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大田直子著の ”字幕屋に「、」は無い” を読んで、下記のような記述に出会いました。
[私も、原稿に「手が足りない]と書いたら、クレームが来そうなので、「人出が足りない」にしてくださいと懇願されたことがあります。]
「使ってはいけない言葉たち」という小見出しのなかに、有りました。
私は、(最近の)社会の動向に疎いもので、教えてください。
「手が足りない」は、使ってはいけない言葉に含まれているのでしょうか?

A 回答 (8件)

>受動的な思考・行為と、能動的な思考・行為とがあるのですね


ほんの、参考です。
否定的な言葉、例1 廊下を走らないようにしましょう、これは実際にはほとんど意味w落ちません、否定の表現だからです。
つまり、では寝てもいい?、走りさえしなければキャッチボールしてもいい?、ケンケンパはしてもいい?・・・・。
例2 テレビのドラマで、「私間違ったことはしていません」、実はある人を窮地に追い込む行動をとっていた。
していません、ではなく、やっていることが重要なのです、でたらめ、ちゃらんぽらんしてても、間違ったことしてません、は言えるかも。
似たことのように思います。
前向き思考、積極的、能動的、肯定的・・・・、行動にしても、思考にしても、これらが分かれ目では・・・と思っています。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
”使ってはいけない”などの
<否定の表現>は、
<ほとんど意味を落ちません、>
なのですね、肯定的な表現に比較して。

お礼日時:2015/08/27 21:55

まず結論を書きます。


「手が足りない」が「使ってはいけない言葉」になる根拠はたぶんありません。
「使ってはいけない言葉」は、各媒体によって大きく異なり、実態も共通するリストもないからです。「禁止」ではなく「自主規制」の意味合いが強いようです。
 逆を言えば、大田直子氏に懇願した人(担当者ですかね、会社ですかね)の基準では「使ってはいけない言葉」なのでしょう。字幕の自己規制は相当厳しい気がします。
 著者が「どうしても使いたい」と主張すれば、上にお伺いを立てることになり、結局は使えた気がします。まあそんなことを考えずに「人手が足りない」(「手」ですよね)にするのが大人の態度でしょうが。

 詳しくは下記をご参照ください。いろいろ見ましたが、「手が足りない」に関する記述はありません。
「片手落ち」は×のようです。昔は「片落ち」と書きかえる案もありましたが、現在は「不公平」あたりが多いようです。
【差別語、差別用語、放送禁止用語、放送禁止歌】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-3288. …



 以下は一部の抜粋(重言)。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 用語についても同様らしい。厳密な「放送禁止用語」はなく(当然罰則もない)、各局が「自主規制」しているだけ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E9%80%81 …
==============引用開始
放送禁止用語(ほうそうきんしようご)は、テレビやラジオといったマスメディアにおいて、何らかの理由によりその放送における使用が禁止されている言葉のことを指すが、今日の日本で法によって明文化された放送禁止用語は存在せず、単なる放送事業者の自主規制である。
==============引用終了
 まぁそうは言っても、ある程度の共通認識はあるらしい。細部は局によって違う(はず)。
 テーマサイトのNo.1のコメントで、興味深いサイトが紹介されている。
【放送禁止用語一覧】
http://monoroch.net/kinshi/
 スゴい労作だと思うが、疑問を感じるものも多い。
 たとえば冒頭にある「アイヌ系」。こんな言葉は初めて知った。
 当方が昔聞いた差別用語は「アイヌ」。これは「アイヌ民族」「アイヌの人々」と言えばOKだった。「アイヌ犬」を「北海道犬」と言いかえるのは無理を感じる。後述の『記者ハンドブック』の記述は若干違うが、「アイヌ系」は記述ナシ。
「百姓」に関して〈NHKで農業従事者が自分のことを「百姓」と言い放送事故になったとも〉とあるのも、どうなのだろう。自称に関してはかなり甘くなる。つい先日もインタビューされた農業従事者が「百姓が……」と言ったVTRがフツーに放映されていた。もちろん、政治家が「無学な百姓は黙っていろ」などと言ったら大問題になる。要は使い方しだい。
 テーマサイトで「床屋」の話が出ていたが、これを「放送禁止用語」にしたのは何かの勘違いだろう。
 これは言いかえる必要がある語のなかでは、解釈が分かれるはず。詳しくは後述。
 貴重な資料だが、ウノミにはできない。そもそも「放送禁止用語」はないのだから。

