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おそらく正解はないのでアンケートに近い質問です。

「おられる」「~ておられる」という表現をどう思いますか。
 おそらく、考え方は3通りあります。

1)使わないほうがいい
 ※「いらっしゃる」を使うべき。「おいでだ」もありでしょう。
2)本動詞の「おられる」は△。補助動詞の「~ておられる」は◯
3)本動詞の「おられる」も、補助動詞の「~ておられる」も◯

 ネット検索しても↑の3説が入り乱れて、何がなんだかわかりません。
 どう考えるのがよいのでしょうか。


 
 以下は参考資料です。
【参考資料】
 辞書類は、「おられる」を認めているものが多いようですが、「無条件」ではないようです。どの程度注釈をつけるのかはケースバイケースです。本動詞の「おられる」と補助動詞の「~ておられる」を区別してはいないと思われます。条件付きの3)でしょうか。
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%8A%E3%82%8 …
https://kotobank.jp/word/%E5%B1%85%E3%82%8B-4365 …

 ネット検索するとウンザリするほどのサイトがヒットします。
【おられる 敬語】の検索結果。約438,000件
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%81%8A%E3% …
 質問サイトのやり取りや、個人のブログは基本的に無視します。大半は単なる主観でしかないからです(自説を並べるだけではなく「ちゃんと調べている」と思えるものは別です)。
 下記あたりが信用できそうです。

【1】ことばの使い方(社会言語学・敬語)
http://www.alc.co.jp/jpn/article/faq/05/175.html
==============引用開始
 このように考えますと、「おられますか」という表現は、謙譲語である「おります」に尊敬の助動詞「れる」をつけた形式であり、矛盾をはらむおかしな言い方であると言えましょう。

 ただし、この問題には方言差も関与しているように思われます。実際私の方言では「いる」の代わりに常に「おる」が用いられるため、「おられます」は尊敬語としてなんら矛盾のない自然な表現として用いられています。
==============引用終了
 1)寄りでしょうか。ただし、「方言」としてはアリのようです。それは一般にはナシということでは……。「私の方言」は言葉足らずでしょう。

【2】最近気になる放送用語
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term …
〈現在では必ずしも不適切ではない、と言われています〉
 3)ですが、相当消極的な許容でしょう。

【3】第22回「鈴木様はおられますか?」は誤用?
http://www.web-nihongo.com/wn/j_manner/22.html/
〈一般的には誤用ですが、厳密には正誤を断定しがたいとも言われます。なぜかと言いますと、地域によっては「いる」の尊敬語「いらっしゃる」を使わず、代わりに「おられる」を尊敬語として用いる所もあるため、一概に誤りと言えない部分があるようです。〉
 3)ですが、相当消極的な許容でしょう。
 2)の考え方も場合によってはアリ、としているようです。

【4】ビジネス敬語の達人 ※信頼性に疑問あり?
http://bizkeigo.koakishiki.com/mail-plural/scene …
 1)です。〈目上の人の「いる」を「おられる」なんて言ってはだめ〉と断定しています。
 ネットで閲覧できるビジネスマナーの類いは、ほとんどが1)のようです。こういう意見が多くなると、例によって「使わないほうが無難」なのかもしれません。

【5】コミュニケーション講師に聞く。間違いがちな敬語マナー
http://news.mynavi.jp/c_career/level1/yoko/2011/ …
 1)です。ビジネスコミュニケーション講師の大嶋利佳さんは〈正しいと思って使っている人が多いようですが、自分から進んで使わないように心がけたい言葉〉としています。

【6】Wikipedia「敬語」 ※信頼性に疑問あり?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%AC%E8%AA%9E
 3)です。ただし、〈地域差が大きい〉と方言扱いしている観もあります。
 このWikipediaの有力な【ネタ元】と思われる三省堂のサイトは、「おられる」を許容していないようです。
http://www.sanseido.net/main/words/hyakka/sonkei/

【7】『敬語再入門』(菊地康人)の記述
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8666963.html
 微妙な感じもありますが、1)でしょう。
 以下は一部の抜粋(重言)。

