プロが教えるわが家の防犯対策術!

あえて質問させて下さい。

運動部、それも強豪校と呼ばれている学校での部活動に置いて、「体罰」とはどういった意味を持つのでしょう?

自分も若い頃は、バリバリの体育会系でした。
小、中、高と、同じ部活を続けていて、その中で、監督やコーチに殴られ、蹴られてきました。
口の中が切れて血が出た事もあります。

中には竹刀で叩く先生もいたり、過酷な練習の中で過呼吸になって救急車で運ばれた仲間もおりました。

だからこそ、そうならないように、部活外でも自主練習をしたり早朝ランニングをしたりしながら克服しようとしました。
一応、インターハイ常連校でした。

教師が生徒を叩く。
そこに愛があろうが無かろうが、それは間違いなく「体罰」と呼ぶのだと思います。

今回はそれで、自殺した生徒がいるのも事実。

何と言えばいいのか分かりませんが、なんだかモヤモヤします。

皆さんは、今回の事件をどう見ているのでしょうか?
教えてください。

A 回答 (25件中21~25件)

体罰のいいところ、と悪いところと、両方あるから、難しいですね。




いいところは、てっとり早いところだと思います。


いってもわからない部分に関しては、殴ったほうがはやいな、、ということを質問者様も感じたことがあると思います。殴ると痛みでわかりますからね。いやなものはやらない。単純だけど、効果としては、説得よりも早く、2度としないだろうから、優れているようにも思います。


僕も、遅刻したら殴られる、とかなら、遅刻しませんし、今みたいにギリギリに来ることもないと思います。

そういう意味でよい。ということがある。


一方、人を殴るのも体罰にはいるのだから、殴ったら、相手が死ぬケースは0ではない。
それに、愛があるかないかは、体罰を受けているほうが決めるから、いい結果にならなかったら、体罰になって、いい結果になったら、愛だった、みたいなことにもなる。


僕は、年中怠けているから、あんまりよくわかりませんが、


たぶん、質問者様のような体育会の世界では、かなり無理をしなければ勝てないし、負けたら終わりの世界だから、かなり教育者も無理させないと、勝てないのだと思います。


だから、あえて体罰をして、、というのもわかります。

個人的には、そのケースごとにおいて、そういう微妙な判断をしていくのだと思います。


けど、世間的には人権を意識するなら、やっぱり体罰はしないほうがいい。という結論になると思います。自殺する可能性や、殺してしまう可能性は0ではないからです。


現代では、このような可能性があることが認められること自体が、許されないと思います。


それに、今は、親や生徒側、先生も、微妙な判断ができるとは思えません。極論的で、形式的です。


つまり、まとめますと、個人的には、うまくできる自信があれば、限定的に使ったらいい。ということです。この意見は、世間では通らない意見だろうと思います。
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この回答へのお礼

ご回答頂き、誠に有難うございます!

実に建設的なご意見ですね(笑
そうなんでしょうな、結局は。

>つまり、まとめますと、個人的には、うまくできる自信があれば、限定的に使ったらいい。ということです。

その答えが、

>今は、親や生徒側、先生も、微妙な判断ができるとは思えません。極論的で、形式的です。

これなんだと思います。

例えば、今回の問題でも、校長自身は「以前から体罰はいけないと散々言ってきた」と言っています。

あの方の年齢を考えれば、体罰がない時代に育ってきた訳では決してありません。
恐らく、今の時代であっても、現場にいる大抵の教育者は「体罰の全てがいけない」と思っている訳ではないと思います。
それでも、あえてそれを禁止にしなくてはいけない理由。

それが「形式だから」と言う事なのでしょう。

本当に、子供を馬鹿にしていますし、それで良いとする大人がいる事自体、子供に取っては一つの災難ではないかと思います。

>僕は、年中怠けているから、あんまりよくわかりませんが、

そうですか?(笑
自分も基本、怠け者な人間ですよ(笑
ただ、どこでは怠けても良いのか、どこでは怠けてはいけないのかの区別ぐらいはつきます。
あなたもそうでしょう?
体育会でも、体育会でなくても、関係の無い事です。

そこに愛情はあったか無かったのか?

