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生命倫理のレポートを書かなければならないのですが、まったくなにからはじめたらよいのか分からないのでアドバイスお願いします。

そのレポートのテーマが「身体の処分は私権に属さない」という考えに賛成か反対かです。。。ですがこの身体の処分というのがさっぱり分かりません。。。。一体どういう意味なんでしょうか?自殺とか自分で自分の身体を処分(つまり殺す)することに対して私権はないがそれについて賛成か反対かを述べよという意味なんですか?

誰かよきアドバスをお願いします。。。

A 回答 (6件)

質問がよくないね。



そもそも私権に属するかどうかを言うならば、何らかの権利の分類の話ということになる。
で、身体の処分はっていう主語がこれに対応してない。もうこの時点で曖昧さがある。
それに身体の処分って何だ?って話にもなる。
身体を処分する、ってそんな表現があるんだろうか。
出題者が勝手に表現を定義して、その定義を言わずに問題を出す。
その場合、普通は身体を処分するってどういうことを言ってるんですかって聞かないとわかりゃしない。
ということで、正確な日本語を用いてないのでまず出題者がその習慣をやめるべきだ!と書くとかw

まぁそれはともかく、私権ってのは私人間の権利のことだから
この質問は、身体の処分は私的行為ではないってなるだろうな。
しかし爪を切るのも髪を切るのも私的行為だから、そもそもこの主張自体が誤っている。
私的行為じゃないってことは、公的な行為になるから
私人と公人間の権利義務関係ということになってしまう。
それはつまり、爪を切るのにも髪を切るのにも行政の許可がいるという話になっちゃう。
私権に属さないってことはそういう意味になる。

そもそも言わんとすることはわかるが、用語の使い方が場違いでおかしい。
私権だの私法だのということを問題にすることがおかしいというか。
いい加減な表現や主張をするのが多いわな。
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自殺に限らないんじゃないの。



爪を切る。散髪する。献血する。臓器移植。精液を売る。とかね。
と、遺伝子情報、クローン、IPS細胞とか・・

臓器移植とか自殺になると公権を帯びてくる。
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わざとあいまいにしてあるんじゃないですか?


自殺とか、テーマ限定なら、そう言うでしょう。

好きなように解釈して、
あなたの書きやすいテーマにしぼって書いてみては? 
なるべく身近な例や経験などを出して。

その方が印象にのこる、説得力あるレポートかけるはずです。


もし先生が文句つけるんなら、望むところです。
あいまいな書き方をしている方が悪い。
なんのことか?と思った学生は、あなただけではないはずです。
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思いつき程度ですが――



いわゆる学術論文ではなく、ここは、
どこまで「論理」的に倫理的問題を掘り下げたかが課題であろうと思います。

つまり、「自分の言葉で考えたかどうか(学説の併記ではなく)」が「得点」の要素なので、
むずかしい用語を並べるだけでは「つまらない」レポートになります。

課題中の「身体の処分は私権に属さない」の語義から始めるのが常套かと、

「身体の処分」の語義が曖昧だということなら、

そこから始めるといいです。たとえば「身体の自由」などなら、
中学の倫理社会(憲法の基本的時人権)で勉強しました。

ここは「生命倫理」ですから、「身体」とは何かを一考しておくのもいい。

そこで「身体を具体的に考える」ために、たとえば、

「少女売春」を考えてみるならば、

「自分の体をどう処分しようと勝手でしょ」
「だれにも迷惑をかけていない」

などの言い分に答えることで「身体」の意味が明確化されるように努める(ここが大事かと)。

――自分の体を売って何とも感じない人は(たぶん)いません、感じない人は強がりを言っているか、自分をごまかしているか、人間以前の獣のような生き物です。
「体を売っても心は売らない」というセリフがありますが、「体を売るとは、つまり心(魂)まで売られてしまう」という不可避の真理を知っている人が最後の砦とするようなセリフです。
「体」と「心」を別のものと考えるのは「近代科学」のほぼ前提で、だからこそ「臓器移植」が可能です。
この近代的な割り切りでいえば売春少女の「主張」」に反駁できません。
だがじっさいは、「体」と「心」は切り離せません。買春するほうも「体」が「かけがえのない心」と知っているからこそ「買う」(醍醐味がある)のです。
「体を売る」とき「心は深く傷つきます(ただほど高いものはない)」、その傷は「一生」残るでしょう。

