プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

これは架空のお話です

あるところに正しく在ろうとする人間がいました、けれどその人間は生まれつきの異常者でした。
異常者認定されたその人間は絶望し、幼い頃から無意識からきた夢は決して叶うことはないと悟りました。
死んでこの世の苦しみから逃げたいと思いましたが、正しく在りたいという願望のせいで身勝手な自殺はでききませんでした。
死ぬ前に課せられた義務と責任を果たさなければならない、すなわち普通の人間のように生きるということです。
人間は怒りのあまり神様に悪態をつきました、なんて意地悪なんだと。

・さてこの正しく在ろうとする人間はどうして神様に怒ったのでしょうか?
・またこの人間はいったいどうしたら救われるでしょうか?

この2つの問いに対する回答をお願いします。
趣旨にそぐわない回答は無視します、関係ない自己主張はメモ帳にでも書いてください。

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    これといった正解は定めてないので気楽にご回答ください、何か質問があれば受付ます。
    ただし神様に怒るのは筋違いだとか本文の内容にケチつけるなど、趣旨にそぐわない回答はおやめください、迷惑なだけです。

      補足日時:2015/07/25 21:15
  • 本文の異常者は自分すら含めた客観的な視点で以って正確に物事を捉える才能があると思われます。
    これはほぼ間違いないと思われます、根拠は会社で受けた自己分析テストの結果に「自分すら含めた客観的な視点で以って正確に物事を見ようとする」とありました、
    ある事情で2回受けて信憑性が高いとされた2回目にもありました、これまで意識して客観的になっていたわけではありませんからこのときに初めて自覚しました、
    特に感慨は浮かびませんでした、不思議と腑に落ちていたからです。それが自身の才能だと自覚したのはもっと後になってからのことでした、
    しかし才能を自覚しても本人は全く嬉しいとは思いませんでした、たぶんこれが何の役に立つのか皆目見当がつかなかったからだと思われます。

      補足日時:2015/07/26 03:11
  • その後色々あって異常者にとって比類のない最上級に好きなものを親に説明する機会を経て、あるときに頭の中で点と点が結びつき腑に落ちることで、自らの内に秘めた潜在的な願望に初めて気がつきました。
    異常者はこれまでいくら考えても、自分の人生には楽しいこと好きなものはあっても夢も欲しい物も何も思い浮かばず、何物にも執着しなかったので常に空虚を感じていたのです。
    しかし気がついてすぐに悟りました、その願望は決して叶わないと。そして薬の力を借りて後日にようやく落ち着きを取り戻し、一見ボーっとしてるかのように見える異常者からふと呟くように一言、
    「惨めだな」と。

    それは初めて自身の人生を評した瞬間でもありました。異常者はこれまで自身の人生を省みることはあっても評したことはありません、常に等身大の自分を見据えてどうしたら自身の未来をいかによりよいものにできるかを考え実行してきた人間が吐いたとは思えないもの

      補足日時:2015/07/26 03:37
  • 異常者はこれまで幾度も辛くて苦しいと時には弱気になってもネガティブな弱音を吐くことはありません、どれだけ失敗しても反省だけをして常に前向きに未来を考えてきました。
    例えば異常者は社交的な人間ではなかったので気をつけて社交的な行動を取るようにしました、
    他人に自慢できるような過去でなくても話のネタとして円滑なコミュニケーションを取るための手段としてそれを笑いながら話せる堂々とした人間になりました、
    何ら他人に自慢ができるようなものを持っていなくても、誇れるようなものを持っていなくても、自身の人生には何も恥じることはないと常に前を向いて堂々としていました。
    元々異常者はシャイではあるものの、昔から人と接することに臆せず、理不尽なことには怒って抵抗し、喧嘩を売られたのなら買ったりとネガティブとは無縁な人間でしたのでこれらのことは簡単でした。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/07/26 03:56
  • 宗教の影響力が衰えたのも人の認識できる世界が広がったからでしょう、昔は世界(認識)の外であった宇宙でさえ今では世界(認識)の中にあります。

    昔の人々は世界の外におおいに興味があったから星座を作ったのでしょうね、だから宗教も今よりずっっと影響力があった。けれど宇宙の存在が一般的になることで、人々は世界の外に関心を持たなくなりました。
    そういえば認識の外といえば自然にも当てはまりますね、雷や地震に噴火と神の怒りに神の恵みの雨と神の恵みと怒りの両方を持つ大海原とどれも神に例えられてきました、人々は皆例外なく認識の外にあるものは神に例えられてきたのです。

    しかし全てその仕組みが解明されることで人間の認識の中に入ってしまいました、自然の驚異を目の当たりにすることで、かつてその偉大な存在を身近に感じることにできた多くの神様達はいなくなってしまいました。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/07/26 05:23
  • 今まで意識したことなかったけど神様かぁ、こうして考えると新しい発見ばっかりだ、やはりこうやって他人と交流するのは良い物ですね。
    そうだなぁ神様に願うとしたら決してくじけない心が欲しい。

    異常者ゆえに決して真摯で正しい行動は取れない、行動が伴わなければ決して真摯で正しい在り方にはなれない。
    けれどこうして真摯であろうとする在り方は変わらない、呪い(願望)は失わない。
    それゆえにこれからも最後まで現実と理想のギャップに苦しみ続ける。

    もしも最後までくじけずに義務と責任を果たしてから人生を全うしたら、その時は今際にでも自分を誇ってあげられないかな、褒めてあげられないかなぁ。
    とんでもなく出来が悪い奴だから褒める機会がなく人並みのことは出来て当然、できなければ無能としていたものだから自慢も誇りも持てなかった、
    また本人がそれを望んだこともない、ただ全てに対して納得したかっただけなんだ。

