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20代男性(社会人)です。
最近、心から求めていた夢に届かず、残念な結果を迎えてしまいました。
目標に向かって努力を続けてきた充実した日々のことを思うと、もうその目指していた目標が失くなってしまったことが少し寂しくもあり、悲しいです。
ただ「何でダメだったんだろう?」と考え込んだり、応援してくれてた人からアドバイスをもらったりしながらここ何か月か過ごしてきた結果、原因もだいたい見えてきて自分自身学んだこともありました。

なのでこれからはその学んだことを次に生かせるように、新しい努力の方向性を見出して、前を向いて進もうという気持ちになりました。
しかし一方で、あのときの夢が自分を受け入れてくれなかったことが悔しい!!と恨んでしまうような感情も自分のなかにはたしかにあって、時折前向きな自分の邪魔をします。

もちろん仕事もスポーツも恋愛でもどんなことでも、努力してうまくいくときもあれば、いかないときもあるのは誰にもいえることだし、失敗した当初の自分と今の自分は違うとわかってはいるのですが、その「黒星をつけられた」という事実そのものがどうしても悔しいです。

そういう弱い自分と向き合いつつ、克服していきたいのですが、ときどき弱い心のほうが手ごわく生活が荒れたりする日もあります。
甘ったれた質問で申し訳ないのですが、こういう弱い心を乗り越えて強くなるためには、心のもちようとしてどうしたらいいと思いますか?

今の努力を続ける、新しい気分転換を見つける、何もしない日をつくるなどいろいろ試していますが、気持ちのもちよう、好きな言葉など何でもいいので、何か他にアドバイスをいただけたらうれしいです。

A 回答 (7件)

一部に夢はもともと破れるものだとかくたびれた回答をしている人もいますが、そんな風にどこかで自分には無理なんじゃないかと疑ってる人は大きな夢を実現できないと思います。


要はどれだけ自分を信じられるかだとサッカー日本代表の本田圭佑も言ってます。
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高校生の女子です。

質問者様より人生経験の少ない子供の言うことですから、軽く流す程度に読んでいただければと思います。

読書はいいですよ、長年受け継がれてきた書物には、それだけの価値があります。本を読むと、本当に様々な人間がいて面白い。恋に苦悩する者、社会に抗う者、息をするように絶望する者、物事をよしとして喜びや楽しみの享受に浸る者……。歴史を見据えて今を生きると、なんだか寛容になれるような気がします。

これは自論ですが、すべての物事は“偶然”ではなく、“必然”である。たとえ自分が意図せず進んでしまった道であっても、それは必然的に私が進むべき道であったのだ。これが試練だというならば、私がその試練を乗り越えた先にあるものは、自ら望んで手に入れたもの以上に素晴らしいものかもしれない。人生、楽しんだもん勝ちです。反省は“次”を繋ぐ種になるけれど、後悔は立ち止まってしゃがみこむ行為にすぎない。(分かっていても感情のコントロールができないのが、人間という生き物ではあると思いますけどね。そんな時もありますが、それはそれで人間らしくて私は好きです。)

ニーチェはこういう言葉を残しています。
「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけだ。」
あなたはその結果を、どう解釈しますか?
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この回答へのお礼

>あなたはその結果を、どう解釈しますか?

哲学の話はちょっとボクには難しいですが、必然というと100%そうなるというような意味にとれます。
どんなことも100%はなく、1~99%の間にあって、あとは努力次第でその%は変化していくものだと思います。
その努力の方向性が今回は間違っていたと思いました。

お礼日時:2015/01/11 23:04

夢は破れるもの。

そこからが本当の人生だ
これを読めば少しは楽になるし、参考になると思うよ。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/2014090 …

参考URL:http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/2014090 …
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「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉があります。

もし貴君が過去のその失敗を綺麗さっぱり忘れて前に進んだら、きっとどこかでまた同じ失敗をくり返すことでしょう。「同じ過ちをくり返したくない」という強い思いがないと同じ過ちをくり返してしまうのですよ、人間というものは。

