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大人になっても純粋な心、素直な心を守っていくには、どのようなことを心がければよいでしょうか。
大学生になり、自分のそれらの心の存在を意識して感じるようになりました。自分から述べて恐縮ですが、良い環境で育ったのだと思います。意識しはじめたということは、その心が変わってしまいそうな瞬間が幾度があったため、自分の心を守ろうとしているのだと思います。

それらとうまく向き合っていかないと、誰かにだまされたり傷ついたりと、これから生きづらくなるような気がしてなりません。



私はこれからたくさんの世界をみたいですし、たくさんの人と話したいです。

そのような心を守りながら社会で生きいく知恵を知っている方がいらっしゃいましたら、教えてください。
それに関連する書籍や映画もありましたら、ぜひ教えてください。

A 回答 (7件)

感謝の気持ち、ありがとう、お陰さまで、と言う気持ちを持ち続けるとか、


今までや これからも 出会う人は、何かしら縁があって出会うと思うので、
敵味方とかではなく、その人の 良いところを認めてあげるとか、
心に余裕を持つとか、
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この回答へのお礼

ありがとうございます。感謝の気持ちをもつことを忘れないでいようと思います。

お礼日時:2014/11/02 10:01

大概、あなたのようなことをわざわざ口にして質問する人は世の中に失望する頃が早まるんですけどね…(^_^;)


どうしてかというと自分が現在無垢で美しい存在であることを隠さず、また主張しているから。
嫉妬とは分かりやすいもので、やたらピカピカな人には、それをなんとしてでも汚そうと意地悪してくる人もいるんですよ。だから同じ無垢で美しい人でも難を逃れる人は、つまるところその部分は口にしないようにしているのかも。
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とても興味深い含蓄あるご質問ですね 


おそらくこういうサイトでは立派過ぎるような珍しい類のご質問だと思います。

とにかく何事にも限度というものがありますよね ですのでほどほどに
という線引きは言わずもがな必要不可欠だとも思われます。

つまりあまりにも完璧完全主義者的に正解を追うことになってしまうと
純粋、素直=単純単細胞で融通の利かない付き合いの悪い変わり者だな
と、全く違った評価で後ろ指を差されかねません

世の中を泳ぎわたるには清濁併せ飲める度量も時として必要でしょう

超マジの本気印であなたの理想を追うとすれば正直
出家して仏門にでも入るか修道院にでも入るしかないでしょう

いくらこういうところで山ほど回答集めたところで正解はないでしょう
何事もほどほどに正解でなくとも妥当解で十分、
そして人生はそこそこ70点で良いじゃないですかね

参考URL:http://potect-a.com/utilization/johari_window/
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この回答へのお礼

ありがとうございます。もう少しざっくりと生きてみようと思います。30点のマイナスの分、70点分がかがやくのかもしれません。

お礼日時:2014/11/02 14:31

常に自分が安定した基盤を保持することと、そのうえで、自分の余裕の一部を嫌みなくおすそわけできる心を持つ。

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ちょっと意地悪な回答です。

^^;

「純粋な心」と「素直な心」は両立しないと思いますよ。

それが両立するのは「経験していない子ども」だけです。

「純粋な心」とは「けがれていない、透明な心」ということで「嫉妬」「邪ま」などの「悪い心」に汚されていないという事ですよね。つまり「悪を許さない心」「悪に染まっていない心」ということかと。それは「良心」とは少し違うものですよね。

そして、そう言った「一定の価値観を守る」と言うのは「何でも受け入れる」「素直な心」とは「経験していない段階での子ども」ならば両立するでしょう。だが、大人になれば、難しいのではないでしょうか?

>誰かにだまされたり傷ついたりと、これから生きづらくなるような気がしてなりません。

「純粋であろう」とすれば、そうでしょうね。だって「思考が硬い」のですから。

「清濁併せ呑む」と言うのは、「ずるくなる」ということではなく「常に、物事に柔軟に対応し、自分の考えを更新していく」ことです。つまり「世の中に対して素直に対応する」のです。

山岸凉子 「パニュキス」

少女漫画ですが、そのような「純粋な心」の一面を描いた良作です。

私見です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。「清濁併せ呑む」ことがずるくなることだと思っていました。素直に世の中に対応できるようになれたらと思います。

お礼日時:2014/11/02 14:25

>大人になっても純粋な心、素直な心を守っていくには、どのようなことを心がければよいでしょうか。



オトナにならないことです。オトナになるというのは、純粋な心を捨てて知恵を手に入れるということです。質問者さんが今まで純粋でいられたのは、周囲のオトナが汚れないように守ってくれたからです。でも、この先一生誰かに守られ続けるのでしょうか?いつかは子供たちを守らないといけない立場になりますよね。そしたら、自らが防波堤になって汚れなければならないときもあります。自らの意志で汚れ役になれることがオトナになるということです。

>誰かにだまされたり傷ついたりと、これから生きづらくなるような気がしてなりません。

騙されたり傷つくことによって、「生きる知恵」を得るのです。何度も傷ついて、それでも立ち上がって前に進むのです。それがオトナたちがいう「生きる」ということです。

>そのような心を守りながら社会で生きいく知恵を知っている方がいらっしゃいましたら、教えてください。

オトナの社会じゃ誰も守ってくれない。甘えるんじゃない。自分の身は、自分で守るんだ。ですね。社会人になると分かりますよ。例えばおじさんが最初に就職した会社では、人事の人が「ウチの会社は有給休暇を使うのは禁止だからね」といったので、まだ若かった私は素直に「ははあ、そういうものか」と思いました。
ところがその会社を辞めた後に、「有給休暇の使用を禁止するのは法律違反」ということを知りました。でも、それはそのことを知らなかった私が悪いのです。特にね、お金に関することは「知りませんでした」は、知らない人が悪いのです。それをこれから社会人になると嫌というほど思い知らされます。そして世の中というのはそういう汚いところがいっぱいあるというのを知ることがオトナになるということなのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。心にささりました。純粋なだけでは自分も他の人も苦しんでしまうのですね。

お礼日時:2014/11/02 18:45

・清濁併せ呑む


・水清ければ魚棲まず

自ら酸いも甘いも経験して、いろいろな人と交わって、いろいろな事情の人、育った背景などを見聞きして、いろいろな人を受け入れられるようになるといいのではないでしょうか。
もちろん、非常識人や極悪人まで受け入れろと言っているわけではありません。

どうしても許せないことが身に降りかかったり、醜い心になってしまったり、人を信じられなくなっても、そういう経験をしてきた人とそうでない人では人間の幅も違うと思います。

変化と普遍(不変)。自分が身を置いている場所や環境によって変化させていくということは大事だと思います。その中で自分はこれだけは変えたくないということに気づいていく・確信していくことが本当に守るべきものなのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。これから広げていける幅を自分で抑えることはしたくないので、やはり酸いも甘いも経験して、その中で変えたくないものに気づいていけたらとおもいます。

お礼日時:2014/11/02 18:37

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