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高校三年の男子です。今度母が手術をします。
身内が私一人しか居なく、手術に付き添えるのは私しかいないので、心苦しいのですが、学校へと手術日の公欠を申し出ました。
しかし「忌引きや試合にならないから駄目」と担任の先生が仰られました。

理由を聞いてみると「お母さんが死んだ時に葬式に出るなと言えるか?」という答えが返ってきたので「母の手術を立ち会えるのは私一人で、このまま放って置けば死んでしまうのに見殺しにしなければならないのですか?」と言いました。ですが、公欠にはならないと言われました。

これがルールと言えば仕方ない事かも知れませんが、私にはどうも納得出来ません。確かに危篤がどこまでなら危篤と判断されるのか、定かには出来ないという事実があるのは理解できますし、それを知っている為(また担任の先生も板挟みな状態になる事が解る為)それ以上強くは言えませんでしたが、病院側から手術に立ち会うようにと伝えられても学校は欠席。それって、おかしくないですか?

どうしても、公欠にならないのでしょうか?

丁度その日がテストで、加えて単位的にも少々気掛かりなので、納得出来ません。

何方か、回答御願いします。

質問者からの補足コメント

  • 単位はこれから先毎日休まない限りは大丈夫なのですが、どうもそのシステムが気に食わないのです……。システムはシステムだから受け入れられないのは子供だ、と思われるとは思いますが、どうしても納得出来ません。

    世の中理不尽な事だらけで、それに縛られるのも社会だと言う事も理解はしてますが、納得出来ない。

    凄く子供じみていますが、死ななきゃ駄目、みたいはシステムがおかしいとしか思えないんです……。申し訳ありません。

      補足日時:2015/12/10 22:35

A 回答 (11件中1~10件)

書き忘れていたこと。



「正しい」ルールによって全て管理するのであれば、極希なことに対しても、きちんと細かくルールを作る必要があります。
しかし、当たり前ですが、そんなことをするとルールが膨大に煩雑になるでしょう。
国の法律ならまだしも、学校如きのルール、それも、誰が悪いわけでも損するわけでも無い、どうでも良いようなことであれば、ルールの煩雑化を避けるためにも「特例」を「その都度判断」するのが当たり前で、そのために、校長等判断の責任者が居る(要る)のです。
柔軟に対処すれば良いだけのこと。
明らかに特別な事情があるわけだから、特例を認めれば良いだけのこと。特例を認めるわけにはいかない、というところから間違っているのです。
ルールを守るためにそうすべきです。それとも、煩雑極まりないルール改正をしたいのでしょうか。
例えば裁判所でも、「判例」を積み重ねるわけです。良いか悪いかは別として。
これも、判断した例として積んでおけば良い。判例であれば、間違っていれば次回は取り消せば良いのだから。

それに、特例を認めないと突っ張ることは、病院側に、特例を認めさせることになりかねません。
人の命がかかっていることと、そうで無いことの、どちらが重要でしょう。
手術に立ち会いが必要だ、というのは、病院側の知恵です。
責任逃れの側面があるのは間違いないでしょうが、それにしても、知恵ではあるわけです。
より厳しい世界での知恵を尊重しないで、教育などあり得ません。なら、小学校ではバカでは無かった、で高校が単位を認定するのか。
学校側だって、大事なところでルールに従って貰えなかったら困るでしょ。病院だってそうなんで。
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日本の学校は生徒のすべてを管理できると考えている傾向があります。

たかが学問を習得する場に過ぎないのに。これは一つにはなんでも学校に期待してしまった国民の側にもその責任があります。家庭での躾けや、社会道徳まで。欧米では教会がその一端を担いました。また家庭でもその任を自覚しています。したがって学校は校則で厳しく締め付けることをしないのです。その弊害ですね。

個人の自由を尊重する社会では、あなたの主張は何処へいっても認められるはずです。堂々と自分の主義を進みなさい。応援し手を差し延べてくれる人は何処にでもいます。
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教員です。



>しかし「忌引きや試合にならないから駄目」と担任の先生が仰られました。

そもそも、この担任の言葉はおかしいですね。

忌引きは忌引きであって、公認欠席にはなりません。対外的な試合も、「学校代表」と言うものでないと認めない学校もあります。

下は愛媛県の高校の「公認欠席」「忌引き」「出席停止」についてです。

http://matsuyamahigashi-h.esnet.ed.jp/cms/module …

あなたの場合は、どこにも当てはまらないのでしょうが、「親一人子一人」の事情は担任もしているのですから、「家事都合による欠席」としながらも「追試」の配慮を願い出れば、通ると思いますよ。

また、単位の認定も「年間授業数に対して、数日の欠席」ならば、問題はありません。
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大変ですね。


頑張ってください。


公欠は、ご自身以外の都合によって欠席しなければならない状況のときに適応されます。
それから、公欠は「欠席扱いにならない」だけで、「出席扱いになるかどうか」は、各校の判断になると思います。
出席日数/授業日数 で、出席扱いになれば分子の日数が変わって、出席扱いにならなければ分母の日数が変わるようですね。