そんな「目に見えないもの」を与えられ、受け止めてきた事に限定されるべき理由はありません。

あなたぐらいの年齢では分からないかも知れませんが、昔は今と逆だったんですよ。

生徒に何か問題があって、保護者が学校に相談すれば、学校側では「こちらでは何も問題はありません。ご家庭の方に問題があるのでは?」と言われる事が多かったです。

体罰が当たり前かそうでないか、体罰が良いか悪いかの前に、「子供は問題があって当たり前」なんです。
学校も保護者も、その責任をどちらかに押し付けてそれで解決しようとするから、今のような流れが生まれるんです。
事態が深刻になる前に、子供を見ている大人全員が、協力し合わなければいけなかった事でもあるんですよね。

若い方からのご意見、非常に参考になりました。
本当に有難うございました!

お礼日時:2013/01/11 20:23

はじめまして。



私もこのニュースを知り、考えさせられた者のひとりです。
一昨日の晩、主人ともこの話題になりました。


というのも、長くなりますが…

主人が通っていた高校の担任の先生は、
体罰で有名だったからです。
しかも3年間、クラス替えなし。
どんなに悪い生徒も震えあがるほどの恐怖を3年間味わい、
まさに地獄だったそうです。

例えば、テストの成績。
100点満点中、70点だったら、
モップの柄で30発、お尻を叩かれる。しかも思いっきり。
ある生徒は、その体罰に耐えきれず膝を着いたら
「何を倒れているんだーーー」と背中を叩き、
それで腕を着いた拍子に後頭部に当たり
血が吹き出たそうです(汗)。

もちろん、先生の車のトランクには、
その木の棒が束で用意してあり、
車内には木刀が積んであったり。。。

学校に行くのがイヤで休もうものなら、
自宅まで来て、引っ張って通学させる徹底ぶり。

それでも親たちからのクレームはなかった様子です。


しかし、そのクラスの生徒は
ひとりも落第することなく、全員が就職したとのこと。
先生は、就職先に訪ねてまわり
生徒の様子を見て「頑張れよ」と励ましていたそうです。

後日談ですが、
ある日、主人が営業で(商品を売るために)
その学校を訪れたところ、
当時の担任の先生がいたそうです。
事情を説明すると、
その元担任の先生は、主人と一緒に
他の先生のところに着いて回り
「ひとつ買ってやってくれませんか?」とお願いして回ってくれたそうです。

ま、このことに限らず、
主人は、自分をまっとうな人間にしてくれて大変感謝していると言います。
あの先生だったから、たいてのことは耐えられるし、怖くないとも言います。

わたしも実は、小中高、ずいぶん先生から体罰を受けました。
しかし、それは自分が悪いことをしたから当然の報いだと思っています。
今でも、くらったげんこつで、おでこが陥没しています(笑)。

時代が変わると、教育現場の考えも変わるのでしょうが、
私は体罰が全面的に悪いとは思いません。
時には必要なことがあるのではないかと思います。

それが、単なる暴力なのか、愛情がある故の体罰なのか。
それは受けた生徒が感じ取るもので、
他人がとやかく言うことではないと思います。

体罰を、失敗、後悔に置きかえるなら、
それを避けるために、知恵を絞り、懸命に励み、二度と繰り返さないという
強い意志を育むことができるのでは?と考えます。
また、それが社会で生きていくための大切な糧になるのではないでしょうか。

体罰は当たり前だった時代の人、
体罰なんてありえない時代の人、
かなり温度差があると思います。

他の方の回答、興味深く拝見させていただきます。
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この回答へのお礼

ご回答頂き、誠に有難うございます!