 敬語の問題は、菊地本に従うのがイチバンと考えているが、困ったことにこの「鬼っ子」に関しては、『敬語再入門』の記述も煮え切らない。P.158~159に〈「おられる」──適否の断じにくい敬語(2)〉という項目がある。下記のような文章で始まる。
================引用開始
「申される」とはまた違った意味で、正誤の断じにくい敬語です。
 これも規範的には、「おる」は謙譲語IIなので、それに尊敬語「れる」を付けた「おられる」は誤り、ということになるはずです。しかも歴史的にも(前項の「申される」の場合と違って)、「おられる」を擁護する余地はありません。
================引用終了

 このあと、「おられる」が使われる理由がいろいろ書かれている。詳しいことは原本を読んでほしい。正確には全文を引用するしかないのだが、要点だけを箇条書きにする。
・地域差/個人差がある
「おる」が謙譲語だと思わない人は、尊敬語として「おられる」を使うことに抵抗がない。
・「おられる」全体でひとつの尊敬語と考える人もいる
 背景には「いる」をレル敬語の「いられる」にしにくいことがある。
・使う人が多くなれば、「本来」がどうであっても新しい言い方になる
 そうなりきらないのは、抵抗を感じる人も多いため。
 いろいろ書いて、結びは下記のとおり。
================引用開始
 以上のように「おられる」はすでに誤りともいえないほどではありますが、本来は誤りなのだとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいでしょう。
================引用終了

 『敬語再入門』の巻末には「敬語ミニ辞典」がついている。ここでは、「おる・……ておる」は「いる」・「……ている」の謙譲語II、としている。最後に「個人差・方言差」があるとはしているが。
「敬語ミニ辞典」の「おられる」の記述を引用する。
================引用開始
おられる・……ておられる 「いる」・「……ている」意の尊敬語として使うことがあるが、「おる」は本来謙譲語なので、規範的には問題がある。「いらっしゃる・おいでになる」を使えば問題ない。ただし、場面・文体によっては「いらっしゃる」はなじまない場合があり、「おられる」はそのかわりに使われる面もあるようである。
================引用終了

【8】『日本語力の基本』(野口恵子/日本実業出版社)
 〈2)本動詞の「おられる」は△。補助動詞の「~ておられる」は◯〉もよく見聞します。ネット検索ではあまりいいものが見つからなかったので、『日本語力の基本』をあげておきます。
 同書のP.115~では「話しておられます」を〈西日本式敬語〉と断定しています。標準語話者の間にも「~ておられます」がひろまりつつあるが、本動詞は×としています。〈「先生はご自宅におられます」とは言いません〉とのこと。

A 回答 (7件)

「どう思うか」でいいんですよね。



西日本に住んでいた時は「おられる」が当たり前に使われていましたが、関東に出てきてからは「いらっしゃる」を使うようにしています。それで聞き慣れたというのもありますが、「おられる」はやはりローカル色が強いので、少なくとも関東ではあまり正式な敬語という感じがしません。
(勿論それが普通の地域ならいいと思います。ローカルな敬語・丁寧語というのも確実にありますので。)

ちなみにですが、以前住んでいた所では、本動詞でも補助動詞でも「おられる」が「大人のちゃんとした敬語」として当たり前に使われていますよ。

方言に正しいも何も無いのと同じで、別に正解を1つに絞らなくてもいいんじゃないでしょうか。「許容」とおっしゃっていますが、ローカルな言葉を使うのに一体誰の許可を得なきゃならないのか?というのもありますし。
他者の故郷やアイデンティティに敬意を持つことが、一番の「マナー」なのではないでしょうか。
むしろ心配なのは「おられる」が使われている地域でそれがどう見なされているか、かもしれませんね。他所の人がどう言おうと「無知な他所の人」でしかありませんが、その地域の人達が自分達のアイデンティティをどのくらい大事に出来るかは、やはり大きな問題だと思います。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 アンケートに近いんで、「どう思うか」で構いません。
 ただ、理解のためにできるだけ↑の枠組みで考えたいと思います。
 3)ですね。ただし「方言」であると。
 別に〈誰の許可〉を得る必要はないと思いますが、〈許容〉は辞書などの態度?的な使い方をしています。
「方言」と言ってしまうと、ある意味なんでもアリでしょう。それは「一般的ではない」とも言えます。
 辞書が極力避けているのも、そのせいだと思います。
 たとえば諸説ある「ラ抜き言葉」も、「一部地域の方言」と言ってしまえば、話が終わってしまうような。

 ……知外方言。(←オイ!)