      補足日時:2015/07/26 06:11
  • つらい・・・

    異常者は独りよがりです、本人にその気がなくてもそうなるのが嫌でいくら気をつけたくても結果的に独りよがりになってしまう天性の独りよがりです。
    こいつは下手に喋らないほうがいい、喋ればそれだけ異常性を発揮して他人を不快にさせる。
    ある意味生まれついての悪といっても過言ではない、悪とは秩序を乱すものを指す。
    こいつの異常性は本人にその気がなくても表に出るだけで秩序を乱し不和をもたらす、生まれついての悪と言える。
    こいつが正しい在り方を望むだなんて思うだけでも許されない、至極ふざけていると言える。
    こいつはただ存在してるだけでも許されない、それでも存在したいというのならその異常性を極力表に出さない為にも薬で修正するのは当然であり、人との交流も極力避けなければならない。
    妥協点としてネットだけは許す、しかしリアルでは口を極力噤み人と仲良くなることを避けろ。

    義務と責任とやらを果たしたら即座に去ね

      補足日時:2015/07/26 18:42
  • 今まで仲がよくなった人達と地理的に離れた途端にことごとく何気なく自分から縁を切ってしまっていて、それを自分でも不思議に思ったことがありました、けれど今その理由がようやくわかりました。
    無意識に人との縁を断ち切りたかったのでしょう。そしてそれは結果的に正しかった、おかげで嫌われずに済んだ、綺麗な思い出として永遠に残った。ただ寮で同室になった同僚の人には申し訳ないことした、あれだけ意気投合して仲良くなったのに、仕事が合わなくてすぐに辞めてしまった。
    見るからにふさぎこんでいてまともなお別れも言えなかった、自分でもそれを名残惜しいとは思わなかった、結果的にはあれが最善だったと思う、たぶん嫌われずに済んだ。

    親は異常者に心底呆れて果てているだろうけれど、物理的に一人でどうしようもできなくなって初めて相談したら助けてくれると言った、異常者には勿体無い出来過ぎる親だった、だから決して裏切りたくない

      補足日時:2015/07/26 18:56
  • 客観的に見ると生まれついての悪であっても、自身を肯定できない様は哀れだ。
    生まれついての悪性が明らかになった以上は、自身を肯定する日は何があろうと決してやってくることはない。皮肉なものだ、正しく在りたいと、真摯な存在になりたいと心の底から願うもの自体が悪性の存在だったのだ、
    この様子だと以前にも願望に気づいたと同時に己自身が最も嫌悪する悪性だと悟ったのに忘れていたみたいだな。
    あまりのショックで防衛機制が働き忘却してしまったのだろう。もしかしたらまた忘れてしまうかもしれない、自身が悪性だとは認められないかもしれない。

    研鑽が足りないからこの先どうすればいいのかはわからない、このまま研鑽を続ければいつかははっきりするかもしれない期待しよう、まだ27だしな。平均寿命の半分もいっていない、せめて生きてるうちに救いがあって欲しかったな、どんなものでも死ねば救われる、不死でなくて本当によかった。

      補足日時:2015/07/26 19:26
  • >救われるかどうかは、死んでみないとわからないのです。

    詳しく書くと反論がくると言ってますが、反論を恐れるのならそもそも書かないで欲しい、
    私として「なんで?」と聞くしかありません、私はすでに「死ねば救われる」という答えを持っているのですから。死は苦しみから解放されるのだから数ある救いのひとつです。

    親御さんを安心させたいから自分の意思でその約束を守ることを決めた、それは異常者にとっての幸せの形だと思います、
    以前の異常者は気づかなかったけれど意思を通すことが異常者にとって幸せだと思います。そうでなければ他にどんな幸せがあると思いますか?

    後はよくわかりません、あなたがそう思ったのならそれでいいと思います。
    ただ確かなのは異常者にとって幸せは意思を通すことで、不幸は心がくじけることです。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/07/27 19:26

A 回答 (19件中1~10件)

No.17です



>私にとって譲れないのは私の意志を通すことだけであり、最後まで意思を通すことができれば
>それで自分の人生に納得がいくし、また求めている救いなのだと思いました。ただこれにどう思いますか?
 前回の投稿を見させて頂いたので少しずるしてますが、
 障碍者なりの人生で満足できないで普通の人生にこだわる気持ちはよくわかります。
 わたくしも障碍者として認定してもらおうと思えば認定される存在です。
 でも(認定されていてもいなくても)、日常は健常者としての生き方にこだわっています。
 27の頃は同じように理不尽さを感じていたのですが、今は居場所を見つけた感じです。
 なので結論を出すのは先送りするので良いのではないですか?今はまだ分かりませんよ。

 そして、執着するものを限定しないでほしい。
 今までは意図せずに人を不快にさせるようなことが多く、無意識に人とのつながりを避けてきたのでしょうが
 今後は少しずつうまくいくようになります。
 今まではうまくいかないのを予測し、はじめから諦めていたため執着も起きなかったのかもしれません。
 なので「友人や家族に執着はない自分」にこだわらないで欲しい。
 執着がわいて大事だと思えるようになればこだわればいいんです。
 そしてそうなると思いますよ。

 なぜなら、
>計画通りにやれない約束を守れなかったり意図せずに人を不快にさせたりする独りよがりな異常者が正しいわけがない
 と言いつつも

>異常者は社交的な人間ではなかったので気をつけて社交的な行動を取るようにしました、
>他人に自慢できるような過去でなくても話のネタとして円滑なコミュニケーションを
>取るための手段としてそれを笑いながら話せる堂々とした人間になりました、

 となってるんですよね。
 まだ27歳なので、今後もこの姿勢を崩さずにいればある程度適応できるようになるでしょう。
 呪いだから変えられないのは障害であって、それを補う努力をしてるじゃないですか。
 それで少しずつ変わってきている。それでいいんですよ。
 最後まで貫き通すどころか、30代のうちにはもう悩みもずいぶん小さくなるでしょう。
 人とのつながりはネットだけなんて言っているとどんどん今ある能力も下がるので、
 人に不快な思いをさせようがなんだろうが、改善する過程にでる犠牲だと思えばいいんです。
 他人の迷惑なんて一時的なものなのでこの場合自分の事を優先すべきです。
 それこそが意思を貫いて普通の人のように生きようとすることですよね。
 
あと他に気になったことがあるので聞いてもいいですか?

