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歌舞伎・浄瑠璃の外題の解釈の仕方や、物語のあらすじ、を調べています。資料が中々見つからないので困っています。ロスアンゼルス在住ですので、オンラインでのサーチに頼っています。
何方か、資料を見つける為に良いツールがあれば、教えて頂けないでしょうか?

今は、『昔鐙文武功』を調べています。この外題の解釈をご存知の方、ご回答お願い致します。

質問者からの補足コメント

  • Tastenkasten様、
    お礼の補足をさせて頂きます。図書館まで足を運んで下さり、本当に恐縮です。教えて頂いた、歌舞伎保存会にも問い合わせをして、納得のできる英訳を検討したいと思います。
    大変お世話になりました。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/03/26 09:19

A 回答 (4件)

長谷川章久著「東京歴史物語」(角川選書162)を借りてきましたが、やはりそれほど詳しくは書かれていませんでした。

「彦左と太助」という章があり、その中で紹介されています。
江戸末期、歌舞伎狂言の世界で、「大岡政談天一坊」のような裁判物や、「伊達騒動」、「鍋島騒動」といった御家物のような「実録物」が盛んに作られました。大久保彦左衛門の場合は、すでに書きましたように、まず『大久保武蔵鐙』という実録本が世に出、これをもとに、裁判事件をからませた歌舞伎脚本「名高手毬諷実録」(なにたかしてまりうたじつろく)が、三世桜田治助によって書かれ、安政二年(1855)七月に江戸中村座で上演されました。当時、江戸幕府に関連する史実を直接記すことは習わし上できなかったため、時代を室町時代に移し、大久保彦左衛門は大森彦七という名で登場します。回答No.1で、「名高手毬諷実録の中では、大久保忠教(大久保彦左衛門)は、大父母孫左衛門という名前になっているようです」と書きましたが、ネット上で書籍内の検索をした時に、文が飛び飛びに表示されて、間違った情報になったようです。正しくは、「名高手毬諷実録」中では「大森彦七」、「昔鐙文武功」では「大父母孫左衛門」です。
「名高手毬諷実録」には、松前屋五郎兵衛は「松台屋四郎兵衛」という名で登場します。将軍足利義詮の前で無実の罪を着た松台屋四郎兵衛を彦七が助け、腹黒い万里矢四郎を糾明して名判官ぶりを示し、喝采を浴びます。これが大受けだったため、翌年三月に清水賞七が若干手を加え、外題を「昔鐙文武功」と改めて大阪、中(なか)の芝居で上演、絶賛を博します。大父母孫左衛門の名で登場する大久保彦左衛門が、一心太助の協力を得て無実の罪に泣く松前屋五郎兵衛を救い、田代丹波守の陰謀を察知してこれをこっぴどくやっつけるという筋書きだそうです。いま、「松前屋五郎兵衛」と実名で書きましたが、「東京歴史物語」のこの箇所にはそう書かれていて、「昔鐙文武功」中での役名が書いてありません。アバディーンさんがお調べになったものに「松ヶ枝屋五郎兵衛」とあるのでしたら、そちらの方が正しい可能性もありますが、浮世絵の検索ですと、「松台屋四郎兵衛」と「松ヶ枝屋五郎兵衛」、両方とも「名高手毬諷実録」という外題と一緒に出るので、確認ができません。