 出版界だと「差別(用)語」などと呼ばれる。
『記者ハンドブック』の12版ではP.519〜524に『差別語、不快用語』の項がある。
 床屋→理髪業・店、理容師
 の書きかえを推奨している。これは「床屋」限定ではなく「○○屋」全般に及ぶはず。
『記者ハンドブック』にも下記の注がある。
==============引用開始
「○○屋」の形で職業・肩書を示すのは避ける。「床屋さん」「魚屋さん」など愛称的な表現は使用してもよいが文脈に注意する。
==============引用終了
 これも「魚屋風情が……」などと言ったらアウト。
 当方の知る限りだと、一般的な書籍では下記のように書きかえる。
魚屋→鮮魚店/八百屋→青果店/肉屋→精肉店/花屋→生花店
 このあたりまではアリかなと思うが、「パン店」には相当異和感がある。これが文芸作品なら、「○○屋」は問題がないはず。
 テレビでも同様だろう。ニュースでは「○○屋」を避けるが、ドラマならOKのはず。
 数年前に『薔薇のない花屋』というドラマが放映された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%94%E8%96%87 …
 もし「○○屋」が「放送禁止用語」なら、こんなことはありえない。
 途中でヨコヤリが入るのでは……とドキドキしていたけど(笑)。

 ちょっと余計なことを書くと、生放送だと「放送禁止用語」なんて考え方が成り立たない。時々あるが、「放送事故」扱いになる。下記あたりをご参照ください。
(以下略)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
自主規制だから、個々人によて、線引きがまちまちなのですね。そして、言葉の一つ一つも、線引きが微妙なのですね。
”○○屋」”はダメだが、”○○家さん”はパス、などがあるのですね。”お前は馬鹿だ”はダメだが、”俺は馬鹿だ”はパスになるのですね。

お礼日時:2015/08/25 19:22

補足


使ってはいけない=受け身、受動的思考、ある意味無責任。
あってはならない、不要な言葉=能動的、自ら積極的な思考。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
言葉には、受動的な思考・行為と、能動的な思考・行為とがあるのですね。

お礼日時:2015/08/23 19:16

そこまで言うなら、逆に、「使ってはいけない」言葉なんてありません。


もっとも、てんぼう、や、ちんば、なんてのは障害そのものを表現、詳細な状況でなく、突込みで障害者を表現しています、これらは使うべきではない、というより、あってはならない言葉でしょうね。
使うのを避けたい言葉、はあるでしょうね。
話は変わるが、クレーマーといわれる人もいますね。
手が足りない、通常は、人手が足りない、と理解して聞きます。
文字通り手といわれるものの数が少ないときに、使うかどうかですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
手が足りないの手を、身体の手として、理解する人がいるのでしょうか? 曲解する人はいるでしょうが。難しい問題ですね。

お礼日時:2015/08/23 15:44

「手が足りない]


実用日本語表現辞典 には載っていましたが、大辞泉にも大辞林にも載っていませんでしたね。良く聞く表現だとは思うのですが。替りにと言ってはなんですが、
「手が無い」は載っていました。
【放送禁止用語】には、「手が足りない」も「手が無い」も載っていないようです。しかし、
「手ん棒」という表現が載っています。
「片方の腕が無い人を指す」という説明があり、「隻腕」と言い換えられるべき、とされている。
http://monoroch.net/kinshi/
こうした分類はなぜなのか?少し考えてみます。
因みに、ウィキには
「片手落ち」という語が差別用語として載っていますが、これとも合わせて考えてみることにします。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AE%E5%88%A5 …