おる おられる おられた おられます【まとめ】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2801. …
==============引用開始
【3】「おる」はそもそも方言由来ではないのか? 
 いままでにもちょこちょこ出てきているが、「おる」は元々(主として関西方面の)方言だったのでは……という説がある。辞書ではそのことにほとんど触れていないのはなぜなんだろう。
『大辞泉』に〈「いる」に比べて方言的な響きを帯びる〉とあるだけ。これはずいぶん持って回った言い方をしている気がする。
==============引用終了

お礼日時:2016/01/17 12:40

「いらっしゃる」


「おみえになる」
を使う。

>〈「先生はご自宅におられます」とは言いません〉
その通り。
「先生はご在宅です」になります。

・・・
まあ、それでも意味は通じるのだ。
普段は難しく考える必要はない。
でなければ地方の言葉をことごとく否定することになってしまう。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

 理解のためにできるだけ↑の枠組みで考えたいと思います。
 1)ですね。
「おみえになる」は、いわゆる共通語では「来る」の尊敬語では。
 中京圏では「いる」の尊敬語だと思いました。

 本動詞の「おられる」は×とお考えのようですが、補助動詞の「~ておられる」だと違いはありますか?
「方言」に関してはNo.1の「お礼」をご参照ください。

お礼日時:2016/01/17 12:45

敬語にうるさい東京の女子校を出ましたが、使ってもまったく問題ないと考えております。



もちろん、ベテラン・アナウンサーの多くがしておられるように、これを「おる」「~ておる」と混同するのはいけません。「おる」はもちろん謙譲語です。そこに「られ」がつくから「おられる」という尊敬語になるのだと理解しております。

「多くの方々が混同しておられます」○
「多くの方々が混同しております」×
「混同なさっている」○
「混同なさっておる」×(ただし、末尾に「おっほん」を付ければ、もったいぶった男性などが使う敬語として成り立つ)

ちなみに、そもそも言葉は変化するものなので、「おる」ではなく「おられる」なら固いことは言わなくてもいいのではないかとも思っております。例えば、私の学生時代には「すみません」という言葉を使うのはとんでもないことでしたが、今は先輩方も問題なく使っておられます。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

〈東京の女子校〉で〈まったく問題ない〉はちょっと意外です。
 東京のかたは異和感を持つと考えていました。

 理解のためにできるだけ↑の枠組みで考えたいと思います。
 3)ですね。
 ただ、〈「おる」はもちろん謙譲語です。そこに「られ」がつくから「おられる」という尊敬語になるのだと理解しております〉はやや疑問です。
 ↑の【1】【7】をご確認ください。
 仮にこれで尊敬語になるなら、下記はどうでしょうか。

申される
参られる
いたされる

〈そもそも言葉は変化するもの〉……そのとおりだと思いますが、ケースバイケースでしょう。なんでもかんでもそれで済ませてしまう傾向があることには異和感があります。

お礼日時:2016/01/17 12:53

難しい質問ですね。


『以上のように「おられる」はすでに誤りともいえないほどではありますが、本来は誤りなのだとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいでしょう。』という菊池氏の言葉が結論になるでしょう。
 わたしは大学教授たちの座談会で次のような発言を聞いた覚えがあります。「関西の先生方は、どうして『書かれておる』のような言い方をするんでしょう」。 その頃からこの問題は始まっていたのです。
 わたしは、古い時代には「存在動詞」が「ラ変動詞」の「有り」・「居(を)り」であり、「上一段」の「ゐる」は別の意味で使用されたと考えていました。それが江戸時代に「をり」に代わって、「ゐる」が使われ出したと思ったのです。
 ところが、次の「日本国語大辞典」から「をり」(おる)と「ゐる」(いる)の説明をぬきだすと、そんな単純なものではなかったようです。(次の引用からは、用例を省きました。膨大な量になりますから)◎印のある場所には特にご注意を。