特別な事情(例えば家族が認知症で、家族の誰かが交代で看病や見守りをしなければならない)がある場合、出席日数等の単位認定(卒業資格)条件を満たしていない場合であっても、考慮してくれる場合もあるようです。
正式な書類を学校(または教育委員会)に提出して、初めて「検討」してもらえることになります。
文章の書類がないと、「言った、言わない」になるので。
もちろん、検討結果も「言った、言わない」にならないように、文章で回答されます。
教員1人に口頭で伝えても「言った、言わない」になりかねず、教員1人に伝えても判断は難しくなるでしょう。
「●月●日に□□先生に相談した」というような記録はちゃんとしておきましょう。
後になって「もっと早くに言ってもらえたら対応できたのに」と言われると困りますので。

頑張って。
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二つの話題が混在しているように見えますね。



・家庭の都合で学校を休まなくてはいけないが、「公休」扱いにはならない
・こんな切羽詰った理由があるのに「公休」にならないのはおかしい

前者は、そういうルールなので公休にはならない、としか言えません。学校の出席は通年で適用される単位の授与にも関係する話だと思いますが、単位を授与するのは学校の根幹の機能の一つで、厳密に運用しなくてはならないと思います。あなたの高校を卒業したら世間的に高卒と認めてもらえるのは、それが厳密に運用されているからだと思いますよ。まあ、「休んではいけない」といわれているわけではないので、普通に欠席するしかないでしょう。試験についても同様で、相応の理由がなければ追試できないとかいった決まりはあるでしょうから、相応の理由を証明するためにお医者さんに一筆書いてもらうとか、当事者以外が説明できると学校側にも納得してもらえるんじゃないかと思います。

後者については、規則が実際に起きる状況に対応できていないのです。おかしいと思われる気持ちはわかりますし、私も理不尽だなとは思います。だいたい世の中の傾向は、民間が取り入れた事を公が追随するといったことが結構あります。たとえば週5日制は、民間企業が先に取り入れ、一部の大学が取り入れ、そして学校も取り入れるようになりました。最近は、民間企業などでは育児や介護のための休暇、もしくは日々の就業時間の短縮といった制度を取り入れているところが増えていると思います。将来そういったいろいろな事情に合わせた運用ができるように学校側も変わるかもしれません。ただ、今の制度ではそれが適わない、ある意味生まれた時代が悪かった、ということです。日本史で習ったと思いますが、この日本でも農民の子に生まれたら農民になるしかない、武士の子は武士で特権を持っていた、という時代がありました。例えは極端かもしれませんが、当時の若者ももしかするとあなたと似たような思いだったのかもしれませんね。あなたはこれから社会を担う人です。みんなが暮らしやすい世の中になるように、変えるべきことは変え、守ることは守っていってください。
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思うに先生が渋るのは公欠というより試験当日だからではないでしょうか。



しかし「病院側が手術の立ち合いを要請されている」のが事実ならそれを文書でもらい、後日になってもいいので、担任ではもめそうなら教務主任や教頭などにその文書を提出する。危篤に近い、または生命の危険のある状態なら忌引きに準ずる扱いをしてくれると思いますけどね。

そして並行して試験回避を狙うのではない証として、あらかじめ「追試」を、あるいは難しいだろうけれど「前倒し受験」を自ら申し出る。

私も一日だけ「公欠」扱いにしてもらうことにあなたがこだわる理由がよくわかりません。単位を落とすことが気になるにしても、出席が足りないのならそれはあなたの手術日以外の過ごし方に問題があるのだろうし、試験についてはリトライのチャンスがないとは思えないので、そこで頑張ればいいだけの話です。
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本来 公欠というのは


高体連、高文連や都道府県、市町村などの行う公けの行事で
学校が参加を必要と認めたものに参加する場合、
授業を受けなくても出席と同等の扱いにするという特例です。

忌引きとかに適用するのも本来の意味からはお門違いです。

事情のある欠席に対して、成績や内申の扱いをどうするかは
その程度によってどう救済するかは学校も
考えているでしょう。

欠席に4~5種類ある学校も珍しくなく、評価に与える影響も
同じではないです。

すくなくとも、「公欠」に拘るのは変です。
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お気持ちはわかります。


おそらくあなたは、「そうか、それは大変だな。」と
ねぎらいの言葉の一つも期待していたのではないでしょうか。
その先生も、教師としては人情のない言い方ですね。
ですが高校は義務教育ではありません。
高等教育を受ける意志があるものが、自ら行く所です。
当然ルールには従わなくてはなりません。
そしてそれは高校だけでなく、社会に出ても当たり前の事です。
子供が病気になると、保育園では預かってもらえません。
休みを取ると、その分給料は減らされます。
時には首になることもあります。それが社会の現実です。

