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正月早々、良いテレビ番組を見つけました。「奇跡のレッスン」というタイトルで、一流のスペシャリストが子供達を一週間教育するというコーチングの番組です。
私が見たのはバスケットボールの回でして、「運命は自分でコントロールするんだ」という様な言葉がコーチの口から出ていました。カッコええなぁ、、俺もこんなコーチ受けたかったなぁ、などと思いながら見ました。自信のなかった子供達の表情が明るく変わって行くのが印象的でした。他の回の紹介では、「自分で見つけた答えは一生忘れない」→(子供が自分で答えを見つけるのを待つ)とか、「出る杭は下から押し上げる」と言うのもありました。
当方、いつもこのサイトで回答者の皆様にお声かけていただき、「レッスン」を受けている身ではありますが、あらためて尋ねたいと思います。

良いコーチ、先生に巡り会えた方もそうで無い方もいると思いますが、自分が諭された言葉や、自分なら子供達にこう語る、という言葉を選んで、ご回答頂けると嬉しいです。

質問者からの補足コメント

  • そんな大した大人に離れていません→そんな大した大人にはなれていません

    誤字修正です。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/03 16:25
  • 先祖の話、早速アマゾンでポチりました^^v
    読んでみますね。

    No.20の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/05 01:01
  • 一応、齟齬があるとよくないと思い、冒頭の1〜4についてお答えします。
    1.そういう場合もあるかも知れない事を考慮するが、私自身はそういう事は思っていない。
    2.これは1.に同じ。
    3.良い教師はやる気を引き出すと思っているので、そう思っています。
    4.始め、大体の事は自分でやれないが、できる様になると信じて精進すれば、大体の事はやれるようになる。多くの人から、或いは自分よりも劣った人からも学びは得られる。この様な考え、スタンスです。進度やスピードはまちまちで、一を覚えて十を知る事もあれば、十を教わりニしかものにできない事もある。

    No.30の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/07 01:26
  • 皆様へ。
    この質問は、スレッドが更に伸びないかぎり、来週いっぱいで締め切らせていただこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

      補足日時:2016/01/07 22:03
  • 女王先生ですか^^; 
    一話だけではなんとも言えませんが、、、歪な教師だとは思います。生徒を締め付けるタイプのようで、あまりいいとは思えませんでした。このような教師が居て良いのか悪いのか、、現実には変人教師というのは居ますから、それこそサイコロさんの言う距離感でもって対処するのが良いのかなと思います。

    No.64の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/13 01:23
  • ウィトゲンシュタイン関連のご投稿を少しですが咀嚼しました。現代哲学における身体の肯定的な捉え方と、行為へのパースペクティブというものに着目しました。この度の質問は、スポーツのエキスパートが子供達のコーチをするという番組についてでして、身体の捉え方とパースペクティブという観点から繋がりそうかな?と思いましたが如何でしょう。もうちょっとウィトゲンシュタイン関連の方も読み直してみますね。

    No.75の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/15 14:44
  • サイコロさん、どの職業が偉いとか、そんな話をお礼欄に書いてしまいましたが、流石にそれは無いかと思い直しました。スルーしてください。サイコロさんを侮る様な事を言ってしまいました。

    No.78の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/15 16:00
  • #96の投稿が、残念ながら息をしておりません。
    その全文を保存しておりますが、短い補足のスペースですのでそれを全て掲載することは出来ませんし、運営の方針も尊重したく思いますので、宛先のない短いコメントをして彼が存在したことを記録したいと思います。
    #96に記された内容は、現代教育のあり方と、素敵な歌と、空想の酒席でした。
    褒めることについて生徒が天狗になって後、人ん話をきかなくなり伸びなくなるというVTRの件ですが、私は、出来るから褒めるのではなく、出来ないから褒める、ってのが褒めるタイミングだと思うんです(マグジーもそうしてた)。凹んでいる子のモチベーションや自信を回復してやる効果が得られます。
    カントアイさんと猪突さんの酒席ですか。座を同じくすれば異なる意見もいい肴にきっとなると思います^^あほなも同席させていただければ、そこでもあほなことを言いますよ(笑)。

