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どの様な教理によれば、タイトルの様なことは言える様になるのでしょうか。あるいは、教理によらず、信条によっても、心象によっても、情(おもい)によっても構いません。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (12件中1~10件)

これはアキレスと亀の誤謬を宗教的に言い換えたものだと思っております。


過去の人類は無限大と無限小を上手く取り扱えず、
「永遠と一瞬は同じである」という説が広まりました。
さらにこれに「不条理ゆえに信ずる(credo quia absurdum)」というキリスト教の影響もあり
このような非合理的な思惟が流行りました。
無限大と無限小のほうは、数学のほうで微積やεーδ論法、カントールが集合論を
整備して解決したのですが、
今でもわりとロマン主義、実存主義好きな人は「永遠=一瞬」というような
ことを言っているのを見かけます。スポーツや芸術の分野でも多いです。
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この回答へのお礼

ほうほう、とても参考になるご意見です。やっぱり勉強しなきゃだめだなー。ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/21 12:28

たとえばあなたが今この瞬間に鏡を割ったとします。


この瞬間、にです。
それを、「なかったこと」にできますか?
永遠にできません。
永遠に、あなたはその瞬間に鏡を割っているのです。
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この回答へのお礼

なるほど、あった事実は永遠に残るということですね。過去とも関係があるのかなと思いました。

お礼日時:2013/05/22 12:46

こんばんは。




「そうですね。」
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この回答へのお礼

そうですか。

お礼日時:2013/05/21 12:29

>>永遠も一瞬も同じである


どの様な教理によれば、タイトルの様なことは言える様になるのでしょうか。

○未来世において、時間旅行が可能になれば「永遠も一瞬も同じである」は定理として認められるでしょう。
時間の流れは螺旋のうずのようになっているのですね。巨大なうずですからうずの一点からどちらに向かっても遥かなる過去と遥かなる未来なんですね。だから 「永遠も一瞬も同じである」となるのですね。
まあ、もう少し人類が賢くなれば分かることですね。
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この回答へのお礼

螺旋の渦ですか。なかなか独創的で面白いです。時とは不思議ですね。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/20 20:53

物理的に「時間独立」である=時間経過を必然とせず


物理は成立する=時間的経過は任意的なものである、
という事が知られています。

我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」
ので、「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、
認識体の感受表面での量子相互作用(光速)のみであり、
階層現象表面的な定性化による仮想的な非光速性において、
自我仮説(時間的流れ=記憶=過去=超光速)と時空仮説
(空間的広がり=予測=未来=光速下)は、対発生しているのです。

相対性理論において、静止している物において一定の速さで
時間が流れるとされますが、実はその「制止している」内部に
おいて、分子は熱振動、電子は軌道を回転といった具合に、
原理的に遡るほどに高速で運動しており、その果ての超弦に
おいて量子定常波=光速に還元されるのです(光速=時間停止)。

その超弦=量子的ブラックホール周辺の量子定常波軌道を
1次元とし、その回転(円のドーナツ化)により2次元、といった
具合に次元を潜在化する事で、超弦理論の要請する「6次元の
コンパクト化」は可能になっています。
その、超弦(1)>クォーク(2)>素粒子(3)>原子(4)>分子(5)>
細胞(6)>脳(意識=時間軸)」といった、感受表面に至る階層
現象性こそ、その外部の137億光年の空間的広がりを、時間軸
的に巻き取った(相補分化させた)ものなのです。

ブラックホールの階層現象化によってのみできている以上、
いわば我々は希薄なブラックホールであると言え、ブラックホール
の内外において時空軸が転換するのと同様に、過去と未来に
伸びる絶対軸(絶対化=無)を仮想的(=階層現象表面的非光速性)
に直交基底として、絶対無=無限不確定性の相補分化を可能に
しているのです。
(=不確定性原理:位置と運動量、時点と質量の2対の不確定性が
相補的であり、非決定性(階層現象表面的定性化)において有限的
存在性を成す)
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この回答へのお礼

^^;難しさがパワーアップした気がますが、ゆっくり読み進めたいと思います。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/20 20:56

そんなやつには、お前考え過ぎ、と言ってやりましょう。

哲学は自分で創る、もしくは自ずと出来るものだと思ってます。
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この回答へのお礼

考え過ぎ、それも一つの答えだとおもいました。なるほど。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/20 08:45

永遠も、一瞬も無く、今だけがある。

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この回答へのお礼

今。一言ですが、すべてが詰まってる気がします。

お礼日時:2013/05/20 00:53

瞬間を真に体験すると、智慧から閃きが生まれます。


それは時間をかけることと直観の精度は反比例であることを示すことであり
つまり、永遠であるためには瞬間的でなければならない、
全体を極めるには極小を極めなければならないということです。
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この回答へのお礼

これは深いですね、。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/20 00:52

結局、相対論ですよ



永遠も刹那も時間であって、結局、時空間として全体を捉える必要があります。
単独で時間を考えても無駄です。

重力と移動速度の関係から永遠も刹那も同じであって、無限の時空間と点も同じであると結論されます。
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この回答へのお礼

ふむ、。勉強になります。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/19 22:59

>どの様な教理によれば、タイトルの様なことは言える様になるのでしょうか。



集合論の基礎からタイトルの様なことが言えます。

時間は宇宙の開始から始まり、未来方向に無限につづく「半開区間の無限集合」です。

永遠が無限集合であることは議論の余地がありません。

では、一瞬は何かというと、これまた「無限集合の部分集合」ですから、無限集合です。

つまり、「永遠」という無限集合と「一瞬」という無限集合は一対一対応をとることができ(=全単射が存在する)、集合論的に”同じもの”と言うことができます。(Identicalではなく、Sameという意味です)。

参考までに、
時間が可算無限(濃度はアレフ0)なのか、非可算無限(濃度がアレフ1)なのか、議論が分かれるところですが、永遠と一瞬の間に全単射が存在することから、永遠と一瞬は濃度が同じ無限集合ということが言えます。
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この回答へのお礼

勉強になります。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/19 22:55

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