プロが教えるわが家の防犯対策術!

じつに奇蹟的な現象が起った。体格がずばぬけて大きく容貌のきわだって美しい男が、忽然として近くに現われ、坐つたまま葦笛を吹いている。これを聞こうと大勢の牧人ばかりでなく、兵士らも部署から離れて駆け寄った。兵士の中に喇叭吹きもいた。その一人から喇叭をとりあげると、その大男は川の方へ飛び出し、胸一杯息を吸い、喇叭を吹き始めた。そしてそのまま川の向う岸へ渡った。このときカエサルは言った。
「さあ進もう。神々の示現と卑劣な政敵が呼んでいる方へ。賽は投げられた」と。
(スエトニウス『ローマ皇帝伝』第1巻32節 国原吉之助訳 岩波文庫(上)41ページ)

*** *** *** *** ***

カエサルがルビコン川を渡るにあたつて、「大きく容貌のきわだって美しい男」が現れたさうです。これは兵士の一人ですか。また「神々の示現」ならどの神ですか。兵士たちを奮ひ起こすために必要な出来事だつたのですか。

質問者からの補足コメント

  • さきほど仕事から帰りました。今日は疲れたのでもう寝ます。Tastenkastenさんとiacta-alea-estさんの文章は職場で拝見しました。

      補足日時:2016/01/10 22:58
  • 私は通訳の経験がなく、もちろんそんな能力もありません。知らない言葉、未経験の状況などにどのやうに対応してゐるのか、不思議に思へます。書物の翻訳なら調査することもできますが、通訳となれば瞬時に対応しなければなりません。よほど機転のきく人でなければ務まりません。回答番号10のコメントに書いた催しでは、碁のこと知らない人が韓国語の通訳をしてくださるのですが、それなりにわかるやうに話してくれます。もちろん囲碁用語は無理ですけれど。

    No.18の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/15 08:50
  • うれしい

    今回はiacta-alea-estさんについての質問でしたので、回答番号1をベストアンサーにいたします。みなさまありがたうございました。

      補足日時:2016/01/15 17:51

A 回答 (22件中1~10件)

「賽は投げられた」とは、私のアカウント名なのですし、別の質問欄にお誘いが書いてありましたので、この問いの回答者に私が想定されているのではないかと自意識過剰になりました。

さあ、どうぞ、得意分野を答えてみせよ、ということなのかもしれません。plapotiファンは大変多いようですから、私を歓待してくださるとは光栄なことでもあり、お心遣いに感謝致します。しかしどうしたものでしょうね。専門外なので、ちょっとわからないですね。正解を書けと言われると精神的に負担ですが、一般論で「試験の答案」を提出します。

 一般に古代ギリシアの神を見分けるにはアトリビュート(所有物)を問題とすればよいらしいのですね。図像学、いわゆるイコノグラフィーです。今回は葦笛です。葦笛は牧神のアトリビュート。アポロンの竪琴と比べられます。牧神が出現したとすれば、神々の世界と現実が交わったような印象が致します。現実の世界が不意に神的次元と繋がったのです。何か劇的な印象が致しますね。なぜ牧神か。これから起きる戦が詩に謳われるような神的な戦で、既に始まりを詩の神が謳い揚げているというのでしょう。戦士たちは名誉欲を刺激され、後世まで語り継がれる重要な戦で活躍しようと、やる気が出て来るでしょう……。まあ、なかなか絵になる場面ですね。

 しかしplapotiさんがスエトニウスまで読まれるのなら、そんなこと、先刻お分かりだったのではないですか。あるいは、上のように一般には読むかもしれないが、実は裏があるのだ、とか。註釈に書いてあるかもしれない。お手柔らかに願います。

 得意分野を明らかにせよとのことですが、生憎と、専門的に答える気はあまりないのです。と言うのも専門家として答えるには厳正にやる必要があり、これは大変ストレスフルなのです。むしろ、ご趣味が合うと、話しやすいかもしれませんね。
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この回答へのお礼