スキージャンプ競技のレジェンド、葛西紀明選手は長野オリンピックのときに団体選手として選ばれませんでした。あのときあの会場にいた日本人の中でひとり、競技を見ながら心の中で「落ちろ、落ちろ」と思っていたと葛西選手自らがインタビューに答えています。

「臥薪嘗胆」という言葉があります。復讐の気持ちを忘れないために、夫差という人は薪を枕にし、勾践は苦い肝を舐めました。

葛西選手も、臥薪嘗胆の気持ちは決して忘れなかったからからこそ、あの年齢でも競技を続けることができたのです。それはそれは、我々の想像を絶するほどの悔しさなのだと思います。そして、葛西選手はまだ現役を続けています。おそらく「まだオリンピックで金メダルをとっていない」からだと思います。つまり、彼はあんなににこやかで穏やかな顔をしているのに、内心にはまだ晴れない心が残っているのでしょう。

最近、やたらと世間はきれいごとばかりになり、「過去のことはきれいに忘れてさあ、前に進んでいきましょう」なんてのが流行っていますが、人生つうものはそんなきれいごとではなく、もっとドロドロとしたものなのです。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とか「臥薪嘗胆」なんて言葉があることがそれを物語っているのです。
生きているとそのうち、今度はそこそこに人生経験を積んだときに「夢に向かって頑張っているけれど、実現しそうにない若者」を目にする時期が出てきます。そのときに、その口の奥に残る苦味が役に立つのですよ。私ですか?ふふふ、口の奥は苦いものだらけですよ。
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あのね。


単純に考えてみて!
人間ってのは自分で立って、前を向いて眼を開いて見えてる方向に歩く様に作られているんだよ!?
横や後ろに眼がある訳じゃないんだから、ちゃんと立って眼を開けて前を見るから見える方向に歩いて行けるの!
よそ見して歩いてたら転んじゃうよ!
前を向いて歩いていたってたまにひっかかって転ぶ事もあるけど、後ろ向きやよそ見・眼をつぶって歩いているよりは転ぶ確率は少ないでしょ。

大丈夫!
そう作られている優秀な生き物なんだよ!
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黒星をつけるような人にならない。


これで充分では。
逆もいいかも。
ここまで、人にやる気をおこさせられるんだから。
昭和を振り返ってというような番組で、
三菱銀行北畠支店の事件とか、麻原彰晃を考えます。
かたや一般人です。
一体自分はどんな生き方をしますか?
私はジャイアンツが嫌いです。読売が嫌いです。
だからといって紅旗が好きな訳でもありません。
もちろん米も。民社も。
でも日本が好きだし、自分もみんなも好きです。
でも、日の丸は好きになれません。
余りにトップリーダーが露骨だからかも。
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おじさんです。


あなたの気持ちが何となく分かるけど、やはり無理な夢だったのではないですか。
私も中学生くらいまではプロ野球選手に憧れ、高校の頃はテレビ制作マンに憧れました。
でも、それらが無理だと分かったら、いつまでも悔しい思いはしませんでした。
もしかすると、あなたの場合は自分だけではなく、親や先生、或いは親戚、友人から太鼓判を押されていたのかもしれませんね。
ですから、夢の実現可能性が高いという自信があったのかもしれませんね。
でも、それらの太鼓判もほとんど裏づけのないものだったのでしょう。
そういうように、何の裏づけもなかった夢だったと認識しましょう。
元々無理だったのだと。
そうすれば、新たな明日に向けて進めると思いますよ。
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この回答へのお礼

プロのスポーツ選手になるというほど難易度の高いものではなかったので、夢といったら大げさだったかもしれませんが、目標ではありました。
無理な夢だったと認識してしまうというのも、いつまでも引きずらないための方法の一つではあるかもしれませんが、それだと自分に何が足りなかったのかを反省することがなくなると思います。
元々0%なのであれば、何をしてもダメなのだったのだから反省する余地もないですよね?
それでは無理の連続だと思います。

お礼日時:2015/01/11 22:45

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