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A typical scene in the detective novel finds Dr. Watson, a loyal assistant, walking up the stairsーknowing, from the wild violin sounds he hears, that the great Sherlock Holmes's powers to solve problems are being severely tasted by the case he is working on. Holmes apparently trusted the processes worked together somehow, each helping the other in a way that the author of the stories hints at but doesn't attempt to define.
Einstein also found a way to aid his thinking through violin playing. He may not have been an especially skilled violinist, but that is clearly not important. “Whenever he left that he had come to the end of the road or into a difficult situation in his work,” his elder son has said, “he would engage in music, and that would usually resolve all his difficulties.”
Musical forms, beauty, and patterns took both these geniuses’ minds beyond conventional thinking into an advanced type of thought. In both cases their result-focused minds relaxed somehow, allowing their subconscious minds to guide themーand playing music provided this link between conscious and subconscious. In short, they solved real-world problems by losing themselves in music, specifically in the violin. I would guess that Einstein wasn't a cautious player, either. He attributed his scientific creativity directly to this quality of childlike curiosity. Einstein often said that his most famous theory was also inspired by music, its forms and relationships.
It seems that certain physical actions stimulate the brain, create connections, and speed up thought. We have all had the experience of being literally unable to sit still when we are trying to resolve something in our minds. We pace up and down or shake a leg, almost as if such involuntary motions were needed to move our thoughts forward. Sometimes the mind-body relationship works a bit differently: while taking a long walk or rowing a boat across the lake, just letting our thoughts drift, we suddenly receive from the subconscious, without effort, the solution to a problem that had been troubling us for weeks. I personally know that playing the piano has this effect; maybe it has something to do with both sides of the brain being stimulated by the independent movements of both hands In any case, I have to keep a notebook handy while practicing, because I tend to get the answers to all kinds of questions ranging from the insignificant (where I left the car keys) to the significant (my life goal for the next decade).
This mind-body unity is only one of the rewards to be found in making music, at any level, as an adult. Ironically, far too many adults who study music under the general category of “amateurs” are so modest in their expectations of mastering an instrument that these rewards turn out to be much less than what they might have been.
The paradox is that adult music learners, while they often have the lowest expectations, are in a uniquely excellent position to succeed. Many take up an instrument with warmhearted desire, love of music, leisure time and extra money to support the lessons. Even more importantly, they approach music with more maturity and intelligence. But how much can adults learn if they are constantly comparing themselves negatively to others (children, no less) and feeling guilty about every unmusical wrong note? Add to this the mistaken notion of practice as boring discipline, acceptance of the traditional “no-mistakes” approach to learning, and uncertainly that they have any real talent for music, and they soon find themselves in a state of semi-paralysis of body and mind.
Even the word amateur has conflicts of meaning. While it literally means “lover” in French, it can also carry the connotation of dabbler, a person who is somehow fated never to be very good. To describe someone's work as amateurish usually isn't a compliment. But amateur states can be joyousーembracing free choice, pure love of what one is doing, and endless possibilities for discovery.

A 回答 (4件)

探偵小説の典型的場面には、忠実なアシスタントのワトソン博士が、階段を登ってゆく場面が出てきます ― 彼は、聞こえてくる激しいバイオリンの音色から、問題を解決する優れたシャーロックホームズの能力が、彼が取り組んでいる事件によって厳しく試されている【tasted ⇒ tested?】ことを知ります。

