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繊細で、もろい精神を、強靭な、鋼のように鍛える方法がありますか。それとも、もって生まれた性質は変えられないものでしょうか。

A 回答 (23件中1~10件)

人の目や、他人の評価を、気にしない。

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この回答へのお礼

甘えた質問に、早々、ご回答ありがとうございます。

円満な人間関係を築いて、しかも、優秀かつ有能であるというイメージを周りに与え続けてゆくのは、並大抵なことではありません。精神的に参ってしまったときに、自分の部屋にこもって、人ごみに出たくないのには、理由がありますね。

他人の評価を気にせず生きる。。。特に、親からの期待に応えなくてはならぬ、という、並々ならぬ意思を、どうしたら、ほぐせるか、そこのところが、大変難しく、苦労しております。

ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/01 04:52

柔軟でしなやかな精神は弱く見えるが粘り強く折れにい。

強靭で硬い精神は強く見えるけどもろく壊れやすい。
前者は肯定的で友好的なのに対して、後者が否定的で対立的。
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この回答へのお礼

お教え、感謝します。

そうですね。そういえば、意思は、かなり強固です。必要なのは、しなやかさであるとのご指摘、胸に刻んでおきます。かなり、がちがちに固まってしまった考え方を、解きほぐす、というか、窓を開けて、風を入れるような作業が、助けになりましょうか。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/01 04:59

人は、元々持っている性質・忍耐力など人によって様々ですが


それらは経験によってどんどん変わる場合もあります。

解りやすい例で言うと
20キロの重さを持つ事が今の貴方の限界点だとします。
今の状態ではどうあがいても30キロは無理で、
その状態では20キロが自分の限界だと思うでしょう。

しかし、20キロの重さを毎日持って鍛えると、25キロ、30キロと
持てる重さがどんどん上がって行きます。

この様な仕組みは、肉体的問題だけでなく、
精神的な事においても同じ事が言えます。

今は無理だと思う事でも、経験と忍耐、努力が積み重なると
同じ事が無理じゃなくなり、可能になってくるのです。

生まれ持った性質は個々違うので、スタート地点による差は生まれますが
同じ事を可能にするか不可にするかは、貴方次第ともなるのです。

精神的にもろいという状態を鍛えるには、
とりあえず、色々な経験をし、自分なりの困難にぶち当たった時、
それに耐える努力をする事です。

初めはすぐにギブアップしてしまうでしょうが、
次に同じ問題に遭遇した時には、もう少しだけ我慢我慢出来たりするものなので、
1回目より2回目、2回目より3回目、と少しづつ我慢の量を増やせば
いつの間にか、貴方の言う強靭な鋼の様な精神になれるでしょう。

要は経験と努力、貴方の考え方や気の持ちよう、という事になります。
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この回答へのお礼

お礼が遅れまして、申し訳ございません。

ご回答のように、試行錯誤をくりかえしながら、経験を重ね、努力を続けることで、強くなってゆけるなら、希望が持てますね。お優しい回答です。

完璧主義で、しかも、目標を高く持ってしまう、そして、現実が比較的よく見えてしまうため、楽天的に構えることが難しいようです。非常にまじめなので、なおさらいけません。

少しずつでも、変わってゆけるなら、それを楽しみにできるように思います。

ご回答、まことにありがとうございました。

お礼日時:2016/06/02 12:49

繊細で、もろい精神を、強靭な、鋼のように鍛える方法


がありますか。それとも、もって生まれた性質は
変えられないものでしょうか。
  ↑
場数を踏むことでしょうね。
修羅場を何度もくぐり抜けていれば、強く
なると思います。

後は、心理学ですが、理想とする人間を
描き、それを演じる、という方法があります。
これを続けていると、早いひとは一年ぐらいで
効果が出てくるそうです。



他人の評価を気にせず生きる。。。特に、親からの期待に
応えなくてはならぬ、という、並々ならぬ意思を、
どうしたら、ほぐせるか、そこのところが、
大変難しく、苦労しております。
   ↑
日本人は、そういう傾向が強いようです。
これに対して、欧米キリスト教文化圏の人が
他人の思惑をあまり気にしません。

