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死刑執行のボタンって遺族に押させてやればいいんじゃね?

なぜ死刑が執行されるときボタンが5つも6つもあるのか
それは、それだけ「自分が」人殺しに関与したと言う事実を薄めたいからに他ならない

関係無いおっさんが殺すのはダメだよな

基本的に死刑を求刑する遺族って正義とか関係なく、報復感情だけに突き動かされてて「一生刑務所にブチ込むだけじゃ物足りない。あいつも同じ目にあわせてやりたい。」って思ってる人がほとんどでしょ。


関係ない刑務官に死刑執行のボタンを押させてつらい思いをさせるよりは遺族に押させる方が誰も傷つかないで済むんじゃないの?

A 回答 (9件)

 私も、そんな気がするときもあります。

江戸時代は仇討なんていう文化があったし。もちろん今は平成ですので、実際に仇討制度を復活させるのは非現実的でしょう。ただ、「死刑にしろ」と声高らかに叫ぶなら、そういう人達に執行の様子を見せることくらいはやるべきかもしれません。

 いつだったかアメリカだと死刑の執行を公開する地域もあるというニュースを見たことがあります。「自分が執行したり、見たりするのは嫌だけど、死刑賛成」というのは、質問者さんのおっしゃる「報復感情だけに突き動かされて」いるだけなのかもしれません。
 被害者遺族に限らず、日本で死刑賛成を叫んでいる人たちは、実際に手を下す(=ボタンを押す)どころか、直視する覚悟すら持っていないように思います。

 誰もが死刑の現実を知ったうえで、初めてその是非についてまともな議論ができるような気もします。最近は凶悪な事件が増えていることも事実ですが、一方で「死刑にしろ」という意見が短絡的に出すぎている感じがします。私は、死んじまったらそれで終わりなんだから生かして罪を償わせた方が良いと言う気もします。そのためには、「終身刑」の定義が必要ですが。

 死刑に限ったことではないですが、日本には現実のドロドロしたころを見ようとせず臭いものには蓋して勉強しようともせず、表向き「弱者の味方」という態度を取ることで正義を主張する人が多い気がします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。素晴らしいご意見です。

>いつだったかアメリカだと死刑の執行を公開する地域もあるというニュースを見たことがあります。
これ 諸刃の剣なんですよ。死刑賛成も症状の軽い人なら 例え罪人でも死刑に向き合うことによって考え直す機会を与えられますが、症状のひどい人だと死刑執行の公開を楽しみにするようになりますからね。

お礼日時:2013/02/19 00:35

実現するなら、その案に賛成ですね。


ついでに最前列での見学も許可すればいいですね。

手を下す人が居なければ、一般から募集すればいいですね。
沢山いますよ。

刑務官をする暇は無いけど、年に何回かでしょ。
少なくとも私は、仕事の合間でよければExecutionerに成りたい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

#5さんのお礼でも書いたように jbeamさんは症状が重い部類だわ。

お礼日時:2013/02/19 20:10

近代国家における死刑は、報復刑(応報刑)の性格を排除しなければ、存続し得ないと解釈されており、日本の最高裁も、死刑は予防説に基づき合憲・合法としつつ、報復刑の合憲性・合法性は認めていません。



即ち、少なくとも我が国では、「死刑執行のボタンって遺族に押させてやれば」と言う発想をする時点で、死刑には違憲性・違法性が生じるので、逆説的ではありますが、むしろ「死刑廃止論に等しい」と言えます。
違う言い方をすれば、被害者遺族が報復的・仇討的に加害者を殺すのであれば、その瞬間に、国家が守るべき対象は、加害者になります。

逆に、死刑存置国においては、国家の権限と責任において、国家が死刑執行を行うべきものです。
もし国家がその責任は負えないのであれば、そんな無責任な国家が、死刑を行うべきではありません。
また、刑罰と言えども、国家に国民を殺す権限は無いと言う立場であれば、死刑廃止国と同様、やはり日本も死刑は廃止されるべきでしょう。

国家が国民の命を奪うと言う死刑は、感情論や感覚論で語るべきではありません。
感情論,感覚論で、死刑を存置すべきでもありません。
法理や法益などが明確でなければ、国民の生命・財産を守ると言う責務を負う国家が、国民を殺すと言う事態は、如何なる事情・理由でも容認されるべきでは無いです。

尚、日本などとは異なる法源を持つイスラム圏などの、同害報復・同害賠償的な死刑に対する考え方を受け入れるには、宗教観を生活規範にするなど、根本から国の形を変えねばならないでしょう。
日本の場合は、仇討が存在した、それ以前の考え方(封建主義など)に戻ると言うべきかも知れませんが。

しかしいずれにせよ、明治維新において、近代国家へと転進しましたので、「遺族に押させる」と言う発想を受け入れるのは、それくらいダイナミックなことです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>近代国家における死刑は、報復刑(応報刑)の性格を排除しなければ、存続し得ないと解釈されており、日本の最高裁も、死刑は予防説に基づき合憲・合法としつつ、報復刑の合憲性・合法性は認めていません。
ここら辺が hekiyuさんと考え方が対照的ですね。でも、私はkey00001さんの考え方の方が正しいと思いますよ。

>また、刑罰と言えども、国家に国民を殺す権限は無いと言う立場であれば、死刑廃止国と同様、やはり日本も死刑は廃止されるべきでしょう。
これは社会契約論の考えでしょ。残念ながら日本では認知度がまだ低いですね。

