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一般には、「違和感を感じる」は誤りで、「違和感を覚える」「違和感を抱く」が正しいといわれますね。
しかし、よく考えると、本当にそうなのだろうかと思い始めました。

「違和感を感じる」が誤りである理由として挙げられるのが、
・「違和を感じる」のが「違和感」なのだから、「違和感を感じる」は重言になる
という指摘です。

しかし、「覚える」「抱く」も、漢字が「感」でないだけで、意味はほとんど同じですよね(英語でいえば、どれもfeel)。

「違和を感じる」ことを「感じる」が重言になるなら、「違和を感じる」ことを「覚える」「抱く」というのも、重言に該当するのではないでしょうか。

私が思うに、

1. 「違和感」を「おかしいという感情」と解釈する
こう解釈すると、「違和感」という言葉に「感じる」という動詞が含まれないので、「感じる」も「覚える」「抱く」も正しいことになる。
また、「違和感がある」「ない」も正しい。

2. 「違和感」を「おかしいと感じること」と解釈する
こう解釈すると、「違和感」という言葉に「感じる」という動詞が含まれるので、「感じる」も「覚える」「抱く」も重言になる。
厳密に正しい表現は、「違和感がある」「ない」のみ。

の二つの道しかないのではないでしょうか。

A 回答 (7件)

 いろいろな側面があって簡単には断定できないと思います。


 辞書の例文に採用されているくらいですから、「違和感を感じる」を「間違い」とは言い切れません。

>「違和を感じる」ことを「感じる」が重言になるなら、「違和を感じる」ことを「覚える」「抱く」というのも、重言に該当するのではないでしょうか。
 そのとおりでしょう。個人的には「違和感を感じる」は重言(「間違い」か否かは別問題)で、「違和感を覚える」は重言風と考えています。

>厳密に正しい表現は、「違和感がある」「ない」のみ。
 基本的にそのとおりだと思います。ただし新たに違和感が生じた場合には「違和感がある」は使えないでしょう。その場合にどうするかが悩ましい問題です。
【違和感を感じる 違和感を覚える 違和感が生じる 違和感を持つ 違和感がある】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2748. …
================引用開始
・違和感を{感じる/覚える}以外にどんな言い方があるか
1)「○○感」が以前からある場合。
 この場合は「違和感がある」(違和感があった)と言いかえるのが一番素直だろう。
2)「○○感」が新たに生じた場合。
 過去形(と書いておく)のほうが自然な感じがするので、そうしておく。
 これが問題になる。この場合「違和感がある」が使えない。
 下記あたりだろうか。

  違和感が生じた 違和感をもったつ 違和感が芽生えた

 たとえば「危機感」が生じた場合に「危機感を感じた」と書いたら、無神経な文章と責められてもしかたがないだろう。「危機感を覚えた」「危機感が芽生えた」あたりだろうか。
 これが「違和感」の場合は「感じた」が素直なので(理由は言葉の神様に訊いてください)、つい「違和感を感じた」としてしまいがち。あえてそうする人にトヤカク言う気はないが、ほぼ同じ意味で「違和感を覚えた」という言い回しがあるんだから、そちらをつかうべきじゃないのかね。
================引用終了

 下記のほかのコメントやリンク先のやり取りもご確認ください。長い話ですが、参考になると思います。
【「違和感を感じる」というのは間違いだと言われますが】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
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まずは論議の前提となる基本的な事項を確認してみました。



A.「違和」について
1・字音仮名
呉音「ゐわ(いわ)」と漢音「ゐくゎ(いか)」の両用あり。
・医学用語として「ゐわ」を立項した最初の辞典は「ことばの泉 補遺」(明治41年)
・「漢書」の出典などを上げて、話題の人の不例の意味を「ゐくわ」として最初に載せた辞典は服部宇之吉 編「大漢和辞典」(大正14年)

2.意味のバリエーション
1)身体の調和が叛(そむ)き、また違(たが)う→体調が崩れる→不調を訴える。
「健康も時々御違和の由承り居候えども、」(高浜虚子「漱石氏と私」)
「腕がちくちく痛み、軽い頭痛がし、腰から足がだるく、身体違和の感じだった。」(豊島与志雄「復讐」)
2)相手との協調に叛(そむ)き、また違(たが)う→齟齬・背反・不和となる。
「政局の危機とか、公武の違和でも生じると、」(吉川英治「私本太平記」)
3)精神面での調和が叛(そむ)き、また違(たが)う→心の失調・低迷に陥る。
「心に憤怒があり、心に違和があるときには、」(斎藤茂吉「イーサル川」)
「私は脳細胞を逆撫でされるような違和を感じながらも、」(外村繁「澪標」)
「それに対して伸子の感じている嫌悪又は違和の実感を…」(三好十郎「恐怖の季節」)