さつそくの御回答ありがたうございます。cyototuさんのブログで以前一度お話いたしました。教えて!gooに雑談のお誘ひをしたのですが、あほなさんとのやりとりを拝見して、もう少し雑談があつたほうが「誤解」が少なくなるのではないかと思つて、気楽な雑談質問を立てました。御専門がどのあたりの文献なのか見当もつきませんが、ギリシャローマにもお詳しいやうですね。古典に注釈書はつきものですが、私はほとんど読んでゐません。cyototuさんは解説ではなく本来の書物を読めと強調なさいますが、解説書までは手がまはらないのが実情です。仕事のための実用書だけもたいへんです。

葦笛を吹いてゐたなら牧神パンといふことなのですね。オウィディウス『変身物語』第1巻700行あたりに、葦笛の由来が載つてゐました。シュリンクスといふ妖精がパンに追ひまはされて葦に身を変へたといふことで、ストーカー規制法は役に立たなかつたやうです。

>これから起きる戦が詩に謳われるような神的な戦で、既に始まりを詩の神が謳い揚げているというのでしょう。

トロイア戦争、ホメロスの世界ですね。ホメロスはムーサでしたけれど。たしかにこれなら兵士たちもやる気が出さうです。プルタルコスによれば、カエサルは「賽は投げられた」をギリシャ語で叫んだのださうですから。(『英雄伝』「ポンペイウス」60節)

>ご趣味が合うと、話しやすいかもしれませんね。

このサイトでも、専門分野、得意分野には投稿しない人が多いやうに感じてゐます。作曲家のたすてんさんなどはむしろ例外的な存在です。私は地元の三流大学法学部出身のトラック運転手で、文学部の言語学科や哲学科に出かけて遊んでゐた程度の知識にすぎません。もうしばらく御指導よろしくお願ひいたします。

お礼日時:2016/01/09 20:35

やっぱりここは楽しいですね♪



「ちゃんと質問文を読んだ人から回答が寄せられて」
いる状況なのかはともかく(笑)
We Belongで無責任じゃない、言葉が自己中に映るのは何故か?
自己中であっても嬉しい楽しいなら誰も悩めてなさそうで。

兵士は国家に養われた構成員で、構成員は人間で、
人間は国家より遥かに困難な社会に閉ざされている。
とプラトンの国家論についてアラン。
真実の優れた知識が指揮する国家の完全性は考えにくいものではない。

しかし人間は選り抜きの市民との外面的な関係、
その意味において人間内部の政治(活動企画や予算、)の節制で、
自分で自分に投資などというものがしうるのか?
合理的な利潤が齎されるか否か「もたらされる」を漢字変換するとこれも「さい」? 
叩けば何ぼでも埃の出る身ながら、
誇りは均衛関係、調和に利することのみ齎されるものと思う。

敵か味方かの対立関係だけで裁くよりか、そこ(二元論)
を乗り越え!
徳や美も生まれつき持つ存在者は居らずとし、
連続連鎖、無数に分割されつつ集合体、全体のままで「見事な一瞬(卓越性)」は
不完全であった美や徳を説明する骰子(さい)となり所有する。

というプラトンの言葉を要約すると、
元々、常に美しくも正しくもなくとも、みんなでやれば、人間は慣れれば慣れるもので(笑)
「才」が「差異」を見出し発揮され、後からなら言い訳もつくだろう。
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この回答へのお礼

>やっぱりここは楽しいですね♪

現在は「奇跡のレッスン」が大人気です。あほなさんは職人タイプなのでcyototuさんやiacta-alea-estさんのやうな研究者と話が合つても良ささうなのですが、まつたくかみあはないやうです。miko-desiさんもどうぞ。

>ちゃんと質問文を読んだ人から回答が寄せられて

私の質問は関連したことなら何でもありです。以前ぶらげろさんが自己チユーについての質問を立てて、全員で自己チユーを礼讃したことがありました。ベストアンサーは文句なしにtefutefuさんでした。言ひたい放題が哲学カテゴリらしくておもしろいと思ひます。

アランと聞くとサンダーバード3号のパイロットを想像するだけで、まつたく読んでゐません。論旨が読みとれなくて申し訳ございません。でも文末のまとめの箇所は、cyototuさんの主張みたいです。やはり優秀なお弟子さんです。

