アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

1.「表面に女王の肖像が刻印されたコインがあります(A)」と言いながら、コインの裏表を相手に見せ、相手もそれを確認する。
2.「今、上になって見えているのは裏面です(B)」と言いながら、掌に載ったコインの裏面を相手に見せる。
3.続いて、「このコインの下になっている面には女王が刻印されています(C)」と言う。

【質問1】
「このコインの下になっている面には女王が刻印されています(C)」は、仮説ですか?真ですか?
【質問2】
仮説だとした場合、仮説を前提に以降の論理を展開するのは誤りですか?または意味がありませんか?

質問者からの補足コメント

  • #1お礼欄からの続きです。

    これについては、「人智」という要素が鍵になります。まず、
    ・人智の及ばない何かによって自らが生かされて いない(イ)⇒裏
    は、
    ・人智の及ぶ何かによって自らが生かされて いる(イイ)⇒裏
    と同義であることをご確認ください。
    この場合、
    「人智の及ぶ何か」が自らを生かしているのだとすれば、「人智の及ぶ」なのですから、それによって「生かされているかどうかわからない」というのは論理的に不整合になります。
    よって、
    ・人智の及ばない何かによって自らが生かされて いない(イ)
    または、
    ・人智の及ぶ何かによって自らが生かされて いる(イイ)
    のでないとすれば、
    ・人智の及ばない何かによって自らが生かされて いる(ア)
    のは明白な事実である。
    と言えると思うのですが、いかがでしょうか。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/26 23:29
  • 念のため追加です。
    ・人智の及ばない何かによって自らが生かされて いるかどうかわからない。(ウ)
    という第3の選択肢は無い、ということです。

      補足日時:2016/01/26 23:48
  • お礼欄からの続きです。
    >コインだ人智の及ばない何かだなどと分析して、一体何が解るようになるのか、私には見当すら付かないのです

    これは、質問とどういう関係があるんですかね。
    全く関係ないことじゃないでしょうか?
    何のための質問なのか、理由がわからないと回答できないんですか?
    そういう感想を表明されるのは全くご自由ですが、せめて、論点をはぐらかさず質問に答えた上でお願いしたいものです。
    何か答えられない事情がおありなら、その旨おっしゃってください。
    今のままでは単なる言い掛かりと大差ないのではありませんか?

    No.23の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/29 18:35
  • 念のための補足です。
    >まさにゴールポストが・・・。

    論点という意味であれば、最初から動いていませんよ。
    ただ、(あえて言いますが)お互いの表現力不足によって発生し続けた霧のせいで見えずらかっただけでしょう。
    時折は見えていたはずなのに、見えたと思ったら、突然試合放棄してしまったりなどもありましたよね。
    まあ、どちらがとは敢えて申しませんが。

    No.48の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/02/01 23:28
  • 最初のボタンが掛け違っている、と指摘して論点を提示しているのに、それは無視して、
    >見解の相違にすら達していないんだから

    とぼやいてるんで、次の箇所についてだけ触れておきましょう。

    16.
    ★ 人智の及ばない何かによって 自らが生かされている
    ☆ なる命題は ふつうの神論の問題に帰着します。神論だけが問題なのです。神が
    決まれば――自由に神の具体的な名を主観がえらべば――~~~。

    だから、
    >自由に神の具体的な名を主観が

    選んではいけない、と言っているのが分かりませんかねえ・・。
    そのために
    >人智の及ばない何かによって 自らが生かされている

    を真理として、しっかり認識しておく必要がある、ということ。
    >神論だけが問題

    なんて勝手に決めてくれてますが、今はそれ以前の前提についての話ですよ?
    先走らないで素直に頼みます。
    あとで、いくらでもややこしくなるんだから。

    No.43の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/02/02 00:33
  • #57お礼欄から

    >★ ~~~~~~~~~~~~~~
    たとえば、
    ・神は非知である
    のような命題は成立し得ない、ということ。
    ~~~~~~~~~~~~~~~
    ☆ ですから 神についての説明はすべて 補助線であると言ってるぢゃ
    ないですか。
    依り代・権現。仮りの説明表現です。

    神の存在自体が非知と言ってるわけではない、ということですか?

