No.3ベストアンサー
- 回答日時:
端的に結論からかくと
>どういう人達が → イギリスを始めとしたヨーロッパ各地で、それぞれの国の身分制度や宗教的立場の違いから、「フロンティア=理想郷」を求めて移民してきた人々
>何から? → 主にイギリスから
独立したということです。
この流れの中でインディアン云々は関係ありません(というか人間扱いすらされてませんので)
で、独立に至る時代的背景ですが、これはヨーロッパ方面での戦争が関わってきます。
当時、イギリスはフランスと激しい植民地争奪合戦を繰り広げていました。
ヨーロッパ方面でも戦いはありましたが、当時の新天地(英・仏からみて)だったアメリカ大陸でも例外ではありませんでした。
そして、7年戦争(フレンチ・インディアン戦争)が勃発します。
これは、北アメリカの植民地利権を巡ってイギリス軍とフランス・インディアン連合軍とが争った戦争です。
フランス・インディアン連合軍というように、フランスは原住民の諸部族と手を結んでイギリスに対抗しました。(とはいえ、イギリス軍側にも協力する部族がありましたが)
また、この戦争は同時進行としてヨーロッパ大陸方面でも争われました。
戦争の詳細は長くなるので割愛するとして、戦争自体は紆余曲折を経てイギリス軍側の勝利に終わります。
イギリスは戦争には勝ったものの、膨大な借金を抱え国の財政が悪化しました。
そこで、植民地に対して印紙法やタウンゼンド諸法といった、増税政策に打って出ました。
新聞・雑誌・各種書類はもちろんのこと、トランプにまで印紙を買って貼り付けること、銀・宝飾類・茶・鉛筆・塗料などなどの輸入製品にも関税をかけていきます。
それに対して、植民地市民の不満は溜まっていきました。
そんな中、「ボストン茶会事件」という事件が起こります。
これは、ボストン市民5人が駐留英軍に射殺されるという事件で、この事件が「反イギリス」の旗印のような役割を果たしました。
イギリス側は、こうした反発の対応に苦慮して、一時タウンゼンド諸法を廃止するなど譲歩する姿勢を見せました。
しかし、国策企業だった英国東インド会社が抱えた大量の茶葉を売り払うために関税を免除したため茶の値段の暴落を招き、それがまた植民地で商売する人々の不満の種となりました。
そして、13植民地政府が集まって「大陸会議」を開き、アメリカ独立宣言を発表。
イギリス政府は話し合いでの解決を模索しますが、結局交渉決裂で終わり、アメリカ独立戦争が起こることとなります。
>1600年以前に既に海をわたって定住していたその他のヨーロッパ人達、であっていますか?
この部分に関しては、あまりアメリカ独立とは関係ありませんね。
1600年以前に渡っていた人々というのは、バイキング系と思われます。
彼らは、今で言うカナダや西海岸でも北の方に定住していたと思われます。
また、風土の違いによる疫病や原住民族(インディアン)との抗争に敗北したりと、あまり強い勢力にはならなかったようです。
一方、独立戦争の中心となるのは1620年にメイフラワー号で移住移行に入植してきた人々です。
なので、あまり直接的な関わりは無いと考えられます。
とまぁ、大雑把ですがこれが「アメリカ合衆国の独立」という一連の歴史ですね。
ではでは、参考になれば幸いです。
No.8
- 回答日時:
少しだけわかりやすくお答えします。
年代は省略しますね。
まず、南北アメリカ大陸はインディアン
インディオが先住民だったことはOK。
北アメリカには主にイギリスを逃れて
きた人々を主力に植民地がつくられ13個
できた。植民地なわけだからイギリス本国
から重税を課せられしかも議会に代表を送
れないとの不満が爆発。フランスの武器援
助もうけたアメリカ市民の義勇軍がイギリス
と戦闘を開始、13州の植民地代表が集まり
独立宣言する。
だからお尋ねの件は
「13植民地の人たち(欧州からの白人)」
が「イギリス帝国」から独立したのです。
ついでに最初の白人が上陸をしたときに
現地のインディアンは親切にしてくれた
そうだけど、白人は当初インディアンを
絶滅させる方針だったようです。
No.7
- 回答日時:
#5です。
補足です。ご質問の「インディアン達が独立したわけでもないようです」という疑問はもっともです、なぜインディアンの独立国が無いかは、下記のコロンブスによる「インディアンの大虐殺」の項などをご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA% …
No.6
- 回答日時:
”独立記念日って、「どういう人達が」「何から」独立したんでしょうか?”
↑
米国は英国、フランスなどの植民地でした。
それが次第に英国だけの植民地になって
行ったのです。
独立とは、英国の植民地という地位から
独立する、ということです。
”イギリスに支配されていた先住民の素性は、
1600年以前に既に海をわたって定住していたその他のヨーロッパ人達、であっていますか?”
