アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

Kinder haben wir keine.(私には子供がひとりもいない)という例文についての質問です。

このようにkeineが名詞から離れていることがある。これは名詞的用法のkeineまたはkeinesに2格名詞が結んだ用法の名残である。これを部分の2格という。

(出所)ドイツ広文典(桜井和市著1968年改訂初版同年10月15日改訂6刷)187-188ページ

と書いてあります。ならば例文のKinderは2格なのでしょうか?habenだからやはり4格なのではないでしょうか?(質問1)

また何でそもそも冠詞がないのですか?(質問2)

私には・・だったらwirがichにならないのでしょうか(質問3)

どうかよろしくご教授ください。

A 回答 (6件)

>Geld habe ich keins.のkeinsは不定数詞(もしくは不定代名詞)の4格。

Geldは部分の2格という理解でよろしいのでしょうか

本来はそのようであった、という理解で良いでしょう。今日普通の言い方では2格の語尾はありませんのでともに4格と見なしてよいと思います。kein Geld (4) では kein は付加語として ein と同じ語尾変化ですが Geld ... kein(e)s では独立用法で dieser 型の語尾変化をします。同格として前後に分かれています。

属格(2格)は部分属格が本来で、所有はそこから派生したと考えられています。そのもの全体でなく一部を言うのが属格(die Wand des Hauses 家の壁←家の一部である壁/壁すなわち家の一部)で、そこから「そのもの全体だけ」から「そのものの周辺および関係するもの」まで拡張され(ein Freund meines Bruders 兄の友達←兄に関係するものの一人である友人)て生じたのが所有属格です。

部分属格の使用は次第に減ってきており、本来 ein Glas Biers trinken(ビールというものの一部である一杯の量を飲む)だったものが ein Glas Bier と言われるようになりました。前述のようにこれには属格語尾をもたない女性名詞や複数名詞との形の上での整合性を取ろうという気持ちが働いたと考えられます。

ついでに、充分な金と言うとき Geld genug, genug Geld, Gelds genug, genug Gelds の4つの形がありますが、属格語尾をもつ2つ(お金というものの(一部としての)充分な量)は今日では古風と見なされ普通には用いられません。属格名詞を伴うことができるので genug の品詞として形容詞(独立した名詞用法)をあげる辞書もあります。古風な用法の名残としての表現の例として次のものがあります。

Genug der Tränen! 泣くのはやめろ(涙の充分な量(が流れたのだからもういらない))
    • good
    • 0
この回答へのお礼

trogovec様

詳しい追加説明をありがとうございました。私は勉強が進んだら少し古いドイツ語も読めるようにしたいと思っていますので今回のような歴史的な経緯を踏まえたご説明は大変助かります。今後ともよろしくおねがいします。

お礼日時:2013/02/21 12:54

私の様な老人にとって懐かしい書名が出て来ました。

早速、櫻井和市先生の本を書棚から取り出しました。1972年改定21版です。

部分の2格は、ドイツ語ではPartitiver Genitiv と云うと書いてありました。
そこで Duden 4, Grammatik を開きました。Partitiver Genitiv については、
1183項、1175.5項に出ています。

1175.5 項を見ると、”Der Genitiv bezeichnet ein Ganzes, von dem im Bezugswort ein Teil angegeben wird.” と書かれています。私の理解は、『2格の名詞が何かの全体を表している。それに関連した単語が全体の中の部分を示している。』
例文として “Die Haelfte meines Vermoegens” とあります。

2格名詞である、 meines Vermoegens が私の財産というものの全体を指しています。関連して、 Die Haelfte と云う単語が、全体の中の『半分だ』という制限を表しています。

ご質問者の例文は “Kinder habe ich keine.” です。
対比してみれば、Ich habe keine [der Kinder (無理に2格として書きました)]となりますね。すると、keine がhaben の目的語で4格です。そして、Kinder が『部分の2格』ではないかと愚考いたします。

間違っていたら、ご遠慮なくどしどし訂正して下さい。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

BASKETMM様
Dudenを引用してのご説明ありがとうございました。部分の2格について櫻井先生が「keineまたはkeinesに2格名詞が結んだ用法の名残である」と書いておられます。(広文典p188一行目)

私はこの中の「結んだ」という意味がよくわかりませんでしたがBASKETMMさまの説明で理解できました。Dudenの言い方ですと2格とそれに関連した語という意味なのですね。

Der Worte sind genug gewechselt.(言葉は十分に交わされた。Goethe)という文章の中ではDer Worteが2格ですからそれと関連した語というとgenugということになるわけですね。

Der Worteが何かの全体・・・ここでは言葉の全体を表しgenug(十分)が部分を表しているということですね。ということはここではgenugは副詞(十分に)ではなく「十分」という名詞のように使用されていると考えるべきなんでしょうか?

