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刑事での被害者の承諾は黙示でも承諾があったと見なされる場合ってあるのでしょうか?

被害者が承諾していないと言っても承諾があったと見なされ加害者が処罰されない場合ってあるんですか、実際。

A 回答 (5件)

ホームパーティーを開いていたとします。



その家の主人Aさんは、お客さんたちに、「冷蔵庫の中のジュースやビールは勝手に飲んでください」と言いました。
そこで、お客さんたちは、わざわざその家の主人Aさんの承諾をとることなく、勝手にその家の冷蔵庫を開けて、中にあったジュースやビールを飲んでいました。

しばらくして、その家の主人Aさんと仲の悪いBさんがパーティーにやってきました。
Aさんと仲の悪いBさんは、みんなが勝手に冷蔵庫を開けて中のものを飲んでいるのを見て、Aさんの承諾をとることなく、その家の冷蔵庫を勝手に開けてビールを飲みました。
Aさんは、Bさんが冷蔵庫を開けて、ビールを飲むのを眺めていましたが、特に何も言いませんでした。

で、パーティーが終わったあとで、Aさんは、「俺はBさんが俺の冷蔵庫にある俺のビールを飲むのを承諾してはいない。勝手に飲んでいたのだから窃盗だ!」と言って、警察に訴えたとします。
という場面であれば、「被害者(Aさん)が承諾していないと言っても承諾があったと見なされ加害者(Bさん)が処罰されない」ということになるんじゃないでしょうか。
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何度でも言う。



「見なされる」ことは絶対にない。

これが「法律論としては」唯一無二の正解。これに反する話は全て、

「法律論ではない」

ただそれだけ。
法律論に対して法律論でない主張をするのは世間では的外れと言う。また、法律カテゴリで法律論抜きの話をするのも世間では的外れと言う。



以下はまあ無駄だとは思うが参考である。

  刑法学理論における推定的同意の話



  単にどんな状況だと同意があったと推定されるかという話

とは次元がまるで異なるということを理解することが必要である。

まず、推定的同意というのは事実としては同意が「ない」のである。実在的同意が「ない」がそれでも「実体法上」犯罪が成立しないという話なのである。原則論に従えば実在的同意がない限りは犯罪成立を阻却しないがそれでは不都合な場合に実際には存在しない同意について推定的同意が存在するということで換える議論なのである。
一方、同意の存在の推定というのは、証拠及び事実の評価の結果として同意が「あった」という認定になるという話なのである。あくまでも「訴訟法上」の認定として実在的同意が「あった」と認められるという話なのである。同意が「あった」と認められれば犯罪成立を阻却して無罪ということになるが、それは「実体法上」の犯罪の成否とは別論なのである。あくまでも「訴訟法上」は無罪となるという話に過ぎないのである。
そして、意思を表明できるのにしなかったという場合に黙示の同意が「あった」と言えるかどうかという話は、後者の問題であり、刑法学上の推定的同意の議論とは関係がない(つまり、講学事例である意識不明者に対する医師の治療行為と傷害罪の成否の話はこの問題とは関係がない。)。単に、事実をどう評価すべきかという話に過ぎない。そして、意思を表明できるのにしなかった合理的理由がなければ、実際に黙認していたかどうかと関係なく黙認していたと認定されることになりかねないだけのことである。しかし、これは結局は、個別具体的な事例においていかなる証拠を以ていかなる事実を立証するかという話に帰着するのであり、それを抜きにして一般論として一定の事実関係を以て「当然に」黙示の同意の存在が推定されることなどないのである。ある事実が黙示の同意を推認できるとしてもその事実の存在を証明する証拠がなければ当該事実自体が認められないことがある。当該事実は認められても黙示の同意の存在を否定する別の事実が証明されればやはり黙示の同意は否定されることがある。そういうことが実際の訴訟では起こり得るのである。みなし規定は存在しないからみなされることは絶対にないが、同様に、推定規定も存在しないので推定されるかどうかも「絶対ではない」のである。あくまで、裁判官の証拠と事実の評価における社会通念上相当な判断ないし経験則、論理則上の可能性に過ぎないのである。
もっとも、不同意の意思を表明できるのにしなかったということは、つまり、常識的に言えば擬制とか推定ではなく、事実として黙示の実在的同意があったということに他ならない。本気で「俺は同意しない」などと思いながら、かつ、その意思を表明することが困難な特段の事情もないのに黙って見ているという荒唐無稽な状況は非常識な妄想に過ぎない。例えば「今は何も言わないけど後で同意していないと言うつもり」という内心は実際にはその状況を受け入れているのであるから「同意している」のである。誰かが「俺はお前を殺す気はないんだよ」と内心思いながら首を絞めて殺したときに、内心で殺す気がないと思っていたから故意を欠くなどと言うか?否、言わない。要するに形式的な内心≠本心であって、合理的な意思の評価としてその場で相手の行為を拒絶する意思がない以上は本心において「黙示の同意が事実として存在した」ということに他ならないのである。後になって「いやそんなつもりはなかった」と言ったところで事実は変わらない。まして後で気が変わったなどという場合は、「同意は行為の時に存在することを要する」ことの裏返しで「行為の時に存在すれば足り、事後的な撤回は無意味」である。訴訟法的には、事実は全て証拠から事後的に推認するしかない以上、形式論として全て推定であるのは確かであるが、実体法的には真実そのものなのである。だから実体法上は、擬制だとか推定だとかそんな観念を入れる余地はないのである。