差別に関連する定義は、見た範囲では次のようになっています。
【差別語ー大辞泉】
・特定の人・団体・性などを不当に低く扱ったり、見下したりする意味を含む言葉。
【差別ー大辞林】
・偏見や先入観などをもとに,特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また,その扱い。
【差別用語ーウィキ】
・「他者の人格を個人的にも集団的にも傷つけ、蔑み、社会的に排除し、侮蔑・抹殺する暴力性を持つ言葉」のことをいう。

ウィキには、「最初から差別・侮蔑を目的として作成されたもの」が用語の種類のひとつとして挙げられているのですが、これを、「最初から差別・侮蔑を目的として表現されたもの」と言い換えれば差別用語の本質に近づけるような気もします。
何が言いたいかというと、隻腕の方にとって、手を失ったのは事実なわけですが、しかし、「落ちた」わけではない。
それを面白おかしく表現しようとしたのが「片手落ち」ではないか、という気がするわけです。
使い込まれた現在では、すでにその意図も薄れてしまい、差別語とは呼べない印象も受けますが、そもそもの起源には、そうした意図が込められていたのではないか、ということ。
つまり、『差別・侮蔑を目的とした表現』を差別語とすればわかりやすいのではないでしょうか。
因みに、「片手落ち」は、大辞泉にも大辞林にも載っていますが、辞書は差別語であれ何であれ全ての語を網羅するのが目的なので、辞書に載っているから差別語でない、ということにはなりません。
ただし、ここで「片手落ち」を差別語である、と言っているわけではありません。
少なくとも、上記のような理由で、そうであるかないかを検討する対象になり得る要素を持っている、と判断するのが妥当ではないか、ということです。
一方、「手が足りない」「手が無い」はどうか、と考えてみます。
これは、最初から、「(作業をする人の)手が足りない」「(働く人の)手が無い」という意図であり、隻腕の方の状況を面白おかしく表現したものではないと考えるのが論理的ではないか、と思います。
つまり、『差別・侮蔑を目的とした表現』とは言えないのではないだろうか、ということ。
むろん、そのことでハンデを負っていらっしゃる方が、どうしても嫌だ、ということであれば使わないようにするべきだとは思いますが、実際のところはどうなのでしょうね。
しかし、「床屋」が放送禁止用語になってるとは知りませんでした。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
細かく分析していただきました。
手が足らないは、
<面白おかしく表現したものではないと考えるのが論理的ではないか、と思います。>
ですね。とはいえ、
<「床屋」が放送禁止用語>
であると、線引きの難しい問題ですね。

お礼日時:2015/08/22 21:51

「手が足りない」はなんの問題もありません

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<なんの問題もありません>
ですね。

お礼日時:2015/08/22 08:51

「手が足りない」


普段の生活ではあまり意識せず使われていると思います。
言葉ひとつで不快に感じたり揚げ足を撮ったりで、今の御時世、言葉に過敏になってきていると思います。
そういう意味では、クレームが来そうと思われることはは「使ってはいいけない言葉」に分類されてしまうのでしょう。

病気やケガで手や腕を失った方などへの配慮なのでしょうが。
「片手落ち」という言葉も同じような扱いされてるかな。
辞書にもある言葉なので「使ってはいけない」と縛り付けるものではないと思います。

公に使う文書やトークでは差別や障がいを連想させる言葉は「使ってはいけない」かもしれませんね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<クレームが来そうと思われる>
ほどのレベルなのですね。とはいえ、明らかに、使っていけないのか、使っていいのか、難しいですね。

お礼日時:2015/08/21 21:59

あまり聞いたことはなく、普通に使っていると思います。



 放送禁止用語にも入っていないようですし。
http://monoroch.net/kinshi/

 ご指摘の内容は、見方によっては「手足がない」と見間違えるかもしれない、という趣旨なのではないでしょうか。言い替えの「人出が足りない」にしても、普通は「人手が足りない」と書くはずですので。
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