ホームズはどうもバイオリンを弾く一連の行為が一体となって働き、物語の著者が、ほのめかしているが、はっきりと述べようとしていない点を、それぞれが、ともかくも、互いに助け合うと信じているようでした。
アインシュタインも、バイオリンを弾くことによって彼の思考を助ける方法を見つけました。 彼は特に熟練したバイオリン奏者ではなかったかもしれませんが、それは明らかに重要ではありません。 「彼がそれ(バイオリン)を放置しておく時はいつも、彼は思考過程の終わりに到達したか、あるいは、彼の研究の困難な状況に陥っているのでした」と、彼の年上の息子は述べています。「彼は音楽に携わり、そして、音楽はたいてい彼のすべての困難を解決してくれるのでした。」
音楽の形、美しさ、様式によって、これらの二人の天才の精神は、平凡な思考を越えて、進歩的な思考法に至ったのでした。 両方の事例において、彼らの結果に焦点しぼった精神は、どういうわけかくつろいでいました、そして、彼らの潜在的な精神に彼らの案内をさせたのです ― そして、音楽を演奏することが、意識と無意識の間のこのつながりを提供したのです。要するに、音楽に、特にバイオリンに、夢中になることによって、彼らは、現実の問題を解決したのです。 アインシュタインが注意深い演奏者でもなかったと、私は推測します。 彼は、彼の科学的な創造力は、直接、子供っぽい好奇心のこうした特質が原因になっていると考えていました。 彼の最も有名な理論も、音楽とその形や関連に影響を受けたと、アインシュタインはしばしば言いました。
ある種の身体的な行動は、脳を刺激して、結びつきを作り出し、思考の速度を上げるようです。 我々が頭の中で何かを解決しようとしているとき、文字通りじっと座っていることが出来ないと言う経験を我々はみんなしたことがあります。 ほとんどまるでそのような無意識の動作が、我々の思考を前進させるために必要であるかのように、我々は脚を速く動かしたり、遅くしたり、ゆすったりするのです。心と体の関係が、少し違って働く時もあります: 長い散歩をしたり、ボートを漕いで湖を横切ったり、単に、我々の思考を漂わせている時、我々は、潜在意識から、楽々と、数週間、我々を煩わせていた問題の解決法を突然受け取るのです。私は、ピアノを弾くことがこうした効果を持つということを個人的に知っています; もしかすると、それは、両手の独立した動きによって右脳と左脳が刺激を受けることと何らかの関係があるのかもしれません。いずれにしても、私は、練習中にノートを手近においておかなくてはなりません、なぜならば、[ピアノの練習中に] 取るに足りないもの(私が自動車のキーを置いた場所)から、重要なもの(次の10年間の私の人生の目標)まで、ありとあらゆる問題に対する答えを私が得る傾向があるからです。
この様な心と体の一体感は、どんなレベルであっても、大人として、音楽を奏でる際に見つかる褒美の一つに過ぎません。 皮肉にも、「アマチュア」と言う一般的なカテゴリーの下で音楽を学ぶあまりにも多くの大人が、楽器をマスターしようと言う期待がとても控えめなので、これらの褒美が、実際の可能性よりもずっと少ないものになってしまうのです。
逆説的に言えば、大人で音楽を学ぶ人々は、しばしば最低の期待しか持っていないけれども、成功をおさめる独特の優れた立場にいるのです。 多くの大人が、心の暖たまる願望、音楽に対する愛情、余暇、レッスンの費用を賄う余分なお金があることなどから、楽器を習い始めます。 さらに重要なのは、彼らは、ずっと成熟し、知恵を持ってから、音楽に取り組むのです。しかし、彼らが絶えず否定的に自分自身を他人(子供たちは言うまでもなく)と比較して、耳障りな間違ったキーを奏でるごとに、気がとがめているとしたら、大人はどれほど多くを学ぶことができるでしょうか? 退屈な訓練、伝統的な「間違いを犯さない」学習法を受け入れること、そして、そもそも自分に音楽の才能があるのかと言う疑念、と言った様な誤った練習の概念をこれに加えて御覧なさい、そうすれば、彼らは、すぐに、体と心の半麻痺の状態に陥っていることに気付きます。
アマチュアと言う単語さえ、対立する意味を持っています。 フランス語では、それは文字通り「愛好家」を意味しますが、それは、また、道楽半分の人、どうしても決してあまり上手にならない運命を持つ人、と言ったニュアンスも持っているのです。 通常、誰かの仕事を素人くさいと言うことは、賛辞ではありません。 しかし、アマチュアの身分は、楽しくなりえます ― 自由に選べることをこれ幸いと受け入れ、自分のしていることを純粋に愛し、発見の無限の可能性を楽しめば良いのです。
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この回答へのお礼

お早い回答、ありがとうございました。自分で設問を解いた後、文全体の意味を把握するために質問させて頂きました。
なかなか興味深く、自分も共感出来るような内容でした。参考になりました。助かります。