御回答ありがたうございました。

お礼日時:2016/01/15 09:31

また駄菓子ならぬ、駄識と行きましょう。

駄菓子は上品な菓子よりも美味いのが沢山ある。

サイコロを投げるのは神の思し召しを伺うことだが、多数決もそう考えられていたんだね。昔、鎌倉幕府が貞永式目と言う武士用の憲法の草案を作っているときに、女性が嫁に行ったら彼女の実親の面倒をみる義務を免除するかしないかで、評議員の中で意見が分かれた。その当時、親の面倒を見ない者に相続権がなかった。また、今と違って、財産を譲った引退後の親がその気になったら何時でも財産を取り返すことが出来た。そこで、上記の義務を免除してしまったら女性に実親の財産の相続間がなくなってしまう。でも、それを義務づけると、女性には男性の2倍の負担が掛かってしまう。男女同権を守るか、女性の負担の軽減かってんで、喧々諤々だ。そこで、結局13人の評議員の多数決で決めることになった。その根拠は神の判断を仰ぐというものだった。結局、多数決で男女同権となり、女性の相続権が認められ、現今のかかあ天下の下地が完成したんだ。今でも、ほとんどの家庭では母ちゃんが財布のひも握っているけど、これって外国じゃ珍しい。

毛唐の何とか言う奴が、「最大多数の最大幸福」なんて宣って、わかった気になっている連中が多いようだが、それって本当の理由かね。いつもの後付けの屁理屈なんじゃないんかね。毛唐どもは「神の下の平等」なんて、神を信じていない連中には全く訳の解らないこと言ってるけど、これも多数決と同じで、社会の進化の成り行きで得られた安定解の後付けの屁理屈なんじゃないかね。人間、理屈が通ると安心しているが、理屈が事実を引っぱり出すんじゃなくって、いつでも成り行きで起こった事実が理屈を引っぱり出すんだよね。

ここを訪れる連中は当然哲学に興味持ってんだろうけど、理屈はいつでも事実の後付けだっちゅうこと忘れないでね。

またいつもの宣伝だ、

http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-1147141 …

も読んでね。
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この回答へのお礼

>また駄菓子ならぬ、駄識と行きましょう。

碁でも、終局時に駄目がたくさんあいてゐるのが美しいとされます。

>結局、多数決で男女同権となり、女性の相続権が認められ、現今のかかあ天下の下地が完成したんだ。

(笑)歴史とはおそろしいものです。
不勉強でまつたく知りませんでしたので、ちよつとだけネットで検索してみると、第18条に相当するのでせうか。

>毛唐の何とか言う奴が、「最大多数の最大幸福」なんて宣って

以前「ベンサムとミル」の質問に回答したのですが、私は懐疑派です。「事実の後付け」といふのは、言ひ訳と同じ構造なのですか。

[1] よからぬことをしでかした。
[2] 過去の行為は取消すことはできない。
[3] よからぬ行為を正当化する。
[4] そのために必死で理屈を考へる。

この屁理屈を理論と呼ぶのですね。回答番号6で「決めたのです」といふ言葉が出てきましたが、決めてしまへば、そして周囲に宣言してあとに引けなくなつたりすれば、何が何でも理屈をつけて正当化しなければなりません。人間、さういふ場面では必死になります。だからこそ新しいものが生みだされるのでせう。

>またいつもの宣伝だ

私の質問ページは、宣伝も自由です。といふよりも、Q&Aへの投稿は、ほとんどすべて宣伝なのかもしれません。うちの両親は天皇陛下をはじめとする皇族のかたがたがテレビに映されると、正座します。(今は足がよくないのでしなくなりました。)cyototuさんのお書きになる話は、ほとんどどれも実例がすぐに浮かんできますので現実味があります。

お礼日時:2016/01/14 23:25

猪突先生、失礼致しました。

ブログを拝読して、自分で自分の書いたことにコメントを。

>ところが今は、せっかく日本語で、漢字で物品の名前を付けても、ローマ字表記にしてしまうのがNowでヤングだというご時世です。

 表音文字にしてしまうと、意味が一瞬、分からなくなります。こういう意味不明なものを若い人は「美」と感じるのかもしれませんね。ちょうどそれは詩の言葉が容易に解読できないことを面白がるのと同じようなものです。どこの国のものかわからない言葉でお店の名前を付けるのが、ファッションとなるのも、意味が分からないことそれ自体に価値があるからなのでしょう。

