しくお願い致します。

A 回答 (18件中1~10件)

40代既婚男性です。


家内がクリスチャン、私は仏教徒で神社の氏子と言う旧家に多い信者です。
創価学会の事は、他の回答者さんにまかしておきます。
私は、「宗教が違うということは生きる上での根本的な考えから全てが噛み合わなくなると思います。」について、回答してみます。
家内はクリスチャンですが、お寺や神社の行事に参加してくれます。
子供のお宮参りや七五三もやってくれます。
父が亡くなったときは、数珠を持って仏式で送ってくれました。
私も家内と一緒に子供達を連れて礼拝に参加します。
家内の考え方は、「自分にとって信仰は大事な物だから、他の人が大事にしている物も尊重したい。どの宗教も目的は、人が幸せに成る為にあると思うから、他の宗教を否定しない(出来ない)。でも、カルトは別ね。」と言う考え方です。
こんな家内ですから、「敬虔なクリスチャン」とは違うかもしれませんね。
家内が結婚後に言った事があります。
「貴方が私と結婚する為に、改宗していたら結婚しなかった。結婚の為に改宗するのは、本当の信仰じゃ無いから」と言う事です。

私も家内の考えと似たような考え方なので、生活が噛み合ない事はありません。
それどころか、物事に対しての考え方が同じです。

>相手が自分と同じ宗教に入信しないということに「相手は間違った生き方をしている」「相手は幸せになれないけど仕方ない」と割りきっているんですか?<
他の人達はどうか知りませんが、少なくとも私たちは違います。
それぞれが「幸せに成る為に努力している」」それならば「自分も協力しよう」と思っているからです。

>熱心な創価学会信者である彼女はここに関してどう考えているのかとっても不思議なのです。<
これは本人に聞くしか判らないですね。
本人以外が、「ああだ、こうだ」言った所で「想像」にしか過ぎませんから。

>違う宗教の者同士が家族(厳しく言うと友達)になるのは理論上不可能だ(おかしい)と思えて仕方ありません。<
少なくとも我が家族には、当てはまりません。
家内→クリスチャン
私→仏教徒、氏子
子供達→?
母→仏教徒
弟→仏教徒
こんな家族が仲良く同居しています。
時にはけんかしたりしますが、宗教上の事でケンカした事はありません。
母や弟は家内に、「キリスト教の場合どう考えるの?」とか普通に質問してますし、家内もお寺の事を積極的に聞いてきます。
違う宗教の者同士が家族になれないのは、「相手の事を認めていない」からだと思います。
「認めてない人」と家族なんかになれないですからね。

結局、他の宗教を認めない人って、自分の信仰に対して自信が無いのかなと思います。
他の宗教を認める事で、「自分の信仰が間違っているかもしれない」と考えてしまう恐怖を持っているような気がします。

結論としては、「何を信仰するかが大切なのではなく、どう信仰するのが大切」なのだと思います。
「偉い人に言われたから、無条件にそれを信じて信仰するのではなく、自分で何が大切なのかを考えて信仰する」と言う事です。
こういう人とだったら、家族にも友人にもなれると思いませんか?
    • good
    • 52

宗教にはまる人は最初からはまるわけではありません


最初、半信半疑で入会し、信じてる人に囲まれて
いつも疑ってる自分に嫌気がさして
いつしかはまるのです
(マインドコントロール)

まあ、弟さんのことはともかく
生まれた子供をどうするのかは話し合ってたほうがいいですよ
入会させるのか、させないのか
    • good
    • 11

★まず、創価学会に入信していて熱心に信仰するということは、簡単に言うと「幸せになるため」ですよね?世界中の人々が、今の自分が、そして死後の世界でも、来世でもその幸せが続くように御題目を唱えているんだと認識しています。


だから、熱心な信者は周りの人も幸せになってほしいがために純真な気持ちで仲の良い人ほど入信してほしいと願うのです。創価学会を理解できずに御題目を唱えない人は、「正解がここにあるのに分かっていない人」という感じではないでしょうか。
創価学会の人が信者ではない人と結婚するとなると、その相手も入信させたい(気付かせてあげたい)と思うのが普通です。愛する家族に幸せになってほしいのは当たり前ですからね。


◆正しい認識だと思います。


★しかし、私の弟の場合、彼女はもう諦めていて弟をなんとかして入信させたいとは思っていないわけです。
これって、極端ですが「彼(弟)は幸せになれないけど仕方ない」と思ってるということなんですか?