>>異常者が考える「正しく在ろうとする人間」を実現すれば良いだけ

>眼から鱗です、結果が出なくてもいいのですか?結果が出ないまたは就職しても続けられないのは
>努力が足りないからではないのですか?
>正しくない人間だから当たり前のことができないし続けられないのではないですか?
>私はいつも周りに望まれた結果を出してきた

 執着はしないし、結果や結果に対する周囲の評価は気にしないものの、
 こだわらずとも普通の人が普通にできるような、自分で納得のいく結果に自然となってほしいという
 気持ちがあるのですね。
 正しく生きること=普通の人の生き方が唯一の執着とおっしゃりますが、
 その中身は「仕事を普通に続けられる」というものも含みますね。
 それなら仕事にも執着があるとは言えないですか?
 それを広げていけば、友人がいる、家族がいるのが普通の人生なので
 友人や家族にも執着することになりませんか?
 死なないための理由になるものだけが「執着のあるもの」なのですか?

>ある意味生まれついての悪といっても過言ではない、悪とは秩序を乱すものを指す。
>こいつの異常性は本人にその気がなくても表に出るだけで秩序を乱し不和をもたらす、生まれついての悪と言える。
>こいつが正しい在り方を望むだなんて思うだけでも許されない、至極ふざけていると言える。
>こいつはただ存在してるだけでも許されない
 そんなことはないですよ。あなたは自分で自分をどう思うかが大切で、人からの評価は気にしてないのでしょうけど、
 少なくとも世間の人は障害がある人と話をしたり約束をしたときに多少不快な思いをさせられることがあっても
 存在自体を否定する気持ちは起こりません。
 悪意を持って悪をなすような人が多い中で、あなたのような人は「ちょっと迷惑だなあ」くらい
 思う人はいるかもしれませんが、誠実だしむしろ居てほしいと思われる部類の人だと思いますよ。
 自己評価が必要以上に低いか間違っているのではないですか?

>だから私は死を救いだと思うのです、他の人はきちんと執着があるので生きたいと思うから死は救いだと
>思わないのでしょう。
 死は救いだというのは間違ってないですが(区切りという意味で)、
 そのことはいったん考えないようにしましょう。
 「どうせ死ねばいいんだ」などと考えていると前に進む努力がし辛くなります。
 まず、「死なない」、「死ぬという選択肢はない」と決めましょう。
 ただ、苦しい現状(今は永遠に続くと感じているかもしれません)が
 最悪でも寿命とともに終わると思っておけばいいのではないですか。
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この回答へのお礼

申し訳ありません、NO17で「結末はどうでもいい」「成功に執着しない」などいってしまったせいで認めたくなくて心臓神経病になったので治すことに専念するために中止します。
これ以上掘り下げるとさらに重症化する恐れがあるために中止します。もしかしたら夢も願望もあれは勘違いで元々なくて今までの努力は全て人間らしくなるために努力してたのかもしれません。
正しい行動しかできないロボットが人間らしくなるために努力してたのかもしれません。これ以上掘り下げても心の病が重症化するかもしれませんので名残惜しいですが中止します。

回答ありがとうございました

お礼日時:2015/07/30 03:53

#12,#14,#16でございます。



ありがとうございます。はい、現代文の試験の問題に解答するが如く、本文の内容

から得られる情報だけを元に回答しています。それでも解釈を間違えているところ

があるかもしれませんが。


・その異常者が救われるにはどうしたらいいですか?なぜそれで救われるのかの説

明を交えてお願いします。

#14の回答で述べたのは、その異常者がその人間以上に異常な人間の存在を見つけ知

れば相対的に楽になり救われるのではないかと思うということでした。

今回の回答は、自分の夢が決して叶うことはないと悟り自殺したいが、自殺するこ

とは普通の人間のように生きなければならない正しく在りたいという自分の願望に

反してしまうということで苦しんでいるわけですから、このことを解消すれば救わ

れるのだと思います。自殺してしまえばそれでお終いなのですが、それでは反して

いることを行ってのことなので、解決とは言えないと思います。だから、願望通り

に正しく生きる方向で救われなければならないと思います。自分の夢が決して叶う

ことはないということですので、そのためにはやはり自分よりも異常、或いは、下

と思える人間を見つけ出し、相対的に救われるしかないと思います。

今のところ、僕にはこの回答以外の考えは思い付きません。


こう回答しましたが、僕個人の考えとしましては、自分より下だと思える人間を見

つけて自分はまだマシだと思い安心して楽になろうとするような生き方はしたくな

いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。何度も付き合っていただき真にありがとうございました、心より感謝します。

相対的というの発想は私にはできなかったのであなたの回答はわかりやくとても為になりました、私には救う方法を考えつきませんでした。
あなたの回答は正しいと思います、現代文なら間違いなく正答だと思います。

また私の身を案じていただありがとうございます、素直に嬉しく思います。
またご安心ください、そのようになることは決してありません、異常者はダウン小児だろうがアトピー小児とも自分から友達になりました、見下す思いは欠片もありませんでした、また自分が見下されても気づきませんでした、健常者だろうと遊んでもつまらないやつは声かけやめたりしました、見下すその思想は他人から学んだことです。
そして異常者は絶対的を求めていますので決して相対的を望むことはありません。

お礼日時:2015/07/29 18:08

>さてこの正しく在ろうとする人間はどうして神様に怒ったのでしょうか?


人間は何かうまく行かないことがあった時その原因や責任者を探そうと
 する習性があります。おそらくそうやって失敗したことを分析し、次回から
 うまくやっていけるようになる人間が環境に適応し、淘汰されずに
 残ってきたからでしょう。
 1人でいるときに気持ちが塞がったりネガディブな気持ちになる人も
 多いですが、これも上記の自己反省からくるものと言われています。
 ああすればよかったとか後になってくよくよ考えるのも次回うまくいくための
 大切な時間な訳です。

