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百人一首の中の「夜をこめて 鳥のそらねは・・・」という清少納言の歌について教えてほしいことがあります。この歌の文学史的解説なんかを教えてくれたらうれしいです。また、これについてのっているホームページとかもありましたら、よろしくおねがいします。

A 回答 (5件)

 文学史的解説と言えるかどうか分かりませんが、この歌にまつわる簡単な解説があるサイトを参考URLに挙げておきましたので、よろしければ御覧になってみて下さい。



参考URL:http://www.kokugo.aichi-edu.ac.jp/taguchi/gakuse …
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昔は得意だったので、その杵柄をとってお答えします。


(今でも62番と言われただけで清少納言の歌とわかっていたりします)

大意はこんなだったと思います。
「夜が明けないうちに鳥の鳴き真似をしても、逢坂の関守さんは許してはくれませんよ」

逢坂は逢うにかかっています。
古語辞典によると、こんなことが書いてあります。

藤原行成が清少納言と宮中で話し込んでいたとき、「明日は宮中の物忌みだ」と急いで帰ったが、翌朝、「朝を告げるにわとりの声にせかされまして」などと言い訳をしてきた。「夜更けのにわとりの声なんて変ですね。函谷関のことかしら」と皮肉を言ったところ、すぐにまた、「これは逢坂の関のことでした。またお逢いしたいものです」と返事があったので、この歌を詠んで贈ったとされています。
で、「函谷関」とは中国の関所です。秦から逃げ帰った孟嘗君がここに来て、一行の中の物まね名人に鶏の鳴きまねをさせて、番人に開門の時刻と思い込ませて、そこを無事に通過したという故事から来ています。

だそうです。
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●清少納言:清原元輔の娘。

枕草子を書いた才女として有名。

●鳥のそら音=にせの鶏の鳴き声=函谷関(カンコクカン)の関守が孟嘗君(モウショウクン)の食客が真似した、鶏のの鳴き声にだまされてまだ夜が明けていないのに門を開けてしまった...。という中国の故事を踏まえた歌です。
...私はだまされませんよ、。

函谷関になぞらえて逢坂の関といって、それは自分との一線は越えさせませんよ。ということでしょうかね。

うがった見方をすると、清少納言は婦女子は字が書けても「仮名」の時代に「私漢字も読めます」という才女だったわけですが、そういった知識をひけらかしているとも取れます。


文学的な解釈...。
ちょっと意味が違っていたらごめんなさい。
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文学的解説?かどうか分かりませんが、この歌は「夜が明ける前に、鶏の鳴きまねでだまして通ろうとしても、決して通しませんよ、逢坂の関は」という意味です。

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大意はnabayoshさんが書いてらっしゃるので避けるとして、解釈が少し。


函谷関の関守は鳥の嘘泣きで孟嘗君を通したが、私はだまされたりしませんよ。ということで、とっさの切り返しの歌なのですが、上の句では中国の故事(史記)を持ち出し、下の句では「逢坂の関」(地名)に逢ふを掛けて相手の誘いをそらしています。
当意即妙の機知と漢詩の教養の深さをうかがえる秀句だと思います。
文学史ということなので、史記を紹介します。
戦国時代、斉の国の孟嘗君が秦に使い(密使)して捕らえられますが、部下に鶏の鳴き真似をさせて、一番鳥が鳴かないと開かない函谷関を夜中に開かせて通り抜け、無事に逃げ帰ったというものです。
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