――「処分」という箇所は、「だれにも迷惑をかけない」からアプローチしてもいい。
「身体」とは、それがあってこの「私」が成立する究極の「根拠(砦)」です。

ですが、その一番大事なものが、ときに「邪魔くさいもの」にもなります(皮肉にもというべきか、悲劇というべきか、喜劇というべきか)。
「自殺」こそ「他人迷惑なものもありません」(他人の権利を侵害している)。
「身体」とは、おおくの場合、他人のお世話になりつつ存在しなながらも、ときに「迷惑」な存在ですあkら、

それを「自由に処分」などできまっせんが、「権利」を論じることはできるでしょう。

――「喫煙権」などあるかどうか知りませんが、喫煙は「自分の肺に致命傷を与える」権利と見るならば、
それで病気になって「健康保険」を使い、それで「他人の保険料を上げる」ことに結びつかないかどうか、レポートすることはできるでしょう。

――大阪のどこかで、たしか、「タトゥー」の職員が処分されたことがありますが、それを論じてもおもしろみがあるとは思えません。

いずれにせよ、身体とは本当に厄介なものです。

参考になれば。
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”身体の処分というのがさっぱり分かりません”


    ↑
自殺とか自傷のことだと思います。

例えば、PCがあります。
PCの所有者は、それをどう処分しようが自由です。
おかしな処に捨てない限り、売却しようが壊そうが
疵付けようが自由です。

人間の身体についても同じような考えあります。
身体が完全に自分だけの所有物なら、自殺しようが
疵付けようが許されるはずです。
これが私権に属する、ということではないですか。

かつては、人間の身体生命は国家に属する、と
されていた時代がありました。
その場合、自殺は犯罪とされました。

人間の身体生命は神によって与えられたと
する考え方も同じです。
せっかく神が創ってやったのに、自殺するのは
とんでもない、ということで、キリスト教では
自殺は最大の罪とされる訳です。

現代の日本では、自殺は犯罪とはされていませんが
悪いことだとされています。
それが刑法202条の自殺関与剤、自殺幇助罪です。
身体生命が完全に私権に属するなら、それに他人が
関与しても違法性は無いはずです。
それなのに、202条を置いている、ということは
日本では自殺は違法だということを前提にしている訳です。
自殺は違法だが、本人がやる場合には、刑罰を科す
ほどの違法ではない、としているのです。

刑法では、生命は重要なモノなので国家、社会の関心事
であり、完全に私権に属するものではない、とされて
います。

親から生まれ、親や社会、国家の庇護の元育った
生命が、その人の私権だけに属する、というのは
不合理でしょう。
我が国では、かような立場にたっております。

これとは対象的に、人間存在の実存を強調すれば
自殺も是認されるかも知れません。


”「身体の処分は私権に属さない」”
    ↑
私権に属するとすれば、自殺を認めることに
なりやすいです。
だから、自殺を否定するのであれば、
1,私権に属さない、とするか。
2,私権に属するが、他の理論を付加して
  自殺は許されない、とするかを選ぶことになります。

反対に、私権に属さないが、自殺は許されると
することも可能です。
実存主義を徹底すれば、自殺も許容されやすいです。
また、身体と魂は別物だ、というデカルト流の
心身二元論を採れば、身体は私権に属するが
魂はそうではない。
だから、身体の処分は許されるとすることも
可能になります。

要は、矛盾を起こさないように理論を展開していけば
良いのです。
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質問の厳密な意味は、出題者に聞かないと分りません。

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