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結婚1年目の者です。30代です。

夫のお母さんがエホバの証人をやられていて、なんとなく疑問に感じることが多く困っています。
お母さんから電話があり出てみると、他の人に電話をかけようとして間違えてかけてしまったということでした。
こういうことが2度ほどありました。
ある時は、腰を痛めてしまったということなので病院の送り迎えをして付き添いました。すると、お礼がしたいと言われ、お宅にお邪魔すると、エホバの証人の人が偶然立ち寄って、その人達も一緒にランチを食べることになりました。フレンドリーな感じで和やかに過ごせたのですが、これって、勧誘になりますか?夫は仕事があるからエホバの証人にはなれないというスタンスみたいです。私は、なんとなく、馴れ合いみたいなそういうベタベタしたものが苦手なので、断っています。けれど、「そう感じるのはどうして?」とか「もっと詳しく聞かせてくれない?」とか、いろいろ聞かれてしまい、気付くと聖書の話になっています。完全に勧誘モードですよね?これって。。。

もう宗教の話は聞きたくないので、距離を置きたいのですが、そうはっきり告げた方がいいのでしょうか?良い人なのであまり邪険にも出来ないので困っています。さりげなく勧誘してくる人なので、こちらもさりげなく避けて行ったほうが賢明ですか?

A 回答 (11件中1~10件)

これは完全に勧誘だと思います。

偶然に立ち寄りランチなんて存在しないきがします。(私も以前に知人宅に招かれるとサイエントOジーがいました)
”聞く耳を持つ友人”になるほど入り込みやすいものはありません。世の詐欺は知り合いから、と聞きます。(友人、知人の紹介、親族など)警戒心が解けるからです。例えばファイナンシャルプランナーも銀行で商品をすすめられれば警戒しますが、親戚の姪や甥が就職して投資話をもちかければ、協力してあげようかなとおもう寛大な従兄弟やおじおば、祖父母が出てきますよね。

はっきりとお断りしたほうが良いですね。しかし上手に、です。

話を聞いたり反論したりするとどんどん深みにはまります。よくディベートのつもりで否定して打ち負かしてやろうと思う人、これもがけっぷち。心をつかまれてしまいます。

私は海外ですが、私の家のインターホンを押すエホバの証人はアジア人女性で老婦人もいます。私は以前は居留守でした。でも最近は言葉で、あるときは出て行って門越しに話をしてお断りするようになりました。その後勧誘は逆に途絶えました。
”今は人生にまだ必要性を感じないので”、と言います。ただし彼らの宗教を持つ心は絶対に否定しません。意地になるのを避けます。その人たちにはそれが必要なのでしょう。ですから”今は必要ないのですが、最も将来はわかりません。でも何かを信じることが必要になればこちらから連絡させていただきますね”、と言います。夫はびしっと断れと言いますが、暑さ寒さの中、教団の寄付金集めに天国を夢見て歩く人が哀れです。相手の人格を否定しないで、今は興味がない、いったんはおさまる気がします。
常にご主人といて幸せだ、ご主人をたてて(崇め奉るかのごとく)幸せ作りで意識いっぱい、実際にお姑さんはそれはそれでよしと思うでしょう。ようはそれがあなた方に必要なのではないかと思う心から始まります。ご自身がしっかりしていることと、幸せ作りに自分は宗教はいらない、と言う態度に徹する。お姑さんと上手に関係を保ってくださいね。
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この回答へのお礼

必要性は感じていないので、できるだけ上手に断るようにしてみます。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/29 08:12

『お宅にお邪魔すると、エホバの証人の人が偶然立ち寄って、その人達も一緒にランチを食べることになりました。

フレンドリーな感じで和やかに過ごせたのですが、これって、勧誘になりますか?』
この程度なら勧誘というわけでもないのではないですか。

『もう宗教の話は聞きたくないので、距離を置きたいのですが、そうはっきり告げた方がいいのでしょうか?良い人なのであまり邪険にも出来ないので困っています。さりげなく勧誘してくる人なので、こちらもさりげなく避けて行ったほうが賢明ですか?』
別に喧嘩みたいな言い方をする必要はないと思いますが、“小さい頃からずっと私は仏教徒で死んだら極楽浄土に行くことだけを考えていますのでイエス・キリストは信じていないのです”と言えばいいのではないですか?

『いろいろ聞かれてしまい、気付くと聖書の話になっています。完全に勧誘モードですよね?これって。。。』
あなたに余裕があって少し聖書を勉強してみたら逆にいろいろ相手に質問できてそのうち相手の方が引いてしまうと思いますが、それが無理なら最初から信仰が違うと言えば良いと思います。
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この回答へのお礼

