プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

ちょっとした疑問なのですが、私は最近神社仏閣巡りを趣味としていまして、私の実家は天台宗となります。天台宗は真言宗と確執があるというお話らしいですが、やはり天台宗の私が真言宗のお寺へお参りに行くのは失礼となるのでしょうか?それともそんなに気にするほどのことではないのでしょうか?
ご回答お願いいたします。

A 回答 (6件)

あは 創価学会の公明党員が靖国参拝してますけどね…神社と寺は違うか?でも神道と仏教ですからね



うちは親鸞さんですが日蓮さんのお寺に参詣に行きますよ

まぁキリスト教徒がヒンドゥー教の寺院に行ったりとかなら色々あるかもだけど
天台宗も真言宗も仏教同士 確執があったのは最澄と空海の時代ですからね

今対立してるのは西本願寺と東本願寺ですよ
だから全然問題なしです
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
たしかに平安時代の確執を気にしても仕方がなかったですね・・・
問題なしで安心しました。

お礼日時:2012/10/08 21:18

元々同じ密教系ですから根っこは同じです。



それに最近下記のとおりになったので大丈夫ですよ。
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/rxr_detail/?id=20 …

仏教はキリスト教やイスラム教など他宗教のように宗派にはあまりこだわりません。
浄土宗の人の葬式に曹洞宗や真言宗の信者が行っても何も差し支えないどころか、浄土宗のお経を僧侶と一緒に唱えたりもします。これは何宗でも同じです。
大乗仏教と相乗仏教がありますが、概して仏教は世界で一番おおらかな宗教です。

気になさいませんように。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

3年も前にそんな記事があったなんて知りませんでした。
ただの伝説で確執なんてなかったんですね。
ほんとに仏教はおおらかな宗教でよかったとつくづく思います。

お礼日時:2012/10/08 21:22

気にする必要は無いと思いますよ。



宗派 じゃなくて 古来の建物や 故人様に対して出向く訳でしょ?

そんな事を言っていたら
キリスト教の人近所の人が亡くなり 葬儀に行く 
キリスト教の人は 真言宗や曹洞宗等の人達に比べたら少ないですから 
行かれない事になりますね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私が変に気にしすぎたみたいでしたね。
気にしないように神社仏閣巡りをしていきたいと思います。

お礼日時:2012/10/08 21:24

>天台宗の私が真言宗等のお寺に行っても大丈夫?



     ↓

宗門改の広く流布していた時代や宗教をめぐる騒乱が有った時代なら別だが、現代社会では信教の自由が法律に明示され広く定着しており、教義や法話の論争に行くのなら別でしょうが、信仰並びに宗派を問い、その事で入場を断る事は考えられません。
もちろん、個人としてでなく団体で、特殊な目的であれば検討される余地はあるでしょうが・・・

http://www10.ocn.ne.jp/~mk123456/tendai.htm

私も、写真撮影や庭の観賞を趣味にしており、個人並びにグループで各地の寺社を訪問してますが、宗派を理由には一度も拝観禁止をされた事はありません。
勿論、他の理由:公開していないとか、立ち入り禁止場所やストロボ禁止とかはありますが・・・
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

宗派が原因で変なことにならないようで良かったです。
安心しました。

お礼日時:2012/10/08 21:29

私も気になって調べたことがありました。

いずれにしても仏様には変わりはありません、ただご本尊と唱名が異なります、真言宗は「大日如来」 「南無遍照金剛」・天台宗とか曹洞宗は「薬師如来」とか「釈迦如来」「南無釈迦牟尼仏」・日蓮宗は「十界曼荼羅」「南無妙法蓮華経」・浄土宗は「阿弥陀如来」「南無阿弥陀佛」の様です。宗派の違いで、例えば結婚が妨げられる事などありません、仏様を拝んでいるのですから。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

やはり失礼になるかどうか気になるものですよね。
ご本尊と唱名が異なるだけで、同じ仏様を拝むわけですから、気にする必要はなかったんですね。

お礼日時:2012/10/08 21:32

大乗仏教では,宗派の違いを強調しません。


元は一つだからです。宗派とは,僧侶の修行方法の違いでしかありません。
遣唐使などが中国で修行し,多数の経典を持ち帰った時代は,大和王権によって仏法が護持され,王権の守護のために利用されました。修行僧は各宗派から諸々の仏法を学び,日本に持ち帰りました。
仏法とは人生観,世界観を極める事で信徒の人間性を高めるための哲学です。極楽往生への願いでもありました。天台・真言の確執とは,平城から平安への王権の地の移転に伴って生じた,王権へのアピール競争から発しています。

小乗仏教とされる日本では鎌倉期,武士政権によって王権とは別に臨済宗など禅宗が重用されると共に,多数の宗派が派生しました。時代が下ると神道との摺合や朱子学とも融合して行く中で,宗派間の争いも始まり,別派的に独自性を競い合いました。現世利益追求の呪法ともなりました。
仏道の元は一つと理解すれば,宗派間でいがみ合う事も他派を邪教視する事も,愚かの極みです。
日蓮宗の一部には,他の全ての信仰を否定する『エホバ』にも似た宗派がありますが,これは自ら邪教を標榜するものの類いです。広い心で親交を深め,他の宗派をも認め合わなくては仏法の発展は有り得ません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

宗教の間でいがみ合うのは悲しいものです。
愚かなものですよね。私は気にしないでいこうと思います。

仏教の人生観、世界観についても興味がよりわいてきました。
仏教とはやはり奥が深くて、良いものですね。

お礼日時:2012/10/08 21:57

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!