まだ高校生なのに、たった一人で病気のお母様の事を頑張っているのは
とても大変なことだし、立派だと思います。
でもあえて厳しい事を言わせていただくなら、
お母様とたった二人きりの家族であることは紛れもない事実だし、
急にそうなったわけだもないでしょう。
やはりそこに至るまでにやっておくべきことがあったと思うのです。
「丁度その日がテストで、加えて単位的にも少々気掛かり」
と言うのも、逆に言えばたった1回のテスト、たった1日休んだだけで
単位が危うくなる方が問題だと思います。
もちろんお母様の看病や、色々事情はあると思いますが、
それは言い訳にしかなりません。
また、テストの日程はあらかじめわかっていたはずですので、
手術日程をテストに当たらないようにするとか出来なかったのでしょうか。
あと何か公的サービスが受けられないか、役所に相談してみて下さい。
お母様の手術が無事終わりますよう、お祈りしています。
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お気持ちはわかりますが現状のルールでは仕方のないことなんです。


その担任の言い方は確かにおかしいですね。
あんまり頭のよろしくない先生かと思います。
でも言いたかったのはルールはルールという事なんでしょう。

身内の危篤は公休にはなりませんよね?
葬儀であれば忌引きになります。
会社であれば親の危篤のときは有給休暇を使うものでしょう。
親の死に目に会えない人は世の中たくさんいます。
だから公休にするべきじゃないと言いたいわけじゃないですが、キリがないのです。
親が死ぬかも知れないから休みます。大丈夫でした。
それを公休にはできないでしょう。

厳しいことを言うようですが他に頼れる身内がいないとはそういう事なのです。
未成年のあなたが親の手術に立ち会わなければならない。それ自体が異例なのです。
通常は父親や祖父母やお母さんの兄弟などが立ち会うものです。
そういう身内がどなたもいらっしゃらない、あるいはいても頼れない。
だったらあなたが学校の出席日数を犠牲にして立ち会うしかない。

理不尽に感じるのはわかりますが、特例を作ると弊害が必ず出るからルール遵守が必要なのです。
まあ今回はダメ元で教頭や校長に掛け合ってはいかがでしょう。
公欠を認めるわけには行かないが他の措置を考えてくれる可能性はあると思います。
何より、お母様の手術が無事に済みますようお祈りいたします。
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> システムはシステムだから受け入れられないのは子供だ



システムはシステムだから、変えられないのが子供、でしょう。
で、そこは公立高校でしょうか?
公立なら、教育委員会等に話をする方が早いのでは。
最低でも、校長辺りと話をしないと。担任ではシステムは変えられないでしょう。
例えば、日本国の法律について担任に苦情を申し立てるのは、筋違いなわけです。

> 葬式に出るなと言えるか?

母の手術に立ち会えないレベルの厳しさであれば、当然葬式にも出るな、でしょう。んなものは業者と親に任せておけ、と。
だってそのルールは、両親が居る人にも適応されるわけで、片親残っていればそうなりますよね。
葬式より手術です。当たり前です。
葬式は、出ても出なくても「結果は変わらない」のですが、手術には立ち会わないと、何か起こったときの結果が変わります。
部活の遠征?人の生き死にとどっちが重いんでしょうか。常識ですよね。

なお、無知蒙昧な教員や、若くてそういう事態に立ち会ったことが無い教員が居るかもしれませんが、
手術の立ち会いというのは、不安だろうから手を握って励ましてあげる役割ではありません。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2006/0217/078498. …
をよく読むとあるように、病院側の事情で、居ないと色々なことが動かないのです。
学校だって、親が居るにも拘わらず、入学等各種手続きの判も押さないのであれば困るのと同じ、というか、もっと重大なことです。
また、手術中の容態の急変時にどうするか、ということもあるはずです。
授業中に容態が急変→手術室からナースルーム等へあなたに電話するよう連絡→授業中は当然携帯を切っているでしょうから、ナースルームから高校へ電話→高校の職員室かどこかから、あなたを呼び出し→あなたが職員室等へ→あなたが応対→ナース質から手術室へ連絡。
この間にぽっくり逝ったら、学校は責任が取れるんでしょうか。今度は公欠にしてあげる?随分ふざけた話に聞こえますが。

従って、これはルールの不備であって、少なくともこれを機にルールを変えなければなりません。
ルールを変えないのであれば、親族は一人もしくは親族の中で最も目上という「特殊な状況」なのですから、特殊な配慮が当然必要です。
仮に公欠が無理でも、再試験等の措置があって良いはずです。
特別な事情には特別な配慮、これ当然。
特別では無いのに特別な配慮をすることは、避けた方が良いですが。
お前だけ特別扱いは、と言われたら、じゃぁあなたもみんなも同じ状況になってみろ、と言ってやれば良いです。
おかしなルールというのは、変えなければならないのです。義務です。そこまでが、ルールを守る、ということです。
面倒だからルールを変えないのがルールを守ることではありません。
日本の教育は、そこを間違えています。まぁ、中坊相手に「みんなで作ったルール」なんて言っているところから間違っているのですが。

校長等に掛け合ってもまだ解らないようなら、この話を読ませれば良いでしょう。
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