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傅子を読んでいるのですが、ちょっと引っかかっているので、どなたかアドバイスください・・・。

「夢攀日月覚而不上天庭」という文章なのですが、意味はおそらく「太陽や月に登る夢を見ても、覚めてみれば天にはいない」という意味だと思うのですが、訓読がうまくいきません。意味もちょっと自信がないのですが・・・。

あと、それに続く文で「高宗得説偶中耳」というのがあるのですが、これにいたっては意味の予想もつきません・・・。

アドバイス、お願い致します。

A 回答 (8件)

まだ質問を受け付けていらっしゃるようなので、ちょっとだけ書かせていただきますね。


他の方の回答やお礼をしっかり読んでいなかったために、「よじる」を「あぐ」としてしまいました。ごめんなさい。
高宗については、「夢ト」という言葉があって、「殷の高宗が夢でフ説を、周の文王が占いで呂尚を得た故事」、ここから訓読を推測しました(辞書で確認したので信憑性のある情報です)。故事ですから、フ子だけでなく、当時の人々にも広く知れ渡っていたのではないでしょうか。夢についてフ子が記述するとき、ふとこの故事が頭をよぎってこんなふうに書いてしまったのかな、と…。私達にはその思考過程が分からないから混乱してしまう。人間の思考っておもしろいなと思いながら訓読しました。
あ!私の読みは推測なので(つじつまを合わせようとしたところもありますので)、参考程度にご覧下さいね(*^-^*)
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この回答へのお礼

高宗について、教えて下さってどうもありがとうございます!
今日、今からここで参考に考えた意味と訓読を持って授業に行ってきます。
どんな結果になったか報告に来ますね!
本当にありがとうございます。

お礼日時:2004/07/05 16:56

>(質問者様の場合、どちらかというと二つ目の訓読に近い意味でしたね)。



(質問者様の場合、どちらかというと三つ目の訓読に近い意味でしたね)。
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この回答へのお礼

わざわざ訂正ありがとうございました!

お礼日時:2004/07/05 16:52

>「攀」は「よじる」という字です。



この文字は、音読みで「ハン」。訓読みはありませんが、意味にあわせて、和訓を当てます。その時に、「よじる」とか「よじのぼる」とか読みます。この文字には、のぼっていくという意味があるようです。今、ここでは、「不上天庭」の「上る」と同じに読んで構いわないと思います。同じ意味で使う場合に、同じ文字ばかり使うと文章的に汚いので文字を変えているだけのようです。日本語でもそうですねよね。文章訓練してない子供であれば、同じ言い回しが頻出しますが、作家とも成れば、ちょっと違う言い方や難しい文字を使います。こういうことは、よくあります。

そうなると、一つの訓読としては、

夢に日月に攀りて(のぼって)、覚めて天庭に上らず。

あるいは、

夢に日月に攀りて(のぼって)、覚めるも天庭に上らず。

場合によっては、

(夢に日月に攀るも(のぼるも)、覚めて(は)天庭に上らず。)

となります。細かい相違については、感性にゆだねられる部分が大きいですが、逆接の意味を出したいなぁと思ったら後の二つの方が良いかもしれません(質問者さまはこれで読みたいのですよね)。ことさら逆接の意味を取らないでよむこともできますし、そういう人もたくさんいます。これは読む人の感性が大きい部分です。

なお、逆接で読む場合を二通りあげましたが(真ん中のものと最後のもの)、文法的にすっきりしているのは真ん中のものです。たぶん、日本語的には最後のを選びたいのですが、「而」は順接あるいは、逆接の接続詞ですので、逆接に読む場合には、「覚而」の部分に逆接の意味を込めた方が、文の形には忠実なのです。しかし、これも絶対というほどのものではありません。もともと外国語の漢文を日本語に無理に読んでいるので、絶対的に一通りの読み方というのはない場合も多いのです。

意味は、最初に質問者様のしたままでよいです(質問者様の場合、どちらかというと二つ目の訓読に近い意味でしたね)。たぶん大学の授業で使われているのでしょうから、先生がどういうかですが・・。



前にも書きましたが、対句になっていますから、書き下す時も、対句の形にして書き下してください。一句めと二句めが違うような書き下しになっていてはいけないということです。並べて一目瞭然に対であることがわかるように、書いてください。

同じように、

・夢入九泉悟而不及地下
→夢に九泉に入りて、悟りて地下に及ばず。
→夢に九泉に入りて、悟るも地下に及ばず。
(→夢に九泉に入るも、悟りて地下に及ばず。)

一句めと合わせた形で読んで下さい。意味は、辞書で引いていただければもう分かると思います。地下も今でも使いますが、死後の世界の意味です。

・高宗得説偶中耳

結局わかりませんでした・・。
「説」というのを人名として読むという読みかたが提示されておりますが、人名かどうかこれだけでは、ちょっと分からないです・・。それで、高宗がだれか知りたい、という前の質問になったわけですが・・。

「得」には、可能の助詞としての用法があり、これが一般的ですので、その場合は、「説くことができた」の意味に取らなくてはいけません。「説」が動詞になっているわけです。また動詞として読む場合にも、二通りほど解釈が考えられますが、たぶん、プリントをすった先生も悩まれているはずです。引用元を見ないと分かりませんし、せめてそのコピーの本を見ないと・・。

ただ本によっては、固有名詞(人名・地名)には、人名・書名等の横に、~~~やーーーーーが引かれていますので、もしそういう本を読まれていたのであれば、何も横になければ、それは動詞です。~~~などが引かれているのであれば、それは固有名詞ですから、その場合は、5さんの提示した読みで多分良いと思います。

というわけで、最後については保留のまんまということで・・。
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この回答へのお礼

詳しく教えて下さってありがとうございました!
私の考えた意味だと、下二つの読みがいいんですね。

後半の文章の方は、いくら考えてもわからなかったので、下の5さんの読みで行ってみようかと思っているところです。

今日、今から大学の授業なので、最終的に先生がどうおっしゃったか報告にきます。

本当に詳しくありがとうございました!