    >そうして 《人智の及ばない何か》について 上の一つ目の論点の結果と
    して 《未知や不可知》は除いて 《非知》であり非知に限るとはっきり
    させたほうがよいでしょう。

    ☆《人智の及ばない何か》について☆
    のように【対象を特定した】以上、分かるか分からないかどちらかしかないですよね?
    つまり、既知あるいは《未知か不可知》しかあり得ないのですから、《非知》すなわち、「分かるか分からないかが分からない」などと暢気なことを言っててはいけません。
    下へ続く

    No.57の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/02/05 23:30
  • 上からの続き

    >《〔部分的に既知でありしかもなお〕未知であるところの人智の及ばない
    何かによっては 人間は生かされなくなるときがやってくる》ゆえ。

    理由になっていませんよ?
    ☆人間は生かされなくなるときがやってくる☆
    これと論理とどんな因果関係がありますかねえ・・。

      補足日時:2016/02/05 23:31
  • お礼欄の訂正です。

    ×
    「神に関しては思考の対象である」は詭弁であり、言葉遊びにすらなっていないと思いますけどね。


    「神に関しては非知の対象である」は詭弁であり、言葉遊びにすらなっていないと思いますけどね。

    No.55の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/02/06 00:28
  • >☆ ぎゃくに言うならば 《無限・絶対》のところに《神》を持って来ても 
    同じではないか?

    あれだけ説明しているのに(まじめに読んでるんかいな???)
    ☆《無限・絶対》は《非知》
    とは言えても
    ★《神は非知である》
    とは言えない。
    という見解が(正しいか否かはさておいても)伝わっていないというのは、極めて不思議な印象を受けますね。
    ま、気の済むようになさるほうがよいでしょう。

    No.65の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/02/06 23:34

A 回答 (67件中1~10件)

私とのお話の派生ですか。

普通にお答えしておきます。

質問1 真でしょう。なぜなら最初に裏表を見せているからです。その際に、女王の刻印が見えたはずです。コインが別のものにすり替わっていない限り、真だと言えます。
質問2 真なので仮説としては答えられません。

 しかし私とのやり取りについてですが、いくつか違う点を列挙します。
・ハコブルさんの取り上げている問題はコインではないこと(宇宙とか摂理)。
・コインはただの比喩でしかなく、宇宙や摂理の問題はコインと同じだとは思われないこと。
  なぜならコインのように裏表を先に示すことはできない。
  なぜなら誰もその裏表を見て来た人はいない。
・上記により、コインとのアナロジーが成立しない。
 
 むしろハコブルさんは、宇宙や摂理の問題はコインの裏表のように論じられますか?と問うた方が私と異なる意見を募ることが出来、参考になることでしょう。コインの問題は明らかです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.
>質問1 真でしょう。

ですよね。
安心しました。

「裏でなければ表である」は真(T)

このことが確定したわけです。

2.
> なぜならコインのように裏表を先に示すことはできない。
  なぜなら誰もその裏表を見て来た人はいない。

とのことですが、この場合も(T)は適用できます。
なぜなら、
・人智の及ばない何かによって自らが生かされて いる(ア)⇒表
・人智の及ばない何かによって自らが生かされて いない(イ)⇒裏
の2択しかないからです。
「いる」のでなければ「いない」です。
つまり、「自ら」に関して、
>コインのように裏表を先に示すことは

できるでしょう。
この際(T)により、次のように言えるはずです。
・人智の及ばない何かによって自らが生かされて いない(イ)
のでなければ、
・人智の及ばない何かによって自らが生かされて いる(ア)
のは明白な事実である。
(別質問の#83お礼欄と同じ趣旨)

3.
さて、ここで、おそらく次のような論点の浮上が予測されますので、それについても予め触れておきましょう。

たしかにコインなら、裏でなければ表である。しかし、
・人智の及ばない何かによって自らが生かされて いる(ア)⇒表
・人智の及ばない何かによって自らが生かされて いない(イ)⇒裏
の他に、
・人智の及ばない何かによって自らが生かされて いるかどうかわからない。(ウ)
という選択肢もあるのではないか。
つまり、
・人智の及ばない何かによって自らが生かされて いない(イ)⇒裏
からといって
・人智の及ばない何かによって自らが生かされて いる(ア)⇒表
とは限らないだろう。
こうした反論が予測できる。
補足欄に続きます。

お礼日時:2016/01/26 23:28

少し知らべてみました。



正否ではなく、もっともらしく信じられている説を指すようです。

仮説と言うのは、物事の見え方に対して、

その現象を引きこす仕組みを説いたものです。

誰もが納得しているものであれば、仮説と言われません。

この言われないと言うあたりが本質だと思います。



例えば、誰もが信じていたものなのに、

「実際はそうなっていない」と、後に発見される場合があります。

発見されてしまえば、仮説ですらなく、誤りと成ります。

この場合は最初は真実だと信じられており、途中で誤りとわかったわけです。

どこの過程でも仮説とされていないわけです。


つまり、仮説とはこの中間にあるものです。

・全ての人が当たり前と思っていない説であり、

・誤りであることも証明されておらず、

・言われてみれば色々と説明がつく納得のいく説であり、

・世間一般で新鮮味があるものです。

質問1はこれに該当しません。

敢えて言うならば、なぞなぞの導入?

