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民法によく出てくる
「外観を信頼した者」や「帰責性がある」という表現と
「善意、無過失、悪意、有過失、重過失」という表現は、どのようにランク付けすればいいのでしょうか。
たとえば、
「外観を信頼した者」=善意?善意無過失?
「帰責性あり」=有過失?重過失?
という感じです。それとも、そもそも前者のくくりと後者のくくりは全く別物としてみるべきなのでしょうか?

A 回答 (2件)

 権利外観法理についての質問ということでよろしいでしょうか。

(善意、無過失は権利外観法理に限った話ではないので。)
 権利外観法理というのは、単純に言えば、真の権利者を「犠牲」にしても真実と異なる外観を信頼をした者を保護するという制度ですよね。
 ということから、真実と異なる外観であることを知っている者、すなわち、悪意者を保護する必要性はありませんよね。では、善意者でさえあれば、ただちに保護すべきなのでしょうか。そこで、無過失も必要とか、あるいは、無過失までは要求しないが、少なくても無重過失であることは必要ではないかという議論になるわけです。
 次に真実と異なる外観を信頼した者を保護をするという必要性が認められるとしても、真の権利者を犠牲にすることが許容できる根拠は何でしょうか。これが真の権利者の「帰責性」です。
 真の権利者が真実と異なる外観の作出し、あるいは、他人が作出した虚偽の外観を放置するのみならず、それを自ら利用、あるいは他人が利用することを許容したことにより、虚偽の外観を信頼する者の登場というきっかけを作ったことが帰責性(ですから、帰責性と過失は別物です。)です。真の権利者が、そういうきっかけを作ったのであるから、真の権利者が犠牲になってもやむを得ないという根拠になるわけです。
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この回答へのお礼

なるほど!ありがとうございます(*^◯^*)

お礼日時:2014/11/15 08:12

「外観を信頼した者」=善意?善意無過失?


     ↑
これは次元が異なります。

その外観がインチキだということを
知っていた場合が悪意で、知らなければ善意
ということです。

そして、知らないことにつき過失があった
場合が有過失です。
過失が無ければ無過失。

更に、過失には軽過失と重過失がある、という
訳です。



「帰責性あり」=有過失?重過失?
    ↑
過失がある場合は帰責性がある、ということに
なります。
繰り返しますが、過失には軽過失と重過失が
あります。

更に悪意であっても帰責性があります。
つまり、帰責性がある、ということは単に過失が
あるというよりも広い概念です。
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