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お世話になります。よろしくお願いします
よく「平安時代の役人は官僚でもない限りかなり貧乏だった」「江戸時代の武士でも
下級武士は食うのにも困ることがあった」「江戸時代の奉行は過労死する人が多かった」
というような記述を見るのですが平安~明治の公務員の待遇はどのようなものだったのでしょうか?

ハローワークの求人票に従って私なりにひどい待遇を想像してみたのですがこれよりも酷いのでしょうか
就業時間:07:00~17:30
休憩時間:45分
時間外:あり 月130時間
賃金:固定給 120,000万円
賞与:なし
休日:日曜
週休二日:なし
年間休日数:50日
育児休業取得実績:なし
転勤:あり
加入保険:なし

A 回答 (6件)

江戸時代の武士について



就業時間:役職によって異なりますが、一般の武士は午前中
      の3~4時間ぐらいでした。

休憩時間:特にありません。3~4時間じゃ必要ないでしょ。

時間外手当:無し。年俸制でした。

賃金:固定給です。下級武士だと年収で最低3石というのが
   あります。
   同心クラスで、年収100万未満になります。
   食えないのが多く、内職やったり、庭を畑にしたり
   していました。 
   役職に就くと、役職手当が出ますので、皆役職に
   就くことを望んでいた、といいます。

賞与・・年俸ですから、ありません。

休日・・役職者でも一ヶ月に10日も出勤すれば多い方です。
    
週休二日:週休は3~4日もありました。

年間休日数:240日よりも多かったです。

育児休業:無し

転勤:希ですがありました。地方の武士なら江戸詰があり
   旗本でも、地方へ代官で、という場合もありました。

加入保険:役職に就かなくても、つまり働かなくても
     固定給は出ましたから、これが保険みたいな
     ものです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2013/05/03 22:58

就業時間について


江戸城の幕府の中級役人については、職種によるなど
必ずしも一定ではありませんが

早参(早出当番) 卯刻~巳刻 ( 6時位~10時位)
通常勤務      巳刻~未刻 (10時位~14時位)
宿直        申刻~翌卯刻 (16時位~翌朝6時位)
  夜中は仮眠していたのでしょう。

大方は通常勤務で当番に当たった者が、早参、宿直に
なります。
4時間勤務が標準のようで、通常勤はまるでバブル期の
重役出勤のように優雅です。
ただ遅刻登城には罰金などあったようです。

休みも一定ではないが月に3~4日が普通とのこと。

下士や雇いの下級公務員に相当する者の勤務時間は、
もっと長かったでしょう。

千年以上遡って、平安時代の927年に制定の「延喜式」
によると、中級、上級の役人の就業時間については
大門開きは辰刻、退朝は午刻、 とあるところから
8時位~12時位の4時間勤務と推定されます。

下級役人などが出勤すると思われる、諸門開きは、卯刻
で閉門は、酉刻、なので午前6時位から午後6時位まで
誰か勤務していたわけで、下級役人の辛さがわかります。

前記の江戸城の4時間勤務も、恐らくこれに習ったもの
でしょう。

公卿の代、武家の代を通して、文官の官僚は4時間勤務
だったのではないでしょうか。

いつの世も役人天国ですね(下級を除いて)。

ご質問の趣旨に合わないかも知れませんが面白いので。
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 平安時代には、位階、官職などに応じた俸給が支給されました。

 

位封 位階に応じて支給された封戸(3位以上の官人・諸王)
職封 官職に応じて支給された封戸(太政大臣・左右大臣・大納言)(後に中納言・参議にも)
位田 位階・品位に応じて支給された田地(5位以上の官人・諸王)
職田 官職に応じて支給された田地(中央の大納言以上・国司・郡司・大宰府の官人)
位禄 位階に応じて支給された禄(4位・5位の官人・諸王)絁・布・綿などが支給された。
季禄 位階に応じて支給した禄(在京の官人・大宰府・壱岐・対馬の官人)春秋2季に絁・布・綿などが支給された。