 この異常者の場合もはじめは異常者自身の責任として改善できるように
 努力してますね。でもできなかった。
 また正しく生きようとこの人は最大限努力はしている。それが自分では
 分かっているのでこれだけ正しく生きる努力をしてきた自分に落ち度は
 ない。それならばもう自分のせいではない、自分以外の問題だとなった
 のでしょう。
 (後に 異常者は存在自体が悪 という考えになっているので
  すでにあてはまらないですが)
 書かれてはいませんがはじめは親や周囲の人、会社の人など
 誰かのせいにもしていたのではないでしょうか。
 その上で「人を作った」とされる神様にも、こんなにつらい人間を
 作ったんだから原因があると思ったのでしょう。
 昔は雷もそのメカニズムがわからないから神様(のしわざ)として
 あがめましたが、原理が解明されるともう神様は出てこないですね。
 それと同じで、この問題も解決されたらもう神様(の責任)は出て
 こないでしょう。
 でもどちらも本当は神様のせいなんかじゃありません。
 人間も動物の1種です。自然に暮らしているシマウマなどを見てみてください
 劣った、環境に適応できないものは食べられたり子孫を残せません。
 しかしずっと昔から続いているそのシマウマの集団の歴史のなかでは、
 1つの個体が集団適性が無くて苦しんでいても取るに足らない話です。
 適正のあるものが淘汰されず生き残るのです。
 人間も同じじゃないですか。
 どうしても周囲の環境に合わせられない個体も出てきます。
 それが呪いです。本人にとってはとても苦しいことかもしれませんが、
 全体から見るとそういった苦しみの多い人生を過ごす個体が
 ある程度出てくるのは仕方の無いことです。
 有性生殖をし、遺伝子を多様にすることで地球の環境が変化しても
 生き残る個体を増やしている(そうやって生き残って進化してきた)の
 だからポピュラーな正常者と相対的にそこからズレたマイノリティーは
 できてしまいます。ただ、環境変化によってはそのマイノリティーの方が
 むしろ能力を発揮したり生き残ったりできることもあります。
 ただそれだけのことで、神様のせいではない。
 この異常者はそのことに対する知識が不足しており、雷のように
 得たいの知れない理不尽、ということで神様のせいにしたのでしょう
 
>またこの人間はいったいどうしたら救われるでしょうか?
 これに対してはもっと異常者のことを知らないと回答できません。
 まず異常者さんの夢や、こうなったら幸せと思える状態の条件が知りたい
 です。もしまだその前提が無いようでしたらまずはどうなったら幸せか
 を考えることです。
 他の回答を全ては覚えていませんが、
 自分の主張をつらぬく、決してめげないとか周囲の人が認めてくれる
 などが上がっていたと思います。
 仕事や家庭、色んな状況が考えられますが、仕事での話とします。
 これは環境によっては可能です。
 ただ、自分の主張や特性をだしてもやっていけるのはある程度上の
 ポジションになってからです。それまでは主張するのを我慢しましょう。
 これは異常者だからではないです。正常の人も平の癖に自分の
 正しいと思う主張ばかりすると周囲に合わせられず「悪」になります。
 少しの間だけ我慢しましょう。そうして出世もすれば周りの人も
 認めてくれます。
 また救われる状態として給料がいくらあれば満足とか
 家族がいて子供が何人いれば幸せかとか
 どこに住み、休みの日は何をしてすごしたいかとか夢を
 明確にしていくことで無意識にもそれが実現するように思考し
 近づきます。

ずれますが、異常者認定を公にしてもらい、障害者として
年金をもらうのもいいんじゃないですか?
それも立派な権利ですし。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

補足を見た上での回答ですね、補足は当初の予定にない後つけなので本文とは辻褄が合いません、全ては私の思慮不足が招いた失敗です、真摯に答えようとしてくれる回答者様には真に申し訳ありません。
もちろん障害者支援制度は最大限に利用します、利用できるものは薬でも何でも利用します、ただ自分だけではわからないことがあるのでこうして回答者様の助けを必要としたのです。
これまでのやりとりでたくさん自分についてわかったことがあります、けれど私は自分のことについてわかってないことがまたたくさんあると思うのです、私はそれが何なのかを知りたい。もし質問していただければ何でも答えますのでどんな些細なことでもいいので質問してください。

長くなるので省略しますが幼い頃からこれまでたくさんの知識を楽しく取り入れてきました、また幾度かの議論も交わしました。その上で私自身はこれまでの過去を省みても執着するものや願望と呼べるものがありませんでした、友人も家族も何物も執着できませんでした。
好きなものはたくさんあります、憧れもあります。けれど何一つとして執着はありません、だから私は死を救いだと思うのです、他の人はきちんと執着があるので生きたいと思うから死は救いだと思わないのでしょう。
けれどそんな私にひとつ執着したいものがあることに気づきました、それは内から沸いた夢、願望(呪い)です。それは私を縛り不幸にする呪いかもしれません、けれどそれは私が求めていると思われる、ただひとつしかない唯一の執着対象だと思うのです。
けれど呪いによってその夢は決して叶うことはない、また呪いは呪いなので捨てたくても捨てることができない。こうなったらもう自分の意思を通すことだけが幸せであり救いだと思いました、その結末がどうなろうが興味はない、目的はあるが失敗しようが成功しようがどちらでも構わない。

私にとって譲れないのは私の意志を通すことだけであり、最後まで意思を通すことができればそれで自分の人生に納得がいくし、また求めている救いなのだと思いました。ただこれにどう思いますか?第三者の意見や感想を聞きたいです、些細なことでもなんでも構いません。

NO15を見る限り私はまだまだわかってないうことがあると思います、だからこの答えに満足せずにあらゆる疑問を「納得」がいくまで問いたいのです。

お礼日時:2015/07/29 08:53

おはようございます。

#12,#14でございます。

先ず、この異常者は、自分の夢が決して叶うことはないと悟り、自殺したいが普通

の人間のように生きなければならない正しく在りたいという二律背反に苦しんでい

ると思います。また、この異常者は、正しく在るとは課せられた義務と責任を果た

し普通の人間のように生きることだと考えており、ここで他の人間の存在を意識し

ているために相対が生まれ、先にも述べたように普通の人間と同じように生きなけ

ればならないが夢が叶わないから自殺したいという相反するふたつのことと、他の

人間と比較して同じような、または、それ以上の生き方ができないことで苦しんで

いるのだと思います。
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この回答へのお礼

おはようございます、回等ありがとうございます。
他の人の回答もすごく勉強になりまた楽しいですが。純粋に本文に答えようとするあなたとのやりとりもまた勉強になり新鮮で楽しいです。

はい、あなたの解答は筋が通っており説明もとてもわかりやすかったです。
本文の異常者が苦しんでる理由は正にその通りだと思います。

改めて問いますが、その異常者が救われるにはどうしたらいいですか?すでに解が出ているのでしたらごめんなさい。
なぜそれで救われるのかの説明を交えてお願いします。

お礼日時:2015/07/29 07:38

> その呪いをもたせた奴は神様だと怒りを向けたのだとのですが、あなたはどう思いますか?