「部分の2格」というより「部分を表す言葉にかかる全体を表す2格」とでもいった方がわかりやすいかも。(よけいに混乱するかも・・)

今後ともによろしくおねがいします。

お礼日時:2013/02/22 17:01

wy1私の持っているのは”改定ドイツ公文典” 改定51版 19987年6月30日発行です。


学生時代は(1950年台後半)恐らく改定前の版があった筈ですが、買うのは避けていました。
手持ちのドイツ語文法書を何冊か調べていましたが、取り上げられているのかどうか、未だ分かりません。
1.佐藤通次 ”ドイツ公文典” 2.関口存男 新獨逸語文法教程

uriko-hime さんの書き込み、大変参考になり、改めてドイツ語文法書をもう一寸まじめに読もうと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

wy1様 今日新宿の紀伊国屋にいったらドイツ広文典(58刷)が売ってました。立ち読みしたら187ページの最後は「私たちには子供がいない。というふうに訂正されていました。なので私の改訂6版は誤植の可能性が高いですね。

皆さまの温かいご支援でドイツ語の勉強が一層楽しくなりました。ありがとうございました。

お礼日時:2013/02/22 17:07

「私には・・だったらwirがichにならないのでしょうか(質問3)」



当該ページを読みましたが、 ”私たちには子供は一人もいない”とちゃんと正しく訳されています。

これは私個人の感想ですが、例文のような用法を使うことは、今はほぼ無いでしょうね。 どこかで出くわした時、桜井先生の本で見たな、、と思い出すようなことで充分だと思いますが。他の文法書で捜してみます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

wv1様
わざわざ参考書にあたっていただきありがとうございました。私ももう一度確認しましたが私の方の訳はやはり「私には子供はひとりもない」となってました。(p187の最後)多分版が違ってるのだと思います。私のは昭和43年10月15日改訂6版です。もしwv1様の本がこれより新しければ私の持ってる本の方は誤植かもしれませんね。

また別な方がご指摘されているように子供は一人ではできないのでwirを私と訳してもおかしくはないと思いました。

wv1様のご指摘のように例文のような文章に出くわすことはないでしょうしこの問題はこれで解消いたしました。
どうもありがとうございました。今後ともよろしくおねがいします。

お礼日時:2013/02/21 13:03

同書の当該部分をじっくり読んでいないので、とりあえずの回答です。


しばらくお待ちいただければ、当該部分を読んだ上で回答いたします。

>ならば例文のKinderは2格なのでしょうか?habenだからやはり4格なのではないでしょうか?(質問1)

haben の目的語は keine(4格)です。KInder は2格で、keine を修飾するという関係です。

>また何でそもそも冠詞がないのですか?(質問2)

複数だからです。単数なら ein Kind となるところ、複数で Kinder と言っています。現実に子どもがないのですから、当然特定のものを指すわけではありません。

>私には・・だったらwirがichにならないのでしょうか(質問3)

私には=私たち夫婦には、ということです。

このような例は、いろいろな言語にあり、朝鮮語では「私の母」のことを 우리 어머니 (ウリオモニ、直訳では「私たちの母」)と言います。子どもは複数という通念を基にした表現と思いますが、訳としては「私の母」で正しいのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

さっそくのご回答を深く感謝します。私のつまらない質問にご丁寧にご回答いただきありがたく思います。

1.私は部分の2格を感違いしておりました。(逆にとっていました。)

2.広文典を読んでくださるのでしたらついでにP422(部分の2格)の説明にこんな文が載っています。

Der Worte sind genug gewechselt.(言葉は十分に交わされた。Goethe)

このばあいに主語と言っちゃあなんですが一番大事なのはgenugで(十分に交わされたその中身はWorte)それを修飾するのがDer Wolte(2格)なんでしょうか?

genugは副詞ですので主語になるとは思えないのです。意味上の主語はやはりDer Worteになるのでしょうか?

もしよろしければ追加でお答えいただけると私の理解が深まります。よろしくおねがいします。

お礼日時:2013/02/21 08:54

Lust hab' ich keine. その気は全くない。


Geld habe ich keins. 金は全然ない。

今はこういう構文は否定の強調と考えられ、文頭にあるものは直接目的なら4格となります。まずテーマになるものを文頭に置き、「やる気といえば/お金といえば」と言い始め、次に「全然ない」と続けています。

部分の2格というのは

Keines dieser Argumente überzeugt mich. これらの論拠のどれも私は納得しない。(keines であることに注意)
None of these arguments convince me.

「~の一部・一つ(もない)」というような意味で、keines dieser Argumente は「これらの論拠のどの一つも~ない」ということです。

Kinder haben wir keine. においては keine Kinder (4) が分離したというのが現代の感覚ですがもとは上の例のように keine (4) Kinder (2) であり、「子供というものの一人さえ」ということであったと考えられます。
無冠詞であれば男性と中性の単数しか2格の目印がないため(Gelds habe ich keines.)4格を置くことが一般的になったのでしょう。


冠詞がないのは die Kinder では特定された「その子どもたち」という感じがし、存在しないものに対してはおかしく響きます。

質問3は単純な間違いでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答を深く感謝します。ドイツ語の初心者ですのでつまらない質問だったと思いますがご回答いただき深く感謝します。

ご提示いただいた文の中で

Geld habe ich keins.というのがありました。ふつうにお金がないというのはIch habe kein Geld.というのだと思います。この場合のkeinは否定冠詞だと思います。

しかしGeld habe ich keins.のkeinsは不定数詞(もしくは不定代名詞)の4格。Geldは部分の2格という理解でよろしいのでしょうか?もしそうだとすると部分の2格について正しい理解を下と思っているのですが。

お礼の中に質問を混ぜて恐縮ですがよろしくおねがいします。

お礼日時:2013/02/21 09:09

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!