仮説は不確かな説を指すのではなく、その時代に、

どのくらい世間に信じられているかを指し、

論理を扱うゲームではなく、現存する説を指します。



多くの人が本当だと思えば、仮説ではありません。

真偽については、全く関係ない用語のようです。

「何当たり前のこと言ってるの? そんなの不思議に思うひといないよ。」

と言うものは仮説じゃないと成ります。

「なるほど、言われてみれば確かに当てはまる。

 だとしたら? こういう場合はこうなるはずだよね?」

と言うものは仮説でしょう。

つまり、信じられ度合いを指す言葉ですね。



例えば、地球の周りを太陽が回っていると言う天動説がありました。

これが真実とされていた時代があったわけです。

今では、これは間違っていると誰もが思っています。

この時代に、地球のほうが太陽の周りを周回していると説いたら、仮説ですね。

仮説になるためには、そのとき最も信じられている説より優れていないといけません。


いま皆が最も信じている説について研究し、

それが信じられるようになった理由を探し、

別の仕組みで説明し、同じように納得してもらう。

更に、元の説では説明がつかなかったものも説明し、

実験などで証明する。

ここまで出来て仮説と言います。

これをしないと、これまで信じられていた事のほうが強いですから、

仮説どころか荒唐無稽と言われます。


つまり仮説と言う言葉は、真偽の度合いを指す言葉ではなく、

普及の度合いを指す言葉であるようです。


説が存在するためには、

誰もが不思議だと思い、興味を持つような現象を対象とする必要があります。

そうでない場合は、謎々となります。

説とは、他にあてはめて利用できなければ意味がありませんし、

そこからメリットが得られるものでないと受けいれられません。

興味を持つ人の数が一定数いて始めて説を唱える対象となりえます。



また、世の中には、

誰もが興味がないため、誰もが確かめず、

どうなっているのか確認できないものが多数あります。

これについては、どちらでも良いと(興味がないので)皆が思いますから、

「であったとする。」

と勝手に決めることができます。

これは仮定と呼ぶべきでしょう。

しかし、これを論理的に発展させていったら、

皆の興味を引く(再利用可能な)論法が生まれたとします。

「もし、本当だったら自分にも役に立つ。ちょっと試してみたい」

こうなれば仮説です。

なので、仮説というのは、

かなり高級なものでして、そうそう誰もが作れるものじゃないはずです。

字面だけですと、「”嘘”なので信じてはいけないもの」、とも取れます。

この解釈は間違っております。

「現段階で、もっとも信じられる説であり、

 専門家が信じたばかりなので、世間では新鮮味があり、ホットな話題。」

のことなんでしょう。



質問2についてですが、

「仮説は嘘なので展開しても無駄なのでしょうか?」

という質問でしょうか?


私たちの生活に利用されている科学現象の全てが仮説でありますから、

これを展開して利がある以上無駄ではないでしょう。

仮説を展開すると言う事は、ほとんどの人には出来ません。

専門的な知識を持ち、人類の誰もが説明できないことを、

もっとも良く説明できる理論である必要があります。

仮説を元に論理を展開するのは(出来るのならば)素晴らしいことです。


大概の人は、仮定を元に類推しており、仮説を唱えるレベルに達していません。

こうした無責任な類推については、アナロジーと呼ぶようです。



例えば、

人よりも早くハイハイをした赤子がおり、

これを見た父親が、

「この子は人より成長が早い、ここから類推するに、

 この子はいずれ総理大臣になる。」

と言ったとします。

しかし、別の人は、

「いやいや、人より早く年を取るんじゃないのか?