◆信仰よりも、人間らしく生きる道「愛」を選んだということです。

極端に悪い言い方をすれば…
愛という名の「魔」(人間の基本的欲望)に負け、信仰にあるべき道を見失った姿です。

彼女は、まだ100%洗脳されきっていません。

日蓮さんの教えに、反します。

でも「彼は、幸せになれないけどしかたがない。」
などとは、微塵も思っていないはずです。

むしろ、彼がやらないぶん、自分ががんばろうって思っているはずです。

そして、二人の生活に「谷」が訪れた時、もう一度彼を信仰に誘ってみようと考えてるのかもしれません。


★創価学会に限ったことではなく、宗教が違うということは生きる上での根本的な考えから全てが噛み合わなくなると思います。
敬虔なクリスチャンと結婚した日本人、ムスリムのインド人と結婚した日本人、などなど。
これらの人達は、相手が自分と同じ宗教に入信しないということに「相手は間違った生き方をしている」「相手は幸せになれないけど仕方ない」と割りきっているんですか?


◆割り切ってるんじゃなくて、負けてるだけです。

人間とは、弱いもの。

平らな時は、良くても…
ピンチになった時に、宗教感の違いがいさかいのもとになります。


宗教戦争をおこしてしまうくらい、人の心は弱いのですからね。


教えを、自分に都合よく解釈できる彼女なら、
彼も、そんなに居づらくならないでしょう。
    • good
    • 7

そこのところは本当に人それぞれで、(真面目に信仰している)学会員の中には、「この信仰は巣晴らし、正しい」と思っていることは共通していますが、信じる強さ、信心深さは人それぞれです。



または、「この人はいつかは解ってくれる」という期待がある場合もあります。

まともな信仰心、または宗教に属している人ほど、他の信仰に寛容です。それは教祖、指導者が信仰の行き着く所はどれも同じで、宗教の違いは方法の違いに過ぎないということを知っているからです。

しかし、排他的、狂信的な信仰を指導する創価学会は違います。「この方法でしか幸せになれない」と強く信じてしまいます。
それが、ある意味では生きる希望や励みとなるのでしょうが、そのような信じる、すがるだけの信仰は、本来の信仰に入る前の段階だと理解した方が良いでしょう。
創価学会(日蓮?)の売り(又は宣伝文句)は、「民衆にも可能な信仰」「誰もが幸せになれる信仰」です。
難しい修行などを必要としないと言います。冷静に考えればそんな魔法のような信仰があるわけはないのですが、マインドコントロールにかかり夢中になってしまうと、題目を唱えたり、寄付や勧誘、選挙運動をしていれば本気で幸せになれると信じてしまうのです。

ですから、彼女が熱心ならばいつかは弟さんを学会員にしようと考えるでしょうし、それが駄目ならせめて生まれる子供を入信させようとするでしょう。当然、トラブルが起きる覚悟は必要です。
弟さんにはよく考えるようにアドバイスした方がいいと思います。
    • good
    • 11

超排他的な日蓮宗がそれ故に解釈によって多くの派閥に分かれてきたように、創価学会もすでに池田教と化しています。

そしてその池田教も内部では様々な派閥に分かれています。したがって「創価学会」と言っても実際には相矛盾するような思想も持っているわけです。
なので、その方々がどの派閥の中にいるのかによって会の対応も違うでしょうし、同じように所属する派閥とその方の思想が同じというわけでもないはずです。

少なくとも現代の創価学会、池田教は単なる宗教ではなく、政治団体であり慈善団体です。
政治団体であれば宗徒に留まらず、他宗派の信者も含めて票を獲得しなければなりません。また世界中の国を対象にしている慈善事業では当然イスラム系の人々に対しても寄付などを行っているはずです。

コレをどのように解釈して彼が実施しているのかはわかりませんが、慈善の対象になる人々も、彼らに投票する人々も魂の救済を求めている訳でもなく、救われるとか救われないという考えはないはずです。つまりお二人が結婚するのも教えとは関係のないところでの話しなんでしょう。

彼女の所属する派閥がどのような考えかはわかりません。しかし入信の儀式を経なくても教えに従って生きていれば、実質門徒であり救われると考えているのかもしれません。

もし貴方が問い詰めれば、最終的には入信する以外の道はなくなってしまいます。つまりやぶへびということです。それでも確かめたければ本人に聞くしかないでしょうし、そこまで求めないなら気にする事もないでしょう。
お互いに干渉しあわないことだけ確認すればいいことです。
    • good
    • 7

彼女さん達が所属する宗教法人が挙げる「仏」とは、「日蓮大聖人様」を指します。


この「日蓮大聖人様」を信仰する宗教法人は、他にも存在します。

私は「富士大石寺顕正会」という宗教法人から長年勧誘を受けており、彼らの信仰に関し、幾度となく話を聞き、また、私自身も(勧誘対策のため)宗教の中身を研究し、ある程度の知識は持っております。
質問者様の助けになれるか定かではありませんが、回答に参加させて下さい。