 江戸時代には、家禄と職禄があり、それぞれの役職に応じた俸給のうち家禄では不足する部分が足し高として支給されました。
http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/zidai/ …
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はっきり言えばどの時代のどの辺の地位かによります。


江戸時代の武士を考えただけでも、領地があるケースと、城などから決まった額が支給されるパターンの両方があります。後者の場合には雇用者に近いですが、前者の場合にはどちらかといえば独立事業者に近かったりします。江戸以前、特に戦国時代はこちらがメインです。

絞らないと何とも言えないので、下級武士として江戸幕府の旗本や御家人を考えると、・・・下級武士の結構な割合は仕事がありません。生きているだけでお給料が出ます(時代によってはその代わりにお金を納めることが必要だったりします)。

収入は、1石は、大体ですが1人が1年間に食べる米の量と同じ程度です。金額換算にすると(何を基準にするかで大分違いますが)年に1両ほどです。大体ですが5万円~10万円位です。以下、面倒なので10万円にしますが、普通に換算すると6~8万円位が普通です。
さて、下級武士である御家人や旗本は、大体200石以下です。10石以下もごろごろいます。ここから、衣服から刀(高い!)から、少し石高がある旗本なら中元などの部下の給料から、全てやりくりしなければなりません。
しかも、さっきも言ったようにお金を納める必要があったりします。

・・・ということで、役料(役職手当)が出るように就職活動にいそしむことになりますが、これも賄賂次第なのでお金が必要です。


因みに、必殺仕事人・中村主水は30俵2人扶持(つまり30+5×2=40俵)ということなので、16石位。年収にして160万円位です。
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http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/bakuhan/bakuhan …

細かいことは抜きにして

「宇和島藩において上士の初婚平均年齢は23.0才。下士では31.0才である。寿命について上士は63.7才。 下士54.8才。」
平均年齢で10歳違うというのは、相当にきつい人生だよね。
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 漠然とした質問なので、回答もいい加減にならざるを得ないのですが・・・




>就業時間:07:00~17:30
>休憩時間:45分
>時間外:あり 月130時間

 役目にもよります。
 時計の無い時代ですから特に現在ほど厳密ではありません。(関所の門番等、時間に厳しい仕事も無いわけではありません)
 逆に言えば、残業(残業代)とかいう観念も無いので、役目上必要であれば昼夜を問わず働くことになります。


>賃金:固定給 120,000万円
>賞与:なし

 武士にとっては固定給は無い・・・と言うか、年俸制ですね。
 現在で言うところの報酬は禄高(認められた領土から得られる収入)なので、その年の収穫量に応じて御米で得ることになり、当然ながら御米の値段も毎年変わるので「固定給」ではありません。今の感覚からするとかなり不安定です。更に、役目上必要な経費もその禄高から負担しなければなりません。
 なので、禄高の少ない武士だと役目を与えられても勤めることが出来ずにお役目を返上することもあったようです。○○奉行というと、それなりの禄高を与えられた比較的裕福な武士でなければ勤まらなかった役職でもあるのです。
 それよりも更に下のものになると、賃金で雇われるのですが、これは公務員というよりは公務員(武士)個人に雇われて公務に携わっている人になるので、厳密には公務員とは異なるともいえます。
 平安時代などは仕事と権限を与えられて、あとは自分でどうにかしろという世界です。実質無報酬ですが、副業をしたりその権限を利用したりしてどうにか自分で収入を得るしかありません。
 当然ながら、賄賂等の汚職は当たり前であり、場合によっては必要不可欠ですらありました。(というか、公費と私費の区別がほとんど無い)


>休日:日曜
>週休二日:なし
>年間休日数:50日
>育児休業取得実績:なし

 無いですね。そもそも「週」とか「曜日」と言ったものは無いです。
 定休日も基本的に無いです。
 殆どの場合、それでもやっていける程度の業務しかしません。むしろ、本業以外のところで副業をやって生計を立てたりしています。
 長期休暇が欲しい場合は上司(奉行くらいになると大名や将軍等)に願い出て、お許しを得てからはじめて仕事を休むことができるようになりますが、許可は下りないこともあります。
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