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以前、
「大学の研究は、何に役に立つのかわからないものが多いが、それで良いのか?」
と別の質問投稿サイトで質問したところ、

「今は何の役に立つかわからないものでも、例えば、100年後に大いに役立つ可能性がある。実際、ニュートンの万有引力がそうだ。大学の研究で重要なのは、『新規性と独創性』だ。今、何の役に立つのかに焦点を置くのは返って危険である。」

との回答があったのですが、これは工学研究にも言える事なのでしょうか?

確かに、数学や物理学の場合は、真理を探究することが最も重要だということが納得できますが、工学の場合は、そうではなく、やはり人の役に立つ研究をすることが最も重要だと私は思うのですが、、、

wikipediaで「工学」を調べてみても、「人間の利益となるような技術を開発したり、製品・製法などを発明したりするための事柄を研究する学問」とあります。

ということは、やはり工学においては、「何の役に立つかわからない工学研究は、たとえ新規性・独創性があってもほとんど無意味である」と言えないでしょうか?

過去の工学研究において、その時に何の役に立つかわからない研究成果が、後に大変役に立ったものがあるのでしょうか。

A 回答 (11件中1~10件)

 失礼、誤解を与えてしまったようです。


>ご丁寧にありがとうございます。なるほど、そうすると少なくとも「その場で役に立たなくても、それがどのように使われるのか」について全く見当がつかない研究は、いくら新規性・独創性があっても、そんな研究は無意味だ、ということでしょうか?

 ご指摘の内容とは逆に
>大学の研究で重要なのは『新規性と独創性』だ。今、何の役に立つのかに焦点を置くのは返って危険である
との見解に同意するものです。
 近視眼的に「役に立つ」、目的を終えればそれでお終いというわけではありません。
例えば、「駆動装置」があります。モーターも元を辿れば巨大なものでしたが、いまではハードディスクの駆動装置の様に極小のモノまで多彩です。しかしながら、「それらが全てモーターである」ことに変わらず、モーターの本質をを全て満たしているからモーターである、とのことになります。
 「現在の」だけを要件とするならば、リカードの比較生産費説はとっくの昔に用済みとなっていて「今」は見向かれもしないことになりますが、実際に現在でもこの説は有効であるとされています。
 そうした意味で、一見役に立ちそうもない「哲学」が全ての学問のベースになっているわけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/27 01:57

既に、専門家からの回答があるので、冗長かも知れませんが。

。。

経験からすると。。。
企業でも、基礎研究所と開発研究所を持っていて、基礎研究所は、自社で将来役立ちそうな原理の理論的研究を行い、開発研究所では、自社で蓄えた知的資産を使って、社会の需要を満たせるような製品開発を行っている所もあります。

世の中に出ている商品を考えて見ても、その商品を製造している会社では、基礎研究→応用研究→開発研究と長い時間を掛けて知識の積み重ねを行って製品を作り出しています。
これは、各段階の研究所が有る無しに関わらず、人間が物を作り出す時には、同じステップを踏んでいるでしょう。

ですから、研究に焦点を当てて考える時に、基礎研究だけを見て、世の役に立つものを生み出さないというのは、了見が狭すぎるように思います。
また、どの段階の研究でも、試行錯誤を重ねながらより良いものを作り出して行くのは、何処でも何時でも変わらない事だと思います。

さらに言えば、試行錯誤しながら知識を積み重ねて、新しいものを作り出すという事は、工学等理科系の学問だけではなく、文科系の学問でも、否、学問だけでなく他のものビジネス等でも同じでしょう。

>、「何の役に立つかわからない工学研究は、過去の工学研究において、その時に何の役に立つかわからない研究成果が、後に大変役に立ったものがあるのでしょうか。

工学研究と限定されると、適切な例では無いかも知れませんが。。。
京都大学の山中伸弥教授が、iPS細胞の研究で2012年のノーベル賞を受賞されましたが、この時の共同受賞者のガードン博士の研究は、数十年前に行われた「カエルの体細胞核移植によるクローン技術の開発」だったそうです。
ガードン博士が、TVのインタービュウに答えて、こう言っていましたよ。
「伸弥の研究がなかったら、私はここには居なかっただろう。」と。
そして、中山教授も、確か「ガードン博士の研究がなかったら、。。。」と言っていたように思います。
また、中山教授の読んだ、他の研究者の書いた論文の数も相当なものだったのではないかと想像出来るでしょう。

研究成果に「役に立つか如何か」だけを判断基準にすると大局を見誤るような気がしますが、如何でしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/27 01:58