      補足日時:2016/01/17 22:13
  • すみません。今読んだGOOからのメールに、今回は削除理由が明記されていました。理由は、個人情報だということです。おそらく、他の方のブログのURLを転載したことが引っかかったのだと思われます。

    No.99の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/17 23:33
  • えー、ついに2月になりましたね^_^
    月日の経つのは早いです。
    投稿も落ち着いてきたので、そろそろ閉める準備に入ろうかと思います。
    私の感想としましては、多くの方のお話を聞いて、自分自身を振り返るに、友達には恵まれたが、教師には恵まれなかったのかなという事があるも、教師の像というものをこのQAを通じていろんな角度から知ることができ、視野を広げることができました。皆様ありがとうございます。

    BAの選定に数日をかけますので、皆さんから頂いた回答を楽しみながら振り返りつつ、これかなー、というものをBAとしたいと思います。

    ながらくこのQAにお付き合い、盛り上げてくださり、重ねて御礼申し上げます。
    m(._.)m

      補足日時:2016/02/01 17:36

A 回答 (142件中91~100件)

見ました。


面白かったですよ(^ ^)

チョイ前に、リーダーの回を見たのですが
本編でカットされてて、総集編で出ていた部分の方が
結構響いたりしました。

響く言葉って、やっぱり琴線に触れる
つまり、すでに自分の中に在るもので、気がついてない部分ですよね。

在るんだけど、探し中だったりすること
たまたま目前に広がったことに対して。


多く気がついたのですが、気になったのは
経験がないと、言葉は響かないってことですね。

ああやって、体験と言葉が同時並行で進むのであれば
コーチを受けるのは、とても活きて来ると思います。

総集編は特に、掘り下げて煮詰めた人の方が響きますね。
リアルの体験をすでに持っているので、自身の行動に変換は容易です。
そう言う人の集まりでしたし。

自分の振り返り含め、よい番組でした(^ ^)

いくつかの「これ!」って引っかかりを、これから実際に
繰り広げて行くために、使い方を検討したいと思います。

今回一番響いたのは、「創造」ですね。
自分は創造できるけど、創造を引き出すロジックが
今まで見つけられなかったので。

足がかりが拾えたので、十分な収穫でした(^ ^)
次回から、本編も毎度録画セットしました(^ ^)v


最近思うのは、沢山経験を積んだのって良かったなと。
子供の頃から、バカばっかに見えるチャレンジが今活きている。
遊びまわったことが、この歳で使えると思って居なかったですね。

子供の頃、何も無かったのでいい環境でした。
泥だらけになってやってたのって今分かる、実に最高です。
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この回答へのお礼

面白かったですか^^よかったです。
確かに、自分の中に眠っている、こうではないかという言葉になる前の気付きというか思いのようなものを、拾い上げてくれるのが琴線に響くということでもあるのかな。

体験と言葉が同時並行、そうですね、特にスポーツは、そういう意味で人生に関わる大切なことを学ぶいい機会であると思います。机に座って習うことは中々板につくのが難しかった記憶がありますね。

既に経験を摘んできた大人にとってもいい番組だったでしょう?^^そういえばあの時そうだったという自分を、コーチを受ける生徒に重ねることもできれば、コーチの立場に重ねることも出来ます。
本編も録画セットしたとのこと、いい番宣をはからずもなしてしまったでしょうか(笑)

子どもの時分の体験を、活きる形で蘇らせてくれる、そんなシリーズかと思います。
私も、少しいびつに育って奥へと押し込められたり、忘却していたところに光を当ててくれる、そんなコーチングが放送されるのを期待しています。

お礼日時:2016/01/10 18:19

#2,#40,#49です



学生時代には、いろいろとご苦労為されたのですね。

コーチングの総集編(?)番組、録画したのですが、見ることのできる環境から少し離れていて、明日ぐらいには見ようと思っています。

さて、#49お礼欄にて
「しかし、人生もそうかも知れませんが、スポーツは楽しまなきゃ損だと思いますね。楽しいということが大きな一つのモチベーションになりますし、むしろそれが目的だと言っても良いくらいです。」
とありましたが、これこそが、本質なのではないでしょうか?