 これは外国ではあまりお目にかからない現象に思えたのです。漢字のTシャツを着ている外国人は似たような遊びを行っているのでしょうが、小規模だと感じておりました。
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この回答へのお礼

御回答ありがたうございます。

>こういう意味不明なものを若い人は「美」と感じるのかもしれませんね。

iacta-alea-estさんは、視点がおもしろいのですね。言葉の魔法である詩がわかりにくい、それはさうです。私は散文人間ですので、なほさら判りません。詩歌は宗教に近いのでせうか。「漢字のTシャツを着ている外国人」の指摘もおつしやるとほりで、楽しい実例に心がなごみます。

お礼日時:2016/01/14 21:38

>これは猪突先生に怒られてしまうかもしれませんね。

漢字も元は中国のものですから。

とんでもない! 漢字は表意語なんで、表音語には足下にも及ばない芸当ができる。日本人はこれにさらに音読みよ訓読みを付与してみせたので、その漢字に新しい座標軸が付与され、漢字を最初に考案した国よりも多次元な世界を手に入れた。私は漢字崇拝者です。

http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-1189536 …



http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-1208847 …

を参考にして下さい。
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この回答へのお礼

御趣旨は以前に拝見しました。欧米では専門家でなければ意味がわからない言葉が、日本語では、漢字の音訓のおかげで、小学生にも理解できるといふ指摘ですね。まさにおつしやるとほりです。

ローマ字は20ちよつと覚えればすむのに、漢字は途方もない数を勉強しなければならない、教育の時間と労力の無駄だ、などといふ主張への見事な反論です。基礎をしつかり習得することで、学問の世界が特権階級の占有物ではなく、民衆のものになります。格好をつけて、カタカタことばやアルファベットの略語を多用しようとするのは、みづから知識の世界から断絶してゐることになります。

お礼日時:2016/01/14 21:28

盛況ですね。

猪突先生に、巫女弟子さま、ブラジュロンヌさん、こんにちは。そして主人のプラポチ様も改めて、こんにちは。今週の私は忙しく、あまり頭が働かないようです。今週の私はずっと通訳みたいなことをやっていますが、私はそれが生業ではないので、おそらくプロの方から言わせると当たり前と思われることも、やや疲弊致します。それほど正確にやらないでもいいんですが、14時間くらい何か国語かのチャンポンが続きます。やっと一日が終わり、数時間許された睡眠を取ろうとするのですが、「今日は自分はうまく話したなあ」と悦に入っていたら、眠っている間に、日中のことを思い出し、「あっこれを間違えた」「あっなんて自分は馬鹿なんだ」と分かり、何とも悲しい気持ちになります。完璧に言語を操ることは難しいものです。日本語でさえも、厳密には間違っていることがあるのですから。日本人だからどうにか言い繕っているだけです。

 こういう今週の私の状況も、何かしら♯12以降の猪突先生のお話と関係することがあるのではないかと思って書いていたのです。上に書いたように私は結構ミスを連発しているのですが、ある地点で、外国語が母国語と錯覚する瞬間が訪れます。すると自分が話せる言語は周囲も話せるものだと錯覚し、日本人に外国語で話しかけはじめるのです。あんた、これくらい分かるだろう、と。タクシーのお釣りなどで、一瞬、仏語で話しかけたくなります。しかしふっと我に返って、日本語に切り替えます。カタカナ外国語の濫用は、結局こういうことなのではないかとも思います。聞くところによると、言語を使用する脳の部位は二つあって、母国語は脳の内奥で使うのだそうです。内奥に一旦入り込むと、もう自分では客観的に管理制御し切れなくなり、だーっと捲し立てることはできても、不正確です。こうした錯覚を利用して、マーケティングを行っているのが、昨今の日本の広告代理店です。