>体罰は当たり前だった時代の人、
>体罰なんてありえない時代の人、
>かなり温度差があると思います。

そうですね(笑
あなた様と旦那様のお話、非常に共感し、自分の経験と重ねてみてしまう部分が多かったです。

その当時に受けた暴力、体罰が、果たして「理不尽なもの」ではなかったか?と聞かれれば、その瞬間にはそう思った事も中にはあるのかも知れません。

しかし、その後で、そのまま理不尽だった事にせず、自分なりに考え、納得する答えを探しては、その答えに対する次の行動を取って来たような気がします。

それは、教師から受ける体罰も、親から受ける体罰も同様にです。

>単なる暴力なのか、愛情がある故の体罰なのか。

この境界線は、非常に曖昧で非常に難しい線引きになりますよね。
確かにこればかりは「受け取る側の判断」によります。

それは、決して「弱いから」「強いから」だけの問題ではなく、片方が「現実」で、もう片方が「目に見えないもの」だから。

目に見えないものを押し付けられた所で、結局は受け取る側の考え一つになってしまうのかも知れません。

愛情のある体罰や愛情のある躾けは、元々「答えの無い」事なのかも知れませんね。

余談ですが、学校にせよ部活にせよ家庭にせよ、なぜか「いつも叩かれる役目」は自分でした(笑
親も教師も、なぜかプライドの高い相手の方はあまり叩こうとはしませんでしたね。
よく聞いたことがありませんか?
「叩かれて伸びる子」と「褒められて伸びる子」
昔の教師は、それを感じ取るのが上手かったのかも知れませんね(笑

とても丁寧で親切なご回答を頂けたこと、本当に感謝致します!
有難うございました!!

お礼日時:2013/01/11 19:56

こんにちは。



私が学生時代思いっきり殴られました。
体罰という言葉は存在していませんでした。
4週6休が始まる頃でしょうか?
体罰という言葉が世に現れたのは…。
不登校という言葉が世に現れたのもこの頃だと思います。
体罰はしつけをしないモンスターペアレントと
ゆとり教育が産んだものだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答頂き、誠に有難うございます!

「悪い事をすれば殴られる」

それが当たり前でしたよね。

でも、今は「恐怖で子供を押さえつける」のは間違っているとされます。

では、そもそも、なぜ人間の感情や本能には「恐怖」があるのか?

通常、良い事や正しい事、危険ではない事をしている時には、決してその感情や本能が表れる事はありませんよね。

我々の時代でも、皆がみな、体罰を受けれてきた訳ではありません。
それでも、それが嫌な人は、逆らうなり辞めるなり、「それぞれの答え」を出して来たのも確かです。

今回は、自殺がその答えではありましたが、全ての子供が、それと同じ答えを出すとは限らないのでは無いか?
そう思う次第です。

叩かれることで分かる事も成長する事もあるのだと思います。
その反対に、駄目だった事も悪かった事もあるのだと思います。

だからと言って、それを全て取っ払ってしまうのは、子供に可能性を与えないのと同じ事ではないでしょうか?

体罰が良いとか悪いとか、そう言うことではなく、子供に対して少しでも悪い可能性のあるものは全て排除しようとする今の風潮が、どうしても納得が行きません。
子供は、そこまで弱いものではなかったでしょう。

なんだか本当に悲しくなって来ました。。。

頂いたご回答は、参考にさせて頂きます。本当に有難うございました!!

お礼日時:2013/01/11 17:54

 亡くなった児童及び保護者の方には辛い事かもしれませんが、精神的に弱い部分と、逃げ道を作ってあげなかった、逃げ方を教えてこなかったのも原因だと思って居ます。

体罰だけで考えると判断を誤ります。 最初は体罰も受け入れる事も出来たと思いますが、立場的な物などで自分を追い込んでしまった。それまで許せていた事ですら、耐えられなくなった。この段階で、逃げる。最悪退学でもすれば命は救われたと思って居ます。しかし、それが出来ない自分のプライドがさらに追い打ちをかけて、自ら自殺の道を造ってしまった。自殺しなくても精神的に追い込まれた状態で鬱状態とかの可能性も有る。これは体罰が無くても起きていたでしょう。

 今の子供達は、耐える力が弱いです。満ち足りた生活をしています。また、話を聞かない。他人の話を聞かないで自分だけの世界で居る事もあります。実際に授業中に誰かが質問して先生が回答します。またすぐに同じ質問が出てくると。
 プライドの高さと、自分勝手甘えなどが、原因の一つだと思って居ます。また、周りも協力して練習をしたりすれば良いのですが、周りの仲間もいい加減な部分もあるので、助けてくれないし、空回りするしという状態だったのでしょうね。

 叩いた回数とか関係無いし。マスコミの着眼点がおかしいし。何回か叩いたら自殺するようなスイッチが有るわけでもないだろう。一発でも、駄目なやつは駄目なんだから。

 子供達は厳しい環境が苦手ですからね。小さいときに、無茶をさせなければ分からないです。子供は結構強いです。させれば、大体のことは出来ます。でも、それをさせない、安全な範囲だけで過ごさせてきたから、加減も分からないし、耐える力も無いのだろうね。
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この回答へのお礼

ご回答頂き、誠に有難うございます!

