アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

1. さとりとは 真理がすべてにおいてすべてであることである。

2. 真理とは 変わらざる真実である。

3. よって 世界のすべてにおいて真理が真理であることが わが主観において成っている
ことである。

4. たとえば あのときアイツは これこれのことを言った。けれども それは あれそれ
の事情とひろくそのときの情況とからひとつの判断をくだして自己表現をしたものだ。・・・
というふうに すべての世界条件を知ることが出来て その場の相手やまわりの関係者のそれ
ぞれについて 事情が分かるということ。

5. 真理を知ると 世界との・そしてなかんづく自己自身との 和解が成る。真理はきみた
ちを自由にする。

6. わたしは 真理であり 道であり いのちである。という命題をたずさえてわれわれは
生きている。この動態が さとりなる実存である。

7. 未完成であり 人間にとっては 未完成なる実存の道を行くことが さとりの成就した
状態である。

8. ただし すべては ひとりの人間における主観の問題である。そこにおさまるコトであ
る。よって主観は すでにつねにひらかれていなければならぬ。未完成だと言っているのだし 
言っているからには。


 ☆ 思いっきり自由なご批判をどうぞ。賛成票をもどうぞ。
 賛成だとしても 添削をもどうぞ。



9. このさとりなる動態主観は 相手とのあいだに言わば肝胆相照らす状態にあることが出
来る。未熟なる状態をも互いに分かり合える。そこでは いくら批判をし合いまたけんかをし
ても 仲が傷つくことなく こわれることもない。――これが さとりだ。

質問者からの補足コメント

  • 23. 思想としての宗教思想について 深く共鳴しわが心にその真髄を刻むという場合
    があります。

    24. これは 《感性的な共感をも含めて思考の緑野において同感する》といったかた
    ちで起きていることがらです。

    25. したがって 信仰ではなく一般に信条や信念あるいは座右の銘とよばれる思想の
    実践形式であると捉えます。

    26. この場合は 宗教であっても オシへを信じることとは別になります。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/27 20:26

A 回答 (10件)

悟りの状態になったらええやん。

ONEになるから・・・。言葉もいらんし他者と自己との境もないONEやから・・・。心も平穏になる。らしい・・・。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

10. そうかなぁ。

11. つまり ★ 他者と自己との境もない――☆ ほどになるかも分かりませんが
それは それぞれが互いに自分は自分として存在するといった状態になるからではあり
ませんか?

12.それとも ★ ONEになるから――☆ とおっしゃるその《 ONE になる》こと
について しっかりとお聞きしなければならないかも分かりません。

13. ★ 悟りの状態になったらええやん。――☆ とわたしも思います。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2015/12/27 14:03

宗教なんかに真の悟りなんか無い。

何故って?宗教は人が作りだした最悪のモノだから。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

そうですね。ここでは シュウキョウのシュの字も出していないですよ。

お礼日時:2015/12/31 21:52

さとり論の一編でも書いてみろってんだ。



たわけ者め。さとりは論じて伝わるものではない。
そんなことで、さとりが伝授されるなら渋谷辺りで仏陀が何百人も闊歩しとるわ。

海にでも行って潮風に吹かれてくるとか、山歩きでもしてきたらどうだ。
モニターの前で井戸端談義なんぞしているより少しは健康的だぞ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ところが この理論と議論でさとりが《伝授》され得る。

唯仏与仏で 二千年も 人びとはだまされ巻き上げられて来た。

町に出よ 外に出かけよ。これも 唯仏与仏の言い訳と同じである。

世界最高のペテン師ゴータマに出るシガラミの流れに あんたもヤラレテいる。

目をさましましょう。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2015/12/31 06:20

>>


《お前ら》という言葉は 相手に応じてそのときの必然性を自覚して用いるようにしなさい。ね。
私は悪意で人の悪口は言わない、批判はしない。
馬鹿に馬鹿という。お前らは、未開の学の無い土人なのならば言わないね。
当然だよ。何か、間違っているか知らん。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ふつう 相手に《お前ら》とは言わないよ。

《批判》は その思想について したほうがよいと思う。
自分の殻に閉じこもりがちになるから。
自己批判は なかなか しづらい。

回答をありがとう。

お礼日時:2015/12/29 07:40

知者はたゆまなくたくさんのことを見逃さない。


だから、ゆえに、ひらめきを得る。
哲学は、すぐ手元にある、すぐ足元にある。
お前らは妄想で、自己本位で物事を考え、それを真理とする。
お前らは、生まれつきの天才なのだ。
きちがいも、ばかも、十分に自己の意識を見つめて、理解している。お前らのレベルでは天才だ。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

《お前ら》という言葉は 相手に応じてそのときの必然性を自覚して用いるように
しなさい。ね。

お礼日時:2015/12/28 23:36

ウルグアイのムヒカ大統領のほうが、この腐ったこの板の常駐者より真理を知っている。


しかし、ムヒカ大統領を調べてもお前らは理解できないだろう。
彼は惜しいかな、一部分でこけている。お前らよりは比べられない上級である。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

人間が 真理を知ることはあり得ない。

真理は 想定しておくもの。ただし ヒラメキという経験事象をめぐってその想定
のままにあたかも捉えたと 主観において 受け留める場合がある。――そういう
意味で 趣旨説明では 真理を知るという表現をも用いている。