 昔、お正月のテレビの企画で、困っているおばあちゃんに英語を教えるというものがありました。外国人タレントが呼ばれて来て、「一体、何を困っているのでしょうか?」とリポートしていましたが、蓋を開けてみたら、スーパー等で人参が「キャロット」などカタカナ表記で困っているというんです。キャロット・ジュースではなく、人参の絞り汁と書いてもらわないと分からないということでした。世代の差があります。私が学部生の頃(もうかなり前)、広告代理店の人に話を聞いたら、こうやって外国語を使うことで、世代を囲い込んでいるのだそうです。ある程度の英語を使っても大丈夫なのが、若い世代。片言がそれより上の世代。アレルギーがあるのが、ご年配。若い人だけに売ろうと思ったら、英語で表記すればいいのだ、というのです。

 何とも安易ではないでしょうか。私は日本語で、しかも漢字でつけてくれた方がありがたく感じるのです(これは猪突先生に怒られてしまうかもしれませんね。漢字も元は中国のものですから。しかし漢字もまた日本人の脳味噌の内奥に浸透してしまった外国語なのでしょう)。ところが今は、せっかく日本語で、漢字で物品の名前を付けても、ローマ字表記にしてしまうのがNowでヤングだというご時世です。いやはや、私の趣味ではないようです。漢字にせよ、ひらがなにせよ、墨書なんかかっこいいと思いますけれどもね。

 あまり頭が働かないので、やや文章が冗長になったことを御許しください。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

>今週の私はずっと通訳みたいなことをやっています

御多忙のなか、回答を寄せていただき、ありがたうございます。cyototuさんがほめていらつしやるとほり緻密な論理構成に感服いたしますし、それと同時に感性も優れてゐて、私のやうな運転手には真似すらできません。翻訳は苦手で、外国語カテゴリでも、訳せ、といふ質問には回答しません。翻訳出版をなさるのでしたら、教へください。安ければの条件付きですが、購入したく存じます。

>言語を使用する脳の部位は二つあって......不正確です。

先ほど飲んだばかりです。おもしろさうな内容に思へるのですけれど、論旨が把握できませんでした。よろしければ具体的に御説明くだされば助かります。もう一杯飲めばわかるかもしれません。

>こうやって外国語を使うことで、世代を囲い込んでいるのだそうです。

こちらの広告代理店のお話は理解いたしました。売込みの対象者に合せてゐるのですね。

また楽しい話をお聞かせください。

お礼日時:2016/01/14 21:17

「ほな、さいなら」か〜。

これは、あたしにゃ「お茶の子さいさい」の話だね。元々「これにて失礼」の前置き「さようならば」に、またその前行き「ほな」を付けて、前置きと前置きだけで、肝心な部分を取っ払ってしまった言葉だ。そのうちに「ほな」だけになっちゃうのかな。いや、東京界隈の標準語と呼ばれている方言では、とっくに「ほな」だけ、すなわち「じゃあね」が使われている。これも「それではね」から「そんじゃあね」となって「じゃあね」と略しっぱなしだ。

前置きだけの言葉では、「おおきに」「どうも」「だんだん」がある。皆そのあとの「ありがとう」の肝心な言葉がとっ払われてしまった。

これって、日本人の省略のし方の典型で、日本人はテレビジョンをテレビと略すがアメリカ人は決してテレビと言わず、TVと略してる。マクドも同じだ。日本独特の文化だ。でも、最近新聞じゃDV(ドメスティック・バイオレンス)などアメリカの真似をして日本の文化を壊そうとする動きが目立つ。先日も新聞でEVって見出しが出てたので、てっきりエロビデオのことかと思ったら、エレベーターだと。こりゃビックリしたね。何でマスコミは日本の文化がそんな嫌いで憎いんだろうか。

「ありがとう」だって、メルシーと同じで、元は相手に感謝する言葉じゃなくって、神に感謝する言葉だった。だから、ありがとうと言われて、「いや、とんでもない」って答えたら神に対する不敬、不遜な言葉なんだが、みな平気で使っている。

「さいでやんす」も賽の言葉と紛れて、「神の思し召しでやんす」なんて語源説がそのうち出て来るんだろうね。
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この回答へのお礼

>「ほな、さいなら」か?。これは、あたしにゃ「お茶の子さいさい」の話だね。

賽づくめですね。「ぢやあね」は便利なので私も使ひます。東京界隈ではなく、広島県東部の福山市に住んでゐます。

>新聞でEVって見出しが出てたので、てっきりエロビデオのことかと思ったら、エレベーターだと。

この略し方は読解困難です。どんな解釈をするかで、人間性や嗜好が判断されてしまひさうです。

>「さいでやんす」も賽の言葉と紛れて、「神の思し召しでやんす」なんて語源説がそのうち出て来るんだろうね。

回答番号16の方は、cyototuさんを頼りになさつてゐるやうですので、今後も楽しいコメントをよろしくお願ひします。ありがたうございました、神様に。

お礼日時:2016/01/14 20:59

「賽は投げられた」と


関西弁の「ほな、さいなら」とは関係あるのかどうか?ですね(違)。
あるかも?

