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2年前から、月1くらいで能楽堂に足を運ぶようになりました。
謡とお仕舞いのお稽古にも通っていました。(今は体調の都合でやめてしまいました)
世阿弥の本や能についての評論やエッセイなども読んだりしています。

習ったのが観世流だったので、観世流の舞台が多いのですが、
「あぁ、今日はこの人が地謡さんね(or後見さんねorあの人の息子さんねetc)」
というような顔ぶれをミーハー的に楽しんだりもしています。

それだけでなく、お能に圧倒したり感動したりもしています。
応援したいシテ方さんもいたりします。

ただ先日、ある演目のシテ方さんを観ていて「あれ?」と思いました。
戦場の武将のはずなのに、
あまり迫力がないというか、女の役のような柔和さを覚えたというか・・・
「体調が悪いのかな?それとも私の体調が悪いのかな?」
と思ったりもしました。

お能の劇評みたいなのを読むと、能楽師さんが上手いとか書いてあったりしますが、
私にはそういうのはわからないと思っていました。
ただ、今回感じたことがそういうことなのかな?とちょっと思ってみたり、
私にはまだ分からない何かがその舞台では表現されていたのかなと思ってみたりしています。
(たぶん後者なんだと思います)

こんなことを考え始めたのは、
昭和の名人といわれた友枝喜久夫さんのことを読んだせいもあるかもしれません。
能楽師ときくとみなさん厳しい稽古をこなし、
かわらず素晴らしいものを見せてくれると私なんかは思っていますが、
名人と言われる人がいたりもするわけで、違いはなんだろう?と考えてしまうわけです。

お素人さんの発表会を見ると、玄人とは違うなぁ~と思いますが、
玄人さんの世界での上手い・下手とはどういうことだろう?と思ったりします。

身近にお能のお話ができる人もいないので、
よかったら、教えていただけないですか?
来年の能の見方が上達できるように、どうぞ宜しくお願い致します。

ついでに、おすすめの能の本や評論があれば教えて頂けると嬉しいです。

A 回答 (1件)

まずはじめに、 「戦場の武将のはずなのに」 という点ですが、 それが 「清経」 だったのなら、 あなたの鑑賞力は確かです。


“女の役のような柔和さ” というふうにも感じられる曲です。
また、 修羅能一般でも、 武張った印象ばかりでなく、 哀愁をもふくんでいます。
武家式楽であるにも関わらず、 勝った景気のいい曲でなく、 勝修羅三番のほかの修羅能は敗者を取り上げています。
これは、 松浦静山が 「能は我が身の供養なれば心して見るべし」 と言っていますが、 太平の世でも死に向き合う武士の心得として、 敗者の能を見る心構えを言ったのだと思います。

本題ですか、 あなたは玄人と素人の落差がおわかりなのですから、 回数を重ねていけば自然にすうっとわかる日がくるはずです。 鑑賞の回数を重ねていくしかありません。
と言っては身も蓋もない、 手掛かりになる本があります。
「能二百四十番」 という戦前の名著が、 ずいぶん前に檜書店から復刻されて、今も手に入ります。
これはなぜ名著なのかと言えば、 今の解説書は 「あらすじ」 ばかりを書いて解説と称していますが、 これは 「主題」 という項目があって、 ストーリー解説ではなくこの曲は何を言いたいのか、 ということを書いているからです。
もっと簡単に手に入り、 文体がわかりやすいのは、 平凡社コロナブックスの 「能百十番」 です。 現代の解説書で、ストーリー解説にとどまらず、テーマに踏み込んでいるのはこの本だけです。 さらに曲によっては他ジャンルの芸能 (例えば民俗芸能やオペラ) にも言及して重層的な解説をしているところもあります。
見ることが一番ですが、 こういう水先案内人を傍らに置くのもよいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そして、あけましておめでとうございます。

修羅能でも哀愁を含むんですね。
武将なので勇ましいだろうという勝手な先入観をもってみてしまっていました。
今後、気をつけたいと思います。
ちなみに演目は「兼平」でした。

教えて頂いた本も是非読んでみたいと思います。
「能二百四十番」の著者は野上豊一郎先生なんですね。
野上先生の著書は少し読んだ事があり、
いずれちゃんとしたものを読みたいと思っていました。
教えて頂いてありがとうございました。

お礼日時:2014/01/01 02:03

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