お礼日時:2004/07/05 16:51

No2で回答した者です。

わざわざお礼をありがとうございました。今回の件、もう一度回答に挑戦します(笑)。
全文を見て、意味が何となく分かりました。
まず、前回2文字目を見間違えていたようです。「挙」の旧字体だったのですね。ごめんなさい。
というわけで
「日月に挙ぐるを夢み、覚ゆれど天庭に上がらず。」
「九泉に入るを夢み、悟れど地下に及ばず。」
「高宗説を得るは偶々中たるのみ。」
意味は、
「太陽や月に登る夢を見ても、目覚めると天にはいない」(mitsu76さまのおっしゃるとおりでした)
「地の底(死後の世界?)に入る夢を見ても、気づけば地下にはいない」(二つの文章はotorisanさまのおっしゃるとおり対句になってます)
以上の文章を受けて、前回回答いたしました
「だから、高宗は(夢を見て)フ説を臣下として手に入れたと言うが、それは偶然である」
という文章をあてはめると、内容がすっきりしませんか?
つまり、フ子は「夢が現実になるなんてありえない(夢が現実を暗示するなんて考えられない)」と批評していると考えられます。この文章はなにかの注釈書でしょうか。
初めに「フ子=フ説」だと思いこんでしまって、変な書き下しをしてしまいました。別人だったようですね…。

謎が解けて、なんだか私の心がすっきりしました(笑)。
お役に立てれば嬉しいです(*^^*)
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この回答へのお礼

本当に丁寧にありがとうございます!

最初に全文を書き込んでいなくて、ご迷惑をお掛けしました;
すごくわかりやすく説明して下さって、本当に嬉しいです。早速、一緒に悩んでいた友人に連絡してみた所、彼女もなるほど!とすっきりしたようでした。

どうもありがとうございました!

お礼日時:2004/07/02 11:51

>天庭もその文脈で読めれば



天の世界、という意味です。
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夢攀日月覚而不上天庭と夢入九泉悟而不及地下。



とは対句の形になっていますので、意味は、質問者様のお考えになっていたもので良いのではないかと思います。九泉は、死後の世界の謂いだと思います。地下も多分、同義です。天庭もその文脈で読めれば、読むと良いと思います。「攀」の字、よく見えないのですけど、「ハン」という読みの字ですか? 

高宗得説偶中耳

読んでいる本は、差し支えなければなんでしょうか?
『傅子』を読んでいるのではなくで、「傅子曰」とあるので、何かの注釈に傅子が引かれているということですか? そうすると、本文に何が書いてあるか分からないとちょっと分かりにくいかと・・。自信はないですが・・。

前の二句は対句で駢儷文のような形になっていますが、後ろは批評みたいに見えます。高宗というのが、誰を指しているのか分かった方がいいのですが・・。
何の本か、どういう文脈かわかりますか?
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この回答へのお礼

丁寧に教えて下さってありがとうございます!

「攀」は「よじる」という字です。

読んでいる本自体は、コピーしてもらったものなので、ちょっとわからないのですが、夢について書かれた文章を集めている本のようです。
他にも「荘子曰・・・」や「淮南子曰・・・」などで始まる文章があり、傅子の部分は「夢攀~中耳」までしか書かれていないので、文脈はわかりません・・・。

お礼日時:2004/07/02 11:46

全く参考にならないかもしれません。

そのときはごめんなさい(T-T)。
「にちげつをひくをゆめみ、おぼゆれどてんていにあがらず」(日月をヒくを夢み、覚ゆれど天庭に上がらず)と読んでみてはいかがでしょう。
「太陽や月を引き寄せる夢を見た、目覚めたけれど、天に太陽や月が昇っていなかった。」
確か、「高宗が夢を見て、素晴らしい家臣(フ説)を手に入れた」という話がありますので、今回の箇所はそこを記述していると考えられます。
高宗が太陽や月のように輝くものを自分の元にひきよせるという暗示的な夢を見たということでしょうか。
「高宗得説」は「高宗、説を得」(高宗はフ説を得た(フ説という人物を臣下として手に入れた))でしょう。ただ、「偶中耳」の部分が推測できませんでした。この後の文章で読み方が分かるかも知れません。「偶」を「あフ」(動詞)と読むか、「たまたま」と読むか。「中」を「あたる」と読むか。「耳」を限定の「のみ」と読むのか…。
もし「たまたまあたるのみ」と読むのだったら、「暗示的な夢を見てフ説を家臣として手に入れたけれど、それはたまたま夢が当たっただけだ(偶然だ)」。・・この文章の続きがあれば、この書き下しが合っているのか確認できるのですが…。
自信がなくて申し訳ないです。少しでもお役に立てたら幸いです。
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この回答へのお礼

詳しく教えてくださってありがとうございます!

ある書物の中に
「傅子曰『夢攀日月覚而不上天庭、夢入九泉悟而不及地下。高宗得説偶中耳。』」とあるので、前後の部分がちょっとわからないのですが・・・。

すごく参考になりました。
ありがとうございます!

お礼日時:2004/06/30 14:50

すみませんが「傳子」って何ですか?


調べてみようと思いましたが
該当書籍がよくわかりません。

この回答への補足

調べてくださってありがとうございます!
私も最初間違ってしまったのですが、「傳子」ではなく「傅子」なのです・・・。
傅玄が書いた書物のようです。

補足日時:2004/06/30 14:51
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