ポジティブ性とネガティブ性は、ひとつの出来事・体験における表裏一体の受け止め方です。

受け身での練習と、自身の思い入れを含めて能動的な練習と、おそらく、ほんの一瞬でも、気持ちを切り替えることができたなら、コーチの何気ない一言であっても、琴線に響くかもしれません。

以前、どこかの回答にも書いた記憶があるのですが、満員電車に揺られて通学しているときと、同じ満員電車でも、楽しみにしていた所に旅行に行く途中とでは、大いに異なった感覚になります。で、通学途中に、ふと、「これから楽しい○○に行く途中なんだ」と思ってみたことがあります。ほんの束の間でしたが、いやな気分が消え去りました。

子供から大人への変化。。。おそらく、刹那的な思索・感情から、少し視点をずらした複数の思索・感情を並列的に扱っていくことができるようになっていくことも含まれているのだと思います。
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この回答へのお礼

まぁ、学生時代は幼かったのですね、私は。^^;早熟な子は有利だなと思うようになりましたが、幼いということは吸収力も高いということ、どちらが良いのか実際には言えないですが。

ポジとネガが一つの出来事、体験の表裏一体の受け止め方と仰ること、分かります。ある時期、そうですね、少なくとも思春期には能動的であれたらいいなと思っています。幼いころはいいものも悪いものも吸収して育ちますが、自己が形成され始めると、自分にとっていいものと悪いものの判別を付けるようになると思います。そうやって自分を自分で育てていくわけですから、能動性というものが重視されるべきだと思うのです。そんな時期に、琴線に響くものが、教師や友人、他の身近な人から与えられたなら、成長の大きな糧となることでしょう。

いつもの通学時間であっても、学校が有益で楽しいところだと思えるかどうかで、その時間の充実も変わってくると思います。勉強が楽しいと思っている生徒は1%くらいじゃないかと思うほどですが、現子どもたちには、少しでもポジティブに、能動的になってほしいと思いますね。

大人になっていくに従って、他人の立場や気持ちが自分の立場と気持ちにプラスされて思考に入ってきます。そういった並列思考が可能になっていくことで生きる世界も広がるのかなと。

お礼日時:2016/01/10 18:08

なんか、連投してもよさそうな雰囲気が異様に発散しているんでもう一言。


>重要なのは、ふと現れるその言葉や行為を察知する気持ちの遊び・・・
 まさしくその通りだと思います。それがラグビーボール性を発揮して
 想定の範囲を超えた人生への扉が開く可能性を与えてくれるのだと思います。
 想定した枠内の人生じゃもったいないですよね。
 
 そしてその‘遊び‘にポジティブな方向を持たせるのは
 互いに人間性は尊重するという土台だと思います。
 そこに生じる信頼感から本音が誘発されて
 それによりきっかけから無意味な思惑が除外されて
 有益性という意味で研ぎ澄まされたピュアなものになっていく
 のではないかと思います。

 役割分担としての個性の発揮という
 ‘群れを成す動物の協調体制‘的な大元に端を発する
 ‘きっかけの与え合い‘的な考え方から
 仕事という形式の意味へとつながり、
 そこで価値と対価のバランスをとって
 個人差に応じて需要と供給の微調整をする個人の総体という
 社会的動物としての社会の動的な前傾が生まれる。

 個人のセンスを出した本当の幸福の追求は
 そうした前傾をいい循環としてつかんだ社会でこそ可能になるのではないか。
 みたいなことを一連の流れとして語れたらいいなとか思っています。
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この回答へのお礼

連投結構ですよー^^ 遠慮せずに。

この哲学カテで時々見る、あいつは人間じゃない、みたいな人間性を尊重することとは反対の発言がありますが、その度に思いますね、「お前に相手が人間であるかどうかをジャッジする力など無いだろ」と。自分様だけでは対話など継続するはずもありませんね。
人間性の尊重と、そこに生じる信頼感というのは関係における根本的な事柄だと思います。教員やコーチには重々理解しておいて欲しいところですね。生徒との信頼関係はいかにして生ずるのかということだと思います。

この度おっしゃられた誘発された本音と、きっかけから無意味な思惑が除外されて有益性という意味でピュアなものになっていく、と言うところの有益性が、ちょっと深い意味で拾えきれなかったのですが、より本質的な会話が成立する、というような意味でしょうか。

