プロが教えるわが家の防犯対策術!

私は現在、1か月で介護職員初任者研修の資格が取れる学校?に通っています。そこでは毎回、実技試験があってシーツ交換やベッドから車いすへの移乗の実技試験があるのですが、私はこないだシーツ交換の実技試験が不合格になってしまいまして今週、地方の教室でまたシーツ交換の試験を受けてくるのですが、今日、整容の実技試験でも不合格になってしまい今いるクラスのメンバーと一緒に修了試験受けることができなくなりました。私は昔から人よりも理解するのが少し遅くてそんな自分がつらくて仕方がありません。死にたいと思ったこともあります。それは自分の両親に出来の悪い息子で申し訳ないと思ったからです。どなたか、アドバイス下さい。長文ですいません

A 回答 (2件)

死にたいと思うのは、他の人と自分が違うと感じているからです。



悩みが深くなるのは、自分の良い部分と悪い部分を識別できないからです。

良い部分に気付かなければ、偶然いいかんじになっても、元に戻ってしまいます。

悪い部分に気付かなければ、努力して上手くいっているものも、

理由がわからないまま失敗します。

どちらも最後は上手く行かない方に倒れてしまうので、

頑張っても、最後は疲れてしまいます。

だとしたら、もっとも効果があるのは、

自分で物事の成否を制御できるようになることです。

しかし、その前に大切なことがあります。

もしかすると、本当は難しいことを簡単なものだと思い込んで取り組んでいませんか?

もしそうであると、上手く行くと思い込んで、確定的に挫折します。

これはショックが大きいでしょう。

次に、本当は簡単なことが難しいと思い込んで避けていませんか?

もしそうであると、

他人が凄いことを為していると感じて、劣等感を覚えてしまうでしょう。

私の知るかぎり、

質問者さんと同じ悩みを抱えている人は、

だいたいここが原因のようです。

普通に考えて、介護職員試験を企画し、その内容を考え、その試験を運営する人は、

とても優秀な人が携わっており、大変真剣に取り組んでいて、

それを評価する人から給料を得ているはずです。


これに実技まであるのですから、相当難しいわけですよね?

そうじゃなければ、その試験を運営している人は、もっと切ないですよ。


自分に自信が持てないのは、自分の能力ばかりを気にしていて、

そこに携わる人達の真剣さや苦労を見逃してしまうからです。

この人達が本気でやっている以上、別の人が試験を受けても難しいんですよ。


私の知っている人も同じことで悩んでいました。

自分が人より出遅れていると思った人は、そこから巻き返すための秘訣が必要になります。

これが無いと、どんどん状況が不利になっていくのです。


一番大事なことは、

「自分より先にいって、自分を置いていった人は、いま何をしてるのか?」

当然ながら、追跡調査などしませんよね。

どんどん遠くに行って、消えたと思えてしまいます。


しかし、実際は、舞い戻ってきて、自分の直ぐそばにいたりします。

ただし、自分を置いていった現実の仲間は、遠くにいる別の自分によりそっています。

遠くにいる別の自分(まあ同じ境遇の他人ですが)を置いていった優れた人は、

いま自分の直ぐ近くで、実技試験の試験管をしていたりします。


自分と競争で華々しく輝いた人が、これから自分が出会う色んな大人に化けて出てくるんです。

例え自分が簡単だと思い込んでいても、その人達が仕事として真剣に作っているんです。

そうそう簡単に出来るわけがないのですよ。


ところが、自分はどこかで置いていかれて、いまやっていることは誰もが見向きもしない、

簡単な仕事だと思い込んでしまうことがあります。

もしそう錯覚してしまうと、これは余計に挫折感が強まりますよね。


医学博士を目指して、

道半ばで挫折した人が、介護に興味を持って第二の夢を追ってるかもしれない。

こうした人は、介護に対して真剣に取り組んで欲しいと強く願っているはずですよね。

試験も難しくなるでしょう。

また、自分が作った試験に美しく合格したとしたら、

心から嬉しく思い、あなたを尊敬するはずです。

それが現実であるのです。

自分が自分をスポイル(ダメな人と馬鹿にしてしまう)と、

すぐそばで自分に関わりが出来た人に対しても、

「自分なんかのそばにいるのだから、この人らも大したことがないのだろう」

と自然に侮ってしまいます。

そんな筈がありませんから、侮った挙句に失敗をしてしまい、

更に「こんな簡単なもので失敗するなんて、自分は相当だめなんだ」

とより酷い誤解をしてしまいますよね。


あるとき、質問者さんと同じ悩みを抱えている人が部下につきました。

彼は自分が出来ることは簡単なものであり、自分が出来ない難しいものを乗り越えて、

そこから道が開けると信じていました。

そこで、仕事をまかせてみました。

難易度は大学院の数学を使わないと解けないくらい難しいものでした。

しかし、一見して肉体労働者が取り組むような(漫画のイメージがあります)ものです。

驚いたことに、半分くらいはやり切りました。

それだけでも天才的なのですが、途中でやはり出来なくなります。

これは当たり前なのですが、簡単なものなのに出来ないと考え、ショックを受けたようです。

彼はその事実(早合点なのですが)に耐え切れず、逃げ出しました。

また、

一見して簡単そうに見えるのですが、

実際はマーケティング(エリートですね)のプロでも

失敗するような遊びがありました。

彼はこれは自分で出来るとおもい、

私に内緒で密かに取り組み、自信をつけようとしました。

いつの間にか彼がその話題を避けるようになり、疑問に思ったのです。

問い詰めると、

「後で見返してやろうと思って、自分でやりました。出来ませんでした」

と告白されました。

彼は、内緒で取り組んで見返そうとした自分の心。そしてその失敗。

大変ながっかりに傷ついて、興味の無いふり(これも嘘ですね)までしたのです。

こうなると、自分が嫌いに成りすぎて耐え切れないですよね。


彼は、そうした経験から、「自分は仕事が遅い」と常に言っています。

一見して謙虚なのですが、如何でしょう?

