プロが教えるわが家の防犯対策術!

最初に断っておきますが、自殺願望ではありません。

最近非常に無気力で食欲も異常に落ちてます。
といいますのも、生きる意味が解らなくなってしまいました。
理由といたしましては、死を考えすぎたからだと思います。
私は無神論者でありまして、とても死後の世界が信じられません。
幼い時から死に対する恐怖からの発作のようなものがあったのですが、
ここ最近ではどうもその恐怖が
「どうせ死ぬのに、地球もなくなるかもしれない、人類は滅びる可能性が
 あるのに、皆どうして生きてるんだろう。」
といった無気力感、悲壮感、喪失感に変わってしまったようで、
なんとも生き辛いのです。

最初にも申し上げた通り、死にたいわけではないです。
どちらかといいますと、永遠に生きていたい。
かといってそれもどうなのかと。
死ぬのも辛いが生き続けるのもそれこそ今以上の物理的喪失、
例えば両親であるとか、兄弟、友人であるとか、
そちらにしても同等に辛いのではないか。
そういった思いに駆られておりまして、今心が八方塞がりな状態です。

おそらく両親は、不死の技術とかでしょうか、そういうものに難色を示すと思います。
私個人としましては、両親を非常に愛しております。
恐らく両親のどちらかが亡くなれば、私は途方に暮れることだと思います。
それ自体は人間としては割と普通なのではないかと思いますが、
ともに暮らせるなら無限の時間をともに過ごしたい。
そんな愚かな考えが浮かんでしまいます。

さて、ここで今回質問させていただきたいのは、
皆さんの死に対する考えです。
皆さんそれぞれ価値観をもって死に対する考えをお持ちだと思います。
もちろんこれに正解などないでしょう。
だからこそいろんな方の持つ死に対する考え方を共有してみたいのです。
それで私の喪失感が収まるかどうかはわからないですが、
少なくとも何らかの糧にはなるかと思います。

人生における難題ではありますが、皆さんのご回答お待ちしております。

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    私は少し前にも似たような質問をさせていただいた
    firefly-01010102 
    というものです。gooIDを忘れてしまい今は新たに作成したアカウントです。

    一時納得していたのですが、やはり解決しませんでした。
    質問の内容も少し違うかと思いますので、
    もし前回の質問を見られた方がいらっしゃりましたら、
    どうか前回の質問は無視して解答していただけるとありがたいです。

    今回は解決法というより、皆さんの意見を聞くために質問させていただきました。

      補足日時:2016/03/12 16:21

A 回答 (12件中1~10件)

生きる意味とは、生きて行く中で、実感を伴いつつ形成されて行くものでは無いでしょうか。

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私にとっての「死」とは、肉の衣を脱ぎ捨て、別の世界に移住することです。


質問者様とは反対に、私は、海外に憧れる高校生が如く、死後の世界に強い興味を覚えて、何とか日帰りで訪問できないかと色々方法を探しましたが、ATPで心臓を一時的に止めるくらいしか見つからず、結局「旅行」はできていません。
また世界とは自分が認識し、創り上げるものと考えているので、死んだ後もそれは同じです。
私の原動力は「好奇心」です。でも図書館にあるすべての本を読むことすらままなりません。私は大切なことも、どうでもいいこともすべてを知りたいのです。それは生きていても死んでいても変わりません。

死とは眠ったまま起きないことです。つまり夢の中です。ネットの噂で、夢の中で500年の時を過ごした人の話を聞いたことがあります。夢の中は無時間です。一瞬と永遠は等号で繋げます。まずは夢の中で永遠の命を体験してから、現実について考えるのはどうでしょうか。

あと「無気力」かつ「親を愛している」のなら、両親に対して、全力の愛の要求と、幸福への無限の奉仕をしてみてはいかがでしょう。もちろん自分を殺して。両親の喜びは自分の喜び。両親の望むがままに生きればいいのではないでしょうか。
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考えてみますと、私は「生きる意味」とか「生きる目的」などということを考えて決めてから産まれてきたとはどうも思えません。

「意味」とか「価値」とか「目的」などというものは、産れて生きて、その後から、考えたり作ったり、決めたりしているようです。
 何故生きているのですか?
「はい、生きるようにできているからのようです」
 では、何故死ぬのですか?
「はい、死ぬようにできているからのようです」
 このへんが正確なところではないかと思っております。
 生や死に対する感情は、また別の問題なのだと思います。
 荒い文章でした。おゆるしください。
「死とは何か」につきましても、いろいろな考えがあるかと存じますが、ご興味ございましたらアマゾンの電子書籍にて「髪飾りとミルクティ」というものが出ています。
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得体のしれないもの、不気味なもの、と言ったイメージが死ですが、死を壊すものがあります。