『おる』〔自ラ五(四)〕を・り〔自ラ変〕

〔一〕ある場所を占めている状態をいう。
(1)そこにある。場所を占めて存在する。
◎(イ)人の場合。自己を卑下したり、他人をさげすんだりする気持の含まれることが多い。
 (ロ)動物の場合。特に外の意味は含まず、単に「いる」の意味。
 (ハ)無生物の場合。上記に同じく、単に「いる」または「ある」の意味。
(2)腰をおろす。すわる。
(3)そのままの状態でいる。そこにとどまっている。居を定める。

〔二〕補助動詞として用いられる。動作、作用、状態の継続、進行を表わす。
◎(イ)動詞の連用形に付く。多く、自分の言動を卑下したり、他人の言動をさげすんだり、または、軽視できるものの作用、状態について表現したりするときに用いられる。
◎(ロ)動詞の連用形に付く。(イ)より進んで、動作主をいやしめ、ののしる気持を強く含めて用いられる。…やがる。
 (ハ)動詞の連用形に、助詞「て(で)」を添えた形に付く。
◎(ニ)((ハ)の形の下にさらに「ます」「まする」「まらする」を付けて)相手にあらたまって言う場合に用いる。
   この場合の例文は下記。
 *虎明本狂言・花子〔室町末~近世初〕「命にはかへられずかやうに致ておりまらする」

《語誌》
 (1)「ゐる」と「あり」との結合したもの。本来、「ゐる」はある場所にすわること、「あり」は継続存在することを意味する。平安時代に入ると、「ゐたり」「ゐたまへり」等の形式が現われ、九五〇年頃から後の和文資料では「をり」の、特に終止法の例が見られなくなる。
◎(2)自己については卑下、他人については軽視の気分を含み、〔二〕(ロ)の用法はそれが文法的に形式化したものと見られる。
◎(3)近代では、「をる」は「ゐる」に代わって、オラン、オッタカ、知ッテオル、ソコニオレなどのように、話者の尊大な気分を示すようになり、同時に「をります」が「ゐます」をいっそう丁寧にしたものとして用いられる。
(4)〔二〕(ハ)と形式的には同じ用法が既に中古に見られるが、まだはっきりとは補助動詞化していないと考えられる。例えば、「観智院本三宝絵‐中」の「我甚くさきものをみれば、かしこなる女の頭にけだもののあぶらをぬりてをるといへば」など。


『いる』 いる[ゐる] 【居】 〔自ア上一(ワ上一)〕

◎動く物がある場所にとどまって存在する。また、低い状態になる。
〔一〕人や動物の場合。
 (1)ある場所に存在する。
◎(2)低い姿勢をとる。腰をおろす。すわる。⇔立つ。
(3)(鳥、虫など飛ぶものが)ある物にじっとつかまる。とまる。
(4)ある地位につく。
(5)ある場所に居を定める。住む。また、外出しないで家にとどまる。在宅する。
(6)ある種類の人間が、抽象的な意味で存在する。ある。
(7)ある人にとって、親族・上司・部下などの社会的関係のもとで、ある人が存在する。

〔二〕植物や無生物の場合。
 (1)(かすみ、雲、ちりなど動くことのあるものが)動かないである。ある物の上にとまって存在する。⇔立つ。
(2)(舟などが)砂について動かないである。停泊する。泊まる。
(3)(水草、氷などが)平らに生じる。
(4)(ふくらみのあったものが)平らになる。
(5)(「腹が居る」の形で)怒りがおさまる。しずまる。→癒(い)る。
(6)(「腹を居る」の形で他動詞のように用い)怒りをしずめる。