最近では「さいなら~~」とか「バイバ~イ」よりも
どうせ又一緒に頑張るんやし、遊ぶんやし、これからも宜しく頼る気あるんやし
「約束する必要すらない」ループがあって別れの挨拶じゃなくて、
結界破り?『共に生きている』受け入れの挨拶「お疲れ様です」を多用してて、
何気に深い言葉ではないかと今気付きました。

「頂きます」「ご馳走様でした」も結界破りの言葉。
お箸を料理と人間の狭間に置くのは命を扱う神域と人間界にある結界ということらしいです。
神も人間が居なくなれば寂しいはず。
神様は人間ほど苦労も自慢もなされないが
置かれた状況に共に生きている。
共に生きれなくなると賽なら?
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この回答へのお礼

miko-desiさんの関西弁は堅苦しさが抜けて、いいですね。

>「ほな、さいなら」とは関係あるのかどうか?

そのうち、「ほな、賽投げ」に変化するかもしれません。

>神も人間が居なくなれば寂しいはず。

いはれてみれば、さうです。箸は神と人の間の結界だつたのですね。戦にかぎらず、さまざまな場面で神との関係を論じてくださり、ありがたうございました。

お礼日時:2016/01/14 20:47

№14です。



そういったご議論がすべて クリスマスツリーのカザリの部分だと思います。

樅の木と言いますか カエサルの境地を問題にすべきではないかというのが 
回答の趣旨です。

▼(ヰキぺ:ウェルキンゲトリクス) ~~~~~~~~~~~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7 …
§ 1 生涯

20歳前後で族長となり、ガイウス・ユリウス・カエサルのガリア戦争において
それまで統率の執れていなかったガリア諸部族をまとめ上げて対ローマ統一部
隊を組織すると、ガリア各地でゲリラ戦やローマ軍の兵站線の寸断、焦土作戦
などを展開し、ローマ軍を苦しめた。
アウァリクム包囲戦でアウァリクムを陥落させられたが、ゲルゴウィアで反撃、
ローマ軍に勝利した(ゲルゴウィアの戦い)。
しかし、最終的にはガリアの都市アレシア(現在のディジョンに近い地域)に
追い詰められ、ローマ軍に包囲された。突破作戦を決行するも失敗し、部下達
の保全を条件についに降伏、投降した(アレシアの戦い)。
その後、ウェルキンゲトリクスはローマへと送られ、6年間トゥッリアヌムに
投獄された後、カエサルの凱旋式が行われた際に処刑された。

≫カエサルは基本的に敵に回った人間でも処刑することがなかった(蛮族に対し

てもやや基準が厳しいが、人質の倍増で済ますことがほとんど)が、若くして

統一組織のないガリアの諸部族をまとめあげてしばしばローマ軍を打ち破った

彼に対してだけはそうはしなかった。≪

▽(絵):"Vercingétorix jette ses armes aux pieds de César"
(1899年フランス人画家リオネル・ロワイヤル作。ル・ピュイ=アン=ヴレ、
クロザティエ博物館所蔵)
アレシアの戦いにて、カエサル(赤いトガをまとう人物)の軍門に下り、勝
利者の足元に武器を投げ捨ててみせるウェルキンゲトリクス(馬上の人)。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

▲(ヰキぺ:カエサル) ~~~~~~~~~~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A4 …

ルビコン川を渡る際、彼は

 「ここを渡れば人間世界の破滅、渡らなければ私の破滅。
 神々の待つところ、我々を侮辱した敵の待つところへ進もう、
 賽は投げられた」

と檄を飛ばしたという。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「賽は投げられた」の回答画像15
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この回答へのお礼