信じてもらえないと思いますが、キリストを救い主と信じて告白することです。
そう告白すると、死が逃げていくというのです。
自分自身も半信半疑です。
しかし、今までなんとかそれでやってきました。
自殺未遂を何度かしたのですが、それでも助かってます。
おそらく、両親のうち、どちらかを亡くしたとしても、あなたはやっていけると思います。
そのときになってみないと、わからないからです。
何にも保障するものはありませんが、神様はそれを保障すると言います。
無限の時間を過ごしたい、自分自身もそう思ってました。
ところが、父を亡くしても、夢の中で父が現れて、まるで死んでないように思えるのです。
この世とあの世で違いますが、ある意味で無限の時間を亡くしても過ごしてます。
いつかあの世に行くとしても、なんとかなるような気がします。
自分の死は受け入れられないものではない、受け入れられるように変わっていくんだ、と思います。
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生まれた人は全員死ぬんですよ。

gooに参加してる人も、日本の歌手や海外の映画スターなんかも全員です。例外はありません。
そんな中で同じ時代を共有できているなら、それは、とてもありがたいと思いません?そう考えれば少し楽になります。
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物質に「目的」はありません。


しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。
「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。
(あなたが死にたいと思っても、死ねばそのような形質は遺伝せず、やはり全体は「生きよう」とする)

一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。
生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。

「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。
であるならば、人は無意識(死)による幸・不幸0の状態から、認識の発達に応じて充足量の増大(認識の深まりによる精神的豊かさ×認識的社会性の発達による物質的豊かさ)を目指して生きているのであり、大事なのは意志の充足=社会生命的自覚化=愛による自律的社会行動です(お金をもらうためにイヤイヤ働くのではなく)。

しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。
原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。
愛は、他を自我の延長として捉える事であり、それによる意志は肉体の有限を超え、死による喪失をも超える事を可能にするのに。
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死は確かに未知のもので、その前後や瞬間はどうなるのだろうという不安、興味、恐怖、反対に少しの期待等など…、死に対してはいろいろな思いがあります。


でも、どんな生き物にも確実に命の消える時は来るんですものね。
私の人生はジェットコースターのようで、長きに渡り生きる事が大変辛い時期がありましたが、それだけにとても貴重でかけがえのない体験や勉強をたくさんして来られました。
死を迎えるまでまだ少し時間がありそうなので、どうせここまで生きたのだから、できる限り残りの人生も喜怒哀楽を素直に感じ、慈しみ、楽しみ、感動し、いざという時にはジタバタせずに潔く、感謝しながら死を迎えたいと思います。
あっ、それから、人間って睡眠に入る瞬間って、いつだったのか全くわからないし、覚えてないじゃないですか…。
死も眠りと同じようならば良いですね。ただその後目覚めるか目覚めないかだけの違いなら、死は全く怖く無いですものね。
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色即是空空即是色。


空の表出としての色の一つである個体。
その個体に宿る性質としての精神が認識する生死。

個体が死ぬということは
色が空に還りそれに伴って
色たる個体の性質である精神も消滅する。

そんな感じのイメージを持っています。
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★ 私は無神論者でありまして、とても死後の世界が信じられません。


☆ 無神論者は 死後の世界がどうだこうだとは話に出すことはあり
ません。よ。

★ ~~~~~~~~~~~~~~
死ぬのも辛いが生き続けるのもそれこそ今以上の物理的喪失、
例えば両親であるとか、兄弟、友人であるとか、
そちらにしても同等に辛いのではないか。
~~~~~~~~~~~~~~
☆ 親しんだ人びとに もし死なれたら どうその喪失感をしのいで
行けばよいのか分からない。――ということですか?

泣けばよろしい。泣き叫べば だいじょうぶ。かなしければかなしい
とみとめ その現実を受け容れましょう。受け容れたくないなら そ
のように叫びましょう。

それとも いまから予行演習をやっておきたい。というようなことで
しょうか?

取り乱したくない。という意味ですか? かまわないはずですが ど
うしてもしっかりとした態度を持ち続けたいというのであれば その
ために何か考えて行くとよいでしょう。
考え甲斐があるはずです。



さて:
★ 死に対する考え
☆ は 百年あるいはそれにプラス α した歳月を生きると まづ決め
ます。寿命ですね。

そしてその間に自分は これこれのことをやるのだ やり終えてあと
は静かに去って行く。と決めます。死んだあとはゴミです。
――こういう考えです。
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人も動物も、この世のすべての命には限りがあります。

死、問題を解決することができません。無気力感、悲壮感、喪失感がある場合、自分に友達、友人と相談することができます。時間が掛かって、元気を持って、人生に面と向かって、未来へ行っています!
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