私は小さい頃からよく宇宙の成り立ちや物事の始まり、仕組みなどを考えることが多く、根っこの根っこまで知りたいという考えが強い子どもでした。
それは21年間生きた今も変わらなくて、人とは少し変わった思考なんだということを何と無く感じながら、表にはあまり出さずに過ごしてきました。
例えばテレビに映し出される光や電気、それを形成する骨組みのプラスチックの部分なんかはどうやってどこから出て来たんだろうとか、何と無くはわかるのですが、そういった人工的なものが何もなかった時代の地球を考えると、なんで人はこんなものを作ろうと思ったんだろうとか、もちろんそれまでの時代の流れがあるのはわかります。
けれど周りの人からするとどうでもいいと思うようなことをひたすら考えてしまう時があります。
うまくは説明できないのですが、宇宙の成り立ちなんかを考えるとどんどん想像が膨らんで、ワクワクしたりします。
そしてその想像を上回る答えを知ることができると、もやもやが晴れてとてもすっきりして満たされた気分になります。
自分のいいたいことが文にしようとするとピッタリ合う言葉が見つからなくて、とても輪郭のぼけた内容になってしまいすみません。
最近ではふとしたときに自分が自分として自我を持っているのはどうしてだろうとか、もしかすると自分と全く同じ自我や価値観を持ち生まれている人間が、自分が知らないだけで本当はいるんじゃないかとか。そうなると、自分である細胞なども、実は解明されてないだけで自我を持っているんじゃないかと、自分の手のひらをみて考えてしまいます。
いつもは普通に生活しているのですが、何かの瞬間でふとそんな考えに至ります。
大抵そんな時は一人でいるときや、クラシックなど人の声が入ってない音楽を聞いたとき、お城や古い年代を感じさせるものに出会ったとき、綺麗な星空や青空を見上げた時、なんか胸の奥を掴まれるようなものを見たり聞いたりした時がおおいと思います。
普段は友達とも普通に遊ぶし、表向きはなんら人と変わらないと思います。
ただ、昔から人の考えていることや人間の心理などを特別勉強したわけではないのに、なぜか感覚的にわかってしまったり、それが当たっているせいか無駄に人の心理を読んでしまったりします。
たぶん想像力が凄いというより想像したまま閉じられなくなるんだと思います。
言いたいことがまとまってない文書になってしまったのですが、私が聞きたかったのは、同じようなことを思ったり、感じたことはあるか、というのと、今まで想像して面白かったのはどんなことかっていうのを聞きたいです。
私が小さい頃から本当はこうなんじゃないかと考えているのに、一つこんなことがあります。
宇宙は終わりがないと言われていますが、宇宙のなかにはたくさんの惑星や星があり、銀河があり、その銀河のなかに太陽系があり、そのなかに地球があります。そしてその地球にはたくさんの国があり、人間がいて、人間を形成する細胞があり、細胞にはミトコンドリアなどがあります。
その成り立ちと一緒で、実は宇宙にも終わりがあって、私たちが壮大だと思っていた宇宙も実はミトコンドリアと一緒で、何かの細胞の一部だったりするのでは?ということです。
説明するのが難しいのですが、実は私たちの体にいるミトコンドリアも私たちが知らないだけで自我を持ち、テレビを見たり何かを食べたりして生活していて、結果それが人間の生きるエネルギーになっているんじゃないかと。
簡単に言うと、私たちの体の中も実は宇宙と一緒なんじゃないかと幼い時から考えたりします。
みなさんはこんなふうに考えたり感じたりしたことはありますか?