なお、仮に黙示の同意がなかったとすれば、同意の存在を理由に犯罪を不成立とすることはできない。しかし、その状況下で同意が存在すると誤信したのがやむを得ないならば理論的には故意を欠くので「実体法上」犯罪は成立しない(厳密には「故意犯は」であるが、そもそも被害者の同意が問題になるのは故意犯である。)し、その事実を立証できることを条件に「訴訟法上」も無罪となるということを付け加えておく。別に黙示の同意がなくても「実体法上」も「訴訟法上」も犯罪が不成立となることはある。この話は詳しく検討すると面倒くさいしどうせ無駄だろうからこれ以上は省く。

最後に、法律はつまみ食いで理論をかじっても正解には辿り着かないと付言しておこう。知ってるつもりは自らの無知を自覚していない点で知ったかぶりよりも質が悪い。

以上
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他にも、こういうケースも想定できます。



少年Aがボール遊びをしていたとします。
遊んでいたボールがBさんの庭に飛び込みました。
ちょうどBさんは庭でビデオ撮影をしていて、ボールが飛び込んだ庭にいました。
少年Aは、Bさんに向かって、「庭にボールが入ったので、取りに入っていいですか?」と聞きました。
Bさんは、少年Aの方を見ましたが、何も返事をしませんでした。
そこで、少年Aは、Bさんの庭に入り、ボールを取っていきました。
その間、Bさんは少年Aをビデオで撮りながら、結局何も言いませんでした。

ところが、二年ほどして、二年前Bさんの庭に、Bさんの明示の承諾なく少年Aは侵入したとして、ビデオを証拠として、住居侵入罪で少年Aを警察に告発しました。

このケースでは、やはり住居の侵入に関しては「黙示の承諾があったとみなされて(黙示の承諾があったとして)」少年Aは無罪となるでしょう。
「黙示の承諾」とみなすためには、通常の判断力を持った人が、「これは承諾である」と判断される程度の事実関係でよく、「黙示の承諾」とみなされるための特別の法律あるいは法律的形式が必要なわけではありません。
民法では、「このような場合は、このようにみなす(看做す)」というみなし(看做し)規定が多数ありますが、刑法では「みなす(看做す)」という用語を用いず、実態運用として擬制が用いられることが判例上しばしばあります。
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加害者を処罰するかどうかは被害者の承諾を必要としません。


不起訴処分とするかどうかは、検察官の判断です。
不服であれば検察審査会に訴えるべき。
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弁護士の腕しだいで。

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