 すぐに老衰するって事だろう?」

更に、

「いやいや、人より早くハイハイしてないし。

 遅いんじゃないの?」

「そもそも、人より成長が早いと何で総理大臣になるんだ?」

「そもそも、どうして総理大臣なんだ?」

「そもそも、その子は総理大臣になりたいのか?」

と盛り上がれば、言わなきゃ良かったとお父さんは思うでしょう。

アナロジーで盛り上がってしまったわけです。


ところが、

この会話を元に、老衰と幼児期の行動の関連を見つけた人がいたとします。

想起する、きっかけとなったわけです。

これもアナロジー(類推)の一つです。



お父さんは、人よりも早く成長する人を優秀と想起しており、

優秀な人は偉くなって、総理大臣になると想起しています。

2番目の人は、早い成長を早い老化と想起しています。

これらは冗談ですが、

どれも馬鹿らしいと思えるのは、

その様に類推する人が少ないと思うからでしょう。



例えアナロジーであっても、見たり聞いたりした人が何を想起するかで、

類推する内容まで変わってしまいます。

アナロジーは、より多くの人に共通の想起をさせるものでなくてはならず、

特定の個人のみが想起するものは、アナロジーとして扱えません。

つまり意味がわからず、効果が消えるわけです。



道具として人にイメージを伝えるものであり、

イメージから仮説を導くこともあるようで、

その効果が珍重されるのかもしれません。


一般の人が使うアナロジーは、誰かが普及させたものであり、

個人が作り出したものではないはずです。

ましてや仮説を導くほどのインスピレーションを伴うものじゃないと思います。

(こういう表現を隠喩と言うらしいです)

ですので、表現上での慣用句として登場するものが多く、

取り立てて気にするものではないと思いますよ。




以上、ご参考に成れば。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>つまり仮説と言う言葉は、真偽の度合いを指す言葉ではなく、
普及の度合いを指す言葉であるようです。

なるほど。
(現段階での)普及の度合い
ということですね。
大変参考になりました。

お礼日時:2016/01/27 17:50

真です。



質問の流れ出なく、科学研究者にとって仮説の役割を論じます。

研究とは誰も答えが解らないことを対象にして、それを何とか解ろうと言う行為ですね。そして「解る」ということは、その事象の因果関係や前後関係に流れに無理のない、従って筋の通った無矛盾な論理を見つけ出して来ることだと、科学者は考えています。多分、宗教家なら、これと違って、啓示とか宗教的体験の経験の有無を「解る」と言うのかも知れません。

ここでは、科学者の意味で「解る」を論じます。

先ほど、無矛盾な論理を見つけ出すと言いましたが、ここが曲者なのです。何故なら、事象の数と比べて、無矛盾な論理体系は無限大倍多いからです。例えば、目の前の事象は一つですが、その一つだけに限った事象だけなら、それを無矛盾に説明出来る可能性はいくらでもありますね。例えば、電車に乗っていたら景色が右に動いていったと言う現象だけの説明なら、電車が動いているとも、景色が動いている、ともいや両方が反対側に等速で動いている、とも、いや両方が反対に動いているのだが、その早さは等しくない、とも、全て、その事象だけに限ってしまうと、全て無矛盾です。

だから、自然でも人間の事象でも、始めに無矛盾な論理体系を導入して、それから世界を演繹する操作は、全く意味がないのです。むむ純な論理から事実を引き出すのではなく、事実から、無限の可能性のある無矛盾な論理体系を探り当てる、すなわち帰納する、これが科学者の営みです。例えば、共産主義と言う宗教の場合、人類の発展はこうあるのだと言う、論理的に無矛盾な教義体系がある。その論理体系から人類の行動を演繹してしまったので、数千万人の餓死者を出したり、殺戮が繰り返されたりしましたね。科学者は世界の認識に対して、そのような演繹ではなく、帰納を行うのです。

でも、正しい答えが解っていないときに、どうやって、正しい論理を見つけて来るのでしょうか。そこに、「仮説」の重要な役割があります。科学者は、目の前の事象を説明出来る無限に多くの無矛盾な論理体系の中から、自分の今までの経験に照らしてこれが答えかな、ってな論理を一先ず一つ選び、それが正しいものと決めつけます。まだ解ってもいないのに、正しいと決めつけるのです。これが「仮説」です。でも、科学者は、答えがまだ解ってもいなのだから、これが決め付つけだと知っています。また、間違った前提で、正しい論理展開をすると、必ず矛盾した混乱が生じることも知っています。