色んな人の考えが聞けてワクワクできたらと思います(笑)
あ、あとこういった考えや感じ方なんかには名前があったりするのでしょうか?精神的な疾患とか……苦笑
長くなってしまいすみません。
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
50年弱昔、私が小学校低学年の頃。
学研の科学と学習という雑誌に、質問者さんと全く同じ考えが、
マンガ仕立てで掲載されていました。
私はそれにいたく納得してしまって、実は今も、
宇宙と呼ばれるものはそうなのではないかと思っています。
で、もしそうであるならば、
私は母体に悪さをする存在ではありたくないなと。
長生きしたいですから。健康で、孫と遊べるように。
No.7
- 回答日時:
「自分」とは、肉体(物)ではなく、宇宙(心)の方です。
感じている世界は、脳内の現象に過ぎないのです。
量子論的世界像では、全ての存在は相補的不確定性を伴い、
有限な存在性は観測される事で生じています。
それは、一般にイメージする「詳しく探求する事で存在性が
確定される」というものではなく、「確定しようとすると
不確定性原理により不確定性無限(=無)に発散する本質
(超弦)を、不完全な認識において、階層現象表面的(超弦
(量子)<クォーク<素粒子<原子<分子<細胞<個体(認識体))
に捉える事で、非確定の限りにおける有限的な存在性を派生
させる」ものなのです。
無とは分らない事が有なのです。
全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に詰め
込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に認識
体の仮定断面(認識可能性)の運動を想定すれば、相対的に
無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン)
の向うに、自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識
するのです。
認識可能性の時系列化=自我仮説(時間的流れ=記憶=過去)と、
時空仮説(空間的広がり=予測=未来)の相補分化。
その経験(過去)による予測(未来)としての仮想的時空の広がりに
おいて、原点(現在)たる感受表面(量子相互作用=光速)が
有限な大きさを占めている事で、実質的根拠の喪失=不完全な
認識の射影を成すのです。
No.5
- 回答日時:
若い頃は、そういう思考も自分自身を形成するために必要なこととして現れてくるものと思います。
私も若い頃は、どうして自分は自分なんだろうと考えたものです。しかし成長が終わると、そんな疑問さえ浮かばなくなります。一定の答をそれなりに得ていても、その答そのものがどうでもいいもの、大したことのないものに映ります。この問は、時が解決してくれるたぐいのものではないでしょうか。No.3
- 回答日時:
こんばんは。
まづ《自分》という言葉であなたが何を意味させているかを知ってください。
★ どうして自分が自分なのか
☆ というふうに言葉を使っています。初めの《自分》という言葉を出したときに じつはその意味を知っているはずなのです。ふたつめのについても 同じです。
いいですか。詭弁を弄するように聞こえるかも知れませんが 《自分 あるいは わたし》というのは その自分ないしわたしという言葉をそのいま言っているところの存在つまり人 つまりその人のことを言います。
★ 私は小さい頃からよく宇宙の成り立ちや・・・
☆ というふうに言葉を用いて自己を表現しています。このように《私》と言っている人 それがわたしであり自分です。
少々べらんめえで言うなら 《自我》も《宇宙》も《ミトコンドリア》もへちまもありません。
貶めているのではなく 《わたしはわたしである》あるいは《われはわれに還った》というとき そのワタシがワタシです。そのほかにはいませんし そのほかにまたそれ以上のことを そのいま 問い求める必要は何もありません。
わたしがわたしであるとき 全体として――つまり 全体を細かく脳がどうだとか感性はどうなっているかとか問う必要なく 存在あるいは人格の全体として――わたしが存在していますし その本人にはわたしとは何かが分かった状態にある。ということです。
あとは 人びととのマジハリの問題です。話し合いを持って社会的交通を――生活として――すすめて行きます。その道において出会った問題についてなら さらに細かくその問題を・そしておそらく同時に基本は 人間とはでありワタシとは何かであるでしょうからさらに細かく人間と社会を 考えるようにして行ってください。