あなたが研究者ではないからこういう愚問をするのでしょう。



全ての研究者は、必ず役に立つという信念でやっているはずです。特に工学なら、世界をあっと言わせてやるという気持ちでやっていると思います。

アナロジーで考え、他では役に立たなかった理論や原理が使えたという例はいろいろあります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/27 01:58

>何に役に立つのかわからない


はあくまで主観ですよね。

大学の研究も企業の研究と同様に予算がつきますから、“何に役に立つのかわからない”研究には予算はつきません。
少なくとも、財布を握っている人に分かる程度に(建前ではありますが)どんな目的で、どんな役に立つか説明せねばなりません。

ただし大学と民間では目的に大きな差があります。
民間企業の場合は、何も研究に限らず全ての部署で“利益の追求(というといかにも金の亡者と思われそうだが、企業としての本分)”が目的ですから、研究目的にも具体性、実用性、採算性がありますし、なければ問われます。
それゆえ、非常に目的が分かりやすいです。

大学の工学研究の場合は基礎研究と実用研究の中間のような立場にある(民間企業ではこの中間部分は埋めてくれない)ので、応用性や実現性に関しては非常に不透明になります。
それでも質問者さまがwikiでお調べになった工学の本分は十分達成できるかと。
だってそれが追々利益になる研究につながる可能性は十分にあるのですから。

でも、そもそも
>何に役に立つのかわからない
ものに、さすがの大学もお金と時間と人間を費やせません。
だから工学研究において、そんな研究自体も存在しません。
わからないのは質問者さまがわからないだけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/27 01:58

 科学には予算や完成期限と言う考えはない。


 個人の「ナゼ?(好奇心)」からすべてが始まる。そして一般理論ができれば成功である。

 しかし工学は違う。
 次々とたち起こる危機や難問に対処するために(肩書きが)科学者たちが動員される。当然そこには期限があり、予算がある。どんなにすばらしい理論でも現実の課題解決に対応できなければやがて予算は切られ、学者はクビになる。
 その狭い課題対処法の範囲において、新規性や独創性は強く望まれる。もちろんなくても対処できればいい訳だから、新規や独創性は優先順位が科学より少し低いということができる。

 したがって人の役に立つ科学や科学者の倫理などという表現はおかしい。好奇心の思うがままに論理を追求していけば人類の幸福とは矛盾する例などたくさんある(毒ガス、バイオ兵器、核)。工学こそが人に役立つことを目的にし、その成果を創りだしている。

 最近の地震学への批判と不信は、対処法を考えだすこともなく予算を食い続けた科学者への批判である。ようするに科学と工学を混同していた結果にすぎない。そしてこれは現在すべての科学者に対する踏み絵になってきている。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/27 01:58

これまでの回答と違い、いささか格調が低いですが・・・


そもそもの話として、研究の目的とか、テーマで設定はどこに行ったのでしょうか?
研究成果に先立つものとして、研究の目的や研究テーマがあるはずです。工学分野であれば、その段階で何らかの役に立つこと、あるいは役に立つものを目指しているはずです。なので、「何の役に立つかわからない工学研究」と言う設定自体がおかしいと思います。
もちろん、工学とか理学という分類自体が便宜的なものであり、両者の間に必ずしも明確な区分がある訳ではないでしょうけど、基本的なと言うか、本来の方向性は違うと思います。
理学的な研究であれば、実用性よりも、学問的な新規性が重視されてもおかしくはありませんし、すぐに役に立ととは限らないでしょうし、さらに言うなら、永久に実用面で役に立たないかもしれません。
たとえば、文学や考古学の研究が役に立つかどうかという議論はありますが、そういった議論は理学に関してもあり得ることです。

ただし、上述のように、学部の分類は便宜的なものなので、理学的なスタンスの人が工学部にいても不思議ではありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/27 01:58

研究当時は何の役に立つか分からないままに進めたけれど、後年それが有用になって脚光を浴びたものに2008年のノーベル賞(科学賞)を貰った下村脩氏の生物発光の研究があります。

工学分野では光ファイバーの研究で惜しくも受賞を逃した西澤潤一氏が居ます。また戦時中にレーダー用の電波送受信で敵国脚光を浴びた八木アンテナの発明もありました。それぞれ最初は「何の役に立つか分からない」というものだったようですが、当時も研究者にとっては何らかの研究意欲を持たせる意味のある事象の追求であったはずです。
研究とはそういうもので、ただ目先の最終目的を常に把握しながらするものではないように思いますし、工学畑でも傾向としては実用が目的になることが多いでしょうが、本質では他の研究と変わらないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/27 01:58