勧誘というわけではないのかもしれませんね。
判断が難しいです。

信仰が違うと言ってみます。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/29 08:05

勧誘とはさりげなく断っているのを断りの内には入れていません。



むしろハッキリ断らないのだから、まだまだチャンスはあると考えます。

>フレンドリーな感じで和やかに過ごせたのですが

これが勧誘類の一番の注意点です、この世の中人当たりのいい人は要注意です。

>夫は仕事があるからエホバの証人にはなれないというスタンスみたいです

幸い旦那さんは興味が無いみたいですので、旦那さんを通して伝えてもらうのが一番だと思いますが・・

それが無理なら(そんな旦那じゃ頼りないけど)自分は宗教には関心が無いや、自分の実家は仏教徒だから等ハッキリした理由を話し諦めてもらいましょう。

この手の問題は、他人では無いので長引くと貴方の精神的負担が強くなったり、最終的に最高に気まずい関係を作りますよ。
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この回答へのお礼

さりげなく断っているとまだまだチャンスがあると考えてしまうのですね。
ハッキリとした理由、探してみます。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/27 21:17

しぱらくは「勧誘」「断る」「勧誘」「断る」のヘビーローテーションだと思います。


相手は一度断られたくらいで諦めません。「良かれ」と思っているのですから、むしろ
「私がなんとかしてあげなきゃ」と燃えちゃうみたいですよ。

あれこれ理由を並べて返事をするのが一番ダメです。付けいる隙を与えるようなもの
ですから、とにかく「にっこり笑って」「そのお話をされるのでしたら私は失礼します」と
席を立つことです。「断る」以前に「話を聞かない」ようにすることです。でもこちら側も
大人ですからね。そこは笑顔です。「では失礼します」と爽やかに立ち去りましょう。
「どうして?」と言われても無視して「お義母さん、ではまた~」とにこにこ帰宅です。
これは「邪険」とは言いません。

他人でしたら嫌われても構いませんが、姑さんとなると一生り付き合いになりますからね。
ご主人にはきちんと「私は関わりたくないので断りますよ」と伝えて、そしてにこにこしながら
勧誘の話を聞かない。これで頑張ってみて下さい。「あの子は聞く耳持たない」と諦めて
くれるまで、です。質問者様は何も悪いことをしていないのですから、こそこそ避けて通る
必要は無いのですよ(^-^)それ以外のおつき合いをしっかりしていれば、大丈夫です。
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この回答へのお礼

にっこり笑って「失礼します」というのは、いいですね。
爽やかに「ではまた~」といいなと思いました。

そうですよね、お姑さんなのでいいお付き合いがしたいなと思っているので、勧誘の話は聞かないようにします。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/27 21:09

一番最初に回答させていただいた者です。



旦那さんが義母さんにハッキリと物を言える人かどうかにもよります。

旦那さんが義母さんにハッキリと物を言える人ならいいのですが、義母さんの言いなりになっていたり、ハッキリと物を言える人でないなら最悪別居→再構築できないと思ったら離婚に踏み切って構わないと思います。

後、旦那さん、仕事があるからエホバの証人にはなれないと言っていること=自分が勧誘したら最悪仕事を失って質問者様を路頭に迷わせてしまうだけだから、仕事を失うようなことはしたくない…恐らくそう考えています。

しかし、これは旦那さんが義母さんにハッキリと物を言えるかどうかは切り離して考えてみて下さい。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

夫は義母にハッキリと物が言えるので、別居や離婚のことは考えていません。

親身になってくださりどうもありがとうございました☆

お礼日時:2014/01/27 20:36

こんばんは。


私は、過去約30年近く「エホバの証人」として活動してきたものです。どうぞ、宜しくお願いします。

今回のご質問の件に関して、出来る限り客観的に、また自分の知り得た限りのことを書いてみたいと思います。それらの情報が、あなたの今後の選択に役立てば幸いです。

まず、エホバの証人の教えは「聖書」からのものですから、全体としてはそれを学ぶ人にとって大変良い影響を及ぼすものとなります。特に、過去において「犯罪」などにかかわってきた人たちにとっては、劇的な変化をもたらすことも可能です。

ただ、逆に何ら問題のない「正しい生活」を送ってきた人にとっては、新しく取り入れる聖書の価値基準・道徳基準が障害となり、人間関係が「ギクシャク」してしまうことも事実あります。

特に、ここ日本は「仏教・神道」が主流の国ですから、そうしたしきたりや慣習はおおよそ聖書が教えているものとは相いれませんので、日常生活のほとんど全ての面において挑戦となります。

なぜかというと、エホバの証人の場合は集会に参加して、ただ話を聞いていれば良いという程度のものではなく、「実践」することが求められるからです。

一例として、「先祖崇拝」という点を考えてみましょう。聖書の教えでは、「死者」には何の意識もなく「無」の存在になります。ゆえに、死者に向かって「焼香する」あるいは「線香をたむける」ということは無意味であるということになります。

したがって、エホバの証人は仏教あるいは神道の方式に従って礼拝を行ないません。つまり、葬式に参加して焼香をすることはしない、あるいは出来ないわけです。

そのほかにも、聖書の教えに従って「しない・出来ない」ことは、色々あります。また、聖書を勉強すると、そのあとその教えに従って生きることが求められます。「自発的」という言葉を多用しますが、その組織に入ろう或いは留まろうとする場合、その厳格な教えに従って生きることがどうしても必要となります。

ある人は、そうすることを選んで(私もその一人でしたが)生きるわけですが、それはある場合「イバラの道」であるわけです。言い換えれば、今現在あなたがしている生活様式とは違う生き方を、誰に対しても公然と行う必要があるわけです。

例えば、あなたのご両親やご兄弟などが亡くなった場合、「私はエホバの証人なので、焼香はできません」と言って、そのことを貫く必要があります。あなたには、そうした覚悟がおありでしょうか。

もちろん、今の段階では無理だと思います。なぜなら、あなたには「信仰」が育っていないからです。しかし、ある人は聖書を勉強して色々と学んでいくと、他の人と対立してでも自分の信仰を貫きたいという気持ちが生まれます。

こうなると、どんな犠牲を払ってでも「エホバの証人になりたい」と思うようになります。ただ、この気持ちで最後まで行ける人はいいですが、もしも、途中で(私のように)信仰から脱落すると、現状よりも悲惨な状況に対処しなくてはなりません。

それは、色々なスタイルがあるため一概には申し上げられませんが、一つ言えることは「途中でやめるくらいなら、最初から関係しないほうがマシだ」ということです。

それから、次の経験談はこれからのことを考えられる点で、とても参考になると思います。これは、40年以上にわたり「エホバの証人」として生き、そして死んでいった老齢の姉妹の経験です。

これは、自分の経験からして、まず「嘘」や「装飾」のない内容だと判断できるものです。詳しい内容はよくわからないとしても、最期に関係したエホバの証人たちが、その老齢の女性に対してどんな対応をしたのか、細かく知ることが出来るでしょう。

わたしも、最近この経験談に接しましたが、これを読んだときは事実だと分かりましたが、あまりにもすごい内容なのである意味信じられませんでしたし、信じたくなかったです。そんな内容でした。

では、色々と書きましたが参考にしてくださればと思います。失礼します。

http://blog.goo.ne.jp/john_the_baptist/e/d471a58 …
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この回答へのお礼

エホバの証人を過去にされていた方からのご意見ということでとても参考になりました。

人間関係がギクシャクしてしまうこともあるのですね。
なんとなく分かる気がします。
義母と話していると頭がボーとしてきます。
何について話しているのかわからなくなってしまうことがほとんどです。

お亡くなりになった老齢の女性のことについては、エホバの証人の考え方のフィルターを通すと、「復活があるから」「楽園で会えるから」ということになってしまうのかなと思いました。心が痛いです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/27 20:17

>「そう感じるのはどうして?」とか「もっと詳しく聞かせてくれない?」


何を言ってもきっと「でもね、」「勘違いしてるんじゃない?」とか肯定してこようとしてきます。
病気になって輸血をしなければいけなくなる時にエホバの証人は輸血拒否するのご存知ですか?
輸血すれば助かるかもしれない小さな子供でも大人が輸血を拒否し亡くなりました。
有名な事件?ですが、私の勤めていた病院でも実際いました。

自分の子供や家族に例えたらゾッとしませんか?
丁重にハッキリ言うべきです。そのような事がないと言われても実際にあった事ですからそのようなイメージが付いているとかなんとでも言えます。
それ以上肯定するようでしたらもう「すいません」の一点張りで。。。
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この回答へのお礼

「勘違いしてるんじゃない?」というニュアンスのことは言われました。
「誤解をされているからその誤解を解きたい」という感じでした。

輸血拒否のことは、知っています。
助かる命を粗末にしてほしくないです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/27 19:28

はっきりと告げても、図々しく、又やってきます。


でも、はっきりと断らないと、来る回数が増えますので、断った方がよいです。

でも一番気を付けないといけないのが、事故にあったり、病気になったときです。
信仰していれば防げたと、強く勧誘されます。
そんなときに入信する人が多いようです。

害はあっても、益はありませんので、近寄らないのが一番良い方法です。
その時々で、工夫してください。

優しそうで、良い人に見えるだけですよ。
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この回答へのお礼

はっきり断った方がいいですよね。

少し前に料理中に指を切ってしまった時、お義母さんが薬を買ってきてくれたことがありました。そういう行動も、今では素直に感謝できなくなっています。

なるべく近寄らないようにしてみます。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/27 19:08

電話間違いは微妙ですが、食事に行ったのは完全に勧誘です。


宗教の勧誘をする人はたいてい中高年のご婦人で親しげな態度、
フレンドリーな感じがします、そういう人を当てているんだし、
本部や支部に行って話を聞くなんてことになると、
今度は説得が上手な強引なひとに変わります。そういうものです。
夫に敬意を話して、夫から姑に言ってもらいましょう。
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この回答へのお礼

電話間違いは交際期間中からありました。
どのように番号を調べたのか考えると、少し不快感があったので、そのことを告げたのですが、「履歴に残っていた」ということでした。

宗教の勧誘はこういうものなのですね。
夫から言ってもらうことも必要ですよね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/27 18:58

勧誘ですね。



具体的に否定する事は、肯定する材料になりますから
はっきり嫌いと言い切ってしまう事です。
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この回答へのお礼

やはり勧誘ですよね。

具体的に否定をすると、そのことが入り口になり、長時間聖書の話になってしまいます。

嫌いと言わないといけない場面も今度ありそうですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/27 18:45

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