このように考えます。
★ どうして自分が自分なのか
☆ そのような存在として生まれて来ているというのが 答えです。そういう人間の条件を持って生まれて来ているし いま生きています。それ以上は 自分については問わないものなのです。すでに《われに還った》なら問う必要はないという意味です。
No.2
- 回答日時:
私と他人とでは、同じ様であるが決定的に異なる点があります。
私は私であり、私が感じることの出来るのは私の心のみです。私には、他人の心を直接感じることは出来ません。感情移入により、他人の苦しみや喜びを、自分の苦しみや喜びとして間接的に感じることは出来ます。しかし、その時でも、私が感じているのは私の心です。何故、私は私であり、他人ではないのでしょうか。
人は、この宇宙空間に存在し、それぞれ自分の心のみを感じています。それは、宇宙空間を壁で仕切り、その中に一人ずつ閉じ込められている様なものです。隣の部屋に居る人の心は、決して直接見て感じることは出来ません。これを、魂は肉体の監獄に閉じ込められていると表現することもあります。その多数の中で、私は私以外の人ではないことは奇跡です。
しかし、本当に私は私以外の者にはなれないのでしょうか。壁を取り壊し、全ての人を一つの心にする方法は無いのでしょうか。その方法が有れば、私は他人でもあることになります。
人には、右脳と左脳があります。右脳と左脳は脳梁で繋がっており、右脳と左脳は直接データー交換をしています。そして、お互いに他方の脳が感じていることを直接感じているのです。右脳と左脳とは、それぞれ独立した心を持っていることが知られています。病気に伴う手術により、脳梁の繋がりが無くなった人を調べた結果、右脳と左脳は、それぞれ別個の意思を持っていることが判明しました。
右の目に「貴方は将来何になりたいですか。」と書かれた紙を見せる実験を行いました。その結果、右の目と繋がっている左脳は、「私は、医者になりたい。」と答えました。左の目に、同じ紙を見せると、右脳は「私は、芸術家になりたい。」と答えました。
右脳と左脳とは、別個の意思を持ち、直接対話をしているのです。お互いの心と心が、一つになっています。まさに、二人で一人の状態です。
病気で片方の脳が無くなっても、心はもう一つあるので無くなることはありません。一つの体に二つの心が入り、終始直接会話をしているので、孤独にも耐えられる仕組みになっているのです。脳が高度に為る程、孤独には耐えられません。その為に、進化の過程で、二人が一つになる構造を獲得したと考えられます。
人と人とは、直接にデーター交換はせず、言葉やジェスチャーを介して、間接的な会話をしています。従って、他人の心を直接感じることは出来ません。しかし、右脳と左脳とを脳梁が結んでいる様に、人の脳と脳とを直接結んだらどうなるでしょうか。
右脳と左脳の様に、私と他人の心は一つに混ざり合い、私は他人に他人は私となるはずです。私と他人とを隔てていた壁に穴が開き、他人の心を直接見ることが出来るようになります。全ての精神は、一つの心となる可能性があります。そして、その方法は、今後数百年掛けて研究すれば、十分に実現可能なものです。
この様に考えると、私が私であることは、特別なことではないと思えます。私は、大きな精神全体の一部です。物質の全体を「宇宙」と呼ぶ様に、精神の全体を「神」と呼ぶべきです。
詳細は
http://www42.tok2.com/home/catbird/watasihawatas …
を参照下さい。
No.1
- 回答日時:
病的だとは思いませんでした。
誰しもが思いを馳せる内容だと思います。自由な時間やゆとりのある生活だから、そして人生の成長段階の21歳だからそういうことを考える余地があるのだと思いますが、思考中心の人生観だと思います。
自由な時間やゆとがなくなったり、年齢を重ね、ご自分の将来の限界を考える時期になれば、思考中心の人は精神的に追い込まれ、病的になる可能性が高いのではと危惧します。
言語、文化、生活の価値観、宗教の違う国へ一人旅できる時間とお金がもしあるならば、一人でそこへ飛び込ん行って、見識の幅を広めるのがいいと思います。
その経験で得られる見識は、単に知識的知財ではなく、心で感じる財産だと思います。心で感じる財産を得た後一番重要なのは、成果物を製造するための行動だと思います。思考中心で成果物を製造する行動をしないとノイローゼ(精神医学用語としての「神経症」のこと)に陥るのが人間だと思います。
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