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ふと、人類にとって最も意味のない学問は外国語だと思いました。
言葉が通じないという理由で母国語以外に言葉を覚えなければならないというのはあまりに非効率ではないでしょうか。
言葉を知らないものが言葉を覚えるなら意味があるでしょう。
しかし、母国語を理解している人がなぜ2つも3つも新たに言葉を覚える必要があるでしょうか。
私たちはどれだけ外国語取得のために時間と労力と費用をかけてきたことでしょう。
本来たった一つで済む話なのに。

人類はいつの日か言語を超越したコミュニケーションの手段を持つべきだと思いますがどうでしょうか?

A 回答 (2件)

かつて「エスペラント語」という万国共通の言語が考案されましたが、全く普及しませんでした。


言語はコミュニケーションのツールでもありますが、その言語の背景には各国や各地域の文化や歴史があり、それを変えろというのは容易なことではありません。日本国内ですら明治以降の学校教育にもかかわらずに標準語で統一されず、地方の方言が今も残るのを考えれば、言語そのものを全く新しくするということがいかに困難かわかると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

言葉でコミュニケーションを取ろうとすれば地域によるズレが生じるのは致し方ないのかもしれませんね。
なので言語を超越したコミュニケーション方法が必要なのではないかと思う次第です。

お礼日時:2015/02/17 10:04

外国語というのは技術であって車の運転などと同じ系統と考えるべきです。


もちろん、外国語の変遷を研究したり、誤報を分析する言語学というのは人文科学の一分野ですが単純に外国語を練習して種べれるようになるのは学問とは言えないでしょう。

言語学と語学の関係は、栄養学と料理の関係と同じだと思います。

>人類はいつの日か言語を超越したコミュニケーションの手段を持つべきだと思いますがどうでしょうか?

母国の言語を覚えた上でさらに習得するなら同じことでは
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

外国語が学問かどうかは別として、冷静に考えるとバカバカしいということは間違いないと思います。

お礼日時:2015/02/17 10:02

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