「呪い」や「神様」などは、抽象的な各人各様の精神文化であって、他人の意見は無意味かと思いますが。
質問者さんが「私は思う」と言う以上、有徳の宗教家などが長時間かけて話し合いでもしない限り、合意には至らないですよ。

たとえば、同一宗教においても、キリストやブッダの捕らえ方は各人で異なり、実際にも、分派などが起こっていますが、万人が全く同じキリストやブッダのイメージを共有しているワケではありません。

しかし、そこから一つ言えることは、神や呪いが篤実な信心に発端するものであるとしても、それを信じると言うのは、やはり本人の自発的な意思でしょう。
すなわち、神や呪いも、「幼い頃から無意識からきた夢」と同様、最終的には自分の意識が創出した概念であることは確かでしょうね。

従い「質問者さんがイメージする神」は、「質問者さんに呪いを持たせた奴」であって、質問者さんがイメージする限り、それは永久に変わりませんし、質問者さんが考え方を変えた瞬間に、違う存在になります。


> 結果が出なくてもいいのですか?

いや・・。
それは自分で決めることです。

結果に拘るのであれば、「正しく在ろう」では無くて、「正しく在る」「正しく在らねばならない」などになると言うことです。
すなわち、「願望(在ろう)」と「思考や行動(在らねばならない)」が不一致なのです。

また質問者さんの異常性の本質は、その不一致への「固執」「執着」の類いでしょうね。
「認められたい」から、行動するウチに「全てに結果を出して、認められねばならない」に変わり。
それが達成されないのは「神様の呪い」のせい・・と言う流れかと。

ただ、「全てに結果を出して、認められねばならない」なんてコトが実現出来るのは、それこそ神の領域です。
おそらく質問者さんにとっての神は、「理想の自分」であり、「理想の自分」と「現実の自分」のギャップが「呪い」です。

神では無い人間にとって、そのギャップは「現実の壁」に過ぎず、真摯に向かい合って、挑み続けるべきものかと思いますが・・。
それを「神の呪い」とするのは、現実逃避とか、あるいは自己防衛や自己正当化を目的とする詭弁ではないですかね?
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この回答へのお礼

回等ありがとうございます。

>自分の意識が創出した概念であることは確かでしょうね。

なるほど・・・。これも目から鱗です、私ではその考えには到底至りませんでした。つまり自分で創り出した概念と神様は異なる存在なので神様に怒りを向けるのは筋違いというわけですね。では異常者は何に怒りを向ければ筋が通るのですか?
「運命」とやらでしょうか?そもそも持って生まれたものに怒りを持つこと自体筋違いでしょうか?持って生まれたものも含めて自分の範疇、つまり定義された精神的異常性も身体障害も全てひっくるめて自分の範疇に入るのだから、この場合はただの「自己否定」というわけですか?
異常とされた人間が異常であるがゆえに健常者の壁を越えられずに社会に適応できないのはただ「不運」なだけですか?不運な自分の存在を恨むのが正しいのですか?

>不一致への「固執」「執着」

異常者が「不一致」に執着ですか?なぜそんなことに執着してるのですか?一体それにどういう理由と何の意味があって?これが異常性の本質??なぜそれに執着するのが異常性の本質になるのですか??

>「認められたい」から、行動するウチに「全てに結果を出して、認められねばならない」に変わり。

認められたい?それは承認欲求ですか?だとしたら異常者は持っていませんよ。ぐぐって出てきた承認欲求の特徴とされている「寂しがりや」「人から注目を集めることで自分の存在意義や優位性を見出し、それをストレスの捌け口とする」「承認欲求が強い人は相手の話を聞かないくせに同意ばかり求める」「求めていないのに自分語りをはじめる」「家族、身内を大切にし過ぎる」「基本的に仕事は頑張る」「他人をよく褒める」
どれもひとつとして当てはまっていません。過去を持ち出して否定できるので書いて見たらそのぶんのスペースがなかったので書けませんでしたが。試しに質問してみてください、私は正直に現在と過去の行動を持ち出してそれに答えます、それであなたも判断できると思います。

異常者は他人に執着しません、他人とコミュニケーション取ったり遊ぶのは楽しいので好きですが、至極簡単に他人との接触をやめれます、それは友人家族であっても同様です。
たぶん異常者が認めて欲しいのは自分だけです、自分に認めて欲しいから行動してまた見放されたくないから行動する、異常者は自分にだけ従うのだと思います。

お礼日時:2015/07/29 07:09

#12でございます。



僕はこの質問を、現代文の問題でその設問に解答するかのように回答してしまいま

した。

神様が関わっていると思ったのは、質問文に神様という言葉が出てきたことにより

ます。そのため神様の存在が前提となっている文章だと思いました。なぜ神様の意

地悪のせいだと思ったのかと申しますと、神様がその人を異常者としてこの世にお

創りになったことで、その人は自分が苦しんでいるのだと思ったからです。


神様が基準を変えて普通の人間であると認めるというのは、神様がその人を異常者

認定したのだと解釈したためです。

神様は基準を変えないものとしましょう。

ここにおいても前提しなければならないことがあるのですが、神様がその人以外に

も異常者をこの世に創り出しているということなのですが、その人がその人以上に

異常な人を探し出すことができれば、相対によりその人が救われる可能性があると

思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
勘違いさせて申し訳ありません、これはただの私の個人的な興味から他者がどう答えるかを知りたくて設問したのです。

