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パスカルの言った「気晴らし」と
ハイデガーの言った「ダス=マン」
両者の指す所の違いは何でしょうか
教えてください

A 回答 (2件)

現在人気のあるネコと、動物学などのネコとの違いは何ですかと問いを立てた場合、愛玩や癒やしの関連で想起されるイメージと、学問研究や生態体系上の分類区分の違いですと解答するので良いのでしょうか。


哲学には詳しくないし、ハイデガーやパスカルに関して訳書さえも読んだことがないですが、ハイデガーは、不安や忌避感を自分が堕落している世人ではないかと懐疑しているからと考え、否定的な生き方をする存在として世人を想定しているのに対し、パスカルは、自己の存在に空虚感や否定的感情はもっておらず熱意や真剣さを持って志向的に生き活動しているの(活動の仕方)を気晴らしと看破しているのだから、全く交差するところのないものと思って良いのじゃないですか。
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パスカルの気晴らし:人間が本質的に持つ矛盾により、幸福を本質的に追及しないで、刹那的な気晴らしで、日常を過ごしてしまう事。

(悲惨な状態を直視しないことにより、ある意味、より悲惨な状態にある)
ダス=マン(das man:世人):人間が非本来的な生き方で、周囲と同調して日常に埋没している場合を意味する。 このような状態は、自己よりも他人と同化した行動を取ることにより、平均化し、行動は社会的に免責される状態にある。(免責されていても、責任を取る世間的主体は存在しないので、ある意味無責任と言える)
両者は、行動としては一致する部分もあるが、パスカルは原罪による矛盾としての人間の不完全性から、人間が本質として気晴らしをしてしまう特性を持つと考えるのに対して、ハイデガーの場合は、ダス=マンと言う状態は、人間の存在の偶然性による社会状況に起因すると考え、人間の本質としては捉えていません。(人間の本質というものをハイデガーは規定していません)
これから抜け出す方法としては、パスカルは神学的に、ハイデガーは人生の有限性(死が免れないこと)から人生が各自のものである事を認識する事であると考察しています。
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