http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/r …

http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/r …

清水賞七が「名高手毬諷実録」に手を加えて「昔鐙文武功」を作った折、ここまでの話に加えて、三代将軍家光のとき隅田川を乗馬で横断、名誉を博した阿部豊後守の故事や、東海道の難所、小夜の中山の夜泣石の伝説も取り入れて波乱に富ませたため、「名高手毬諷実録」よりもいっそう評判が高くなり、京阪地方ではこの「昔鐙文武功」が明治末年まで何回か上演された、と紹介されています。
内容についてわかったのはこれだけでした。なお、図書館に行ったおり、「歌舞伎事典」やその他の解説書を何冊か見てみましたが、「容競出入湊」、「名高手毬諷実録」、「昔鐙文武功」のいずれも記載がありませんでした。また、その他の有名演目に関しても、あらすじなどは詳しく書いてある書物もありますが、外題の漢字の意味について書かれているものは皆無でした。「名作歌舞伎全集」や、岩波文庫から出ていたいくつかの歌舞伎原作にも、外題の解説というものはなく、これを調べるのはかなり難しいと思います。「東京歴史物語」という書物を見る限り、「昔鐙文武功」の「昔」というのは、「昔の事件をまことしやかに脚色した演しもの」という意味のように思いますが、同時に、「頑固一徹ながら、是々非々をわきまえた昔気質の武辺者としての大久保彦左衛門」という解説もありましたので、もしかすると、そうい意味も含んでいるのかもしれません。あくまでも推測です。なお、「伝統歌舞伎保存会」という組織があり、メールで問い合わせができるので、外題の調べ方について何かよい方法がないか、御聞きになってみたらいかがでしょうか。

http://www.kabuki.or.jp/contact/

日本の伝統芸能を英語で紹介するというのは、大変意義のあるお仕事だと思います。私も昔、能楽についてドイツ語で論文を書きかけたことがあり、このような作業が簡単でないことはよく存じております。あまりお役にたてませんでしたが、御健闘をお祈りします。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

Tastenkasten様、
私事で大変お手数をお掛けした事をお詫び申し上げると共に、今回も貴重なご回答を戴きました事、心よりお礼申し上げます。
北斎画の大父母孫左衛門扮する五代目市川海老蔵は、北斎特有の画法で老侍風に描かれており、頂いた情報の1856年に上演されたという事実にほぼ間違いがないという確信が持てました。又、『名高手毬諷実録』中では、大森彦七であったと言う点に於いても、納得出来ました。
『昔鐙文武功』の解釈ですが、”三代将軍家光のとき隅田川を乗馬で横断、名誉を博した”という点に目が止まりました。”鐙”の文字は乗馬で川を横断する勇ましい姿、そして”文武功”は、智力、武力ともに手柄を立てた武蔵忍藩主の阿部忠秋の人物像も加わって頑固一徹ながら、是々非々をわきまえた昔気質の部辺者としての大久保彦左衛門と共に『昔鐙文武功』という外題になったのでではないかと考えます。

お礼日時:2015/03/26 09:14

アバディーン様


御丁寧なお礼を有難うございました。『五常名儀之内』と儒教の五常(仁、義、礼、智、信)の文字の調査結果、興味深く拝見しました。また、阿部忠秋と「鐙」の連想は気が付きませんでした。鋭い御指摘と思います。
外題の読み方と、作品の上演年のデータだけでしたら、下の「weblio歌舞伎・浄瑠璃外題辞典」のサイトと、国立国会図書館にある「演劇外題要覧」(日本放送協会編)も、少し参考になるかもしれません。

weblio歌舞伎・浄瑠璃外題辞典
http://www.weblio.jp/cat/dictionary/nkbjj

演劇外題要覧
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1851955

上の「演劇外題要覧」には、「名高手毬諷実録」が「名高島毬諷実録」という外題で出ていました(コマ番号158、294ページ)。
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お礼ありがとうございました。


「東京歴史物語」が、近くの図書館に届いたという通知メールが入りましたので、明日もう一度御連絡します。
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こんにちは。



これは難しいですね。「昔鐙文武功」は長いこと上演されていない演目で、歌舞伎関係のサイトにも出ていませんし、昔、東京創元社から出ていた「名作歌舞伎全集」(全25巻)にも収録されていません。ネット上のわずかな手がかりをたどっていくと、主人公はどうやら大久保忠教(大久保彦左衛門)という戦国時代から江戸前期の武将で、劇中では大森彦七左衛門という名前になっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85% …