>神様がその人を異常者としてこの世にお創りになったことで、その人は自分が苦しんでいるのだと思ったからです。

道理ですね。

>その人がその人以上に異常な人を探し出すことができれば、相対によりその人が救われる可能性があると思います。

なるほど、異常者が苦しんでるのは相対的な理由によるものであれば確かに救われますね。

ですが本文にある他の要素を考慮して解答に入れないのではなぜですか?この解答では本文の異常者が何に苦しんでいるのかがわかりません。
あなたは本分を読んだ上で異常者は相対的な理由で苦しんでると推理したのですか?そこの説明を詳しくお願いします。

お礼日時:2015/07/29 05:16

> 異常者はなぜ生まれ持ったものを誰かのせいにしたのですか?生まれ持った遺伝する要素は親か爺婆のせいであり、またはただの偶然とも言えます。

それなのになぜ神様が出てくるのかわかりません。ただの八つ当たりだとしても神様を選ぶ理由はなんでしょう?
選ぶ理由まではわかりません。
あなたの中に答えがあるのでは?
質問に答えはありませんと書いてらっしゃいますが、その通りと言ってみたり、それは違うと言ってみたり。
あなたが答えを持っているからそのような返信になるのだと思いますよ。

> >それとうまく付き合う方法
>いいえ、異常者はこの呪い(異常性)に抗うと決めています。幾度となく現実に打ちのめされようと諦めず、自身の望んだ未来のために今できることが何かを考え、そして行動しているのです。あなた自身はOKとしても異常者はOKとしません、この呪われた特性を弱めて社会に適応しようとすでに行動しています。

だからです。うまく付き合う方法を考えれば解放されるけれど、それを望まない、というから無理が出るのです。


>>誰もが自分では認めたくない欠点があり、なかなか変えられません。
>そうなんですか!?私はNO1へのお礼で言ってる通り、凡骨には才能がない変わりに努力次第でなんだって本人の望むものになれる無限の可能性を持ってると思っていましたが、それはあなたからすれば間違いなのですか?それはまぁ環境や運に左右されることもありますが、
ほとんどは努力で夢を叶える機会を巡らせて鍛えた実力でそれをモノにするものだと思っていましたが違うのですか?

変われないとは言っていません。
なかなか難しいといっているだけです。
また変われる人と変われない人がいて、あなたは変われる人なんでしょうね。

彼の携帯を見るのはやめようと思ったけど、気になってみてしまう人や、ギャンブルでの借金を止めてくれない旦那様に困ってる方や、質問内容や回答へのお礼を見ててDV気質であると思う人でも自分はDVじゃないと言い張る人もいます。
そんな風になかなか変われない欠点を持っている人はいっぱいいます。

>欠点が無いかのように取り繕わなければ、と思うから苦しいのです
>> それは違います、本人の望んだ結果がでないから苦しいのです。そもそも取り繕うですって?外見を飾り、体裁をよくするっていう意味ですよね?異常者がそんな些細でくだらないことを気にしてるとあなたは本気で思うのですか?

>普通の人のように生きる・・・
異常者なのに普通の人のように生きると。
 取り繕うとは・・・
  不都合などを隠そうとしてうわべを飾る。「陽気に振る舞って悲しみを―・う」
「~ように」ということは異常者であるけど、普通の人に見えるようにするってことではないのですか?
そぐわない回答でしたらすみません。
理解不足でした。

>>救われるかどうかは、死んでみないとわからないのです。

> 詳しく書くと反論がくると言ってますが、反論を恐れるのならそもそも書かないで欲しい、
だから死んでも解放されないという内容については書いていません。
どちらを信じるかは、人それぞれで自由です。

ただ、死んで帰ってきた人はいないのですから、死んだあとどうなるかは誰にもわかりません。
自殺した人が死んで解放されるという確かな証拠は何もないですよ。
もちろん、解放される可能性もあります。
どちらかははっきりとはわからないのです。
つまり、どちらかわかないのに、死んだら解放されると思って自殺するのはリスキーです(自殺はしないのですから、いいのですが)。
だから自殺したら解放されるのに、と苦しまなくていいと思う。
ということを言いたいのです。

>親御さんを安心させたいから自分の意思でその約束を守ることを決めた、それは異常者にとっての幸せの形だと思います、
以前の異常者は気づかなかったけれど意思を通すことが異常者にとって幸せだと思います。そうでなければ他にどんな幸せがあると思いますか?

それなら、もうその異常者は救われているということではないのですか?


最後に
なぜ喧嘩腰なのですか?
架空の話で、答えはないという前提はどこに行ったのでしょう?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>それは違うと言ってみたり。あなたが答えを持っているからそのような返信になるのだと思いますよ。

そのつもりはありません、そうなってるのだとしたらその時の私が間違っているのです。他の人がどう思うかを聞きたくて本文で架空だと銘打って問いをしてるのですから答えはありません。

>そんな風になかなか変われない欠点を持っている人はいっぱいいます。

確かにそれらは聞いたことあります、私にはどうしても理解できないので、私が凡骨への理解が足りなくてあなたの言うことが正しいのだと思います。

>異常者であるけど、普通の人に見えるようにするってことではないのですか?

そういう意味ならあなたの見方は正しいと思います、申し訳ありません私が浅はかでした。

>自殺したら解放されるのに、と苦しまなくていいと思う。

あなたの気遣いでしたか、ありがとうございます本心から嬉しく思います。人や生き物が死に至るまでの経緯を目にしてそういう考えになりました、自殺したら解放されるというのは死は命ある物にとっての希望だと思うからです。

>それなら、もうその異常者は救われているということではないのですか?

言われてみるとそうですね、申し訳ありません本文の架空の話と個人的な話がごっちゃになってしまいました、これは完全に私の過ちです。
実は私は個人的なことを架空と銘打って問いにしたのです、以前のようなことが起きて欲しくないためにこうしたのです。それが全ては私のせいで台無しになりました、申し訳ありません。

>なぜ喧嘩腰なのですか?

感情的になっていた部分があったと思います、申し訳ありません。

>架空の話で、答えはないという前提はどこに行ったのでしょう?