まず、彼女さん達の信仰に関する質問者様の認識については、ご質問の中で示された内容で、概ね間違いありません。
彼女・彼らにとっての「幸せ」とは、「現世には宿命転換して幸せになり、臨終の際には成仏の境界を得ること」に他ならないようです。

この「日蓮大聖人様」を信仰する方々の主な活動は「勤行(ごんぎょう)」と「折伏(しゃくぶく)」です。
「勤行」とは、御本尊を信じ、“なんみょう~”と、お題目を唱える修行のことで、それを他者に勧める勧誘行為を「折伏」と呼ぶようです。
信者さんにとって功徳が大きいのは、この「折伏」らしく、私にこの宗教を勧めるかつての恩師は、「これこそが宿命転換の実践法」と、誇らしげに語ります。
「他人のため国のためはもとより、自分自身の幸せを叶えるための修行」と。

『仏様に代わって仏法をひろめ、その勧誘行為によって、他者から心身の迫害を受けるごとに、その人が生まれ持った罪障は、次第に消滅していく。』

「日蓮大聖人信者」の勧誘行為が執拗とされる理由として、こうした教えによる部分も着目すべき要素かなと思います。

ここで、ご質問のテーマである「弟さんの彼女さんは、弟さんの幸せには、無関心・無頓着なのか?」という疑念が再燃しますが、私の意見は「いいえ」です。
なぜかというと。
ここから先の情報は、信者さん側からの証言になりますが、彼らによると、“この「折伏」という仏道修行に徒労はなく、相手が素直に入信せずとも、「逆縁下種」といって、相手の生命には既に仏種が下されたことになり、いつかは正法にめざめて成仏していく”んだそうです。
彼女さんも、弟さんに対し、そうした期待をされているのかも。

また、調べたところによると、日蓮大聖人の示した弘教法には、先に述べた「相手の間違った思想・信仰を破折し、唯一の正法である仏法へと帰依させる」というハード系の「破折屈伏(=「折伏」)」以外に、「相手が低劣な法を信じていても、それを容認しつつ、正しい教えへと徐々に誘引していく」というソフト系の「摂引容受」という方法論もあるようです。
彼女さんが、後者の弘教法を遂行するタイプとすると、熱心な信者でありながら、「入信しなくていいよ」と弟さんを諭す、矛盾した言動も頷けます。

私は「大聖人様」を信仰する様々な団体からお誘いを受けますが、同じ「御本尊様」を信仰していても、彼女さん達の所属する団体の信者さんは、他の宗教法人(「顕正会」など)の信者さんほど、“自行化他の精神”は強固ではないように、私の目には映ります。
純粋な信心による信仰というより、「名誉会長様」のため、国政を勝ち得るがための宗教活動である局面が濃厚だからこそかも知れませんね。
彼らの発言の行間には、「罰が当たるのは怖いから勧誘はするけれど、誘った相手から“宗教にのめり込んでる可哀想なヤツ”と後ろ指をさされるのも怖い」といった想いが見え隠れすることがあります。
実際、何かの理由にかこつけて、宗教勧誘の話題に触れようとする彼らも、こちらが強い言葉で不快感を示したら、それ以上の発言は控える場合が殆ど。
やはり、同じ人間ですから、信仰への忠誠心より己の体面を慮りたい本心が隠し切れない部分もあるのでしょう。
(入信したくない側としては、ホッとさせられる一面です。)

ただ、彼女さんのみならず、彼女のご親族が熱心な信者さんである場合、結婚後、弟さんやあなたがたご家族を対象に、勧誘行為が活発化する可能性は覚悟しといた方がいいでしょう。
あの宗教法人は、信者の自宅に御本尊と呼ばれる巻物を配布し、毎朝毎晩、それに向かってお題目を唱える行為を欠かさせないはずです。
こうした日常の宗教行為は、同居する家族の理解や妥協を得られないことには、続けることは困難です。
つまり、裏を返せば、彼女さんの身近な人物は信者さんだらけか、あるいは彼女さん自身、理解者のみを選別し付き合う人生を送ってきた可能性も否定できないということ。

弟さんが彼女さんと一緒になることで、その役回りは、今後、否応なしに、弟さんにも求められてくるはずです。
その想定を、弟さんがしっかり備えておく必要はあると思います。
    • good
    • 10

私は根本的に無理だと思います


しかし当人達がやるといっている以上見守るのがよいかと思います
結局だめになったとしてもそれは当人達が身にしみたよい経験になると考えるからです
宗教の違いで国同士が戦争になったこともあるんだから厳しいですよね
分かり合えなかったとしても冷静に別離できればいいのですが
    • good
    • 4

