プロが教えるわが家の防犯対策術!

 初めて質問させていただきます。
 自分は工学系の大学に通う大学4年生の男です。このまま修士課程に進む予定です。最近悩んでいることがあって投稿しました。
 つい先日、所属する研究室の先輩(修士2年・女性)にこんなようなことを言われてしまいました。「君、研究室に篭もりすぎじゃない?勉強しすぎ。何が楽しいの?もっと遊びなよ。つまらない男だよ、君。」・・・と。また、「君が目指しているレベルのものは悪いけど無理だよ。作れないよ。」とも言われました。・・・ショックでした。自分は今やっている研究にすごくやりがいを感じていますし、正直届かないかもしれないけれど「高いレベルのもの」を目指して日々取り組んでいます。また、まだまだ勉強が足りないとも思っていますし、事実そうです(サボってしまうこともありますが・・・)。でも、そのような事を言われて悩むようになってしまいました。
 確かに、先輩の言うことも一理あるとは思います。自分はどっか頭が固いし、もっと趣味や遊びの幅を広げるべきだなとは思っています。正直自分でも「俺ってつまんない男だな・・・」と思う時もあります。ただ、学生はやはり熱心に学問に取り組むべきだと思いますし(お恥ずかしい話3年生まではそれ程勉強に力を入れていませんでしたが・・・)、研究に集中できるのも今だけだからキチンと取り組みたい、またそうするのが当然だ、と思っています。自分が選んだ道でもありますし。自分は何でも一人で考え込んでしまうタイプで、それが原因で精神的に病み、プラス研究での疲労がもととなって3週間ほどダウンした時期がありましたが、それでも研究はやりたいです。あまり偏差値の高い大学ではありませんが、自分が選んだこの大学・研究室に誇りも感じています。でも今回のようなことがあって「自分の考えは少しズレているのでは・・・?おかしいのでは・・・?」と思うようになってしまいました。また、研究室には僕が研究に集中している横でうるさく楽しそうに喋っていたり遊んでいる輩がいます。しかしその先輩はそういった輩の方が楽しいし好感が持てるとも言いました。これでますます分からなくなってしまいました。
 皆さんに質問です。「学生のうちは熱心に学問・研究に取り組むのが当然だ」という僕の考えはやはりズレているのでしょうか。固くならずにもっと遊びや趣味にも力を注ぐべきなのでしょうか。皆様のお考えを教えて下さい。特に、理系・工学系の大学を卒業なさった社会人の方のお考えをお聞きしたいです。そうでない方も是非お願いいたします。厳しいご意見もどうかお願いします。
 ちなみにですが、引退はしましたが僕は学園祭の実行委員会に所属していました。また、先輩は早い段階で就職を決めています。成績も優秀ですが、単に点数が高ければ良い、正直研究はつまらない、イヤだ、大学は嫌いだと言っています。
 拙い上に長文になってしまい申し訳ありませんが、どうか宜しくお願いいたします。 

A 回答 (9件)

私の結論。



あなたはその先輩に「バカにされ」「からかわれ」「オモチャにされている」

多分その先輩の研究は「クズ」、クズ仲間が欲しい。

研究室のみんなに「密かに」「あの先輩、尊敬できる?それともクズ?」と聞いて下さい。

特にD2,D3の先輩は「すべて見えてる」から非常に「カライ」
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 >「学生のうちは熱心に学問・研究に取り組むのが当然だ」という僕の考えはやはりズレているのでしょうか。



 ズレてない。


 >固くならずにもっと遊びや趣味にも力を注ぐべきなのでしょうか。

 自分で考えて決めた方がよい。「ヒトに言われたから遊ぶ」なんて、自主性のかけらもない。それよりも「今は遊びが必要だと感じたから遊ぶと決めた」とか、「今は研究に集中したいから遊ばないと決めた」とか「自分で考えて決めた」という方向性の方がはるかによい。
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先輩の言う事は、そんなに気にしなくて良いんじゃないでしょうか。