> 役割分担としての個性の発揮という・・・~・・・社会的動物としての社会の動的な前傾が生まれる。<
 
うーむ。難しいですね。役割分担が個性の発揮であるなら、別の誰かが役割を肩代わりしてくれるなら、その人の個性の行き場はなくなってしまいます。そうではなくて、役に立つかたたないかは別にして、個性というものを尊重できるようになってはじめて多様性の認められた世界というものが形成されるのではないでしょうか。それこそ冒頭あるラグビーボールのバウンドのように、その振る舞いを誰に指図されるのでもなく。ですから、ここでいう仕事というものの形式は、常に可変の枠組みであり、その形式の存在意義はそれを利用する人がいるかいないかで決まるのではないかと。だから、失われた技術や、新しく生まれる技術の両方がありえるのではないでしょうか。それが社会の動的な前傾を生み出す気がします。

>個人のセンスを出した本当の幸福の追求はそうした前傾をいい循環としてつかんだ社会でこそ可能になるのではないか。

結論に至る途中の見解は異なったかもしれませんが、そのとおりだと思います。個人のセンスとはその人が為すその人の生き方の独自の采配であり、それを許容できる社会の懐の深さと、それを社会全体のストリームに活かせることが求められているとも言えそうです。

お礼日時:2016/01/10 17:53

スレッドが締まってしまう前に飛び込み参加します。


「きっかけの与え合いが大事なんだよ」ということから
そのためにはどうしたらいいか
さらにその延長上にある人間社会
ということまで話を膨らませることができたらいいと思います。
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この回答へのお礼

へいらっしゃい!
スズメさんの考察、楽しみにしていますね
^_^
このスレは、閉めるのを延期する事も容易に出来ますので、ゆっくりでも大丈夫です。
きっかけを与え合うという事に注目された様で、初球はどんな球が来るのかな?

私の思う、きっかけを与え合うことにとって重要なのは、ふと現れるその言葉や行為を察知する気持ちの遊び、かなと。ハンドルでも、遊びがないとまともな運転をするのは難しいです。遊びの部分が安定走行を支えていると言えます。汲々とした社会情勢や人間関係においては、きっかけを与え合うという事は難しいのかなと、思いましたね。

お礼日時:2016/01/09 19:49

#2,#40です。


#40のお礼欄で
「番組では、ポジティブな子もネガティブな子も居ましたが、コーチはどちらに偏るということもなく、生徒に接していたように思います。」
とのことですが、#40にて私が述べている「ポジティブな生徒」というのは、そういった場に参加しつづけている生徒たちという意味で用いています。すでにその場に参加している段階で、ポジティブな要素を持ち合わせていると思うわけです。

話は変わりますが、私が中学生の頃、高専は憧れの的でした。皆が普通科の高校に行くのが当たり前だったとき、密かに高専に行きたかったことを思い出しました。当時、公募が停止されていたため、熱い思いは直ぐに冷めてしまいましたが、ロボコン等で各地の高専が戦っている番組を見る度に、「あぁ。。。いいなぁ。。。」とため息交じりに、戻ることのできない過去を思い出してしまいます。
まぁ、紆余曲折あって、ある意味、特殊技能を有する複合集団の内部で仕事をすることができていますが、高専に行っていたら、同一集団の別の技能系にいたかもしれないと思うだけで、仲間意識が高まっています。

私の場合の針路の決定は、様々な因子が絡み合っていますが、現職の選択においては、研修先の職場の副主任から「君に来てもらえたら、とてもうれしいんだけれど」という声がけが決定打でした。

と、随分横道にそれてしまいましたが、学生のポジティブ性というのは、表向きネガティブに見えても、「その物事に関わっている」というだけでも失われていないとみるべきではないでしょうか?