〔三〕補助動詞として用いられる。
◎(イ)(動詞の連用形、または、それに助詞「て」を添えた形に付いて)動作、作用、状態の継続、進行を表わす。
(ロ)(「…ずにいる」「…んでいる」「…ないでいる」の形で)ある動作、作用が行なわれない状態の継続を表わす。

『語誌』
 (1)上代には、「ゐる」に当たる終止形に「う」があったと考えられる。→「う(坐)」の語誌。
(2)近世には、次のように「をり(をる)」と同じような活用をさせた例がある。「もししったきゃくがゐらば、をしうりせんと」
(3)中古以前にも、〔三〕(イ)と形式的には同じ用法があるが、まだはっきり補助動詞化していないと考えられる。
◎(4)古くは「ゐる(いる)」自体は動作・運動を表わしたが、次第に奈良時代以前の「をり」に代わり、「り」「たり」を伴って「ゐたり」「ゐ給へり」などの形で、持続的な状態を表わした。「いる」だけで状態を表わせるようになったのは室町時代以後のことと考えられる。また、〔一〕(6)(7)のような抽象的な存在を表わせるようになったのは近代に入ってからで、これらの用法では現代語でも「ある」が用いられることがある。
◎(5)補助動詞の場合、近世上方語では主語が有情物の場合は「ている」、非情物の場合は「てある」が付く傾向が強い。一方、近世後期以降の江戸語では主語の有情・非情にかかわらず「ている」が付き、「てある」はもっぱら他動詞に付けられるようになり、現在に至っている。
(6)「おる(をる)」との差異については、「おる」の項の語誌欄参照。

   「おる」に関連した方言について

『方言』
〔一〕
(1)居る。住んでいる。生きている。
《おる》薩摩「ダガアスケオラルカ(だれがあそこに居るか)」 宮城県加美郡・仙台市・東京都大島・新潟県中蒲原郡・佐渡・富山県東礪波郡・射水郡・石川県輪島市・鹿島郡・福井県大野郡・長野県上田・岐阜県・愛知県・三重県阿山郡・滋賀県彦根・京都府・奈良県南部・鳥取県気高郡・島根県邑智郡・鹿足郡・岡山県津山・真庭郡・広島県・徳島県・香川県・愛媛県(同輩や目下の者に)・熊本県・宮崎県西臼杵郡・鹿児島県鹿児島郡
(2)ものの存在を示す。ある。
《おる》石川県鳳至郡・和歌山市「『蝋燭おりますか』『はい、おります』」・広島県高田郡・高知県・「つるいに水がおらんきねや」

〔二〕補助動詞として用いる。
(1)動作の進行・継続を示す。
《おる》備後・薩摩「newor faraboci mata onaki ネヲル ファラボチ マタ オナキ(うつぶせに、またはあおむけに)」・千葉県夷隅郡・愛知県丹羽郡・滋賀県彦根・兵庫県飾磨郡・奈良県南部・鳥取県倉吉市・島根県・広島県賀茂郡・香川県仲多度郡・綾歌郡・九州・福岡県北九州市・佐賀県三養基郡「しゃてーわてまるけーおる(弟はまりをけっている)」・長崎県壱岐島・対馬・熊本県天草郡・大分県臼杵市・鹿児島県
《おい》鹿児島県屋久島
《うる》沖縄県宮古島「うととまーるうなぎうる(弟はまりを投げている)」
《ゆうる》岡山県上房郡「見ゅーる(見ている)」・邑久郡
《ゆう》高知市「まだ強勉しゆーかね」
《よう》高知県「泣きよー」
《よでる・よおでる》岐阜県北飛騨(尊敬語)
(2)軽い軽べつを表わしたり、意味を強めたりする。
《よ》和歌山県「おりよら(おりましょう)」
(3)(「でおる」の形で)指定・存在の意を表わす。ある。いる。
《おる》愛知県・和歌山県日高郡・《おおろう》東京都八丈島「こけーくろとうれしそーでおーろー(ここへ来るとおもしろそうにしている)」
(4)(否定形「おれん」「おられん」の形で)耐えられない。がまんできない。たまらない。
《おる》香川県「ねぶとておれん」「うれしておられん」