相変わらず、非常に共感の出来る部分が多いですね(笑

>今の子供達は、耐える力が弱いです。

実は先日、非常に興味深い内容の調査結果をテレビで見ました。

「今の若者は忍耐力が無くなって来ていると思う?」と言う質問に対し、「YES」と答えた人が63%もおりました。
と言う事で、100人中、約60人はこの問題をどう見ているのか?と言う事が気になります。

ちなみに、その調査で20歳以下の若者に「自分には忍耐力があるかどうか?」を尋ね、「ある」と答えた人に対して「それは何で培ったと思うか?」を尋ねたところ、大半が「部活動」と答えました。

日々、今回のこ体罰問題をニュースで見る度に、我々はどういう時代を築いていたのだろうと嘆かざるを得なくなります。

なぜ、学校側に何から何まで責任を押し付けようとするのか?

「体罰は絶対に駄目」が定着したら、次は「言葉の暴力も絶対に駄目」となるのでしょう。
いや、すでになっているのかも知れません。
先日は、「友達にあだ名を使用するのは禁止」の学校も出たようですね。

学校側に完璧を求める前に、そもそも自分の家庭で自分の子供を完璧に育てているのか?が疑問に思います。

そう言えば、自分の時代は今とは本当に真逆だったかも知れません。

子供に問題があり、親が学校側に相談すれば「学校では問題ありません。何かご家庭に問題があるのではないですか?」と。。。

なぜ、両方が責任を持とうとしないのか。

それが自分にはとても残念に思います。

頂いたご回答は非常に参考になりました。
本当に有難うございました!

お礼日時:2013/01/11 17:38

権力が上の者から理不尽な行いや暴力を受けて



それを「おかしい」と思わないことが問題なのでは?

昔はこうだった
だから今も

なんて理屈は通用しないです
日々世の中は変わっているのだから


自分達が我慢してきたのだから今の子供らにも我慢を強いる必要はないです

暴力はどんな理由があったとしても許されることではないです
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この回答へのお礼

ご回答頂き、誠に有難うございます!

>権力が上の者から理不尽な行いや暴力を受けて
それを「おかしい」と思わないことが問題なのでは?

申し訳ありません。
自分はそれらを「理不尽」な行いや暴力だとは思いませんでした。
恐らく、それがこの問題の中で、自分が一番モヤモヤしている理由の一つなんだと思います。

正確には、叩かれたり蹴られたりしたその時は、確かにそう思った事もあったのだと思います。
でも、結局「何もしないで」叩かれた訳でも蹴られた訳でもありませんでした。
それを、周りの人間が教えてくれたり、自分自身で考えて探してきたのだと思います。

それによって「自分自身が成長出来た」と言う事が、自分に取っては一つの事実、結果なのだとしたら、それを「体罰は全て悪」と決め付けられたとすれば、過去の自分の成長とは一体何だったのか?と否定せずにいられません。

今回の問題については、賛否両論がある所ですが、恐らく、体罰を完全に否定出来ない方々は、みな同じように思う節があるのではないでしょうか。

そんな事は、あなたに取っては全く関係ない事でしょうし、今の子供達に取っても一切関係のない事だと思います。

ただ、

>昔はこうだった
>だから今も
>なんて理屈は通用しないです
>日々世の中は変わっているのだから
>自分達が我慢してきたのだから今の子供らにも我慢を強いる必要はないです

失礼ですが、納得が行きません。
「我慢を強いる必要は無い」とは、子供達を守るために言っているのですか?
それとも、自身の経験から仰られている事なのでしょうか?

暴力の中には、「言葉の暴力」もあります。

もっと規制が進み、今とまた時代が変わった時に、今度は「厳しい言葉は一切使われない」と言う事が始まるのでしょうか?

なんで、学校側にだけ、それらを押し付ける風潮に今はなっているのですか?
体罰は駄目、言葉の暴力も駄目。
そんな完璧な事を押し付けたいのであれば、まずは自分達の子供を自分の家庭で完璧に育てていくのが先でしょう?
あなたには、それが出来ますか?
また、それを他の保護者に対しても強制できますか?

どうか教えて頂きたいです。

お礼日時:2013/01/11 16:58

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