さっそくお礼を頂きまして、ありがとうございます。



>創価学会そのものを否定する家族だとしてもその家族をも創価学会の教えで救うことができるという考えなのでしょうか?
多分そこが学会員の濃淡、というかのめり込み度合いの違いかと思います。
ただ、基本的なことを言えば、大事なのは弟さんが、学会員である以前に「ひとりの女性」を好きになって結婚したくなったという事実です。
周りが、“でも、彼女は学会員だよね”で切り捨てるのは、弟さんがあまりにもかわいそうな気がします。
彼女にとっても同じで、“この機会に彼を入信させなきゃ”なんて思っていないはずです。
それを承知でお互いに結婚を決意したのですから、見守るのが吉かと思います。
    • good
    • 3

>私は本来、違う宗教の者同士が家族(厳しく言うと友達)になるのは理論上不可能だ(おかしい)と思えて仕方ありません。



私も基本的にはそう思います。というか、どこまで相手を許容できるかだと思います。

多神教のものからみれば一神教は多神教のひとつと言えるので許容できるでしょう。
でも、一神教からみれば多神教は許せないでしょうね。

つまるところ、自分とは違うものを信じている相手を許せるか、許せないかでしょうね。

以下は参考までに述べます。

私の知人が創価学会の信者の女性と結婚しましたが、結局離婚しました。

その知人は、質問者さんの弟さんと同じように特定の宗教の信者ではありませんでした。
入り婿として信者の女性の家で住んでいたのですが、女性の家は家族全員が創価学会でした。
結婚して程なく、姓を女性の家の姓に変えろ、創価学会に入信しろ、とどんどん話がきて、とうとう耐え切れなくなった知人は離婚してしまいました。

女性だけが信者というのは余りないような気がします。
その女性の親御さんも信者なら、やはり入信しろという話が出てくると思います。
だって家族の中でひとりだけ信じていないなんて許せないでしょうから。
    • good
    • 6

貴方は弟さんを本当に愛しておられるのですね。


そうして、貴方はとても頭の良い方だと思います。
貴方の仰る通り、彼女だけが幸せになるのは可笑しいですよね。
家族であれば、恋人であるならば、共に幸せになるのが普通です。

彼女は折伏(学会に導く事)に慣れているのです。
自分と共に生活する事で、いづれ、学会に入れる積りです。
経験の浅い学会員は、焦って直ぐに入会させようとしますが、
経験の有る(多分、青年会の役員か何か役職に着いている人でしょう。)彼女は、
全く焦りません。その時が来るのを信じているからです。
本当の信仰者、とは、この様な人です。

貴方の弟さんは、既に取り入れられたのと同じ事です。
彼等は、5年でも、10年でも待つのです。
信仰の強さ、恐ろしさは此処に有ります。
正しく信仰をしているのか、そうで無いかで人が変わります。
又、幾ら正しく信仰をしていても、その教義が正しくなければ
サリン事件の様な問題を起こします。

サテ、創価学会に付いて考えましょう。
創価学会は、日蓮正宗が本家であったが、1990年に本家から破門になり、
池田大作氏が創価学会として独立する事になったのですが、
その経過には多くの問題を起こしているのです。(此処では割愛します。)

本来、宗教と言う物は『霊的』な問題のはず。
しかし、池田大作氏の創価学会にはその影も見られません。
むしろ、『人間的』な団体にしか見えません。
政治団体を作り、お金が余ると竹やぶに捨てたり、
口では良い事を言っていますが、
行動的には、納得のいく団体ではありません。
創価学会よりも、キリスト教の方が納得のいく宗教ですよね。
キリスト教は『霊的宗教』だからです。

彼女の信じている団体の実像がこれです。
貴方の弟さんが取り入れられるのは時間の問題でしょうし、
そうなっても仕方がありません。
弟さんはそれを納得しているのかも知れないからです。

何れにしろ、
それは、既に、政治団体を持っていると言う事です。
地下鉄事件より、日本の国をどうにかするのかも知れません。

私は、創価学会に対して、恐怖感を持ち、とても危惧しています。
しかし、人は何故か、その様な所に集まるのです。
サリン事件を起こした団体、韓国にある偽キリスト教団、
モルモン教、など等、不思議に人が集まるのです。
それらに集まる人の心が同じ、と言う事でしょうか?

ゴメンナサイ。貴方の質問からかなりズレましたね。
でも、考えて下さい。
この様な団体が、貴方の弟さんに襲いかかろうとしています。
結婚を止めなさい。とは言いませんが、
彼女の思いが心配です。
本当の信仰をすれば良いのに。
私は彼女に考える様に話したいですね。
『愛』を取るのか、『間違った信仰を』を取るのか?
信仰は盲目にします。愛も、盲目にします。
彼等は、全く見えていないのかも知れませんね。

私の回答になりましたかしら?
    • good
    • 12

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています