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私の友達に南米の国籍の子がいます。
小学校からずっと日本の学校で、今も日本の大学に通っています。
言葉も外見も、考え方も全く日本人と同じで、とってもいい子です。

話を聞くと、昔、おじいさんか曾おじいさんが、日本から南米に移住したそうです。
少し不思議に思ったのは、経済の豊かな国から、何故、貧しい国に移住したのかな?と思いました。
アメリカなど豊かな国に移住するのならわかりますが、貧しい国に移住したら生活が大変にならないのかなと思いました。

あと、昔、南米に移住した日本人は、どのような理由で移住したのかなとも思いました。

すみませんが、お教えいただけましたら助かります。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (10件)

奴隷制崩壊後の19世紀からの移民はあくまでも自由意志で行く自由移民ですから、行きたい人間が行きます。



移住の理由は人それぞれでしょうが、稼ぎたくて行くと言うのは共通でしょう。

受け入れる側の理由としては「奴隷解放」による深刻な労働不足を補う必要があったからです。

しかし日本政府が宣伝していた内容とブラジル現地での実情は相当に乖離しており、其処此処で問題が発生したようです。

外務省による1909年時点の調査報告によると、契約農場で働いていたのは当初の四分の一の人数だそうです。

やがて日本人による農地経営を目指す者達が組合を作り、実際に農地経営に乗り出して今に至ります。


平たく言えば、労働力が欲しい国に労働力の余っていた日本が、斡旋をして送り出した訳です。

そして労働力不足の大きな原因は奴隷解放です。

奴隷の変わりに受け入れるつもりだった現地と、揉めない訳は無いです。

特にブラジルは働き手が3人以上いる家族を移民条件にしており、日本を捨てなければ働きには行けない条件とも言えました。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
受け入れる側の理由として、奴隷開放による深刻な労働不足を補うということだったのですね。
当時の日本は、労働力が余っていたのですね。そして移民を受けいれた国は労働力が足りなかったのですね。
奴隷の代わりに受け入れたということであれば、日本の移民の人たちは、相当の苦労があったんじゃないかなと、移民についてよく知らない私でも少しは想像できます。
いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2014/03/08 21:21

日本での生活手段が途方に暮れたからです。


現在も生活に困窮した事業者は遠く中東まで片道切符
で行かざるを得ません。

なぜ南米を選んだかですが黄色人種が大勢いる点が大きい。
たとえばオーストラリアですが広いし豊かだし比較的近いです。
しかし・・・もともとの原住民は子が生まれたら幼児の内に

母親父親親族から取り上げられ白人家庭に強制を持って養子と
されました。以後は親はもちろん親戚にも一切の接触禁止。
男の子だと先々の面倒、つまり原住民の性交により白人女性が

妊娠する事を毛嫌いし幼児の内に殺す事が常識と言えるほど頻繁。
女の子はこき使われて育ち、少女になると養父から強姦される事
が社会常識。生まれてくる子は白人系に近づく訳です。

そうして生まれた子も養子に出されました。こうして黄色人に似た
原住民は言葉を失い文化を失い希望さえ消滅して行きました。
つまり白人以外の幼女、少女、女性に対して強姦は好きなだけ可能。

男性は去勢されるか殺されるのが普通の社会。それがオーストラリア。
原住民に対する仕打ち(幼児ひきはがし)が訂正されたのは1980年
頃の事。それ以前の非白人はカンガルーなみの扱いですね。

訂正は法律の事で有り社会通念としての白人優位は根が深い。
近年はこういう国であると知らずに入国して強姦される女性も出ます。
移民先に困った日本政府としても国民に悪いと判断したのでしょう。

それに戦争の当事国ですからねー  移民先は南米になったんでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
私はオーストラリアをよく知らないのですが、旅行のパンフレットなどを見て、とても素敵な国と憧れていました。
過去に原住民の人に残虐なことをしたことなど知りませんでした。
いまでも白人優位は根深いものがあるのですね。
いろいろお教えいただき、ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/08 21:41

・少し不思議に思ったのは、経済の豊かな国から、何故、貧しい国に移住したのかな?と思いました。


アメリカなど豊かな国に移住するのならわかりますが、貧しい国に移住したら生活が大変にならないのかなと思いました。

そのとおりですよ。だから、
豊かな南米諸国に移住したのです。
「母をたずねて三千里」では、マルコの母は、イタリアから、景気の良いアルゼンチンに出稼ぎに行きました。
1882年の話です。このころ、既に、アルゼンチンやブラジルは、農業や鉱業で栄えた
日本よりは、はるかに豊かな国でした。1886年には、初めて日本人がアルゼンチンに移住しました。
広大な南米には、勤勉な日本人が、未開拓の荒野を開墾し、農場を作る余地が、ありました。
まだ、都会での就職先も少ない当時、農家の次男三男が、新天地を求めて移民していきました。
アメリカが日本人を警戒して、アメリカ大陸へ移民させないように圧力をかけたので、
途絶えましたが、日系人は南米各国で活躍し、大統領になった人もいます。\(^^;)...
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
当時のアルゼンチンやブラジルは農業や鉱業で栄えた、日本よりはるかに豊かな国だったのですね。
母を訪ねて3000里の母が、イタリアから景気の良いアルゼンチンに出稼ぎに行ったという話とは知りませんでした。アルゼンチンが舞台なのですね。
日系人の方が努力して南米各国で活躍しているのですね。とてもうれしいです。
いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします

お礼日時:2014/03/08 21:33


を定義しないとなんとも言えない

、経済の豊かな国から、何故、貧しい国

http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_regions_by_ …

1870年 → 1913年→1950年 における 一人あたりGDPで

日本 737→1,387→1,921

南米 676→1,493→2,503

米国 2,445→5,301→9,561

南米のほうが、明治維新から第一次世界大戦前までの期間では、経済成長が高い
第二次世界大戦修了後 5年段階でも 南米のほうが豊か
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
一人当りGDPが1900年代から戦後まで南米の方が高かったのですね。
また、アメリカと日本の差に驚きました。
いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2014/03/08 21:25

騙されたんだよ 日本政府に



地上の楽園だと言われて北朝鮮に行かされた人たちと同じです


南米に日本人っぽい姓の人多いでしょ?
ペルーの元大統領だってアルベルト・フジモリ 彼も南米に渡った日本人の末裔です
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
地上の楽園のように言われて、行ってみたらひどいところだったのですね。
いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2014/03/08 21:11

私の父親の同級生に、ブラジルに移住した人がいたそうです。

もちろん私の父が10代の頃です。
当時は日本はまだまだ貧しく、敗戦からの復興には50年も100年もかかるだろうといわれていました。特に失業率が高いのが当時の政府としても頭の痛い問題だったんですね。

そこで当時の日本政府は、なんとかして「口減らし」をしようと思ったのです。ブラジルは第二次大戦に参戦しておらず、当時の日本から見ると「資源も豊かで戦争で荒廃していない豊かな国」だったんです。で、「日本政府が移住した先の国の政府と話をつけて農地を貰えるようにしておきました。国が保証するので移住しませんか」とやったんです。
ただ実際は移民を押し付けられる側の国としては「世界中を戦争に巻き込んで負けた国が頭を下げてくるから協力してやった」というものだったので、現地の人たちが「ここは畑にならねえよ」と手を付けないようなひどい場所を提供されたりしたんです。すべては敗戦国の哀しさでしょうね。

他にも、当時北朝鮮は国力をつけるために在日朝鮮人の帰国を奨励していて、日本政府もそこに乗っかりました。多くの日本人妻が夫と一緒に「生まれたばかりの新しい国、北朝鮮」に夢をもって移住したんですよね。現実はとてつもなく過酷だったのですけど。

ちなみにブラジルに行ったことがある人から聞いたのですが、ブラジルって貧乏ってイメージですが、その人によると「ブラジルは豊かな国」なんだそうです。彼によると、「なぜブラジル人は真面目に働かないのか。それは、働かなくても食っていける豊かな国だからだ。芋は植えれば勝手に育つ。釣り糸をたれれば魚はいくらでも釣れる。暖かいから凍え死ぬ心配はない。サッカーばっかやってても食うには困らない。だから誰も一生懸命働こうとしない」だそうです。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
敗戦直後のブラジルは日本より豊かな国だったのですね。
移民した人たちは畑にならないようなひどい場所を提供されてしまったのですね。
ブラジルは私たちが思うより豊かな国なのですね。
いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2014/03/08 21:09

国の嘘に騙されたからです。


日本政府は農村の次男三男の余剰人口を解消するために、肥えた土地をもらって自作農になれるなど様々な嘘で移民を推進しましたが、実際は奴隷同然の労働条件や石ころだらけの荒れ地しか手に入らないなどひどい状態だったそうです。
そのため日本の移民は「棄民」とも呼ばれています。
北杜夫さんの「輝ける碧き空の下で」という小説が有ります。
http://www.amazon.co.jp/%E8%BC%9D%E3%81%91%E3%82 …
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
日本政府が余剰人口を解消するために行ったことなのですね。
実際には奴隷同然の労働条件と石ころだらけの荒れた土地しか手に入らないひどい状態だったのですね。
北杜夫さんの小説は、ブラジルに移住した人たち描いた小説なのですね。
いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2014/03/08 21:02

日本も貧しかったからです。


開墾した分だけの広い土地を手に入れられるというのは夢の様な話に聞こえたと思います。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
日本も貧しかったのですね。
お教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2014/03/08 20:56

昔の日本は都会はどうか分からないけど農村は非常に貧しかったのです。


女の子は女郎屋に売られました。子供は丁稚奉公に出されました。
 それでも食えなかったから、ブラジルに移民したのです。
「おしん」を見るとその当時の様子が良く分かります。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
昔の日本は、特に農村は貧しかったのですね。
テレビのおしんは観たことありませんが、少し前に映画でおしんをやってましたので、今度DVDを借りて観てみたいと思いました。
いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2014/03/08 20:54

 当時は豊かでなく、人口が増えすぎたため、国のバックアップで移民政策が行われたとの事です。



 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B3%BB% …

 移住した人は、日本がこんなに豊かになると思ってなかったのと、開拓地でゼロから何か作るのは面白そうだというのがあったかのかも(実際は相当過酷だったようです)。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
当時は日本は豊かではなかったのですね。そして国のバックアップで移民政策が行われたのですね。
貼り付けていただいたページも読ませていただきました。
いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2014/03/08 20:52

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