お礼日時:2012/12/12 19:58

回答を2回に分けます。


ーーー拙訳(意訳)
あの探偵小説の典型的なシーンで、忠実な助手のワトソン医師が階段を上がってくるのを目にする。激情的なバイオリンの音色が彼の耳に届くと、彼は、あの偉大なシャーロックホームズの問題解決力が、取り組んでいる事件で辛酸をなめている最中(さなか)であることに気づくのである。おそらくホームズは、2つのことを同時に処理することが、この話の著者がほのめかすも明確にしない方法で、相乗効果的に、どうにかして上手くかみ合うと確信していた。
アインシュタインもまた、バイオリンの演奏を通じて思考の助けとする方法を見つけていた。彼は特に熟練のバイオリン奏者ではなかっただろう。しかし、そんなことは明らかに重要ではない。「バイオリンを放置している時は、いつも行き詰まってしまって、つまり、仕事上で困難な状況におちいっていました。音楽活動にはよく参加してました。そして、普段は、それで困難な事全てを解決したものです。」と、彼の長男が語っていたことがある。
音楽の形態、美しさ、そして様式で、この2人の天才の頭脳は、ありきたりの思考方法を超えて進歩的な思考タイプに行き着いたのだ。両方のケースで、結果を鮮明に映し出せる彼らの脳は、なぜかリラックスしていて、潜在脳で彼らを導くことができた。音楽演奏が、意識的と無意識的の間に、このような関連性を備えていた。端的に言えば、彼らは、音楽、特にバイオリンに没頭することによって、現実世界の問題を解決していたのだ。アインシュタインは、用心深いバイオリン奏者でもなかったらしい。自らの科学に関する独創力は、このような子どもっぽい好奇心旺盛の性格に直結していると、彼は考えていた。彼の最も有名な理論も、音楽、その形態と関連性によって閃いたと、本人が、しばしば語っていた。
いくつかの身体的動作は、脳を活性化して、連想を生み出し思考を早めるらしい。頭の中の何かを解決しようとする時、私たちは皆、文字通り、じっと座っていることができないという経験をしてきている。うろうろと歩き回ったり、踊ったりする。ほとんど、まるでそういう無意識の動きが自分の考えを前進させるために必要であるかのごとくである。時々、この心と身体(からだ)の関係は少し異なる形で機能する。長距離の歩きや、ボートを漕いで湖を渡ったりしていて、ただ、考えごとを巡らせていたりすると、突然、苦労などせずに、無意識のうちに、何週間も悩まされ続けてきた問題の解法が閃く。個人的には、ピアノ演奏にこの効果があることが分かっている。それは多分、《どの場合も、》両手の独立した動きによって、活性化の直中(ただなか)にある左右の脳と何か関係があるのだ。《とにかく》ピアノの稽古の時に、私はノートを手元に置かなければ。なぜなら、私はあらゆる類いの問題の答えを求めたいらしいのだ。取るに足らない答え(車の鍵をどこに置き忘れたか)から重大な答え(次の10年の人生目標)まで。
この心と身体の調和は、音楽を、どんなレベルでも、大人として奏でる時にだけ見い出せるご褒美のひとつである。皮肉なことに、「アマチュア」という一般的領域で音楽に励んでいる、あまりにも多くの大人たちは、楽器をマスターしたいという願望がごく控えめなので、こういうご褒美のこれまでの可能性を多く失う結果となっている。
矛盾しているのは、音楽を習う大人たちが、最低レベルの願望を持つ場合が多いのに、成果を上げるには、うってつけの立場にいることである。多くの大人たちは、レッスンが保持できるような穏やかな願望、音楽を愛する心、余暇の時間、そして、余分なお金を持ち合わせて、楽器を始める。さらに重要なことは、彼らは、より高い分別と知性を身につけ音楽に取り組むのである。しかし、否定的に自分たちを他の人たち(なんと他でもない、子どもたち)と常に比較したり、1つ1つの聞くに堪えない音に後ろめたさを感じたりしていれば、大人たちは、どれほど学習することができるのだろう? 退屈な学習法、伝統的な「ノーミス」で学ぼうとする姿勢、そして自分たちが音楽的才能を持っているか自信がないという、そういう稽古の間違った考え方を、これに加えてみれば、心と身体がいくらか麻痺状態にあるのをすぐに自覚してしまう。
アマチュアという言葉さえ、語義の対立がある。フランス語で、言葉の上では「愛好者」の意味である一方、決してあまり上手くならない運命だとなんとなくされている人物、「素人/半可通」という言外の意味を携えることもできる。だれかの作品を素人っぽいと形容することは、褒め言葉ではない。しかし、アマチュアでいることは、幸福感で満たされてるに違いない。ーーー自由な選択、自分がやっていることへの純粋な愛、そして、発見の果てしなき可能性を喜んで受け入れているのだから。