だから、その仮説の基づいて、正しく論理を運び、混乱した状態を待っています。そして、混乱が起こったとき科学者は歓喜します。なぜなら、その仮説が間違いであることを「発見」したからです。実は、生産的な科学者は、その仮説がヌジュンをもたらすことを始めから予想しながら正しい論理展開をして進んでいますので、どこで矛盾が現れるか何時も神経を尖らせています。だから、矛盾の起こる場所をピンポイントで同定できる。だから、混乱はしていますが、大抵の場合、支離滅裂に混乱している訳ではなく、混乱の原因もピンポイントで指摘出来るようになっています。

そこで、そのピンポイントの矛盾を解くことができると思われる多大な無矛盾の論理体系の中から、その混乱の経験と、思索と、神懸かりを基に、以前より改良された新たな論理の決めつけ、すなわち、新たな「仮説」を立てて、無矛盾な論理を展開し、また新たな混乱を待つ。それを何度も繰り返して行くうちに、科学者は自分で何を言っているのか解るようになって来るのです。

ですから、科学は仮説抜きで進歩することも出来ず、混乱抜きで進歩することも出来ません。その混乱の連続が、科学者の日常ですので、混乱のたびに気が滅入ってしまうような悲観的な人や心配性な人は科学者に向いていません。もともと間違った仮説を立てているんで、それが間違いだったなんて非難する人は、科学者の中にはいないのです。逆に、その間違いが確認されるたびに、科学が進歩して来たのですから。ですから、無責任なくらい能天気に楽天的な人じゃなくちゃ、科学者ってやっていられないのです。

小保方さんいじめ事件で、マスコミが、間違いである可能性を根拠の一つとして彼女をいじめていましたが、あれは、教科書に載って言う正しいと解ってしまったことばかりを受験用に覚えて来て、それが科学だと思い込んでしまい、科学がどのようにして進歩して来たかを全く考えたこともない素人によるいじめ事件だったのです。あと、理研幹部たちは、金に絡んだ利権ゆえの保身で動いたのであり、彼らが科学者ではなかったと言うのが露呈してしまった事件だったのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>真です。

了解です。

>だから、自然でも人間の事象でも、始めに無矛盾な論理体系を導入して、それから世界を演繹する操作は、全く意味がないのです。

そういうもんですか。
しかし、
>例えば、共産主義と言う宗教の場合、人類の発展はこうあるのだと言う、論理的に無矛盾な教義体系がある。

という例では、どうも腑に落ちませんね。
>人類の発展はこうあるのだ

が、
>論理的に無矛盾

なのでしょうか。
いずれにせよ、仮説の重要性をおっしゃっておられるのだと思います。
シュレジンガー方程式(これ自体は、よくは知りませんが)も仮説を建てたからこそ編み出されたようですしね。
それは同意できます。
ただ、当質問は下記別質問の派生でして、散らかっておりますが、#85、#86あたりの遣り取りをご覧いただければ概要は把握していただけると思います。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9151024.html?pg=1&i …
つまり、
・人智の及ばない何かによって自らが生かされて いる(ア)
のは仮説ではなく明白な真理である。
これを確認するための質問になっています。
ご面倒でなければですが、この線に沿って解説をいただければ幸いです。

>理研幹部たちは、金に絡んだ利権ゆえの保身で動いたのであり、彼らが科学者ではなかったと言うのが露呈してしまった事件

小保ちゃんはかわいそうでした。
自殺者まで出ましたが、それまでの言動を訂正したり、取り消したりする潔さが無かったのは残念なことだ、という印象を持ったことを覚えています。

お礼日時:2016/01/27 17:44

《コイン》の問題でないとすれば:



《人智の及ばない》という表現について さらに内容を規定しなければいけません。

《未知》と《不可知》とそして想定として《非知》があると知られます。

そのどれなのか?

そして 最もむつかしい問題は 《自分が生かされている》とは どういうことを
言うのか? です。

これぢゃあ 雲をつかむようなものです。

人間は 自分のチカラで生きて行くことのできる分野があります。
社会の仕組みの中で仕事をして生計を立てて行くことができます。

ただし ではそのことが自分のチカラだけで生きているのか? と問えば そうで
もない。身の周りの人びとや社会からの恩恵を受けて《生かされている》と見られ
る場合があります。