  "お・る[をる]【居】", 日本国語大辞典より。

 本日は辞書の紹介のみにします。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>『以上のように「おられる」はすでに誤りともいえないほどではありますが、本来は誤りなのだとか、使わない人は使わないのだということも、知っておいてよいでしょう。』という菊池氏の言葉が結論になるでしょう。

 そう言ってしまうとそれでおしまいのような……。
『日本国語大辞典』からの抜粋ありがとうございます。
 これを見る限り、『日本国語大辞典』は「謙譲語」という書き方はしていないのですね。
 そう考えると、敬語の問題で国語辞典を参考にしてもあまり意味がないのですかね。
 o( ̄ー ̄;)ゞううむ

 ちなみに、『大辞泉』にはいつの間にか「謙譲語I」「謙譲語II」が立項されています。
 ただし、ほかの記述では、区別せずに「謙譲語」にしているようです(「謙譲語」と明言していないことも多々)。
【『大辞泉』に「謙譲語I」「謙譲語II」がのっていた 辞書】
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-12071489244.html

お礼日時:2016/01/23 00:51

前回は辞書の引用で終わりましたが、この「おる」に対する認識が必ずしも妥当とは言えない形で論じられていることを指摘しておきます。

例によって「青空文庫」と「KOTONOHA」の検索結果を書きます。「青空文庫」ではとんでもない数がヒットしました。ここに引用できる程度ではないので、次の2例だけ紹介します。