その前提をなくしたつもりはありません、そうなってるのだとしたらその時の私が間違っているのです。本文の問いに対しては答えは設けていないつもりでしたが、
補足なんてものを書いたせいで個人的なことと架空がごっちゃになりましたのは私の過ちです、補足は全て当初には考えてなかった後付けのものなのでボロが出ましたが、最初から最後まで本文の問いにだけは答えは設けないつもりです、本文の問いに正答があるかのように書いてあるのならその時の私が間違っています。

混乱させてしまい申し訳ありません。

お礼日時:2015/07/29 04:50

他の回答とそのお礼、補足コメントを一切読まず、はじめの質問文を読むことだけ



で回答いたします。


・さてこの正しく在ろうとする人間はどうして神様に怒ったのでしょうか?

その人間が、生まれつき異常者で普通の人間のように生きることができないのは、

神様の意地悪のせいだと思ったから。


・またこの人間はいったいどうしたら救われるでしょうか?

この質問に関してなのですが、この人自身ができること、または、することでしょ

うか。そうでなくてもよい場合の回答は、神様が基準を変え、その人が生まれつき

異常者ではなく、普通の人間であると認めることで救われる。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なぜ神様の意地悪のせいだと思ったのでしょうか?いったいどこに神様が関わってると思ったのでしょうか?

神様が基準を変えて普通の人間であると認める?はたして神様が基準を変えてくれるでしょうか?
とりあえず神頼みはアテにならないのでこの人自身がどうすることで救われますか?

お礼日時:2015/07/27 21:32

・さてこの生まれつきの異常者はどうして神様に怒ったのでしょうか?



「異常者だから」でしょうね。

「幼い頃から無意識からきた夢」は、自発的なモノであり、宗教的な戒律などではありませんので、神様に怒りの矛先を向けるのは、筋違いかと。

・またこの人間はいったいどうしたら救われるでしょうか?

ブレなきゃ良いだけかと思いますが。

そもそも「正しく在ろうとする人間」ってのは、「そう言う方向性に努力する人間」ってコトなので。
すなわち極論すれば、たとえ極悪人でも、そう言う方向に向って努力し続けるだけで、目的を達成しますから、異常者でも、絶望などせず、努力すれば良いだけです。

ところが途中から、「すなわち普通の人間のように生きる」と、目的が変わってるんですよ。
それが目的や通過点であれば、医学的な治療とか、何らか訓練などせねばなりません。

尚、仮に通過点とすれば、治療や訓練に努力するだけでも、「正しく在ろうとする人間」は達成しているので、既に救われていると言えるでしょう。

「正直者は損をする」と言う話に似てる様な気がしますよ。
正直者は、「正直に生きる」と言うことを目的としているので、「損得」や「利害」を尺度としていません。
損得などを尺度とする人間が、自分の尺度で正直者を見た場合、「正直者は損だ」などを思うワケです。
一方の正直者本人は、正直に生きれば、目的達成者です。

異常者も、異常者が考える「正しく在ろうとする人間」を実現すれば良いだけの話でしょう。
それにも関わらず、途中から「普通/正常」など、損得に類する打算的な考え方を持ち込んだ結果、苦悩しているだけの様に思います。

またその結果、「神様に八つ当たり」しているのではないですかね?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
あなたの回答は実に興味深いです、眼から鱗です、そういう発想はありませんでした、これまた本質を突いてると思います。

「異常性」と「無意識からきた夢」と「その夢への病的な執着と実現するための病的な研鑽」は持って生まれた呪いだと異常者は思っていて、その呪いをもたせた奴は神様だと怒りを向けたのだと私は思うのですが、あなたはどう思いますか?

>そう言う方向に向って努力し続けるだけで、目的を達成
>治療や訓練に努力するだけでも、「正しく在ろうとする人間」は達成している
>異常者が考える「正しく在ろうとする人間」を実現すれば良いだけ

眼から鱗です、結果が出なくてもいいのですか?結果が出ないまたは就職しても続けられないのは努力が足りないからではないのですか?正しくない人間だから当たり前のことができないし続けられないのではないですか?私はいつも周りに望まれた結果を出してきた、
けれど私のやり方がおかしいせいで周りの誰にも認められずに責められてきた、また努力しない怠け者だとされた、私一人だけが結果を出したのだから間違っていないと思っていた。しかし思う様に結果が出せなくなったから周りが正しくて私が間違っていると疑うようになった、そして実際それは結果で証明された。

もちろん努力は続けているし諦めない限り努力をしないのはありえない、そのために正しい適切な行動もしている。けれど結果が出なければ誰も正しいとは認めないし、計画通りにやれない約束を守れなかったり意図せずに人を不快にさせたりする独りよがりな異常者が正しいわけがない、誰も付き合いたがるわけがない。
「目的が変わってる」というのもわからない私は周りに望まれた結果を出したい、それができなければ誰からも正しいと思ってくれないし認めて欲しい人間に認めてもらえない、正しく在りたいという願望(呪い)はなくならない、だからそのために生涯をかけて自他共に認める正しい結果を出すことに固執するのです。

やはり生涯かけて結果がでないことには私の言葉は全て身のほども知らない大言壮語でちゃんちゃら笑われて終わると私は思います、あなたこれにどう思いますか?どうか教えてくださいお願いします。

お礼日時:2015/07/27 21:23

お礼をありがとうございます。


ついひとつの補足で憤りを感じてしまいましたが
すぐに悔い改めをさせていただきました。
強いことを言い、ごめんなさいね。

昨日は礼拝があり、教会で特別賛美の奉仕をしました。
祈り時間もたくさんありましたので貴方のために
心から祈りました。貴方が必ず生きているうちに救いがあるように。

>せめて生きてるうちに救いがあって欲しかったな、どんなものでも死ねば救われる、
何故27歳にして過去形で話すのでしょう?
死ねば救われるという根拠は?何故そう決めつけますか?
本当にそれが間違っていないと立証できますか?
救いというものは生きているうちにしかありません。
救われないまま死んだ人は想像もできないほどの苦しみに
永遠にとらわれ続けて死の世界で生き続ける。
そのように神は言われます。だからこそ生きているうちに
一人でも多くの人が救われる事を心から望んでいます。

