プロが教えるわが家の防犯対策術!

家系図を作っていて、古い戸籍を調べています。

写真添付しましたが、生年月日が明治39年4月1日とあるのに、届出が大正11年12月11日と書いてあるのが意味が分からないです。

間が16年空いていますが、どのような理由が考えられるでしょうか?

よろしくお願いします。

「明治時代の出生届について」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    その後も生年月日と出生届が数年違う例がいくつか出てきました。一番最近では、昭和46年生まれで昭和51年届出。うーん謎です。

      補足日時:2016/02/15 18:53
  • すみません昭和47年でした。

      補足日時:2016/02/15 18:55

A 回答 (3件)

昔は農家では繁忙期には役所に行けず、農閑期になってから届出する場合も珍しく無かった様ですが、これでも差異は数ヶ月、出生日を辻褄合わせに遅らせたりしたそうです。



また、産婆さんに代金を払えず、出生証明が貰えず数年遅れたり、義務教育が始まる時に出すこともあったようです。

質問の場合は、対象に入ってから16年も遡っているので、義務教育も受けられず、就職時に無戸籍が判明したのでしょうか?
それとも、何か官憲が関与したときに無戸籍が判明したとか...
届出人が「兄」になっているのは、その時点で実父・実母は死亡していたのでしょうか?
その辺りにも解決のカギがあるかもしれません。

他にも何件かあったり、昭和40年代でも相違があるというのは地域的な特殊性があるのかもしれませんね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

想像を巡らせてもホントのところはわからないですよね。昔のことをいろいろ教えて頂いてありがとうございます。

お礼日時:2016/02/15 23:12

No.1   再度、



このずれも基本的に同じ、

生まれた日にちでは戸籍に実子として入籍できなかった、
満6歳(就学年齢までに)中までにやむを得ず無理やり入籍の措置をとったと言ったところです、
要因は個々の事情なので此処では論じる事は出来ません。
    • good
    • 0

外で産ませた子(妻以外が産んだ)を後日戸籍に入れたなど、


要因は様々です、

明治の頃ならこんなのは珍しくないのでは?、ましてや郡部では尚の事に、
明治に限らず大正でも昭和中頃まででは、旧戸籍制度の時代ですから、

其れよりもそんな旧い物が綺麗な形で保管されてたんですね、此れも珍しいかも。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとう

そんなもんだとあんまり難しく考えない方がいいですかね。返信ありがとうございます。

お礼日時:2016/02/15 17:44

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!