しかも一番の問題は その割り合いが おそらく主観の入る余地が多くて 決まら
ないことにあるのではないか。

生かされている部分とそうではない部分との割り合い。

ですから コインの裏表の問題でなかったら 話は 命題の取り上げ方の問題にな
ると見るべきでしょう。

《人智の及ばないもの》が摂理のことなら 神が先に来るでしょう。《非知》です。

経験事象として《自分が生かされている》と認識しうるチカラの作用として摂理を
取り上げるのなら 事実問題なのですから どのように生かされているのかを 事
実として示さねばなりません。

ですから 摂理が先に来ることはないでしょう。
けっきょく 神論と信仰論の問題に帰着する主題なのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>《コイン》の問題でないとすれば:

《コイン》の問題だと申し上げています。
理由は、#1お礼と補足を参照なさってください。

>そして 最もむつかしい問題は 《自分が生かされている》とは どういうことを
言うのか? です。

話を散らかすのは勘弁してほしいですね。
そういう問題はありますが、今は、それを論じているわけではない。
そこにいたる最初の大前提の解釈を巡っての議論です。
ご自分の主張を述べるのは構いませんが、できるかぎり質問に沿ったご回答をお願いできればと思います。

お礼日時:2016/01/27 17:24

>いかがでしょうか。



 コインのことは良いとして、2以降のお話について、「いかがか?」と聞かれてのお答え。うーん。まずハコブルさんが証明だと思っているものは、科学的な証明ではなく、論理学的な証明(に近いもの)らしいとわかりました。

 で、今回のご回答は、この命題は二項対立的に論じられるとおっしゃりたいんですね。

>「いる」のでなければ「いない」です。

 これを示したくて、

>人智の及ばない何かによって自らが生かされて いるかどうかわからない。(ウ)

 を考えたいらしい。否定は二つあります。
 ・人智が及ばない、何かがあるのかどうか、分からない。
 ・その何かが自分を生かしているのかどうか、分からない。

 これに沿ってウを開くと、4つになりますね。
・人智の及ばない何かによって、自らが生かされている(ア)。
・人智の及ばない何かによって、自らが生かされていない(イ)。
・人智の及ぶ何かによって、自らが生かされている(イイ)。
・人智の及ぶ何かによって、自らが生かされていない(アア)。

 で、ハコブルさんは、イとイイが同じだとおっしゃる。アとアアも同じだとおっしゃりたいのでしょう。だから問題はアとイしかないはずだ。ウはそもそも成立しない。イでないとすれば、アであるのは、明白な事実だ、と帰結なさる。それは結構な論理展開だと思います。

 で、話はここからです。それで、そこからアとイのどちらが真だとどうやって決めるのですか? これが論理的に出来ないからウが浮上するのではないですか。

 まあ何だか無意味な言葉遊びをしている気がしますが、ハコブルさんにとってはとても重要なことらしいから、お話ししている格好だとお断り申し上げておきます。私自身はアとイは決められる問題じゃないが、仮説としてアだと思うのはいいことじゃないか、と言っているわけです。だから、ハコブルさんがたぶんアだとおっしゃるのは、全然止めません。しかし「人智の及ばない何か」の中身を、ハコブルさんが事実として語り始めることについて、そいつは間違っているよ、と言っているだけなんです。
 
 猪突先生へ一言。

>>自然でも人間の事象でも、始めに無矛盾な論理体系を導入して、それから世界を演繹する操作は、全く意味がないのです。
 
 たぶん私と同じことを言っていると見ています。ようはコインの裏と表のように単純は図式で捉えられる問題じゃないだろう、というお話しですよね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>それで、そこからアとイのどちらが真だとどうやって決めるのですか?

見えやすくするため(異存が無ければですが)アとイイを対比させます。
まず、
・自らが生かされている
が大前提です。
つまり、自らを生かしているのは、
・人智の及ばない何か(ア)
または、
・人智の及ぶ何か(イイ)
どちらかだ、ということになります。
・人智の及ばない何か(ア)
が存在するのは明白だと私は思いますが、iacta-alea-estさんは、存在するなら見せてみろ、見せられないなら、それは仮説だ、とおっしゃる。
「人智が及ばない」わけですから、見せることはできませんよね?
または、見せることができないからこそ人智が及ばないと捉えるんじゃないですかね。まあ、それはこっちの事情なので仕方ありませんが。
しかし、だから「無い」というわけじゃない。
なぜなら、
・人智の及ぶ何か(イイ)
で宇宙のすべてを説明できるわけじゃないのだから。
と申し上げているわけです。
そんなに難しい話じゃないと思うのですけどね。
・(裏と表しかないのだとすれば)「裏でなければ表である」は真(T)
は公理じゃないんですか?
・人智の及ばない何か(ア)
でなければ、
・人智の及ぶ何か(イイ)
なのですから、これも立派な裏表でですよね?
今回教えていただいた表現を使うなら、二項対立 ということになるのでしょう。