色んな人がいるから、社会は成り立ちます。
人生も、人の性格・性質の数だけあります。

何より、もとから「研究はつまらない、大学は嫌いだ」なんて言ってる先輩の意見が
正反対の性格に見える質問者さんにとって、参考になる訳がないように見えます。

もし一言、私がお節介を言うなら
質問者さんの「考えすぎる体質」が心配です。

それは勉強(研究)とか、遊びとか、そういう事ではないのです。
対象を問わず、何かをきっかけに一つの事が気になると、
精神のバランスを崩すほどに思考などが止まらなくなる場合がある様に感じられるのです。

質問者さんのそんな性質が心配というか、
質問者さんご自身が生涯を通して、のんびり対処を覚える事の1つの様に見えます。
今ひと時、研究を置いて遊びに気を向けたとしても、簡単に変える事のできないものだと思います。
自分の性質や性格を、生きやすい方向へ変化させるって、誰でも難しい事ですから…。

他人から見た御自身の評価が気になってしまうようですが、大丈夫です。
質問者さんご自身が
【自分はどっか頭が固いし、もっと趣味や遊びの幅を広げるべきだなとは思っています。正直自分でも「俺ってつまんない男だな・・・」と思う時もあります。】
と仰るように、きちんと自覚があるのですから、先輩の言葉は気にする事はないように思いますよ。
本当に困った人は、自覚のない人ですから。
自覚があれば、「しんどいな… うまくいかな過ぎる…」と感じた時に、対処がわかるじゃないですか。
そうなった時に、世界を広げに行っても遅くはない様な気がします。

今現在できることを、精一杯やるのが一番だと私は思います。
自由に研究できる環境は、学生時代の特権だと私も思いますよ。
仮に企業の研究職に就けても、どの分野の研究になるかは人事の采配もありますし、企業の規模によっては研究の中身や幅も変わってくるでしょう。
今は、学生の身分を大いに生かして、興味のある事を追及されるのが一番ではないでしょうか。

私自身も、学生時代は勉強するものと思っています。
事実、私の学生時代は友人と出かけたり話すよりも、
教授の研究室に行ったり、大学の地下書庫に籠ったり
論文に関係するインタビューに出かけたり、アンケートを作ったりまとめたり。
そんな事ばかりやっていました。
あとは資格試験の講座とか、そんな感じですね。

時々、気分転換に生協主催の餃子教室(単発イベント)とか、
部活の(証券部と語学部の合同) 仮装パーティー (何かしら、適当に変わった服を着て、学内でお茶会)とか、そんな感じでしたよ。
いずれも、掲示板や部活の案内で見た単発のイベントに顔を出す程度でした。
私自身は証券部でしたが、語学部の学生さんはノリが軽かったり、留学生も多かったので
自分の世界に凝り固まらずに済むというか、楽しくバランスを取る気分で出かけてましたね。
質問者さんの様に、学際の係りになるとか、そういった積極性は特にありませんでした。

そんな私でも、大学時代は男性からアプローチを頂いたこともあります。
(生真面目な私に声をかけてくれたのは、明るく真面目な人、恥ずかしがり屋さん、意味不明なほど積極的な人、専門オタクな人の4名でした。)
私は毎回、講義は前列の方ですし、当時は人付き合いよりも勉強の方が楽しかったのでお断りしましたが。
今思うと、断って失敗だった… と思いますね。(笑)
というのも、就職先が女性の圧倒的に多い職場でしたので
出会いも何も、同性だらけのオフィスでは目の保養にさえ恵まれず… 
(↑笑ってやってくださいw 色んな意味で馬鹿な私ですw)

私は文系ですが、真面目で硬い印象の人間です。
人付き合いも少ない方です。それでも、今のところ大きく困ったことはありません。
(出会いは古今東西、志せば自分で発掘できます。心を若く!体型キープで頑張るのですw
しかし、研究は費用も大分かかる話ですからね… 学生時代が最適かも?)
先輩には、勝手に言わせておけば良いのだと思います。
質問者さんは、何も気にすることはないと思いますよ。
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>工学系の大学を卒業なさった社会人の方のお考えをお聞きしたいです。


大学院は、社会工学系という分野で学習し、修士課程を修めたものです。
(純粋な工学系で無いことをお許しください)