回答をありがとう。

この質問は あなたにとって つまづきの石になったかな。

お礼日時:2015/12/28 23:11

38. 哲学はこういうようにするもんなんだ。



そうかい。所詮は砂上の楼閣。人間は真理を知りえない。真理があるとするなら、その真理と、貴男が言う推し量った真理との差分がアノマリーとして蓄積する。人間は、これで何度も失敗しているじゃないか。懲りもせず。

大上段に真理なんかと格闘するから失敗する。それでも、格闘技がお好きらしい。

アノマリーの蓄積ってのは、貴男のもの。どうぞ、せいぜい蓄財なさいませ。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

まあ いっぺんぐらい 相手に花をもたせてみたらどうなんだ。

こっちがどれだけ気を使っていることか。

砂上の楼閣ではない証拠は ヒラメキ。

その時その場で必要な知識と情報とそして知恵が 真理のかけらとして得られればよい。

アノマリーもこのマリーもない。それは 真理を大上段から全部知りたいというむさぼり
の心にのみ起きる。

こんだけていねいに説明していても分かんないのかい。

いづれにしても ご回答をありがとうございます。

さとり論の一編でも書いてみろってんだ。

お礼日時:2015/12/28 17:00

また、トートロジーか。


何を知っているというのかね。何が分ったのかね。

真理は、あなたの言う非経験に属している。
未完成な、あるいは、部分的な真理しか、Zは知ることができない。
こんなものが真理と言えるのかね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

27. ★ 真理は、あなたの言う非経験に属している。
☆ 非経験の場を そのチカラまたハタラキとして捉えるなら――想定したかぎりでは
――それは 真理であると人間には推し測られる。

28. ほかに 全知全能や慈愛やら至高の善といった忖度をも人間は自由勝手に成し
ている。確かに神の属性であると言えるかも知れない。

29. この・人とは絶対の隔たりのある神が 真理であるというところから 人間は
さらに物語を編んだ。

30. なぜなら 《絶対》は 《相対の世界》を超えているということは その経験
世界を 覆っていたり ニュートリノのごとく突き抜けていたり あるいはそこら中に
〔霊として〕存在していたりするという推理が成り立つから。これは 合理的な推論で
ある。

30. ゆえに――少し飛躍して―― 真理は きみたちを自由にする(5)。

31. 実際問題としては 神の霊としての遍在は 人間における自然本性の内にはた
らくヒラメキに現われるのではないかとやはり推測される。

32. よって★ 未完成な、あるいは、部分的な真理しか、Zは知ることができない。
☆ でかまわないし それでじゅうぶんなのである。しかるべき時と場で必要なだけ真
理のかけらが われわれ人間にあたえられる。

33. ★ こんなものが真理と言えるのかね。
☆ だがそう言いたいのが われわれ人間である。そのように永遠に夢見ていたいので
ある。

34. ところが 《この上なくとうとい知恵のさとり〔をおれはさとった〕》と誰か
変人に言われた日にゃあ まぁ そう言いたいなら さとりとは こういうことではな
いかと 応答してやらねばなるめえ。

35. そういう・しかも哲学としての議論である。

36. ★ また、トートロジーか。
☆ また いつものように そのほんの片隅には 人間の現実の存在にとって トート
ロジーなる対称性の破れが用意されている。

37. 実存にとっての言わば隠し味がそなわった議論となっている。

38. 哲学はこういうようにするもんなんだ。

39. 阿呆が夢見るこの真理について あんたも きよらかなおそれを――すでに自
然本性に与えられているのだから――自覚して持つがよい。お得だよ。エヴリデイロー
プライス ぢゃなくて エヴリデイ ノープライス。

お礼日時:2015/12/28 07:59

先生とは、「信仰論」において意見が妥協の範囲を越えて


違います。従って、この問題について論ずるときには、先
生とすることをやめさせていただきます。
私の価値観では、先生と喧嘩をしてはいけない、となって
いるからです。

さて、B信仰論では、「宗教」というものを否定しますね。
その理由として、「教え」を説くからである、ということの
ようですが、これがさっぱり分かりません。
B信仰論では、「教え」を意図的に説かないだけではないの
ですか?
この回答への補足あり
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

20. 信仰論についてのこと 分かりました。

21. 宗教を批判するのは 《考えるべきオシへを無条件で受け容れよ(つまり信じよ)》
と説く場合です。実質的にほとんど全部の宗教がそうだと見られます。

22.オシへは 思想としてなら学べばよいわけです。宗教思想と言いますか 思想として
のみ捉えた宗教は 中立のものと見ています。

お礼日時:2015/12/27 19:56

悟りとは、万物に於いての真実の『無』の境地を知り一体となる事で有る。

    • good
    • 3
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

14. 《真理とは 変わらざる真実である(2)》と書きましたが 
★ 真実 / あるいは 無
☆ については まだなお定義しなければならないのではないでしょうか?

15. ★ 万物についての――☆ とありますから その《真実》も《無》も
取りあえず《経験事象》であるということでしょうか?

16. だったら 一般には《世界の・あるいは世界におけるものごとの一般性
としての規則 つまりは法則》のことに帰着してしまうような気がします。それ
については どうお考えでしょうか? 

17. つまりは ものごとの法則が《真実の無》でありこれを認識しさらには
身と心とで体得するといった《境地》を言って 定義としていますか?

18. あるいはつまり 無の境地を知り万物ないし世界と《一体となる》
なら どういうメリットがあることになりますか?

19. 具体性あるいはどういうよいことがあるか。これについて なお問いた
い気がします。

お礼日時:2015/12/27 14:54

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!