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どんな感じだったんですかね?

ピークは2011辺りで最近は客の数も激減している新大久保ですが、韓流ブームに火が付いたのは2003年頃だったと記憶してます。
アジア系の人はそれ以前から住んでいたようですが、韓流ブームによって韓国の文化だけが目立つようになりました。

地域の方のお話によると以前の大久保通りはひっそりとした街だったそうです。

韓流ブームがくる前、また来てから新大久保の街がどう変わっていったのか、ご存知の方がいましたら、些細なことでもいいので教えてください。街の外観的な変化や地域の交流などでもいいです。

A 回答 (3件)

大久保通りがひっそりなんてのは、それこそ高度成長以前とかでしょ。


戦後すぐの頃は、西新宿の高層ビルが建っている辺りは一面焼け野原だったと聞いてますが、それでも駅のそばとかは闇市とかできたりしていたようですから、大久保でもまったく閑散という事でもなかったと思います。
私自身は子供の頃もたまに行っていましたが、記憶はほとんどありません。でも、焼け野原というイメージどころか、普通に商店やら立ち並んでゴミゴミしていたように思いますから、70年代には今ぐらいの混み具合はあったと思います。
ただ、当時から朝鮮人はそれなりにいましたから、豚足とか食えましたよ。北と南の区別ってあまりしなかったような。
フィリピーナが日本に進出しだしてきたのは円高などでメリットが出るようになってから。80年代でしょう。それからバブルに乗って大量の外国人不法就労が増え、同時に、不法やら結婚やらで長期滞在する人も増えたと思います。
韓国も、IMF介入とか不景気だったりしたので、それなりに出稼ぎとか来ていたように思います。
(そういや、バイトしてたコンビニにも働きに来てた。大久保じゃないけど)
90年代以降はあまり足が向かないので細部は分かりません。そんなに韓流になったの?どうでもいいけど。
よく、シモダカゲキがあの格好でうろついてましたね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/10/19 13:29

その頃は、駅前にまだハーンバーグ定食屋があって、ちょろっと韓国風焼肉屋と食堂があるぐらいでした。


2009年頃に韓流ブーム到来で一気に売店やショップが増えました。
それこそ三倍増ぐらいの展開です。
空き地や古い飲食店は、軒並み韓国料理店に変わりました。

それに伴って、フィリピンやタイの住人が消え、韓国人が増えました。
北新宿や高田馬場に済んでる韓国人が、ここで働くようになりました。
一応韓国人のテリトリーは。百人町の新大久保駅を境に、西が中国人。
東が韓国人と住み分けしています。
あ、でもマンションは今でも中国人かな・・・
安アパートは韓国人で埋め尽くされています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。今の新大久保の韓国料理店や雑貨店は、マンションやアパート、空き家の一階を改装したものが多いです。住宅地にも古いアパートが目立ちます。以前の大久保通りはマンションやアパートだらけだったのでしょうか?それは韓流ブームがくる以前、あの地域に、アジア系の外国人が安い土地を求めて押し寄せ、住んだからでしょうか?

お礼日時:2013/10/19 13:28

1995年頃、仕事で西新宿のビルに通っていました。

最寄り駅が新大久保だったので、午前中に新大久保駅で降りて、山手線の外側の細い通りを歩いていくと、東南アジア系(おそらくフィリピン系)の女性やおばさんがあちこちにたむろしていました。“前夜のお仕事”でくたびれた感じで、あたりが何となく淫猥な感じ漂っていました。日本の横町という感じがしませんでした。韓国系は分かりませんでした。その頃は韓流はなかったし、日本人によく似た顔立ちですから(今はそうではありませんよね。一目で分かりますよね。あれ整形のせいですか?)、分からなかっただけかも知れません。あの通り、今はどうなっているんでしょうかね。もしかしてソウルの横町みたいになっているのかな。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/10/19 13:11

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