昨日は昼前から仕事で帰りが遅くなつたのでお礼ができませんでした。

>そういったご議論がすべて クリスマスツリーのカザリの部分だと思います。

誤解があります。私が「クリスマスツリーのカザリ」のやうな議論をするとでもお考へなのですか。いつたいどんな読み方をなさつてゐるのでせうか。気を確かに持つてください。そして真実を見きはめてください。私の文面は「クリスマスツリーのカザリ」などではなく、「七夕のカザリ」です。

今回の質問はiacta-alea-estさんの復帰祝ひです。私としては「賽は投げられた」といふ言葉が「iacta alea est」といふスエトニウスの標準テキストが正統であることを示さねばなりません。「カエサルの境地」は二の次です。cyototuさんが兵士にとつては「賽は投げられた」なんて言葉よりも重要なものがあるとおつしやつてゐるのはそのとほりなのですが、やはりaleaが真ん中にくるラテン語の語順は格好いい。たすてん先生も同じことを書いてくださいましたが、iacta-alea-estさんも本物の芸術家なのでせう。

ラテン語は独学で、大学3年生の夏休みに文法の勉強とカエサル『ガリア戦記』を読みました。ウェルトキンゲトリクスについての記述は第7巻に出てきます。ちよつとした情報であればウィキペディアも有用ですが、「カエサルの境地を問題にすべきではないか」とおつしやるのでしたら、きちんとした資料から論じるのが筋ではないでせうか。

カエサルは全軍の兵士を勇気付けるための集会を開き、神神に言及しました。
「さよう、不滅の神々の恩寵と、諸君の勇気とによって、すでに敗北の恨みを晴らしたのだ。もはや敵の歓喜も、長つづきはしないし、われわれの苦しみも長びくことはあるまい。」
(カエサル『ガリア戦記』第5巻52節 国原吉之助訳 講談社学術文庫193ページ)
さらにガリア平定後の凱旋においても、神々への感謝の生贄を喜んでゐます。私が『ガリア戦記』を読んだかぎりでは、他の回答者のみなさんの御意見が適切に思へます。実際のところはカエサルにしかわかりませんし、ぶらげろさんの見方が正しいのかもしれませんけれど。

お礼日時:2016/01/14 20:42

№7です。



間違ったならその自分を嗤おうと決めての投稿です。

カエサルは ガリア侵略において例の Vercingetorix なるケルト人たちに
抵抗に遭い 長期戦を最後の最後でかろうじて勝ちをおさめたとか。

でも それでも・そしてそれなら 運も味方であり自信を持ったかと思わ
れます。

あとは ルビコンを渡るだけだったのでは?

折節で笛やラッパで士気を《鼓舞》することはあっても もう神々はむし
ろ神々を自分たちに従えるだけであり 賽を投げることに特別のピッタリ
としたタトヘの効果があるのでないかぎり その場では言わないでしょう。

▼ 卑劣な政敵が呼んでいる
☆ こういう言い方は よほどのことがあってその場で一時的に口にする
ことはあっても まづきちんとした情況にあっては言わないと思われます。
〔カエサル自身が〕ただの簒奪者なら別でしょうけれど。


問い方を変え得るものなら そういった観点からの事態の解明を俟ちます。
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この回答へのお礼

ルビコン川を渡るのは、規約違反といふことであつて、必ずしも戦争になるわけではなく、通報削除とか、退会処分とか、厳重注意ですむ可能性もありました。実際上はそんなことではありませんでしたけれど。

>運も味方であり自信を持ったかと思われます。

宮本武蔵の境地ですね。「神々を自分たちに従える」といふ御指摘は、異なりますけれど。

「大きく容貌のきわだって美しい男」がアポロンなら、ローマ建国に関連づけて、ローマ維新をめざしたのでないか、といふ見方もできるのですが、みなさんの御意見では、やはりパンのやうです。

以前ヘブライ語の三人称命令法についての質問をなさつてゐました。今回も回答番号4でギリシャ語とラテン語の三人称命令法の話題が出ました。私の見解は以前回答したとほりです。名文句の決定版はiacta-alea-estさんが採用なさつてゐるとほりでいいのではないかと私は思ひます。

お礼日時:2016/01/13 10:16

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