>国家が国民の命を奪うと言う死刑は、感情論や感覚論で語るべきではありません。
感情論,感覚論で、死刑を存置すべきでもありません。
死刑賛成者の多くは感情論や感覚論を前面に押し出していますよ。

>尚、日本などとは異なる法源を持つイスラム圏などの、同害報復・同害賠償的な死刑に対する考え方を受け入れるには、宗教観を生活規範にするなど、根本から国の形を変えねばならないでしょう。
報復感情はイスラムの人も日本人も変わりないと思うんですよ。 hekiyuさんなんか その代表例です。

私は死刑は必要悪として 政府が愚民どもの支持を得るために 今の日本にはまだ必要な気がします。

お礼日時:2013/02/19 20:08

遺族が希望した場合に限れば、それも有りだと思う

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
遺族が希望しない場合は死刑は免れるとして。

お礼日時:2013/02/19 19:54

刑罰、刑法というのは、被害者や遺族から報復の権利を


国家が奪った時から、始まった、と言われています。

だから、遺族がやる訳にはいかないのです。
国家、つまり公務員がやるのが筋なんです。

それが嫌なら、ならなければいいし、辞めれば
よいだけの話です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

いつもは見識の高い素晴らしい回答をされるのに、性犯罪とか死刑に関する質問になると
極端にレベルの低い回答になっちゃうのはどうしてでしょう?

>刑罰、刑法というのは、被害者や遺族から報復の権利を
国家が奪った時から、始まった、と言われています。
これは大昔の話でしょ。ですから 刑罰、刑法の意義も大昔とは違い、報復から社会正義に変わったということです。江戸時代の仇討も根本にあるのは復讐でないって知っていました?

>それが嫌なら、ならなければいいし、辞めれば
よいだけの話です。
hekiyuさんもつくづく頭が鈍いね。むしろ、合法的に人を殺せるというので 刑務官になる人が増える方が問題でしょ。殺人の歯止めをかけているのは、死刑というより抑止力よりも 人を殺すことへの心理的抵抗なんですよ。住田紘一を見れば、死刑が抑止力になっていないことが分るでしょ。死刑というのは是非はともかく、ここでは事後処理にすぎません。 結局、刑罰ってどんなに厳しくても バレなければ罰せられることもないわけです。むしろ、 日本人のみんなが人を殺すことへの心理的抵抗が弱くなれば、逆に殺人事件が増えることくらい hekiyuさんの頭なら理解できるでしょ。強姦事件が起きたら 必ず被害者が口封じに殺されてしまいますよ。hekiyuさんもいつの間にか 死刑が悪人を抹殺するという目的化していて、死刑になるような犯罪そのものを減らそうという考えがいつの間にか消滅していませんか?新聞記者が困り、読者が退屈するような世の中になって欲しいです。

話は変わりますが、児童虐待の問題にしても 虐待すると警察に捕まるから我慢するのでなく、刑罰云々は2の次として 子供をいたわる心を保護者にもってほしいです。

お礼日時:2013/02/19 07:30

裁判や刑の執行は復讐としてはならない って原則があるから無理じゃない?


まあ最近の法務大臣はサインから逃げ回ってるけどさ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>裁判や刑の執行は復讐としてはならない って原則があるから無理じゃない?
死刑賛成者の多くは 死刑の意義として 遺族感情や代理復讐を挙げますが、現行の死刑制度も問題があり、それなら いっそのこと むしろ廃止してもいい面もあるんですけどね。
死刑って、遺族には執行の日時も知らせらないでしょ。だから、死刑と言っても 犬猫を処分するみたいな軽い感覚になるのではないかと。 たとえ 死刑に値する命でも それなりの重みがあるという実感する必要があるのではないかと。

お礼日時:2013/02/18 23:51

 刑の執行は社会正義に基づくもので、復讐を是認するものではないでしょう。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/02/18 23:44

例えば、


家族一家全員殺され、親戚・親類がいない場合
死刑執行命令が下された時点で、遺族が亡くなっていた場合
など、一体誰が、ボタンを押すのか。

被害者の仕事・友人の関係者まで、ボタンを押す範囲は
広げられないと思うので、現行のままで執行するしかないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

3人以上殺人の場合で遺族が誰もいない時は、同じ死刑囚にでも押させればいいでしょう。
1人だけの殺人で遺族がいない場合は死刑は免れることになりますね。

お礼日時:2013/02/18 21:03

遺族は 死刑が執行されました と 知らせが来るからホッとする


実際ボタンの前に立ったらいくら憎い犯人でもボタンは押せません
それが許される行為だとしても どこかに自分があの人を殺したという被害感情とは相殺できないものが残ります


そもそも絞首刑ってのがどうなんですかね
市中引き回しの上打ち首獄門で良いと思うのですが
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>実際ボタンの前に立ったらいくら憎い犯人でもボタンは押せません
何よ、いつものazuki-7さんらしくないわね。(笑)
結局、死刑を叫びながら自分の手は汚したくないということでしょ。
未成年者が殺人を犯して少年院を出てきて、殺し屋を雇って抹殺するのも罪悪感を感じなくなるわね。

>市中引き回しの上打ち首獄門で良いと思うのですが
こんな江戸時代の刑は野蛮でしかないでしょ。

お礼日時:2013/02/18 20:48

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