↑
先住民はモンゴロイドですよ。
2万5千年前にシベリアから引っ越してきて
その後カナダを超え1万3千年前に現在の米国
に広がってきました。
”その人達も独立の際イギリス人と一緒にアメリカ国民に名乗り換えたのでしょうか。”
↑
先住民は、白人に逆らったので、黒人よりも
低い地位におかれていました。
独立に名乗りなんかあげる訳ないでしょ。
”この独立にはインディアンは一切関係なし”
↑
蛇足ですが、参考までに。
フレンチインデアン戦争で、先住民はフランスとタッグを
組んで英国と戦ったことがありますが、フランスとともに
負けています。
しかし、この戦争で財政がピンチになった英国は、植民地
米国の税金を増やそうとしました。
特に問題となったのがお茶への課税でした。
これが契機となって独立運動が始まります。
この独立運動を応援したのが英国の宿敵フランスです。
だから独立記念として、自由の女神をフランスが送ったのです。
ところが、米国独立を援助したため、今度はフランスの
財政がピンチになり、増税で切り抜けようとしたところ
民衆などが増税に怒り
あの有名なフランス大革命が起きてしまいます。
No.5
- 回答日時:
まず始めのご質問ですが、
1。独立記念日って、「どういう人達が」「何から」独立したんでしょうか?
既に回答があるように、アメリカ東部の英領植民地が、イギリスから独立したのです。
2。 イギリスが植民地として国民を送り込み、そこで長年暮らす内にそのイギリス人達が植民地としてではなく自分達の新しい国として運営したいと思い蜂起。つまりアメリカ人の祖先はほぼイギリス人。この独立にはインディアンは一切関係なし。こんな感じでしょうか?
一部そうです。
3。あと、イギリスに支配されていた先住民の素性は、1600年以前に既に海をわたって定住していたその他のヨーロッパ人達、であっていますか?
いえ、アメリカ大陸にコロンブスが1492年15世紀に到着する前の非ヨーロッパ系住民が、先住民です。
4。もしそうであれば、その人達も独立の際イギリス人と一緒にアメリカ国民に名乗り換えたのでしょうか。
先住民と、15世紀以後に出来たヨーロッパ系諸国(カナダ、アメリカ合衆国、ブラジル、アルジェンチンなど)との関係は種々様々で、下記などをご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1% …
No.2
- 回答日時:
ddeanaです。
補足を拝見いたしました。>・イギリスが植民地として国民を送り込み、そこで長年暮らす内にそのイギリス人達が植>民地としてではなく自分達の新しい国として運営したいと思い蜂起。
>・つまりアメリカ人の祖先はほぼイギリス人。
>・この独立にはインディアンは一切関係なし。
>こんな感じでしょうか?
私がアメリカ留学中に学んだアメリカの歴史では少し違っています。
1.当初はイギリスが国民を送り込んだというより、当時のイギリス帝国での身分制度に不満をもっていたり、下層階級に甘んじていた人々のうち、比較的お金をもっていた人が海をわたったとなっています。その後本国との間の交流が活発になってからはビジネスチャンスと考えて海を渡った数が増えていったと。
2.13植民地はすべてイギリス領ですから、イギリス人が独立宣言時イニシアチブを取ったことは間違いありません。
3.アメリカではIndianというのはアメリカ先住民のうちのひとつのグループという位置づけであり、時に差別的と見なされますので、一般的にはアメリカ先住民(Native American)と呼びます。そして独立宣言時代、アメリカ先住民は入植者たちによって追い払われ、代わりに安い労働力としてアフリカから大量の黒人を奴隷として連れてきたのです(特に南部)。
4.1600年以前に海を渡ったヨーロッパ人というと、フランス、スペイン、オランダといった国々ですが、例えば独立前1744年の英仏戦争で、フランス移民はカナダや南部の一部に追いやられていますし、スペインは南米やカリブ海にシフトしていきました。それでも圧倒的なイギリスの覇権のもと、イギリス人社会に適合し共同していこうとした人々が植民地からの独立を共に望み、アメリカ国民となることを選択したのは確かと思われます。
No.1
- 回答日時:
こちらのWikipediaを参照するとおわかりになるかと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1% …
当時アメリカには、イギリスによる植民地が13ありました。下記をご参照ください。見ておわかりの通り、カリフォルニアなどはこの当時入植者が入っていませんので、ヨーロッパから移住してきた人は北部、東部、南部に集中していました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/13%E6%A4%8D%E6%B0%9 …
この13の植民地がイギリスからの独立を宣言した日が1776年7月4日、その日を独立記念日としているのです。
この回答への補足
回答ありがとうございます。
西部に入植者がいなかったことがどう関係してくるのかわかりませんでした。
理解力が低くて申し訳ありません・・・。
・イギリスが植民地として国民を送り込み、そこで長年暮らす内に
そのイギリス人達が植民地としてではなく自分達の新しい国として運営したいと思い蜂起。
・つまりアメリカ人の祖先はほぼイギリス人。
・この独立にはインディアンは一切関係なし。
こんな感じでしょうか?
あと、イギリスに支配されていた先住民の素性は、
1600年以前に既に海をわたって定住していたその他のヨーロッパ人達、であっていますか?
もしそうであれば、その人達も独立の際イギリス人と一緒にアメリカ国民に名乗り換えたのでしょうか。
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