> これが論理的に出来ないからウが浮上するのではないですか。

これは全く違います。
「人智の及ばない何か」について論じる場合、
・人智の及ばない何かによって自らが生かされて いるかどうかわからない。(ウ)
という選択肢は、そもそも【最初から】存在し得ない、ということです。
理由は、#1の補足で明確にしているはずです。
肝の点でもありますので、ここを冷静に再読いただければと思います。

>まあ何だか無意味な言葉遊びをしている気が

別質問
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9151024.html?pg=1&i …
(#86)で
私の大前提が推論にすぎないとおっしゃるので、そうではないことを説明しているだけなんですけどね。
これが 遊び になるんですか?

>仮説としてアだと思うのはいいことじゃないか、

では困るのですよ。

お礼日時:2016/01/27 17:05

>>《未知》と《不可知》とそして想定として《非知》があると知られます。



 確かにこうすれば、何かの考えが進みます。いや、私のところで話が始まった論理学のことです(♯1のお礼欄と補足参照、♯5)。

>人智の及ばない何かによって自らが生かされて いるかどうかわからない。(ウ)

 ウの中身は私が4つだと書きました。
・人智の及ばない何かによって、自らが生かされている(ア)。
・人智の及ばない何かによって、自らが生かされていない(イ)。
・人智の及ぶ何かによって、自らが生かされている(イイ)。
・人智の及ぶ何かによって、自らが生かされていない(アア)。

 でハコブルさんは、中身を検討すると、アとイしかないとおっしゃる。それは論理としては正しいでしょう。
 しかし最後にアとイは決められないから、再びウに戻って来るのです。こういうある種の「アポリア」をどう説明するか。命題が非知であって、可知と不可知の範囲ではない、とおっしゃられるとそうかもしれません。

>>生かされている部分とそうではない部分との割り合い。

 私もそう思います。

 命題それ自体が成立しないということ。その立証はハコブルさんが、ウを論理的に否定しても、またもウの疑問が浮上するという問いのループを示すことで、やってくれたことになります……。
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前置きです。


理研は小学生にもわかる動画をyoutubeに載せていて、どれも面白いからブラジュロンヌさんにおすすめですよ。遺伝情報がたんぱく質に発現するまでのセントラルドグマの動画なんか、音楽もかっこいい。

べつに神さまのお出ましでなくったって、人智の及んでいない何かで生命は仕組みを持っています。
非知・不可知なんて言葉に置き換えるのは、神様の問い求めに置き換えることになる。だから言葉はそのまま、人智の及ばない、でよいし過不足がないでしょう。すると人智でなければ及ぶのか、狸智かという展開もできますけれども、そういえばP.K.ディックだったかな、蟻が全宇宙の全知全能ってのがあったっけ。ともかく何が及んでるのか知ってりゃ、それはすでにりっぱな人智です。いずれアミノ酸に意志があることがわかったりしてね、あはは。

ちなみにおでぶさんの熱産生とお痩せさんの熱産生にも、まだ人智が及んでいません。でも体温を上げようとする時の遺伝子の急な構造変化を確認したので低体温の方の肥満薬を作ろうとしています。
睡眠と覚醒の仕組みにも、人智は及んでいません。でもオレキシンの欠損を突き止めた結果、睡眠をコントロールすることはできるようになりました。
電気化学は分子の構造を決めているプログラムの学問だけど(docさんこれ合ってる?)、人智が及んでいるのではなくて、やはり仮説と検証の結果、体系化して使えるようになっただけですね。
要するに、生命にどんなプログラムが仕組まれているのかを見つけることや、原子にどんなプログラムが仕組まれているのかを見つけることは、治療法や薬の研究を進めますけれど、なんでかぜんぜんわかんないですよ。
本題につづく。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>べつに神さまのお出ましでなくったって、人智の及んでいない何かで生命は仕組みを持っています。

