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世の中には当たり前の自由ってものが沢山あります。
空気を吸うのは自由であり、水を飲むのは自由であり、寝るのは自由であり、首を回すのは自由であり、・・・などなど。
それを一々、空気を吸う自由、水を飲む自由、寝る自由、首を回す自由などとは言わないものである。
日本国憲法二〇条 信教の自由もこれと同類であって、ほんらい人は何を考えようと何を思おうと何を信じようと勝手なのである。
それをわざわざ信教の自由などと格別なもののように扱おうとするから、これを盾にカルト集団が出てきて世の中を荒らすのです。
だから今どき信教の自由を訴えるのは怪しい行為、ある種の危険信号と見なし警戒すべきことではないでしょうか?
 

 

 

A 回答 (22件中1~10件)

何を信仰しようと勝手なのに、憲法の信教の自由を盾にしてカルトがはびこる、だから信教の自由を訴えるのは怪しい・・・



空気を吸うのと同様に信教の自由はある筈。
なのにそうならないから、わざわざ憲法で保障しているのでは?

それでも現実的には「日本の通例」に反している事は否定されることがあります。

宗教上の理由でみんなと同じものが幼稚園行事で食べなかった(代価食を持参しました)。
宗教上の…というよりみんなに迷惑をかけるかもしれないので(ウチの子が要らぬ発言をしないように)、幼稚園のクリスマス会を欠席した。

それを同じ幼稚園の保護者の方々が「何故同じことができないの?何故幼稚園側は同じことをさせないのですか?」と園長に訴えたそうです。

同時期にアレルギーで代価食を持ってくる子はいたのに、宗教を理由にした我が家だけ非難されました。
我が家の場合は園長が「構わないですよ」とおっしゃったので、救われましたが・・・

あるお宅は、小学校入学時に、宗教上の理由で学校の給食が食べられないから、家から持参する、と言ったら、「わがままだ」と、3校(地元の公立小学校)に入学拒否されたそうです。
そのお宅は別に「みんなも我が家に合わせたものを食べなさい」とも「学校側で手配して」とも言っていません。自分で子供の分だけ持参する、と言っていたのに、です。

我が家もそのお宅も他人に迷惑をかける問題行動は起こしていません。
・・・敢えて言えば、拒否・非難する方々にとっては、「団体行動ができないこと自体が迷惑」なのでしょうが。

信教の自由だけでなく、憲法で「教育を受ける義務」があるのに、です。
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個人が頭の中で何を信じようが、妄想しようが自由だし他人はどうすることもできませんよね。

(行動は法律や常識やモラルなどで制限されます)

しかし、「宗教法人」と言う立場で、信者に心の指導をするのなら、何を教えても(信じさせても)良いというわけではありません。

生や死に対し意味や価値を説く宗教もあるとは思いますが、それはとても慎重さが必要で、「聖戦」などというように、「この死には意味があるんだ」と、教団や指導者に都合の良いように、生や死に意味や価値をつけて指導するべきではありません
(「死んだらこうなる」と教えてはいけない、という意味ではなく、そういう死後の世界や生の意味などを利用してはいけないという意味です。)

本来なら宗教法人に限らず宗教の指導者(心の指導者)なら、そのような指導はしないはずですなのですが、現実はインチキ指導者が心の指導をしています。
多くの人は、教団の信者の言動に疑問を感じながらも「信教の自由だからな」と自分に被害がない限りはそれ以上は関わろうとはしません。

しかし、勧誘を善行として指導したり、明らかにおかしな指導をしているインチキ宗教はいくつもあるし、それらも宗教法人と認可されています。

まともな宗教団体は、社会との壁を作ることはありませんし、生活そのものが信仰であり、社会に溶け込むものです。
もちろん、地域によっては理解されないものもあるかもしれませんが、それらもその地方の風習や伝統行事として認められています。

仰る通り、周囲の人間に理解されないことをやるから疑問を持たれるわけで、本来なら信教の自由を訴える必要など、そうはないはずです。
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こんばんは。




>「わざわざ日本国憲法二〇条を設けて信教の自由を保障するなどの必要はないってことです。」

なるほど、そういうことでしたか。


それでは、Af国とかIr国とかのように、なってしまうでしょうかね。

明日から、娘さんは外に出さないで下さい。
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 #17です。



>ここで一つ質問ですが、オウム真理教信者にはオウム真理教を信仰する信教の自由はないのですか。

 ありますよ、もちろん。それが信教の自由です。しかし憲法(や法律)は、信教の自由だけで出来てる訳ではありません。旧オウムの活動は、憲法(や法律)の他の要件に抵触した、という事です。

 それに明らかな洗脳も行われていたようなので、信教の自由にも抵触すると思えます。
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>わざわざ信教の自由などと格別なもののように扱おうとする


そもそも、憲法20条の根拠は、明治憲法でも信教の自由は保障されていましたが、形式的なものにすぎず、実際には国家が「国家主義・軍国主義の精神的な支柱」として、神社神道を国民に強制していたもので、その反省点から生まれたものです。
「政教分離」もこの観点からのもので、別に格別なもののように扱おうとする意図など全くありません。
カルトが出るのはこの条文の影響ではなく、その集団固有の事情によります。
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この回答へのお礼