本当に、周囲の方が「言葉通り遊んでいる」とは思えません。

私の話で恐縮ですが、東京駅付近で就職活動を終えた後、修論に役立ちそうな本を探しに、八重洲ブックセンターに行くと、同じ研究科の誰かが、ほぼ確実にいました。みんな、目立たないところで、地道に専門書探しをしていました。(みんな、普段は、そんなそぶりは一切見せませんでした。)

「勉強なんて」という主旨は、照れ隠しのような気がします。女性に多いそうですが、試験前に「テスト勉強全然やっていないよ」と言いながら、「本当は高得点が取れるほど、勉強している」パターンのような気がします。

どのような実験施設をお持ちの研究室か、測りかねますが、質問者さんが、ドンドン研究に打ち込めば、周囲の方も、「周りの目を気にする必要は無いんだ」と思われて、今よりも研究活動が盛んで、オープンな雰囲気になると思います。我が道を貫かれることを、おススメします。

研究室で御自身が範を示すことで、後に続く人は、増えてくると考えられます。そして、中途半端な実験・研究をコソコソしていることが恥ずかしいと思い、「研究したい」という本音を強く主張される方も、出てくると思います。

但し、他の回答にもあったように、「息抜き・気分転換ベタ」は、ご本人のためにならないと思います。
うまく休息・リラックスできる方法を見出してください。

自分は、社会工学系なので、共用端末室で、24時間以上UNIX端末(当時のSUNのOS)を使いながら、コンピューターシミュレーションの課題に取り組んだことがありました。夜中の12時であろうが、早朝の5時あろうが関係無く、多くの人間が共用端末室を使っていました。(その時期は、学期末のレポート提出が集中する時期では、ありませんでした。)


やはり、大学生は勉強したいから、大学生なっているケースが多数派だと思います。その上の課程ならば、尚更です。一生懸命研究を続けられてください。


セレンディピティが、訪れる日を祈念いたします。
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私も理系、それも実験系の研究室でしたから、一回始めたら決まった水準をこなすために食事のタイミングもサンプリングのタイミングも見計らっての付きっ切りの実験をよくやっていました。



しかし、その実験までの間には、調べ物のために図書館で、その分野の文献調査だけではなく、学部時代から図書館で読んでいた色々な分野の専門書を眺めて、周辺分野の技術情報や解析手法とかを多読したものです。

そして、夜は夕食を学食で食ってから、サークルに顔だして、みんなで大盛りスパゲティの店でシェアして食うか、とか夜に大勢で出歩いてたものです。三連休には小旅行に行ったり、夏休みには北海道を18きっぷで野宿して回ったりしてましたし。

大学というのは、そういう裁量が自分の責任でいくらでもとれる時間としてもモラトリアム(猶予期間)なのです。

そのときに、まともに自分のテーマだけを目標にして勉強していたり文献を見ていたりしていても、壁を越えられないのです。無駄話をして越えられるわけもないので、先輩のような考え方であきらめるのも無駄な行為です。単なる息抜きとしては有益ですが。

専門で研究するときこそ、いろんな分野の人と話をして情報交換して、分析や解析方法とか、実験の水準の決め方とか、そもそもの使うサンプルなどのジャンルの壁を越えてみるとかいう経験をつむことで、単に失敗するよりも有意義な「経験」を得ることができるのです。

企業で勤めるにしても、テーマは変わります。そのためには適応できる技術範囲が広くなければなりません。研究者として進むにしても、どういう分野として広がりをもったテーマであるかを認識できなければ、博士論文すら成り立ちません。

留学生と英語で会話しているうちにそれなりに英会話だけできるようになったり(TOEICの点数はそれほどじゃないのに)、とか振り幅のある人材になるには、「自分が選んだこの大学・研究室に誇りも感じています」ではなく、「この大学・研究室での自分の研究活動に」誇りを感じて欲しいのです。

つまり、「肩書きではなく、ご自身に魅力をつける大学生活にしてほしい」ということです。その意味で、先輩の「つまらない男」というのは先輩&女性としての鋭い観察眼ゆえの指摘として噛みしめるべきものだと思いますよ。
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この回答へのお礼

 こんばんは。お返事ありがとうございます。
 すみません、一つ質問文に訂正があります・・・。ご回答の中にもありますが、僕は「自分の研究活動に」誇りも感じています。すみませんでした・・・。
 でもご指摘の通り、今のままでは「魅力がつく学生生活」ではないと自分でも思います。今の生活を見つめ直して、仰るようにただ研究に集中するのではなく、それ以外のことにも時間を使えるようにすることが必要なのかもしれませんね。
 参考になりました。ありがとうございました!