 要するに「役に立つ」の定義付けに関する疑問ですね。

他の方は「文学や考古学は役に立たない」と揶揄していますが、僕の専門領域はその「役に立たない」学問の典型でしょう、歴史学ですから。
 とはいえこの歴史学も単に史料を読むだけで歴史像を構築することができないことも確かです。工学分野での実験とデータ蒐集そして実験方法を歴史学に比定するならば、史料分析と研究方法の確認になります。
 この研究方法論にも歴史学独自の部分と他の隣接諸科学(政治学や経済学そして社会学や民俗学そして心理学や文学、哲学)の成果を緩用する二つの領域によって構築されています。
 独自の方法論は具体的なテクニックと言い換えることも可能です。歴史学ならば古文書学であり史料学にあたります。でも古文書を読めるだけで歴史を理解することができるか、といえばそれは短絡的であるといえます。一つの事象を記した材料だけで、その時代の全体像を知ることはできないから。では、その事象は「その時代の何を反映している」と説明できるでしょう。そのためには後者の方法論が必要とされます。
 工学分野でも「モノ作り」をするためには、そのモノがなぜ必要なのか、求められるのかを知らねば、開発者の自己満足にしかなりません。使って便利であることを知るためには「それがどの様に使われるか」「どの様な環境で使われるか」などの可能性を知ることが必要でしょう。
 例えば、ナノテクノロジーがありますが、この分野は意外なところでも使われています。ゴルフやボウリングなどのスポーツ競技に使用される道具の素材です。
 ボウリングのボールでも最初は硬質ゴムだけだったものがプラスチック、ウレタン、そしてリアクティブ・ウレタン、カーボンなどの素材を配合したハイブリッドタイプへと進化しています。それはボールの表面素材とレーンとの間に生ずる摩擦変化により、ボールの曲がりや特性に様々な変化をもたらすからであり、リアクティブ・ウレタンもウレタンボールの開発途上での突然変異的な発見によってもたらされた結実であることも現在では知られています。
 その場で役に立たないとは感じても、それがどの様に使われるかの可能性が広がる限り、役に立たないとの結論にはなりません。即時的な発想では何も生まれないことなど幾つも事例はあります。
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございます。なるほど、そうすると少なくとも「その場で役に立たなくても、それがどのように使われるのか」について全く見当がつかない研究は、いくら新規性・独創性があっても、そんな研究は無意味だ、ということでしょうか?

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/04/14 21:15

お書きになっていることは正しいのですが、工学という狭い視野に立った空論です。



つまり、
「工学」は、「人間の利益となるような技術を開発したり、製品・製法などを発明したりするための事柄を研究する学問」
だから、
工学においては、「何の役に立つかわからない工学研究は、たとえ新規性・独創性があってもほとんど無意味である」と言えると主張することは正しいでしょう。

でも、その研究が「工学研究」かどうかは、何という名前の学部、学科で研究をしているか、など、
外的要因できめられることであって、その研究の価値とは無関係です。
「何の役に立つかわからない工学研究」は、工学にとっては無意味かもしれませんが、
もし「新規性・独創性」がある研究であれば、どこの学問分野であるかなどとは無関係に、とても良い研究なのかもしれません。
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この回答へのお礼

「工学研究」に限定すれば無意味であるが、「研究」といった広義で考えると、新規性・独創性があるだけで、意味のある研究ということですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/04/14 21:18

理系エンジニアです。


既に半世紀生きています・・・しかし、答えが思いつかない。

思うのは、重力、量子力学、電磁気学をもとにしたマックスウエルの方程式の様な
自然科学とか、数学はいつかは「役になっている」と感じています。
 数学、代数学とか、自然科学の解析のほか、暗号化理論につながり、世の通信の
秘匿(セキュリティ)とかに使いますし、最初は何に使い道があるのか分からない
ものもいろいろあったと思います。
 単純に、原子のレベルに迫る微細化技術、微細化解析技術につながるものは
全て役に立っているのではと思うのですがいかがでしょうか。
 今まで見えなかったものが見える様に成ってきた、そのために小さく精度が高い
ものを作ることが出来る様になった、だけで十分かと。


 対し、文学、考古学の研究って役に立っているか、と言うと役には立ってない、
というのが本音です。みんな研究者の知識欲とか自己満足に吸収されて、税金の
無駄使いにさえ感じます。

「工学研究にも言える」と言うより「工学研究こそ役に立っている」と思っていいと思います。
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この回答へのお礼

>文学、考古学の研究って・・・税金の無駄使いにさえ感じます。

ということは、文学や考古学の研究は、やる意味が無く、無駄だ、ということでしょうか?

>「工学研究にも言える」と言うより「工学研究こそ
>役に立っている」と思っていいと思います。

なるほどそうすると、今何の役に立つのかわからなくても、できないものができるようになるだけで十分だ、ということですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/04/14 20:44

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