これは彼らが個人主義の社会に生きているからだ
と言われています。
つまり、神との約束さえ守っていれば、それでよい。
他人にどう思われようと関係無い、という
主義です。

こういう主義が身につくためには、子供の頃から
そういう環境に育たないと難しいです。
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この回答へのお礼

お礼が遅れまして、申し訳ございません。

やはり、人間的な成長とともに、精神も強くなりましょうか。

仮面をかぶって生活していた人間が、やがてその仮面に自分の本性を支配されてゆく、という、小説をどこかで読んだような気がします。それは、まがまがしい物語でしたが、理想の人間像に近づこうとするのなら、楽しいゲームのようなプロセスになるかもしれません。楽天的な人、になれるように、努力してゆきしょうか。

そうですね。神との契約は、それは、それで、しんどいことですが、人間同士の軋轢は、不条理なことばかりです。

ご回答、まことにありがとうございました。

お礼日時:2016/06/02 13:18

▲(コリント後書 12:10) 


わたしは弱いときにこそ強い

▲ (同 12:9)
むしろ自分の弱さを誇りましょう。

☆ この文句が思い浮かびました。
というのは わたしは ≪精神≫を鍛えるといったことは
して来なかったし その考えが思い浮かぶことがなかった。

果てさて どう考えたものかと思案していると 上の文句
が出て来ました。

――という取るに足らぬ回答です。




★ もって生まれた性質は変えられないものでしょうか。
☆ これについては よくわかりません。

でも性格が変わることはありますよね。
そのとき ≪もって生まれた性格≫なのにそれでも変わった
と見るのか。
それとも 変わったのだから 持って生まれた性格ではな
かったんだと見るのか。

でも ≪性質≫となると どうなのでしょう。これは よく
わかりません。
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この回答へのお礼

良い意味で、足元を掬われるような、逆説的なお教え、ありがとうございます。

しばし、考えを、”弱いことこそ、私の誇り”、”弱さこそ、強さに通じる”の周りでぶんぶんと飛ばしてみますと、一人で耐えていないで、愚痴を言ったり、信頼できる人なら、助けを求めてみても、恥じることではないんだ、と、諭されているように思われました。

苦しい内面を糊塗せずに、みっともなく、じたばたしたら、気が晴れるかもしれませんね。宗教画では、ペテロは白髪白鬚、パウロは禿げ頭、と決まっていまして、いかにも頑固そうなパウロさんが、どんな風に弱かったのか、と、微笑ましいように思いました。

性質が後天的に変えられるものか、私もこれには懐疑的です。

お時間をとって、ご回答いただき、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/03 01:02

精神を強靭にする具体的な方法を知っています。



勝海舟の書いた本に彼がどうやって精神を鍛えたか紹介してありました。勝海舟は江戸幕府の名代として天皇側の敵軍の西郷隆盛と談判して江戸の無血開城を受け入れ、江戸数百万の町民の命を救い、日本人同士の殺し合いを未然に防ぎ、虎視眈々と狙っていた当時のヨーロッパ列強から日本が植民地化されることを防いでくれた人です。

貴方は何歳か知れませんが、彼は多分貴方の現在と同じ年頃に、木剣を紐で結わえて肩に掛けて毎夜12時ごろにジョギングをして近所の墓場に行きました。そして、墓石の前でしばらく座禅を組んで瞑想をし、その後その墓場で素振り千回をしてまたジョギングで家に帰ったそうです。それを数年間つづけることで、自分のもろい精神が強靭となり鋼のようになったと言っておりました。

貴方も、深夜の墓場での瞑想と素振りをやって見たらどうですか。強靭な精神が必ず得られますよ。

ただし、現在は世知辛い世の中です。その墓場を守る寺院に前もって夜中に墓場で瞑想する旨を前もってお寺の住職に申し出てください。さもないと、こんな重要な精神の鍛錬を誤解されて警察を呼ばれてしまい兼ねませんから。
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この回答へのお礼

そういえば、大昔、ラジオ体操とともに、”健全な肉体には、健全な精神が宿る”と教えられました。確かに激しい運動のあと、脳の中にたまっていた垢が、きれいさっぱり洗い流される感覚があります。