だからこそ、ポジティブな指導者の言霊が琴線に触れるのだと思います。
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この回答へのお礼

その場に参加しているだけでポジティブと見れるということですね。まだ折れてない、ドロップアウトしてない、そういう意味で、確かにポジティブさは残っているのでしょう。
私は中学時分、足が速くなれば良いなと思って入った陸上部で、思いの外苦労しましたね。元々足が速いわけでもないのに入ったものだから、練習がきついきつい。
進学してその部活から解放された事が一番嬉しかったですね。
しかし、人生もそうかも知れませんが、スポーツは楽しまなきゃ損だと思いますね。楽しいということが大きな一つのモチベーションになりますし、むしろそれが目的だと言っても良いくらいです。

高専に憧れがあったとのこと。私は建築科があると言う理由だけで高専に進学しましたが、高専は理系の学校。私には合いませんでしたね。ただ建築は文系、美術系の要素も多いですから、それに惹かれて進学したのでしょう。

まぁ、学生時代というのはなんですかね、歳をとるにつれ思い出も精彩が失われて行く面もありますが、当時は当時で、精一杯生きてたんだろうなという感じでしょうか。一方大人になってしばらくして、何か余裕は出来たものの、新鮮さという面ではやや学生の私に敗北している気もします。気持ち新たに生きて行きたいなと思いました。
それこそ、テレビの中の学生たちと一緒に、コーチの言葉を聴いたような気がしています^_^

お礼日時:2016/01/09 19:40

回答番号46を拝見して。



やはりcyototuさんは奇跡のコーチです。「ふるまひ」の意味をここまで深くほりさげて解説してくれる人などほかにゐません。魔法の冷蔵庫を1台手に入れたいものです。
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この回答へのお礼

僕は魔法使いを所望します。ヽ( ´ー`)ノ

ところで私にとっては、プラポチさんも奇跡のコーチの一人ですよ。いや、言い過ぎたかな。。。いつぞやか、ロシアのトラック運転手が、道について哲学的な事を語っていたのを思い出します。哲人でも学者でもないトラック運転手が言うから、味わい深かったと記憶しています。

お礼日時:2016/01/09 00:03

#46の誤植を直し、他の話を付け受け加えたものを私のブログ、



http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-1211529 …

に転載しておきました。

ここの回答欄は一度投稿してしまうと誤植が直せませんからね。実は、最近私のコンピュータのFirefoxから入力すると、コピペのときに思い通りに入力してくれず、誤植が頻繁に出るようになって不自由しています。今後も誤植だらけだと思いますが、悪しからず。
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この回答へのお礼

了解です^^

お礼日時:2016/01/09 00:00

#45関連で。



>しかしながら物理学の一般向けの本を読むと「ふるまひ」といふ言葉がしばしば登場するにもかかはらず、どこでどんな「ふるまひ」があるのか、さつぱり判りません。

こんな経験、ちょっとやそっとでは出来ない「ふるまひ」の例を披瀝しましょう。文化と湯水のようなお金の合作でした。フランスの大企業の石油探索会社にシュルンベルジェって言うのがある。1927年創業で、もうお亡くなりになった先代の女オーナーの確か親父さんがロシアの石油探索で始まりだったと思う。私が彼女のお会いした時はもう相当なお年寄りのお婆ちゃんで、彼女はプリゴジン教授と親しくしていました。

彼女はブリジッド・バルドーが住んでいた地中海のサント・ロペから車で1時間ほど内陸に入った丘陵地帯の避暑地トゥルトゥルの村に近いル・トゥリエというところに別荘を持っていました。その場所は元一つの村でした。そこを全部買い上げて、松林の中に点在するいくつもの家屋とブドウ畑と施設消防署を持っていました。丘陵地帯ゆえに家から家の移動は歩いて三十分から小一時間程かかります。家の周りのそこここにヘンリー・ムーアの彫刻等が飾られていました。

彼女はその別荘の村に世界中から文系理系に限らず人を集め、研究会などに解放していました。但し、そのお婆ちゃんはそこの別荘を通常の研究会会場として使われるのを嫌い、そのお婆ちゃんと特に親しくしている方のみが開く、私的で非開放型の研究会だけを認め、参加者も一般公募でなく、招待者だけのようでした。プリゴジン教授も夏にそこで何回かの数日に渡る研究会を催しました。私も何回か参加者二十名ほどのその研究会に参加しました。

村の家々がその宿舎となるのですが、各家にプールが付いています。その家々はケバケバしておらず地味で、南フランスの松林にピッタリ馴染んでいました。そして研究会の開かれる大きめの家への移動に、各人にレンタカーから借受けた車が与えられていました。始めのうちは気付かなかったのですが、その地味に見える家々は、贅沢さを目立たせない石の使い方と言い、間取りと言い、一軒一軒とてもお金がかかっている造りでした。