私の娘も異常者という中に入ると思います。
家庭もめちゃくちゃにしました。
高校を卒業したあと父親に追い出されてしまいましたが、
その後も救急車、警察、病院、アパートの取り立て屋。男。
何度も連絡が来て迎えに行ったり、お金を支払いました。
そして更に自分で自分を追い込み続け、ネットで知り合った人を
頼って遠くの地へ逃げ、そこで騙され、急性アル中、
リストカットのやり過ぎでまた救急搬送。常習です。
すぐに頼った人に追い出され、荷物も返してもらえず
洋服一枚でネカフェで生活、とうとう風俗行きです。

彼女もひどく苦しんでいます。まだ22歳です。人を怒らせるのは
天下一品です。でも私はもう手助けをしていません、
遠くへ逃げれば更に必ず地獄を見る、と言って大反対しましたが、
無視して行き、そして今本当に地獄の崖っぷちに立たされています。
言った通りになりました。
私は祈る事だけは欠かさず毎日祈っています。
今、本当に死んでしまいたいくらい苦しい日々だと
思いますが、娘は必死で乗り越えようとしています。
そして、異常者の性格も徐々に変わっています。
私は神様が変えてくださっていると「確信」しています。
人間が、ましてや自分の力で自分を変えたり、
人を変える事はできません。出来ているように見えているだけです。
勿論このようにしてくださいと神に願ってもその通りになる事も
ありません。正しい道に戻す為に辛い試練を与えますし、
苦しいいばらの道も歩かされます。
同時に乗り越える力もくださいます。
でも最後には神の義とされる正しい人間へと変化する。
これは話したところで経験しなければ理解できないので参考に。
それに人の苦しみには興味ないのでしたね、長々すみませんでした。

信じた者だけが救われる、信じない者は決して救われない。
これはどうしようもないことです。
この世を創られた方の決めごとです。
目に見えるもの、聞こえる事だけしか見ようとしないと
何もわかりません。真実は目に見えないものにあるからです。
実際私も軽い異常者でした。死ぬほど苦しみ死ぬことも
何度も考えました。死ねば救われると考えていました。
でも違った。私の祈りは完全に届きました。
奇跡を経験しました。これは確信できます。
異常者から脱出できました。
イエス・キリストは言います。
「疲れた者、重荷を負う者は誰でも私のもとに来なさい。
休ませててあげよう。私は柔和で謙遜な者だから、
私の軛を負い、私に学びなさい。そうすればあなたがたは
安らぎを得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いから
である」「求めなさい、探しなさい、叩きなさい。
そうすれば与えられ、見つかり、門は開かれる。
誰でも求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には
開かれる。あなたがたは悪い者でありながらも、
自分の子供には良いものを与える事を知っている。まして、
あなたがたの天の父は求める者に良いものをくださるに違いない。
だから、人にしてもらいたいと思う事は何でも、あなたがたも
人にしなさい。」聖書の中にはいくらでも癒され、救われる
神の言葉があふれています。恐ろしいこともありますが。
異常者を救えるのはただ、神様だけです。
人は愛をもって祈り続けます。知らない人の為であっても
祈ることができます。希望を捨ててしまった人に
もう一度希望を持ってもらえるように。
謙虚、謙遜、感謝を学び、人の為に尽くすことを実行し続けます。
正しい人になり続け、自分ではなく神様の正しさ(物差し)
を求め続ける。
それが「愛」を忘れないクリスチャンです。日本の悲しい所は
神様の存在を宗教という言葉に惑わされ、疑い、否定し、
絶対にいないと考える人間がとても多い人種です。
この残念な事実に世界中から一人でも救われるようにと
沢山の聖職者が来てくれています。
教会ならば異常者だとしても受け入れてくれます。
共に強く祈り、支えてくださいます。共に悲しみ、共に苦しみ、
辛さを分かち合う場所です。そういう罪人達の集まりだからです。
教会はイエスキリストがいるところです。行きたくなければ
良いのですが、ココよりも必ず希望の光を見ることができるでしょう。
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この回答へのお礼

前回は改めて申し訳ありませんでした、お礼の言葉を欠いた上に神はいないなんてクリスチャンの前で言ってしまったのは私の過ちです、あなたの怒りと言葉は正しい、私は確かに天性の独りよがりです。
>心から祈りました。貴方が必ず生きているうちに救いがあるように。
ありがとうございます人の想いはとても素晴らしい物です、私の為に想ってくれたことは本心から嬉しく思います、そして私の謝罪が伝わって本当に良かったです、過ちを正せなければ負債として残り続けるからです。
>それに人の苦しみには興味ないのでしたね、

体験談を聞いたところでその苦しみは本人にしかわかりません、もし苦しみがわかるなんて言われたらふざけるなと思うでしょう。ただ人に話したことで少しでも楽になれるのなら聞くくらいで助けになれるのなら構いません、意見を求められると困りますが。
それに興味ないというか単純に不幸な話は嫌いなんです、ネガティブとか負の感情は嫌いなんです。

はい、あなたの私を案じる想いはきちんと理解しました、頭の片隅に留めておきます、気が向いたら訪れるかもしれません。
確かに夢を叶えるという希望は無くなりました、けれど私を想い助けてくれる人達もいるし、医療という便利な道具や国の支援制度もあるので絶望はしていません、楽しいこともきちんと身近にあります。
そして私には物凄く好きなものがあります、そしてそれは長い間気づかなかった私の目指した理想の存在です。その理想の存在になるという夢が叶うことはないけれど、それが存在するだけで見るだけで私は嬉しいし、元気になれます。
救いがないというのは呪いでもって夢に向かって研鑽しても願望(呪い)は叶わない、しかも呪いを持つがゆえに普通生きられないと悟ったところで、呪いゆえにそれを変えることも捨てることもできないからです。
しかし私は自分の意志を通すだけで幸せだということに気づきました、たぶん私にとっての救いは意思を通し続けることです、最後まで自分の意思でもって道を選びマイペースに歩きます。たとえその道が、歩き方が間違っていたとしても、その結末がどうなったとしても、自分の意思を通した結果ならば後悔はない。
私にとってその過程自体が幸せの在り方で、救いとは自分の人生に納得することだと思うのです。私の過去は良いものではなかったけれど、省みた時に後悔したことは一度もありません。

お礼日時:2015/07/27 20:24

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