B.翻訳表現としての「違和感」
違和のメンタルな側面としての「違和」を薄めた形での「感」を付加することで、いわば「tic(チック)」風の意味合いで、「しっくりしない具合」や「ちぐはぐな調子」とか「そぐわない感じ」のニュアンスの代用のような用法が翻訳者の間でハイカラ言葉として流行り始めたのではないでしょうか。
「読者ははじめは違和感や嫌悪感をひき起こすことはある。」(原田義人「解説」)
「ベッドに違和感があった。なれた自分のベッドではなかった。」(片岡義男「時差のないふたつの島」)

戦前の和英辞典には立項させていないが、戦後の和英には「違和」がないのに「違和感」だけは載るようになってきたようです。
ただし、国語辞典における見出し語としては「新小辞林」(昭和50年)からですが、もっとも「いわ」の項に「違和感を覚える」という用例を初めて載せたのは「講談社国語辞典」(昭和41年)となるようです。
また、「違和感」の項に「異和(イワ)はあやまり」と明記したのは「三省堂国語辞典」(昭和57年)。

なお、小内一編「てにをは辞典」(三省堂)において「~感を感じる」という用例を載せているのは次の3点です。
なおこの書き込みをしているMicrosoft Wordでは、この内「罪悪感」のみは重言指示が出ています。
・優越感を感じる
・無力感を感じる
・罪悪感を感じる

参照:「「違和感」か「異和感」か」(「言葉に関する問答集 総集編」文化庁)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「~~感」という造語がいつ頃から生まれた、という歴史的考察も必要ですね。

お礼日時:2014/01/09 15:09

感じるとは


感覚器官を通して、暑さ、寒さ、痛さなどを知ったり、善悪、美醜などを判断する、ことです。

違和感(異和とも書きますが)とは
生理的(心理的)にしっくり来ないという感覚や、周囲の人間とどことなくそぐわないという判断。
また、その人の理想像や価値観からみて、どこかしら食い違っているという印象。

であるため、「違和感を感じる」という表現はおかしいです。

違和ですが、
からだの調子がいつもと違ってどこか具合がわるいこと。という意味もありますが、
違和感で使う違和(異和とも書きます)は
こちらの、対象を素直に受け入れたり、環境に自然になじんだりするのに抵抗を感じること。です。

やはり「感じる」という表現はおかしいです。



では「感じる」と「感」ですが、こちらも違いがあります。

「感じる」はさきほど書いた通りですが、
「感」は場の雰囲気から受けるある種の判断を伴った印象。
解放感、安心感、満足感、等。
又は、感嘆、感激、感動。
感に堪えないとか使いますよね?

以上から「違和感」と「違和に感じる」は違う表現だという事が分かります。

そして、「覚える」です
これは、勉強して記憶する、経験したことを忘れないように心に留める、の意味もありますが、
又、何かがきっかけとなり抑えることのできない衝動や感触を感じる、の意味もあります。
こちらは、安心感を覚える、危機感を覚える、等に使えます。
他にも愛着を覚える、ストレスを覚える、疑問を覚える等。

続いて、「抱(いだ)く(懐くとも書きます)」の意味です。
抱(いだ)くは、抱(だ)くの雅語的表現(母親が赤子を抱く)でも使われますが、
当面の事態に対する反応として、ある種の思いつめた気持ちを持つ。という意味があります。

以上のことから、

違和感を感じるは意味の面からしてもおかしいことが言えます。
使うのでしたら、違和感を覚える、が妥当だと思います

参照:新明解国語辞典第五版
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この回答へのお礼

> 感覚器官を通して、暑さ、寒さ、痛さなどを知ったり、善悪、美醜などを判断する、ことです。
「感覚器官」とあることから、物理的な感触に限定されていますが、なぜそれが正しいといえるのですか?
例えば、「寂しい」「おかしい」という感情は物理的なものではありません。
その定義だと、「寂しいと感じた」「おかしいと感じた」というのは誤った表現ということになるのでしょうか。

> であるため
とありますが、なぜ「であるため」なのか、説明になっていませんが……。

> こちらの、対象を素直に受け入れたり、環境に自然になじんだりするのに抵抗を感じること。です。
> やはり「感じる」という表現はおかしいです。
それは、「違和」という言葉に「感じる」という動詞を含めているからですよね。
逆にいえば、含めなければ、「感じる」という表現にも何の問題もないのでは。