朝食は自分たちで準備して、各人がその家々で取ります。何が驚いたかと言うと、その家々には魔法の冷蔵庫と魔法のベッドがあったのです。朝も昼の休憩時間も夜もその家で働いている人を見たことがないのに、昼寝や夜に研究会から帰って来ると、冷蔵庫の中に食べ物が何時も豊富に入っているのです。ベッドも綺麗に仕繕われていました。冷蔵庫から食べ物が湧き出していたのです。昨日飲み干したワインも、瓶の中から自然に湧き出たらしい。

研究会の中日に一日休暇があり、皆で各々のレンタカーに乗り合わせてサント・ロペに物見遊山に出かけました。そこでも私はビックリするような経験をしました。サント・ロペに着いてみたら、レストランで食べるにもお土産屋さんで気に入った物を手に入れるにも、お金がいるって言うことを突然思い出させられたからです。研究会での至極の講義シリーズを拝聴したり、食べ物やワインを自動的に湧き出してくれる冷蔵庫に囲まれた数日の生活で、この世にお金があることをすっかり忘れていたのです。これって、冗談ではありません。本当に、その衝撃は凄かったのです。

私はプリゴジン先生の鞄持ちで、その他にも超大金持ちのケバケバした超豪華な邸宅を訪れ、そこで超豪華な食事のご相伴を何度か賜ったこともありますが、この地味な家と村の生活ほど贅沢を経験したことがありません。

序でに、プリゴジン先生の鞄持ちをしていたお陰で、滅多に出来ない経験をしたので紹介しておきます。ベルギー国王のご親戚の王女の家に招待されたことがあります。何が驚いたって、王女様って本当にお城に住んでいたのです。私は、最早お城って博物館や美術館ぐらいにしか使われていないとおっ持ったので、これには驚きでした。そして食事の前にそこを訪れたことのある各王室の方々のお写真が飾ってあえう一間にと押さえられました。そこにはまだ皇太子だった頃の今上天皇と美智子妃殿下のお写真が飾られておりました。そして、王女様が一つ写真の前で曰く、

「これがアメリカのロイヤ・ファミリーの方のお写真です」

そこには、ジョン F. ケネディーご夫妻の方の写真が飾られていました。

どうです、物理の先生方がやたらに「ふるまひ」という言葉を使いたがるのは、ナノデバイス内の電子のふるまひや、素粒子のふるまひや、宇宙のふるまひばかりでなく、こんな夢のようなふるまひの噂も耳にしているからじゃないんですか。

実は、私は高校時代、同学年数300人を一寸越える生徒の中で300番以下の成績の経験者で、大学入試で志望校を全て落ちたのですが、こんな私でも、こんな異様なふるまひが出来るのも物理の世界なんですよ。
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この回答へのお礼

おもしろいなー^^。猪突さんの話は。田舎の飾らない別荘群ですか。しかも魔法の冷蔵庫に魔法のベッド・・・だと?毎日ほどよく酔えて、素敵な夢を見させてくれるベッドですか。むむむ・・・魔法使いは誰だったんでしょうね。これは魅力的な話ですね?プラポチさん。超一流のふるまいのお話。上質とは何かという質問でも立ち上げようかな。

プラポチさんは勉強家です。私なんか学問に関してはほんと受け身だったように思います。故に感想文のような持論しか持ち合わせていません。不自由はないですが、もっと上質な意見を言えたらええなぁと思ったりもしますね。

ところで、フィリピンのパラワン島の田舎の村に一ヶ月ほど滞在したことがあるのですが、寝室の机に小銭をジャラジャラと置いていたら、魔法使いにチップと勘違いされてゴッソリ持って行かれましたね。素朴ながら上質の、、、とは言えない素朴でシンプルな旅行でしたが、懐かしいことを思い出しました。
上質かぁ、、、。

お礼日時:2016/01/09 00:00

回答番号19,26の横着者plapotiです。

私のやうな者は、強制的にでも叩きこまれなければ勉強しないので、さういふ教育方法が助かります。その程度の意見としてお考へください。

>一様に指導せねばならない部分もあるでしょうね。

それがスエトニウスのカエサルさんやcyototuさんのおつしやる詰込み教育なのではないでせうか。「コーチの腕の見せどころ」とおつしやるのは確かにさうで、そんなに立派なコーチが大量に存在するとも思へません。あほなさんが「クソ」と判断なさつてゐるとほりです。このあたりは、おふたりの回答にうなづかされます。

>子どもの、「なんで勉強しないといけないの?」と言う問にも答えてやりたいでしょう?

