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現実と虚構の違いは何だと思いますか?現実の定義を明確にすることができれば、自動的に虚構の定義も決まると思うのですが、現実が何であるかを知るのは非常に難しいと思います。皆さんは現実をどのように認識していますか。

A 回答 (11件中1~10件)

目の前の『あるがままの世界が』そっくりそのまま真実であり、現実であると思います。



虚構の世界は、その現実の世界を『人間の欲望や見栄や計らいによって歪められた世界』という言い方が適当と思います。つまり『頭の中で捻じ曲げられた世界という意味です。』

誰でも何時でも、この交錯した世界を行ったり来たりしています。つまり思い込みの世界という意味です。

証拠として一つだけ挙げて置きます。交通事故を起こそうと意図する事は無い筈です、ところが現実には起きています。目の前には衝突する相手など居ないと、ある意味では確信して行動している筈ですが、現実の目の前の相手と衝突しています。

この場合では『目の前に、虚構を見ていた事になります。』
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結果として実体化として現せるようにすることが現実。


現れたものが、そのまま続くと思っていることが虚構。

家を買っても車を買っても、就職しても結婚しても
自らのエネルギーをかけ続けて手に入れたのは現実でも
なおざりにしていれば、あれよあれよと言う間に手から滑り落ちていく。

信用も地位も名誉もね。

今自分が頑張りぬいていることだけが、現実だと思います。
それが仕事でもプライベートでも、ただただ生きるということ一つだとしても。
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こんばんは。



少なくとも「多数決」などで決まるようなものではないと、思います。
(米国では、小学校の教科書で、「事実」と「意見」の違いについて、教えられるとか。)
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現実とは


リアルタイムの客観的事象
客観的事象の一部が事実として認識されているものが「現実」

「現実」とは 「現に在る事実」
「虚構」とは 「現に無い事実」 「現に存在しない事実」

現実も虚構も、人間の知覚と創造の範囲を超えてはいない
人は自らが知る事実の範囲を超えたものを 「現実」とは言わない
同様に
人は自らが造りうる空想の範囲を超えたものを 「虚構」とは言わない

付属の考えとして・・
現実が真実とは限らない とか
虚構が真実に背くものとは限らない とか
あるように思います。
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62歳の「男子」です。



人にかぎらず生き物は知覚に閉じ込められている
ということができるでしょう。

つまり現実とはいっても
知覚像なのであり
それもイメージなのです。
ですから我々には真の意味の客観性というものは
もちえるはずがないのです。
それにまた、そもそも客観性という事柄自体
人の持つ観念、イメージであるわけです。

証明するとは人が「納得」できるようにするということですが
それは結局ただ単に得心した気分になるということしか
ありえないのです。

その客観性に基盤をおく
科学というものはそれによって
真理を探るものであるということになっていますが
真理が気分であるに過ぎないのですから
科学は一番科学的でない学問であると
いうことにもなります。
なぜ宇宙は「理解」されるものとしてあらねばならないのでしょうか。
そういう意味において
科学ははなはだ幼稚な学問であるといえます。

では科学がなぜ存在し人々においてなされているかといえば
科学は世界の「扱い方」の研究であり、
理論とは世界の「取説」というわけで
結果的にそれによって経済を牽引するものとして存在するのであります。
つまり科学は端的にいって経済の前衛なのです。

さて虚構としてのイメージと
現実としてのイメージ、
つまり虚構と現実の違いはなにかという問題ですが
それは
現実は必ず虚構(予想)を裏切る、
ということにあるといえます。
だから「現実」とそれは呼ばれることになる。
もし現実が予想をまったく裏切らないものであるとするなら
それは観念、バーチャルと同じものになってしまい、
従って現実は存在しなくなってしまうのです。
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量子論的世界像において、有限的な存在性は認識される事で


派生する=宇宙は認識される事で生じるとされます。
(不確定性原理=ある性質を確定しようとすると、その性質の属
する“実体”を構成する他の性質が無限発散する)

我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので、
存在するのは現在と考えますが、真の『現在』とは認識体の感受
表面での量子相互作用(光速)のみであり、その経験(過去=超
光速)による予測(未来=光速下)として時空的広がりは発生し
ているのです。
不完全な認識において、本質的に把握せず階層現象性を表面
的に捉える事(仮象=虚構)で派生する非光速性による、無の
不確定性無限の潜在としての「自我仮説性(記憶=時間軸)」と
「時空仮説性(予測=空間軸)」の相補分化。

相対性理論の四次元時空の方程式において、時間項はマイナス
になっており、そのため空間軸と時間軸の等距離点に、“ゼロの面”
ができます。
それが「ライトコーン」、即ち光子の形成する面であり、光速以下の
領域(未来)と超光速の領域(過去)を分ける界面原点なのです。
そして超光速においてエネルギーは虚数化し、相互作用=二乗
において負=過去(時間的反転)と等価になり、即ち、現在から
過去と未来が対発生していると言えるのです。

そこにおいて、宇宙の膨張=不確定性(h)の収束という、異なる
本質=異なる認識可能性を一つの軸(時系列化)にするところ
に時間性は依拠しており、過去の自分も、空間的広がりにおける
他人も同じです。
宇宙は、別の認識可能性を自己同一視するという、ある種の
精神異常として発生していると言えます。

即ち「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=
不確定性(h)の収束における、hの減少の時系列化である時、
それが架空の時間軸となって、空間的確定性としての無限不確
定的空間性が、超光速(過去=経験)と光速下(未来=予測)に
相補分化する受け皿となり、直交基底をなす事によって、相補
的不確定性を生じ、経験による予測=現象表面的定性化に
おける、有限的存在(=非光速)を幻出しているのです。
即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補
として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という
無の射影として、存在は生じていると言えます。
無いとは分からない事が有なのです。
虚構ではあるが、自分の愚かさの相補としての確かな虚構。
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外界も自分も全ては虚構。

あなたが、現実であると信じて疑わない部分が現実。
外界の全てが現実。あなたが、虚構であると気づいた部分が虚構。
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 こんにちは。



 次のように考えています。

 ○ 人間にとっての《現実》 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 (あ) 人間存在= 自然本性(身と心)+ カザリ・シガラミ

  ・ 一般に 心(精神)において 現実を捉える。
  ・ 身(感性)において知覚したものをも 心で認識して概念として扱う。
  ・ カザリやシガラミは 生まれたときにすでに過去の歴史としてある。

 (い) 人間としての《現実》= 世界事実 + 主観真実(*)

   * 主観真実= 事実認識 +ウソ(想像・虚構・思考・知恵)

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

 虚構は 現実にふくまれるという見方です。
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貴方の心

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>現実の定義を明確にすることができれば、自動的に虚構の定義も決まると思うのですが、現実が何であるかを知るのは非常に難しいと思います。

皆さんは現実をどのように認識していますか。
○確かに現実の定義を明確にすることは難しいですね。人の判断は相対的ですから、定義にならないのですね。そこで、例えば、神仏の目から見て正しいことが現実であると定義すると正しくないことが虚構になりますね。神戸(兵庫県)、陸前高田、大島町これらの都市の首長は革新系ですか、でしたですが、大きな災害を受けていますね。厳しい言い方ですが、その責任は選挙権を行使した在民にあるので神仏の目から見て正しくないので虚構であったといえば、町が消えてしまってもおかしくはないですね。営々と気づいた都市が砂上の楼閣、つまり虚構であるかどうかはそのような判断も可能なのですね。革新であろうがなかろうが神仏の目から見て正しいかどうかで繁栄かあるいは廃墟と化すとなれば、現実の定義を真剣に考えないといけなくなりますね。
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