ついでにいえば、新明解の辞書がなぜ正しいといえるのか、という疑問も生まれますね。

お礼日時:2014/01/09 15:08

ご質問の1. のように「違和感」を「おかしいという感情」と解釈すると、「違和感を感じる」は「おかしいという感情を感じる」となりますね。

しかし、「感情を感じる」は重言ではないでしょうか。

それよりも、「同族目的語」という文法概念を導入することをおすすめします。ご質問文でも「英語でいえば」とお書きになっていますが、英語には同族目的語がありますね。日本語でもこれを認める辞書が、あるようです。
「違和感を感じる」は、見た目は重言です。しかし同族目的語として許容されると、私は思います。
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この回答へのお礼

「同族目的語」という概念は初めて知りましたが、まさにこれが当てはまりますね。

お礼日時:2014/01/09 15:07

〔あなた〕も〔貴様〕も〔おまえ〕も〔てめえ〕もYouになる英語を持ち出すことに





違和感を……覚える,,かなwww
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> 〔あなた〕も〔貴様〕も〔おまえ〕も〔てめえ〕もYouになる英語を持ち出すことに
どうも私の質問を誤解されているように思います。

「あなた」「貴様」「おまえ」「てめえ」は、確かに細かいニュアンスの違いはありますが、基本的には同じ意味を持つでしょう。
少なくとも、名詞であり、二人称であり、……といった共通項を持ちます。

ですから、例えば「あなたは人間だ」という文章を「貴様は人間だ」と置き換えても、(ニュアンスは若干変わりますが)文法的な正誤は変わりません。

しかし、「感じる」「抱く」は同じ意味なのに、「違和感を覚える」を「違和感を感じる」に置き換えると、なぜか文法的な誤りだといわれるのです。
これっておかしくはないか? と質問しているのです。
同じ構造の文章なのですから、文法的な正誤は一致するはずです。

「違和感を感じる」に変なニュアンスを覚える、というのは結構ですが、文法的に誤りとまではいいきれないと思います。

お礼日時:2014/01/07 22:06

違和感がある、というのが一般的な表現。

違和感は、感じないし、覚えないし、抱かない。そもそも違和感などという言葉自体が曖昧表現であって、好ましくは無い。地域性や、育ち方や、現在の地位などによって大いに個人差のある違和感を、人類全般の同一なものと考えることが乱暴。違和感などと言わずに、個々に感じる微妙な感覚を明示すべき。皆が、自分と同じ感覚を持つはずと考えることが傲慢であることに気付かなくいてはいけない。違和感と言った時、その人物の、語彙不足が露呈されたと判定して良いと思う。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> 違和感がある、というのが一般的な表現
私は「違和感がある」は正しい表現だとは思いますが、それが「一般的」だというのは初めて伺いました。

>違和感は、感じないし、覚えないし、抱かない。
その根拠は何でしょうか?

> 地域性や、育ち方や、現在の地位などによって大いに個人差のある違和感を、人類全般の同一なものと考えることが乱暴。
それをいい始めると、人によって大きく違うものを「感情」と呼ぶことが「乱暴」だ、という話になり、ひいては言葉というものの「乱暴」性に繋がりかねませんが……。

「言葉」というのは、各人固有の「感じ」を切り捨てて普遍性を目指すものですから、「乱暴」な側面を持つのは確かだと思いますが。

お礼日時:2014/01/07 22:02

おっしゃる事はよくわかります



単純に、まったく同じ言葉を2回使うから表現上ダメなんじゃないでしょうか

例えば、「一番最初」「一番最後」

この二つも誤りですが、大きく取り上げられることはありません

一番と最もは同じですが、同じ言葉ではないためあまり使ってもおかしいと指摘されることがありません

同じ語句が被らないないようにすれば無理矢理オーケーになるんじゃないかなと最近思ったりします


>二つの道しかないのではないでしょうか。


それ以外に、そういう言葉がいずれ認められる可能性もあります

言葉は時代とともに変化していくので、もともと違ってた言葉がやがて正しく修正されてしまうように、使う人のほとんどが間違っていれば、それかいずれ正になるかもしれません
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> 単純に、まったく同じ言葉を2回使うから表現上ダメ
確かにそれはあるでしょうね。

> 使う人のほとんどが間違っていれば、それかいずれ正になるかもしれません
確かにそうなのでしょうが、私の疑問は、そもそも言葉の正誤ってそんなに厳密に決まっているのだろうか、ということなのです。

例えば、「違和感を感じる」は誤りではあるが、一般に膾炙しているので、徐々に誤りではなくなるだろう、といわれます。
しかし、そもそも本当に「誤り」だといえるのか? そんなに正誤ってはっきりと決まるのだろうか? と。

お礼日時:2014/01/07 21:59

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