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銀閣寺はなぜ銀色ではないんですか? 金閣寺があれば良いような気もしますが銀閣寺を作った特別な理由はあるのでしょうか

A 回答 (5件)

銀閣寺は金閣寺と並ぶ京都楼閣建築の代表寺院ですが、


正式名称を慈照寺といいます。
銀閣寺を創建したのは室町幕府8代将軍の足利義政で
祖父である足利義満が建てた北山山荘(金閣寺)に、
対抗意識もち、東山文化の代表東山山荘を造営しました。
義正の死後、金閣寺と同じ禅宗の寺となりました。
東山山荘の観音殿を「銀閣」と呼ぶことから、寺院全体が銀閣寺と通称されています。
金閣になぞらえて慈照寺観音殿が銀閣と呼ばれるようになったのは江戸時代以降のことです。
1658年(万治元年)に刊行された『洛陽名所集』などの文献に「銀閣寺」の名前が見られる]。

金閣と通称される鹿苑寺舎利殿には金箔が貼り付けられているのに対し、
銀閣と通称される慈照寺観音殿には外壁に黒漆は塗られているが銀箔は使用されていない。
「当初は名前のとおり銀箔を貼る予定だったが、幕府の財政事情のためにできなかった」という説が知られてますが、
外壁の黒漆が日光の加減で銀色に輝いて見えたかららしいです。
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この回答へのお礼

金閣寺と銀閣寺は別の人が建築したんですね。同じ人なのかと思っていました。「日光の加減で銀色」、なるほどこれが由来だったんですねえ

お礼日時:2014/06/10 11:39

>銀閣寺はなぜ銀色ではないんですか?



単純な事で、金閣寺に対して銀閣寺と通称をつけただけの事です。
そもそも、足利義政自身が「銀箔を貼りたい!」との意思があったのか無かったのか分かりません。
作事担当者に命令する前に、死んでしまいましたからね。
「お金が無かったので、銀箔を貼る事が出来なかった」という、真しやかな説明文も時々見かけますが・・・。
まぁ、歴史建造物には「史実異なる説明」が多いのです。
高台寺関係寺院では、豊臣秀吉の持念仏は「三面大黒天」と宣伝していますよね。
が、高台寺の資料では「随求菩薩(ずいぐぼさつ)」となっています。
歴史物語である太閤記著者が、大随求菩薩でなく三面大黒天と誤って記載したのが原因らしい。^^;
実際、高台寺には三面大黒天はありません。
高台寺子文書にも、三面大黒天記事はありません。
話が逸れましたが、実際は世捨て人の足利義政しか分からないでしよう。
足利将軍家の子孫が京都に住んでいますから、この子孫の方の話も聞きたいですねぇ。^^;
たぶん、政争に疲れた足利義政の事。銀箔は望んでいなかったのかも?
史実によると、安倍ちゃんと異なって「増税主義者」では無かったようですから・・・。
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この回答へのお礼

とても興味深いです。いずれ研究が進んで新しい事実が出てくるかもしれませんね。期待したいです

お礼日時:2014/06/10 11:44

銀箔云々は私も子供の頃に教師から学びましたが、残念ながら俗説です。



銀は錆びてしまいますので、貼ったとしても直ぐに変色してしまいますから、銀色にはならないのです。(いわゆるいぶし銀)

近年の研究によると創建当初はミョウバンを混ぜた白土を壁に塗っていたと言う事が判って来ています。

正に“闇夜の月明かりで白く浮かぶ白亜の城”と言った風情でしょうか。

NHKワンダー×ワンダー「銀閣寺 幻の゛月の御殿゛」にて放送されました。
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この回答へのお礼

え、錆や変色があるんですか。では外壁にはだめですね・・・。昔は白かったんですかね。白土で再現してほしいですね!

お礼日時:2014/06/10 11:42

対で造ったわけじゃないし、もともと銀箔を貼ったりするつもりもなかったもの、だったはず。



むしろ、銀の1つもないのに銀閣と呼ばれるようになった理由のほうが少し不思議。同時代に造られたもので、片方が金閣と呼ばれていたので、それにひっかけて銀閣と呼ぶようになったのでしょうけど。
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この回答へのお礼

てっきり対か似た時期に作られたのかと思っていました。見たときは「銀じゃないじゃん」と思いました(笑)

お礼日時:2014/06/10 11:41

知らんのかね


最初は銀箔を貼る予定だったんだが予算がなくて断念したんだよ

ちなみに金閣と銀閣を「寺」と言うのは間違い
なぜならここは別荘だからです
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この回答へのお礼

予算不足だったんですね。しかも寺じゃなくて別荘だったんですかー

お礼日時:2014/06/10 11:36

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