全くおっしゃるとおりなのですが、
>人智の及んでいない何か

を確認できない以上、それは仮説にすぎない、というお考えもあるようで、それに対する論破を試みている次第。

お礼日時:2016/01/27 17:56

あまがっぱさん セントラルドグマともうひとつ創薬の動画を見ました。



今回は あまがっぱさん。あなたのほうのピントはづれだったのではないでしょうか。

前置きのあとの本題を見てみなければなお分かりませんが それにしても ちょっと
味方をしようにも――コインの問題ではないなら――しづらいはずです。

わたしは Natural Killer T-cell の役を演じています。
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>「人智が及ばない」わけですから、(摂理の中身を)見せることはできませんよね? または、見せることができないからこそ人智が及ばないと捉えるんじゃないですかね。

まあ、それはこっちの事情なので仕方ありませんが。

 いやー、これでは仮説より前の事実無根になってしまった。せめて、摂理そのものを示すことは出来ないが、これこれの事例は摂理の一部だと思う、などと例示してください。ハコブルさんは、手間を惜しみ過ぎです。次に、仮に何かの事例があるとしても、それは仮説です。仮説とはその説を実証してこそ、事実となるのだそうですよ。

 喩えて言えば、林檎が落ちるのを指差して、引力があると指摘するだけでは「事実」ではないんです。引力という仮説を立て、それを他の事例で検証して初めて「事実」になるんですね。これは大変な手間がかかります。科学者が骨身を削って実証した「事実」は森羅万象のごく一部かもしれません。全体を大雑把に説明するようなことは出来ないかもしれません。しかし、だからこそ「重み」があるのでしょう。

>・(裏と表しかないのだとすれば)「裏でなければ表である」は真(T)

 「裏でない」ことが証明されていませんね。たぶん私の思うに、今の情報から断定するのは不可能でしょう。他の情報がなければならない。コインにおいてTが成立するのは、それがコインであるという情報が与えられているからです。コインってものは、丸くて、裏と表があると分かっています。摂理とか宇宙とかについては、何にも分からないので、情報価値がゼロに等しいのです。だから断定できないのですね。つまりTが成立するためには、最初にその実態を確認できないとならないのでしょう。最初に、ハコブルさんの言葉を引用しましたが、中身を確認できない時点で、Tは同意を得られないでしょう。

 後は他の方の意見も参考にしてご自分でお考えになってください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

> いやー、これでは仮説より前の事実無根になってしまった。

げげっ?!
そうなんですか??

>ハコブルさんは、手間を惜しみ過ぎです。

あなた頭いいんだからくどくど言わなくても、わかってるんでしょう?ほんとは?

>せめて、摂理そのものを示すことは出来ないが、これこれの事例は摂理の一部だと思う、などと例示してください。

いや、ですから、それは無理なんですよね。
押しが強い、と良く言われるでしょう?
そのためにコインの例をお示ししたわけなんですが・・。
徒労であったか・・(-_-;)。
少し切り口を変えるなら、
・摂理=バランスさせる力
とでもお考えください。
たとえば、「ニュートリノに質量がある(ない)」が摂理かどうか、といった問題ではないんです。
はっきり言うと、あるかどうかはどうでも良い のです。
素粒子やら暗黒物質やら、あるやら無いやら分からないものが空間には無数に漂っていますが、そうしたものすべてを バランスさせている力 が摂理です。
どのような何があるか?
が分からなくても摂理がある、というのは、このような意味で~す。

>コインってものは、丸くて、裏と表があると分かっています。摂理とか宇宙とかについては、何にも分からないので、情報価値がゼロに等しいのです。

無茶振りですな~。
むしろ可愛くなってきますよ。
・人智の及ぶ何かによって自らが生かされて いる(イイ)

・人智の及ばない何かによって自らが生かされて いる(ア)
は二項対立でしょ?
コインと何ら変わらないと思いますがねえ。

>後は他の方の意見も参考にしてご自分でお考えになってください。

は~い。^^;
長らくお付き合いいただき、どうもありがとう。

お礼日時:2016/01/27 23:17

この宇宙は いづれ崩壊すると人知のおよぶ〔と思われている〕範囲で捉えられて


いると思いますが それでもバランスが図られていると見るわけですね?

時限的なチカラが 摂理であるということになりますか?

その時間の範囲で われは生かされているということですか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

バランスー釣り合い。均衡。また、調和。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/179987/meaning/m1 …
という意味。
宇宙の崩壊にバランスを見るとするなら、崩壊することによってバランスされる何か別のものの想定が必要になると思います。
何を想定なさっているのか、または、していないのか、つまり、「宇宙の崩壊」を具体的に定義していただければ答えやすくなるかもしれません。

お礼日時:2016/01/28 16:02
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