アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

私の父親が子供の頃、テレビはまだなく、夜は家族でラジオを聞いてていたそうです。

ラジオがない時代の人々は、夜をどうやってすごしていたのでしょうか?

A 回答 (7件)

海外で生活をしています。

それも、とんでもない僻地です。
面白いことに照明と云う明かりが無い状況で暮らしている人たちは、月明かりや星明りでも夜の道を歩けますし、人と人との談話も車座になって出来ます。気温が下がれば、たき火もまた、暖を取るのと同時に照明にもなります。
野良作業を中心に生活する人たちは日出・日没が生活のリズムですし、海で魚を取る人は夜明け前が勝負です。
テレビもラジオもなくても、なぜか、人は集まり年寄りの戯言や古い話を若い者や子どもが聞いています。途中で寝ちゃう人もいます。それに生活が不便で肉体労働が中心の生活では夜更かしすることなく、早々に、寝ちゃいます。
暇があれば、南の島へ遊びに来てください。貴方の質問の答えの世界が、まだまだ、こちらにはありますから。
想像だけでなく、実感すると云うのも旅行の側面でもありますから。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

そうですか、爺様の話なんかを聞いてたりするのですか・・・昔の人は昔話をきっと何百も知っていて、エンターテイナーな爺様がいっぱいいたのでしょうね、きっと。
いやぁ、実体験聞いて納得しました。サンクスです。

お礼日時:2015/12/05 21:52

私の知人に九州の超田舎にいた人がいて


子供の頃、村に電気が来たというので
お祭りがあったのを覚えているというのです
(昭和のはなしです。明治ではない)

それまではどうだったのかと聞いたところ
なにも不便はなかったそうです
普通に生活をしていたそうです

夜はどうしていたのかと聞いても
ランプだったのだろうが
それもあたりまえだったので、意識したことはなかったそうです

ラジオどころか、電気がなくても平気みたいですよ
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ランプですか・・・結構明るかったみたいですね。でも、明かりだけついてもすることがなくて暇だったんじゃないでしょうか?将棋とか、花札をやっていたのかなぁ・・・

お礼日時:2015/12/05 07:51

日没とともに寝て、日の出とともに起きる生活をしていました。

    • good
    • 1
この回答へのお礼

今でこそ睡眠時間の少なくて済む人はうらやましがられますが、昔だったら布団の中でモンモンとしてなくちゃいけなかったようですね。サンクスです。

お礼日時:2015/12/04 15:23

私の子供のころ(昭和40年代~50年代)母の実家の田舎に行くと夜9時には家中の灯りが消えて文字通りの消灯、家族全員が寝静まっていました。


うちは核家族で父の帰宅も遅かったためいくら子供といえどずいぶん違和感を感じたものです。
もちろん夕食後、9時までの時間はそれぞれお風呂に入ったり居間ではテレビを見ていましたが。
まあ現代みたいに夜更かししてなかったのは確かでしょう。
テレビもラジオもなかった明治時代には娯楽と言えば本を読むとか書き物をするとか、将棋や囲碁をやるとかちょっとした趣味を楽しむ程度だったでしょう。
子供はもっと早くに寝たでしょうから夜に何かをするという習慣はなかったと思います。
掃除機や冷蔵庫や洗濯機もないのですから女性の家事労働は夜までも及んだことでしょう。
夜には静かにできる縫い物などをしたものでしょう。衣類だって店に行って買ってくれば着られるというものではなかったのですから。
主婦は朝は誰より先に起きて、夜は最後に寝るのが当たり前と、私の母さえ言ってました。
夜が早いぶん朝も早い生活でした。
日の出とともに起きて日没後は静かに休む時間、というのが基本だったでしょう。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

長時間眠れないナポレオンタイプの人は過ごしにくかったでしょうね。
サンクスです。

お礼日時:2015/12/04 07:41

大正、昭和、平成生まれの者には明治時代の事は分らない、


大正生まれの者が明治時代の夜は何をして過ごしてのかを実体験をしている訳でもないし、昭和平成生まれの者は単なる空想で語るだけだと思います。

まっ、娯楽のない時代のことですから、早寝早起きかな。
http://suumo.jp/journal/2013/07/30/49118/
    • good
    • 1
この回答へのお礼

火打石からマッチがそんなに・・・サンクスです。

お礼日時:2015/12/04 07:40

呑んで語りあかしていたか、博打を打っていたか、土間で筵を編んでいたか、漬け物の具をこしらえていたか、子作りをしていたか。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

それ、当たっていそうですね。サンクスです。

お礼日時:2015/12/04 07:37

ラジオ放送が始まったのが1925年ですが、もちろん一般庶民の手に渡るまで10年はかかっています。

太平洋戦争勃発が1941年、敗戦が1945年なので、その頃には普及率は随分上がったでしょうがもちろんすべての家庭が持っていたわけではありません。

さて、1925年以前はというと、大正時代になるわけですが、当時一軒に一箇所しか電源がもてませんでした。もちろん電化製品はアイロンや電熱器くらいなもので、台所回りの電化製品は皆無です。
大正の半ばに松下幸之助が二股ソケットを考案し・・・ようするに1つの電源から白熱灯+何かを使えるってことです。

一つの家の一部屋にしか電灯がつかないわけなので、一家だんらんをその部屋で過ごし・・・早めに寝たのでしょうね。
もちろんお金持ちの家庭にはそれぞれの部屋に電源がありましたが、一般庶民は土間+台所+部屋2つあればいいくらいの家です。

電灯が普及してからもロウソクなどで明かりを取ったと思われますが。明治時代の一般家庭はほとんどがガス燈やロウソクや油を使う燈台であかりをとっていたために、「明るくなったら起きる、暗くなったら寝る」のが基本だったと思われます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうなんですか。電球が一家に一個・・・ラジオなし。
子供は早く寝るしかないですね。
サンクスです。

お礼日時:2015/12/04 07:37

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!