 方は、犬塚君はいろんな文学雑誌なんぞを好く見て<おられる>から御承知でしょうが、Turgenjew の父等と子等と
    森鴎外「食堂」

 いうものが政権を持って<おっ>てその上に天子様が<おられる>という。これは一般の法則でないという処から、
   夏目漱石「模倣と独立」

一方、「KOTONOHA」では500件がヒットしました(おそらくこのサイトの最大件数)。その大半は「~ておられる」の形(補助動詞)です。

 NHKのサイトで、「戦後の大きな敬語変化の一つは、従来の謙譲語が変化し、それらがていねい語化しつつあることですが、『おられる』はその代表例です。」という発言は、全くの虚偽です。そんな戦後の話ではありません。漱石や鴎外は戦前の作家です。というより、もっと古い時代の人です。
 また、「方言由来」説にも、問題があります。確かに、前回に紹介した『「おる」に関連した方言について』で見られるとおり、関東地区を取り巻く形で日本の各地に残っています。その影響だという考えは間違いです。一旦成立した「共通語」の中に方言が入ってきて、大きな顔で定着しているなどという考えは「方言」を知らない人の考えです。
 柳田の「蝸牛考・方言周圏論」にあるように、文化の中心地から「言葉」は周辺に広がっていき、それぞれの土地で少しずつ形を変えて定着します。方言を「それぞれの土地で勝手に言葉を作り出した」のが方言だと考える人がいます。確かにそういう例はあると思います。しかし、東北で使われる「べい」という言葉が「べし」の変形であり、九州の一部で使われる「よか」が「よかる」(「よし」という形容詞の連体形)の変形だということからだけでも、方言の本質が分かるはずです。
 日本においては、文化の中心が中世末期に上方から江戸に移動してしまったため、かつて共通語の中心にあった、上方の言葉が一方言と見なされるようになってしまいましたが、これは特殊な現象です。しかも、江戸期の「江戸語」と「上方語」は庶民の中でも厳しく対立していましたから、「おる」という上方語をわざわざ取り込む動きなど考えられませんでした。
 結論を急ぎましょう。「おる」は武家言葉由来です。ご存じのとおり、江戸に住まいする武士は幕府関係者や旗本を除くと、諸国の武士が多く集まっていました。江戸詰という形で長期間滞在する者、参勤交代によって短期間滞在する者など相当数の武士が住んでいました。彼らはそれぞれの藩の中だけで育ち、当然方言を背負っていました。しかし、江戸在住の人たちと言葉を交わす必要上、「武家言葉」とも言うべきものが出来上がっていきました。
 一方、商人・職人の人たちも各地から集まりましたが、この人たちは、江戸に永住するつもりで来た人びとです。やがて各地の言葉がいりまじり、「言葉の坩堝(るつぼ)」とも言うべき状態になって、「下町言葉」が成立しました。これが共通語となってもよかったのですが、そうはならなかったという事情があります。これ以上述べるのはかえって無駄にも思えるので、話を戻してこの「武家言葉」こそが共通語の中に、方言じみた「おる」を残してしまったのです。
 謙譲語Ⅱという言葉が話題になりますが、その例にあげられる幾つかの言葉は「武家言葉」由来のもので、「おる」の外に「申す」「いたす」「参る」「存じる」は、非常に特色があります。
 1.自分の側に使うと、尊大な言い方になる
 2.「ます」をつけて自分の側に使うと、謙譲語になる
 3.相手の側に使うと、卑しめる言い方になる
 「申す」を例に取れば、「わたしは○○と申す」というと、謙譲でも何でもなくて、威張った言い方です。「○○と申します」は謙譲表現。「早く申せ」「何を申しておるか」これらは見下した言い方です。「おる」も同様で、「ここで待っておる」は尊大な言い方で、「存じております」は謙譲。「何を致しておるか」は見下した言い方です。
 関西方言に押しつけて「方言由来」と言っているよりは、「武家言葉由来」とした方が公平でしょう。
さて、一番問題の「おられる」ですが、これを使う人が古くから相当数いることを認めた上で、多少擁護するなら、「おる」を自分の側に使えば「尊大語」になるといいましたが、その尊大さを認めた上で「れる」という尊敬の助動詞をつければ「尊敬の意味がより高くなる」。「いる」のような無色透明な語に「られる」をつけても「いられる」(事実上はほとんど使いません)という形になりさほど敬意は感じられません。
 鋭い方は、お気づきのとおりこの結論はひどい「ごまかし」があります。それは、自分の側に使えば「尊大」であるが、相手に使えば、「見下した表現」であって、その見下した言い方に「尊敬の助動詞」をつけるとは、質問者がおっしゃるように、本当は具合が悪いのですが、以前「連用中止法」を使う場合に、「既に社会に認知されており、敢えて間違いだという必要はない」のような「おり」の使い方は、かなり浸透しています。同様に、「~と○○氏は書いておられます」は多分便利な使用法だと思います。「~と○○氏は書いていらっしゃいます」はこの部分だけ大げさになるし、「○○氏は書いています」では筋違いだし、かといって「~と○○氏は書いていられます」は不自然です。
 以上、いろいろ書いた割には、要領をえない結論になりました。しかし、「青空文庫」などの検索結果はやはり尊重しなければなりません。
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この回答へのお礼

>NHKのサイトで、「戦後の大きな敬語変化の一つは、従来の謙譲語が変化し、それらがていねい語化しつつあることですが、『おられる』はその代表例です。」という発言は、全くの虚偽です。
 これはたしかにどこかで話がねじ曲がっていますね。
 公共放送の時代劇にも頻出する気がします。

>「方言由来」説にも、問題があります。
 これはなんとも……。
 菊地先生や辞書をはじめ、そういう説が強いもので、とても反論する気にはなれません。

>謙譲語Ⅱという言葉が話題になりますが、その例にあげられる幾つかの言葉は「武家言葉」由来のもの
 たしかにそうですね。これは考える価値がありそうですが、「武家言葉」自体が曖昧なような。

 最後にちょっと暴論に近いことを。
 古い時代には「おられる」「~ておられる」はけっこう使われたと思います。ただ、現代の言葉としては……。
 方言か老人語……って気がしなくはありません。
「間違い」ではないでしょうが、自分では使いません。