一つ質問ですが、オウム真理教信者にはオウム真理教を信仰する信教の自由はないのですか。
 

お礼日時:2014/06/15 22:57

 #8です。



>知っての通り、信教の自由はカルトの横暴を招くってことはこの日本では最近歴史的事実として証明された訳である。

 発想が逆でしょう。旧オームは、信教の自由があったから出てきた訳ではない。信教の自由があったから、それを盾にして少々出やすくなったのは歴史的事実だが、それが決定打ではない。

 こういう人達は、信教の自由があろうとなかろうと、自らの原理に基づいて出てくる。だから信教の自由を憲法に明記するかどうかは、トレードオフです。究極の選択なんですよ。

 信教の自由が明記されていないから、(いずれにしろ出現するものに対して)戦争するか、信教の自由が明記されているから法律/憲法違反だから止めろと、言えるか言えないかの違いです。


 信教の自由をカルトの盾にされたくないなら、たった一つだけ有効な方法がある。それは、「この国には信教の自由はない」、と憲法に明記する事だ。しかしその弊害は、この前に言ったように、大きすぎる。

 ペレストロイカ前の旧ソ連然り、現在の某北の国然り。いずれにしろこれは、どちらを選択しようと究極の選択になる。
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この回答へのお礼

ここで一つ質問ですが、オウム真理教信者にはオウム真理教を信仰する信教の自由はないのですか。
 

お礼日時:2014/06/15 22:54

>ほんらい人は何を考えようと何を思おうと何を信じようと勝手なのである



駄目に決まってるでしょ。

社会的に許容される範囲でしか、認められていません。

更に言えば、政治がそれを許可しているだけです。

もっと言えば、「日本国民」が許す範囲しか認められません。


貴方が命を掛けて信念を貫くのならば、私も感心しますが、言葉に詰まると黙ってしまうレベルで吼える内容では無いです。

大体、内容が哲学ではなく、政治学。

貴方の虚栄心を政治は保証してくれません。
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生物は自由である。

権利も義務もない。
人類は、社会を形成するにあたり、契約(法規、モラルetc.)
を生み出した。
社会的な利益にあずかりたいならば、決まり事を守らねば
ならない、という。
信教の自由も同じで、その宗教が社会を成立させる上で
必須(政教一致)ならば、信教の自由は制限される(自由
にされると社会が乱れる)。
カルト集団の場合は、排他的であったり、政府の方針に
反する主張をしたりするので、信教の自由とは関係なく、
破防法など明文化された根拠を以て非合法化するのだ。
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この回答へのお礼

 
>信教の自由も同じで、その宗教が社会を成立させる上で
必須(政教一致)ならば、信教の自由は制限される(自由
にされると社会が乱れる)。

ほんらい人は何を考えようと、何を思おうと、何を信じようと勝手なのであるから、その範囲においては信教の自由は制限されることはない。
その信仰を基に行う活動が制限されるのである。
オウム真理教とて彼らが何を考えようと、何を思おうと、何を信じようと自由なのである。

このように考えたとき、信教の自由を憲法に明示することは無意味であり、ときによっては有害なのであるから、憲法に明示してはならないのだ。
 

お礼日時:2014/06/13 09:46

あのさあ、これって、「釈迦に説法」の感を、しょうがないけど




>「わざわざ日本国憲法二〇条を設けて信教の自由を保障するなどの必要はないってことです。」

日本人は、1億人ですからね。
世界的に見て、70人に1人は日本人、ということになりますか。
(・・・あるいは、もっとでしょう)


これに対して、「信教の自由」ということがある意味というのが、



というより
「信教の自由を保障するなどの必要はないってこと」
・・・これは、どういうことですか。

この回答への補足

 
一つ質問ですが、オウム真理教信者にはオウム真理教を信仰する信教の自由はないのですか。
 

補足日時:2014/06/15 23:07
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この回答へのお礼

 
>「信教の自由を保障するなどの必要はないってこと」
・・・これは、どういうことですか。

ここまで説明してまだ意味分かんないって、これどういうこと。
 

お礼日時:2014/06/13 00:09

>ほんらい人は何を考えようと何を思おうと何を信じようと勝手なのである。



それはたしかにそうですが、頭の中だけで出来る宗教活動は限度があります。宗教が法律で禁じられたら江戸時代の隠れきりシタンなどのように苦労することになりますが、それは困るでしょう?そういった国家権力の横暴を禁じるために憲法はあるのです。

>それをわざわざ信教の自由などと格別なもののように扱おうとするから、これを盾にカルト集団が出てきて世の中を荒らすのです。

カルト教団を目の敵にしておられるが、危害を加えられたのならちゃんと届けてください。警察が対応します。心配は不要です。実害さえなさなければ他人が何をしていても我慢をせねばならないのが日本の自由主義です。

>だから今どき信教の自由を訴えるのは怪しい行為、ある種の危険信号と見なし警戒すべきことではないでしょうか?

それは違います。まったく的外れのものいいです。
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この回答へのお礼

日本国憲法二〇条 信教の自由における信教とは単にある信仰を抱くだけでなく、その信仰に基づく活動を意味するのである。信仰にはあらゆる形の信仰があるのだから、その信仰に基づくあらゆる形の活動も自由であり保障されることになる。結果、オウム真理教あり、創価学会ありで何でもありってことになるんだよね。
 


 

お礼日時:2014/06/13 00:06

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