問題を感じますよね。


自分の印象で難易度を勝手に決めているんですよ。

これが、冒頭にあげた、自分悪いところです。

自分にとってメリットが少ないからと言って、難易度が低いとは限りません。

自分が欲しているものほど難易度が高いと感じるものです。

しかし、それとは無関係に難易度と言うのは存在します。


人生とは、

メリットがあって簡単なものを選び続ければ、益も多く、自分に自信ももてるのです。

ところが、考えもしないくらい不幸に成ってしまう人は、

「メリットが大きいから、そう簡単には上手く行かないだろう」

「メリットが少ないから、このくらいはさっさと終わらせないとダメだろう」

と自然に考えてしまうんです。


先ほど述べたように、

普通の人は、「これに関わる大人がこんなにいる。これはそうそう容易くないぞ」

と考えます。

ですので、実技試験で失敗したとしても、不思議じゃないと私は思います。

ところが、質問者さんはそう思ってないんです。

自分では気がつかない、癖なんですよ。

理解が遅いのではなく、「これくらい」と思ってしまう癖があるんでしょう。

難しいものは、自分の生きる世界より遠くの、光り輝く人達が行っており、

自分の周りには簡単なものしかなく、

それすら自分は不得意である。

そうしてしまっているんじゃないですか?

事実は違っています。


光り輝く人がやっている仕事も、そうじゃない人がやっている仕事も難易度は同じです。

ですので、

光り輝く人の中でも、「自分は人より理解が遅い」と悩んでいる人が大勢います。

こうした人が、論文を捏造してしまったりするんでしょう。


人生の序盤で、うっかりしているうちに先を越され、

同じ難易度なのにサラリーが違う仕事が沢山あり、

美味しい部分を取られてしまったんですよ。


ここが本当に損をした部分であって、自分の能力に問題はありません。

これに関しては、人生のどこが別れ道であったのかを(勇気を持って)思い出し、

「あー損した」

と一言でけりをつけることです。


これ以上損をしないこと。

そのためには、どこかで出会うだろうと言う人を大切にするのではなく、

これから会う人、今いる人、今ある仕事、今ある勉強。

これらを取りこぼさずに楽しむことです。

特に、睡眠と食事、入浴を楽しむことです。


本を読んだり、漫画を見たり、アニメを見たり、ゲームをしたりして、

現実ではない別の空想を楽しむことです。

お酒を飲んで、少しはギャンブルをし、大人であることを楽しむことです。


例え本当に能力に差があったとしても、

体や心で感じる楽しみは、同じに味わえるはずです。

悩み過ぎて楽しめず、気がついたら年をとっていた。

もしこうなっていたら、次のレースでも遅れをとったことになりますよ。


なくて七癖といいます。

私は欠如とか欠陥と言っています。

私にも晩年で気がついた(とんでもない)欠陥と言うか癖がありました。

思えば何度も友人に言われていたことです。

質問者さんのとは違いますが。


意識して気をつけることで、かなりマシになりました。

質問者さんにアドバイスするとしたら、私の知り合いと同じ癖について気をつけることです。

印象で人を馬鹿にしない。

態度で謙っていても、さきほど述べたように侮ってしまう癖があるはずです。

これを意識して発想を変えてみましょう。

「これって本当は難しかったの?」

これにきがつけば、自らを馬鹿にする(これも同じ癖が原因)がなくなるでしょう。

以上、ご参考になれば。
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>私は昔から人よりも理解するのが少し遅くてそんな自分がつらくて仕方がありません。



理解するのが遅い理由を考えたことはありますか?
考える機会が少ないからではないかと思います。

>死にたいと思ったこともあります。

死にたいと思う前に、物理的に考えられる全てのパターンで検証しましたか?

>それは自分の両親に出来の悪い息子で申し訳ないと思ったからです。

概ね人間の知能は、遺伝や先天的なものと幼少期の教育で決まると思いますが、あなたのせいですか?

>どなたか、アドバイス下さい。長文ですいません

『長文ですいません』これが全てを物語っていると思いました。

長文であることは内容によっては仕方ないが、長文が悪いと思う理由としては『回答者が質問を読むために労力がかかるから』ではないかと思いました。
それならば、すべきことは『長文ですいません』と付け加えることではなく、『長文であっても如何に読みやすくするか』ではないでしょうか?

ですが、質問には一切改行もなければ、無駄に一文も長い。
つまり、読みづらいであろうと分かっていながら質問を読み直したり修正はしなかった。

と言うように感じました。

この事があなたが理解するのが遅い原因となっていると思います。

死のうと思う前に、やるべき事をなぜやらないのか疑問です。

悩んでいるとして、あなたにとって自分自身は成功者ではないと思っているわけですよね?
今まで成功していないわけですから、自分自身でいくら悩んでもいい答えが出ないと言うのはわかっているということですよね?死にたくなるわけですし。
成功者の中には、本を書いている人もいます。
色々本でも読んでみたら、何か変化があるのではないかと思います。
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