後編に続きます。
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後編です。

おまけです。
--- keys ---
A typical scene = 主語。
finds = 動詞。SVOC で、特定の時/場所/出来事が主語になる使い方。ある辞書には、書き言葉とあります。
the detective novel = 直訳「あの(あなたも知ってる)探偵小説」。detective novel が初出の語句なのに、the が付いてます。つまり、「読者が、説明されなくても分かる探偵小説」の意味。和訳するなら、the を訳出するべきと思います。そうでないと、日本語では、「探偵小説全般」の意味になりかねないのでは?
knowing = walking と並列してます。直訳的には、finds の C と考えてもいいです。walking に対する付帯状況にも取れます。
that = know that の that。接続詞で、名詞節を導く。
are being severely tasted by the case = 受動態で、現在進行形。
be tasted = 直訳「直面する(体験させられる)」。severely があるので、「厳しい形で直面している」というのが別訳。taste の味を活かして、「辛酸をなめている」としました。
the processes = 複数形に注意。ここでは、「事件を解決する」という1つの処理と、「バイオリンを弾く」というもう1つの処理のこと。この後に出て来る each と the other がヒントになります。
somehow = worked を修飾。
each helping … = 分詞構文。この部分の主節にあたるのが、the processes … somehow で、主語が異なるので、helping の主語 each を、省略しないで使ってます。
each helping the other = 直訳「それぞれが、もう片方を助ける」。other に the が付いてるので、最後の1つだと分かります。one と the other の関係と同じ。each process helping the other process
---------
the end of the road = 「進展や生き残ることが(ここを超えて)続けられない地点/時点」
http://oxforddictionaries.com/definition/english …
上記サイトの end の成句の中にあります。
or = 言い換えの or。
his elder son = 所有格を使わなかったら、the elder son で、比較するものが2つ/2人だけの時には、それぞれ the elder son, the younger son となる。つまり、his elder son は、息子は2人しかいなくて、その年上の方なので、「長男」と、なります。
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pace up and down =pace は、この場合、自動詞。「最初はある方向に、次に別の方向へ何度も歩くこと。特に、ナーバス状態であるので。」
http://www.ldoceonline.com/dictionary/pace_2
上記サイトの pace の語義1を参照して下さい。例文も。

shake a leg = dance
http://ejje.weblio.jp/content/shake+a+leg
上記サイトの leg の成句を参照して下さい。

receive from the subconscious = 直訳「無意識から(出てくる物を)受け取る」
it has something to do with … = 「それは、……と何か関係がある」。it は、this effect。

with / both sides of the brain / being stimulated by the independent movements of both hands
= with O C とも取れるし、being 以下が the brain を修飾していると考えてもいいと思います。どちらにしろ、being がない形でも意味は通じます。この文脈では省略不可で、being を訳出しないと。「効果は、活性化されている最中に発揮されている」というニュアンスです。
別訳「左右の脳が両手の独立した動きによって、活性化の最中にあることと」

In any case, = ものすごく悩みました。both hands の後の period を打ち忘れたと判断しましたが、この文脈では、前の文、後ろの文、どちらにあっても意味が通りそうなので、《》付きで挿入しましたので、原文に記されてない方は、削除して下さい。
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only one of the rewards to be found in making music = only に悩みました。to be 以下は、不定詞の形容詞的用法で、the rewards 修飾だと思います。only one を「1つにすぎない」と否定的に訳してしまうと、後の文脈と合わないと感じました。「すぎない」というと、その「ご褒美」の価値を認めていないように思います。でも、次の文は、その「ご褒美」を少なくしてしまうことは、もったいないと言っているよう。文脈上、at any level, as an adult が強調されているように思います(譲歩的な意味で)。ゆえに、only は、この辺りを修飾しているのでは。通例、only は、被修飾語の前に置きますが、略式では、頻度副詞と同じ場所に置くことが許されています。