お礼日時:2014/07/30 23:06

私は二人とも間違ってると思います。


遊ぶ=勉強をサボること ではありませんから。
例えば家庭教師のトライの会長もテレビゲームをすれば何かのスキルが上がり無駄にはならないと言ってます。
また保育士や幼稚園教諭には遊びを通し指導や教育を盛り込み健全な発達成長を促す能力が求められます。
遊びとはいわば学習の1つであり、コミュニケーションや社交性の能力を磨く学科でもあると私考えています。

つまり遊びというのは自分の可能性を広げ、学んだことや能力を活かすチャンスにつながる人脈獲得や営業売り込み能力を得る学びなのです。
実際に中卒で成績は赤点だらけだったけど社会人として大成したり要領よく生きてる人はたくさんいますから。
学校が示してる学科とその成績が良ければ優れているとは言えません。
頭がいいや賢いと、成績が良いは違います。
頭がいいや賢いというのは自分に有利になるように立ち回れるなど人間力が優れてることを言います。
遊びによって成績は落ちるかもしれませんが賢くはなるチャンスを得てるのです。

賢さを目指すのがゆとり教育の目的だったのですが学力が落ちたと批判されやめちゃいました。
ですが実際ゆとり教育最後の方の世代は詰め込み時代より学力も人間力も判定は上がっていました。
本当に日本の教育はいい加減ですね。
でたらめを言う一般人、それをうのみにする教育のお偉いがた。
やれやれ。
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この回答へのお礼

 こんばんは。お返事ありがとうございます。
 なるほど・・・。確かに仰る通り、遊びから得られるものもあると思います。不器用ですが上手く遊びも取り入れて、学問からは得られないものも少しづつ勉強してみようと思います。
 確かに、日本の教育には少し「?」なところがありますよね。
 ご意見ありがとうございました!

お礼日時:2014/07/30 22:54

 その言葉を口にした相手の方がむしろ格下でしょうね。

別にセクハラ的な意味ではありませんが、女は研究に向いてはいないというのが僕らからすれば本音です。更に言えば創造的職業にも向いていないともいえます。
 生物的に女であることと、社会的な意味での女性を比較してどちらが魅力あるかといえば、僕は間違いなく後者を選びもします。この点では貴方も同じでしょう。オンナを売りにする輩にはろくでもないヤツらが殆どです。
 学問レベルで議論した時でも、相手が炎上しようが嘘泣きしようが知った事じゃない、むしろ徹底して追い詰めもします。それで許されると勘違いしてしまえば、その時点で研究室から放逐もします。相手はそんな程度の女ですから、貴方の方から蹴飛ばしてしまえばよかったのに、残念ですね。
 さて本題に戻りますが、大学は勉強する場所、しかも自らが主体的に目的意識と問題意識を持った人間のみが集まる場所です。本来ならばそうした場所では寸暇も惜しむとの言葉が存在もしていたはずで、遊ぶなどの言葉は辞書にも載っていなかった。
 貴方の横にいて「うるさく楽しそうに喋っていたり遊んでいる」輩といっても、余程の天才か或いはメリハリの付け方を知っていて使い分けているのかとの何れかになりもします。恐らくは後者であって、その輩も腹の底ではその先輩とやらのオンナを「この馬鹿が」と嗤っているのかもしれません。ましてや早々に就職を決めてしまったとのことであれば、最初から研究など眼中になく就職のために書き加えることのできるデータを一二行増やしただけの話です。そんな発想ですから、職場が気に入らないといって早々に次の職探しをしたり、結婚相手を探すための場所と勘違いもしているのでしょうね。本当に世も末の状態です。
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この回答へのお礼

 こんばんは。お返事ありがとうございます。
 仰るとおり、クヨクヨせずに僕から「ふんっ」とそっぽ向いて離れてしまえばよかったなと思う時があります(笑)。あまり気にしすぎることもないのかもしれませんね。
 