はい、ごもつともです。必要に応じて説明をすべきです。このサイトでは「クソ」真面目な問答でなければならないのだといふ人もかなりゐますが、子供の場合はほとんど例外なく、楽しいやりとりが好まれます。ですから、あほなさんやkanto-iさんの主張もよくわかります。私としては小学生への講演もこなしていらつしやるcyototuさんの見解に重みを感じますけれど。

カエサルさんが回答番号39で御専門の分野をはつきりとお書きになつてゐないのですが、どのあたりがお得意なのでせうか。聖書の写本、ホメロスの叙事詩の韻律、古代オリエントの歴史など、気軽に話をしてくださる方がゐないので寂しく感じてゐます。

トラック業界には比較的、太つ腹で面倒見のよい人が多くゐます。しかしながら物理学の一般向けの本を読むと「ふるまひ」といふ言葉がしばしば登場するにもかかはらず、どこでどんな「ふるまひ」があるのか、さつぱり判りません。せめて年に一度くらゐは、伊勢海老、松阪牛、ロマネコンティの大盤ぶるまひをしてくれたら、いくらかでも物理に興味をもつたかもしれません。
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この回答へのお礼

>それがスエトニウスのカエサルさんやcyototuさんのおつしやる詰込み教育なのではないでせうか。<
反復練習によって身につくものは何か?それは、セカンド・ネイチャーだとマグジーコーチは言っていました。第二の本能があるかのように、反射で動けるようになるというのです。我々は意識せずとも日本語思考をしますが、それはまさしくセカンド・ネイチャーだなと思った次第、小学校低学年~読み書き計算(私はそろばんをあまり使ったことがない)をコツコツやってきたからでしょう。この基礎教育というバッグに何を詰め込むか、これが考察の余地ありかと。猪突さんは、自分だけでは一生かかっても気づけないことを教えるべきだと仰っていますが、そういったことですね。

>そんなに立派なコーチが大量に存在するとも思へません。<
ほんまそれ、です。しかしなぜか、ここGOOでは機縁あってか、私は奇跡のコーチ陣に教えを請えるという、不思議な事態が起こっています。そんな奇跡のコーチの一人である猪突さんにも、縁あってプリゴジン教授の弟子になったという不思議な事態が起こっています。縁とは不思議なものです。数の論理で説明がつかないですね。

私も母に言われたことがあります。クソ真面目やったらアカンねんで。と。以来、いかにクソ真面目を脱却するかが、大げさですが私の一つの方向性になっています。大分、クソが抜けてきたと思ってるんですが、どうですかねw

お礼日時:2016/01/08 23:46

あほなさん、どうもありがとうございます。

少し猪突先生との雑談に紙幅をお貸しください。

いくつか比喩でご無礼あったかと思いますが、お許しください。私は清談を心掛けておりましたが、今はもうそうは申せません。私自身は自分イノシシならぬ、闘牛だと人に紹介することにしております。赤いものを見ると突進して参ります。自分で闘牛だと言っておくと、周囲も少し、笑って許してくれるようです。これも先生から学んだことなのかもしれません。先生のおっしゃることは当たっておりますし、感謝しております。私の意見をお伝えし、ご鞭撻も頂きたく思います。

しかし一つ気になることがあるのです。それはあほなさんが板を締めようとしているということです。幸い先生にはブログがございまして、コメント欄ならお邪魔になることが少なそうです。「小さな楽しみ」のコメント欄に続きを投稿をさせていただきたいと思っておりました。
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この回答へのお礼

どうぞどうぞ^^ご自由にお使いください。

板を閉める件については、スレッドが伸びそうなら延期します。ですので遠慮無く使ってください。このサイトでは回答がたくさんついたり、質問後、長く開けていると質問を締め切ることを催促されることがありますので。

お礼日時:2016/01/08 15:52
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