この大久保忠教に、「三河物語」という著書がありますが、これを種本とした実録本に「大久保武蔵鐙」というものがあります。
https://kotobank.jp/word/%E3%80%8A%E5%A4%A7%E4%B …

この本の中に登場する架空の人物が一心太助で、やはり「昔鐙文武功」に登場するようです。「昔鐙文武功」には、「名高手毬諷実録」という先行作品があり、それを訂正加筆したものです。「名高手毬諷実録」の中では、大久保忠教(大久保彦左衛門)は、「大父母孫左衛門」という名前になっているようです。「矢代騒動」,「鏡態院騒動」を扱っているとあるのですが、この二つの騒動についても、ネットでは情報が得られません。

昔鐙文武功
https://kotobank.jp/word/%E3%80%8A%E6%98%94%E9%9 …

名高手毬諷実録
https://kotobank.jp/word/%E3%80%8A%E5%90%8D%E9%A …

「矢代騒動」だけは、明治時代の講談本が国立国会図書館のデジタルライブラリーにありますが、内容的に歌舞伎の「昔鐙文武功」とどのくらいかぶっているのかは不明です。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/890851

「昔鐙」は、「武蔵鐙」を、昔の話という意味でもじったものではないかと思います。「武蔵鐙」は、武蔵の国で作られていた鐙のことだそうですが、「鐙」が「踏む」「文(ふみ)」に掛けて用いられるとのことなので、この場合は、そのあとの「文武」の「文」との語呂合わせのように見えます。「文武」は、大久保忠教が文武両道に秀でていたと伝えられているので、そこからきているものと思われます。
https://kotobank.jp/word/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E9%9 …

あらすじはよくわからないのですが、松前屋五郎兵衛(実在、劇中の名前は不明)が旗本、島田藤左衛門のはかりごとで獄にいれられ、それを大森彦七左衛門(大久保忠教)と一心太助が助けるという話があります。
https://kotobank.jp/word/%E6%9D%BE%E5%89%8D%E5%B …

「昔鐙文武功」には、万里矢四郎という悪人が登場するらしいので、これがもしかすると旗本島田藤左衛門の劇中名かもしれません。「東京歴史物語」(長谷川章久著)という本に、少しこの作品の内容が出ているようですが、ネットでの閲覧はできませんでした。来週の水曜日に、近所の図書館へ行く予定なので、取り寄せ予約をしておきましたが、あらすじはたぶんほんの少ししか書いていないと思いますので、あまり期待なさらないでください。

歌舞伎の外題の解釈を調べるよい方法は見つかりません。よほど詳しい歌舞伎事典のような書物でないと無理だと思います。あらすじについては、いくつかサイトがあります。

日本芸術文化振興会 歌舞伎の演目
http://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/kabuki/jp/5/5_0 …

biglobe百科事典 歌舞伎の演目一覧
http://jiten.biglobe.ne.jp/j/1d/75/07/4202440e64 …

歌舞伎見物のお供
http://plaza.rakuten.co.jp/hirosegawab/2000/
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この回答へのお礼

Tastenkasten様、

ご回答を頂きながらお礼が遅れました事、大変失礼いたしました。
前回同様、大変貴重な情報をご提供頂き、誠に有難うございます。頂いた情報を手掛かりに浮世絵のイメージを検索しておりましたら、北斎や豊国が描いたイメージが何点か見つかりました。
何れもタイトルに『五常名儀之内』と記され、儒教の五常(仁、義、礼、智、信)の文字が記されていました。大父母孫左衛門には『仁』、松ヶ枝屋五郎兵衛には『儀』、一心太助には『信』、松月尼には『智』阿部源三郎には『禮』、と記されております。松ヶ枝屋五郎兵衛が、劇中の松前屋五郎兵衛ではないかと推測しております。
これらが、どう『昔鐙文武功』とつながっていくのか検討中です。
お忙しい中、お時間を割いてご回答頂き感謝致します。

お礼日時:2015/03/24 07:08

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