お礼日時:2016/01/29 23:26

「青空文庫」検索によれば、


致され        96例
参られ       113例
申され       440例
おられ(をられ) 1000例以上+95例
 がヒットしました。「KOTONOHA」でも相当数がヒットします。これは単なる方言ではなく、武家言葉由来と考えられます。夏目漱石などは東京生まれの東京育ちですから、方言にはあまり関係無いはずです。(一時的に松山や熊本に居住しましたが)
なお、上記で出てきた「作者名」は
尾崎紅葉 森鴎外 宮沢賢治 泉鏡花 小泉節子 幸田露伴 芥川竜之介 夏目漱石 三遊亭円朝 直木三十五 高村光雲折口信夫 紫式部(与謝野晶子) アンデルセン(森鴎外) 太宰治  宮本百合子  菊池寛  島崎藤村  鈴木三重吉  下村湖人

時代小説作家は
 佐々木味津三 岡本綺堂 国枝史郎 山中貞雄 夢野久作 海野十三  高山樗牛 林不忘  中里介山  邦枝完二  等です。
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この回答へのお礼

多くは「武家言葉由来」なのかもしれません。当方流の雑な言い方をするなら「老人語」。
 歴史的な推移は当方にはまったくわかりません。
 ただ、現在も西日本では「いる」のことを「おる」と言い、「いらっしゃる」を「おられる」と言うそうなので、どこかで混線しているのかもしれません。

お礼日時:2016/02/02 21:28

私自身についてなら 1) です。

使いません。
他の人についてなら 3) です。「ああ、使ってるなあ。」とは思いますがスルーします。

私自身が使わない理由は、「おる」という言葉になじみが無いからだと思います。自分でもよく分かりません。
(私の出身は東北地方です。方言で「おる」は使っていませんでした。)


アンケートに近いとのことなので、学術的裏付けの特に無い自説を述べます。「なるほどそういう考えの人もいるのね。」と、データとして見ていただければ。

この「おる」については、荘重語だと思っています。格式ばった言葉。
あるいは「真面目な話をしているのだ」という立場を表すのでしょうか。そういう意味では役割語なのかもしれません。

例えばニュースなどでは
 ・スピードを下げずにカーブに進入した。
のように、文語の「ず」を使うことがよくあります。

一方でこれを、
 ・スピードを下げないでカーブに進入した。
とすると、くだけた感じというか、下手をすると子供っぽい感じになります。

それと同じで文語の「おる」なのではないかと思います。
敬語表現ではなく、格式ばった表現としての「おる」。

「下げずに」の「ず」が敬語と無関係なのと同様に、「おられる」の「おる」も、敬語と無関係だと思っています。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

>私自身についてなら 1) です。使いません。
>他の人についてなら 3) です。「ああ、使ってるなあ。」とは思いますがスルーします。
 当方も基本的に同じです。
 うんと乱暴に書くと「ラ抜き言葉」に対する態度に似ています。
 自分では使いません。
 他者が使うぶんにはスルーします。
 ただし、こういう場で質問されたら、「使わないほうがいい」と言います。
 仕事の文章で出てきたら、原則として直します。
 かなりの割合に人に「誤用」「ヘン」と思われる表現をあえて使う理由はないからです。

「荘重語」の定義はあるのでしょうか。おそらく、No.5のかたのコメントにある「武家言葉由来」と似ているかと思います。↑
【2】のNHKのサイトによると〈「おられる」は「いる」の荘重な言い方、という注釈を付けている国語辞書も〉あるそうです。それにしてこのNHKの書き方はなんなのでしょう。辞書の名前がないと、なんの根拠にもなりません。当方は「老人語」と考えています。

>文語の「ず」を使うこと
「ず」って文語ですか?
https://kotobank.jp/word/%E3%81%9A-539402#E5.A4. …
 口語でもフツーに使うと思いますが。
 当方は「〜ませんでした」は極力使いたくないので、かわりに「〜ずにいました」と使うことがあります。
 
>「下げずに」の「ず」が敬語と無関係なのと同様に、「おられる」の「おる」も、敬語と無関係だと思っています。
「ず」「おる」は敬語に関係ありませんが、「おられる」は尊敬語ではありませんか?

お礼日時:2016/02/08 23:24

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