so modest… = so … that

these rewards turn out to be much less than what they might have been =直訳「これらのご褒美は、それらがこれまでにあったかもしれない(大きさの)物より非常に小さい物になる結果となる」。この場合、意訳で量、それも元の英文がわからないほどにしてます。原文をしいて言い換えると、
『these rewards turn out to be much less things than things that they might have been』と、なります。つまり、『be things』と『have been things』という、SVCのCが名詞の場合2つを比較してます。
★いわゆる連結動詞(linking verbs)と呼ばれるbeの後ろに、数/量を表わすmany/much/little などは、単独で使えないからです。
後ろに名詞が省略されてる場合は使えます。だから、ここで、much less が使われています。原級で表わすなら、little things/small things になります。
ゆえに、後半は、how much ではなく、what が使われてます。
---------
with warmhearted desire, love of music, leisure time and extra money to support the lessons
=『with O + C』とも取れるし、『with O』とも取れる。desire, love, time, money が O で、to support the lessons を C としました。が、訳出する上で、 to support the lessons が、desire, love, time, money を修飾する形での訳にしました。『with O』なら、別訳「おだやかな願望、音楽を愛する心、余暇の時間、そして、レッスンを保持できる余分なお金がある状態で」
no less = おどけて「なんと他でもない」
Add to this… , and they soon = 『命令文+and』=「~して下さい。そうすれば』。Add O to this が通例の語順ですが、Oが長過ぎるので、倒置してます。
practice as boring discipline, acceptance of the traditional “no-mistakes” approach to learning, and uncertainly that they have any real talent for music, = as 以下の 『discipline, acceptance, that 以下』 同格的に、as [前置詞/接続詞]の目的語。
acceptance of the traditional “no-mistakes” approach to learning = 直訳「伝統的な「間違い禁止」の学習取り組み法を受け入れること」
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dabbler = 英英辞典で調べてみるといろいろな定義があります。訳語は「素人」でいいように思います。『半可通』は、主に知識の『生かじり』です。
embracing free choice, pure love of what one is doing, and endless possibilities for discovery. = embracing は、分詞構文。free choice 以下全てが、A, B, and C の形(同格)になっていて、embracing の O 。

以上、少しでもお役に立てたでしょうか? ★ydna★
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#2, #3 です。


一部、誤解を招くようなところがありましたので、補足させて頂きます。
また、少し考え直して、大小の程度ではなく、数の多少で、説明できそうなので、改めます。ごめんなさい。

> these rewards turn out to be much less than what they might have been

の、部分です。

rewards が複数形なので、数でも説明がつくのではないかと思い、考え直してみました。

these rewards turn out to be much less rewards than rewards that they might have been

と考えました。これなら、rewards (that) = all rewards (that) = all (that) = what と考えられます。
よって、「数が減る」という捉え方ができます。

また、この用法の what は、「全数」を表わしますが、「全部であっても少ない」という意味合いを持っているので、これ以前に出てきた、only の修飾の件と符合します。

よって、how many より、what が的確ということだと思います。

many/much などは、単独では be の後には使いません。これは正しいです。
much less は、rewards が後ろに省略なのですが、省略して1語になると、「単独」ということになり使えません。2語だから使えます。また、1語でも後ろに、than … や、of … (例えば、some of… ) 、関係節などの場合は使えます。数詞(two, three, …) は、主語の数を表わす場合、使えません。では、His son is five (years old). は、なぜ使えるのでしょう。これは、もともと、SVC の C が形容詞だからです。*A week is seven days. は、SVC の C が名詞なので使えません。つまり、This is a pen. のタイプです。単数の時、a を使って数を表わしているようですが、それよりも、不定であることが重要情報です。なぜなら、a がなくても、後ろの名詞が単数形なら、なんとか単数であることは分かります。つまり、このタイプの文は、数量を表わす文ではなく、単数か複数か、不定か定を問題視しているだけです。They are all rewards. は使えます。

よって、直訳は「これらのご褒美は、これまでにあったであろう/もよかったわずかの数よりも、より少なくなってしまう。」
拙訳(意訳)は、「これらのご褒美は、もらった数はわずかかもしれないが、もっと減ってしまうことになるのだ。」

以上、訂正と補足させて頂きました。ごめんなさい。 ★ydna★
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この回答へのお礼

遅ればせながら、回答ありがとうございました。 3度にわたってこの質問にお付き合い頂き、こちらこそ恐縮です。大変参考になりました。助かりました。

お礼日時:2012/12/12 19:32

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