お礼日時:2014/07/30 22:47

う~ん、どちらも正しいし、どちらも間違っている、かな。



> 「君、研究室に篭もりすぎじゃない?勉強しすぎ。何が楽しいの?もっと遊びなよ。つまらない男だよ、君。」

これは正しい。

> 「君が目指しているレベルのものは悪いけど無理だよ。作れないよ。」

これは間違っている。

> 学生はやはり熱心に学問に取り組むべき

これは正しい。

そもそも24、5の小娘が何をエラそうに、というか君の先輩は君と同じようにまだ若いのだ、ということを君も知るべきです。
世の中いろんな人がいるし、いろんな人が必要なのです。
先輩のように森を見るのは好きだけど、木を観察するのは苦手、というヒトもいます。
君のように、木を見るのは得意だけど、森の様子を把握するのは苦手、というヒトもいます。
もちろん両方得意というのが理想ですが、そういう才能はごく稀にしか存在しません。
大概の人は得手不得手があるのです。だから適材適所という言葉がある。
ものづくりの現場ではどちらの才能も重要です。

君はリーダータイプではないけれど、君のような存在はプロジェクト遂行には欠かせません。
確かに人間的にはつまらないかもしれない。実際、私の部下にも君のような男がいますが、プライベートでは極めてつまらない男です。でも、私がリーダーを務めるプロジェクトでは必ず彼をメンバーに加えます。成功のためにはそういう存在が必ず必要になるからです。
逆に、先輩の方は私と同じタイプだと思いますが、こういう人間は見落としをしがちです。だからこそ、君の様な人間を重用するのです。

君は君の才を伸ばせば良い。
女にはモテないかもしれないけれど、仕事は楽しいはずです。
リーダーというポジションを望まなければ、相応の成果を得られるはずです。

いま研究をしたいのであれば、したいことをやりきる。

もちろん思い悩むのも悪いことではありません。
それも若さの特権ですから。

ガンバレ!
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この回答へのお礼

 こんばんは。お返事ありがとうございます。
 正直読みながら涙してしまいました。かなり悩んでいたので・・・。上手く言葉で表現できませんが、すごく勇気が出ました。ありがとうございます。また立ち止まって考え込んでしまうかもしれませんが、自分を信じて研究に取り組んでいこうと思います。
 ありがとうございました!頑張ります!

お礼日時:2014/07/30 22:24

正直、日本の大学が間違っているんじゃないかと常々思っていました。

本来、大学は学問を究める所のはずです。でも日本の大学って、ブランドが大事で、就職のための予備校と化してる部分があると思います。
そういう意味では、質問者さんは、本来の大学生のあるべき姿だと思います。

ただ、実社会でいろいろな人を見てきて思うのは、最終的にはバランスが大切なのかな?ということです。
それなりに勉強して、それなりに遊ぶ。そうする中で、大学時代にしかできない遊び方だったり、その時に培われる人間関係だったりが、その後の人生を左右することは少なくありません。遊んでばかりの大学生も、勉強しかしない大学生も、大きな忘れ物をしたまま社会に出ることになるんじゃないかと思います。
そういう意味で、「もう少し遊んだ方がいい」=「もう少し人生に余裕を見出した方がいい」ということはあると思います。
遊び慣れる必要はないですが、あまりにも遊びを知らない大人というのも、見てて心配になったりするものです。

でも最後に信じるべきは自分です。人生「これが絶対正しい」なんて生き方はありません。自分が信じる道を行くしかないじゃないんでしょうか。その上で、社会に出てから、あるいは歳を取ってから、「若い頃にもっと遊んどけばよかった」と思うのもまた人生です。
まあ、全然勉強しない学生よりは全然いいと思います。
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この回答へのお礼

 こんばんは。お返事ありがとうございます。
 やはり勉強も遊びもバランスが大切なのですね。自分は何をやっても不器用なので上手くできるかどうかわかりませんが、もう少し学問以外のことにも手を出してみようと思います。また、結果はどうなるか分かりませんが、他人の意見にあまり流されることなく、自分を信じて日々研究に取り組もうと思います。お陰さまで少し勇気が出ました!ありがとうございました!

お礼日時:2014/07/30 22:07

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