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江戸時代のことなのですが、

日本史の教科書に幕府は、18世紀前半の享保の改革で新田開発や徴税法の変更によって年貢わ増やしたり、藩も商品作物や農産加工品を専売にするなどして、財政の改善につとめたと書いているのですが、

このころ、幕府や藩は、幕藩体制してて百姓に年貢とか納めさせていたのに、なぜ、財政は安定していなかったのですか?

A 回答 (1件)

基本的には、商品構造の変化により、適切な年貢が幕府に入らなくなったと言う事です。


年貢は、基本的に米の石高で算出されているので、商品構造が米から、さらに有利な商品に移行した場合は、その収益を適切に年貢に反映できなくなります。
要は、実質経済が徴税方法(年貢)と合わなくなったので、財政が安定しなくなったわけです。
その為に、新田開発により石高を増やして、年貢を大きくしたり、実質経済の主要商品を徴税対象にするなどの改革を行ったわけです。
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