勝先生は、それを、夜中の墓場でなさるわけですが、こっそりと人目を避ける、という意図か、それとも、肝試しになっているのか、興味の湧くところです。怖いと思う雑念を払って、肝を練る、という意図かもしれませんね。

例えば、体育館で、バスケットボールのシュート、あるいは、野球のバットの素振り(この場合は、やはり墓場か?)あたりなら、精神の鍛錬になりそうです。

私の場合は、おばあさんなのですが、バレエのクラスをとっていて、一本足でくるくる回る、ピロエットが該当するかなぁ。。。と。精神を統一させないと、倒れますので。

興味深い事例をお教えいただき、誠にありがとうございました。皆様からのご回答を読み、少し気持ちが軽くなったように感じます。

お礼日時:2016/06/03 01:18

身体も精神も鍛えれば強くなると思います。

特に精神はリミッターが
ないように思います。

苦しいとき、絶望的と思えるときに、に大きな目標を立てて、それに
向かってゆくことですね。これは、効くと思います。

夜、墓場で瞑想すれば、鬼に金棒でしょう。
ただ、男性と女性はちょっと違うかもしれないということが、気にか
かるのですが‥‥
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この回答へのお礼

几帳の風も厭う花のような女性になるよう躾けられましたので、世間と渡り合ってゆくのは、和服の仕付け糸を取り除いてゆくような、そんな心細い作業になります。確かに、男性と女性は、違いますね。

精神にはリミッターがない、という、心強いお教え、感謝いたします。励みになります。

夜の墓場で瞑想、ですね。これは、何か、心惹かれる、秘密の合言葉のようです。知る人ぞ知る、と言いましょうか。

小さなことにこだわる心を、振り切って、大きな目標を。。。ですか。これは、男性的です。でも、女性にも、やってできないことはないでしょう。

お優しいご回答、心より感謝します。ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/03 01:34

こんにちは。



繊細で脆い精神を強靭で鋼のように、というのは、わたしには、単に「鈍感になる」ということに聞こえてしまいます。
作曲家のマーラーがフロイトのところを訪れた時に、フロイトはマーラーを診ることを躊躇ったといいます。「君があの美しく繊細な曲を作らなくなるから」というのがその理由でした。

有名な詩を紹介します。

ー奈々子にー  吉野弘

赤い林檎の頬をして
眠っている 奈々子

お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり
奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの
つややかな頬は少し青ざめた
お父さんにもちょっと
酸っぱい思いがふえた

唐突だが
奈々子
お父さんは お前に
多くを期待しないだろう
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか
お父さんは
はっきり
知ってしまったから

お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ

ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ

自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう

自分があるとき
他人があり
世界がある

お父さんにも
お母さんにも
酸っぱい苦労が増えた
苦労は
今は
お前にあげられない

お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ

・・・ひとが ほかからの期待に応えようとして どんなに 自分を駄目にしてしまうか
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この回答へのお礼

フロイトとマーラーのエピソードには、あれこれ、考えさせられました。芸術家は、自己中心的・破壊的人物と、マーラーのように、神経をやられてしまう繊細な人物、極端に二種類に分かれるのかもしれません。フロイトにしぶられて、マーラーもずいぶんと困ったことでしょう。

贈っていただいた詩を読んで、お父さんの無償の愛の姿に心温まりました。たぶん、たぶんですけれど、お父さんは両親を反面教師にして。。。成長期に過分の期待を受けて、苦労なさったのかも。。。自分の子供には、何の期待もせず、自分を愛する心を、まず第一に育ててあげたい、と、固い決意をなさったようにも思えます。

木崎さと子の、”青桐”という本がありまして、その中に、東大の数学科卒で精神を病んでいる若者が出てきました。勉強が好きではないのに、母親を喜ばそうと、自分を追い詰めて、はつらつとした精神が暗い牢獄に閉じ込められたようになった、と述懐します。母親は、やさしくてきれいで、”勉強しろ”と一度も言ったことがなかった、そして、息子が精神を病んだ原因が自分であるのに気が付いて、自殺するのですが、この場合、親子のコミュニケーションが全く取れていなかったわけで、お互いの愛情がすれ違ってしまって、無残なことでした。なぜか、これは、実話だったのではないか、と感じました。

お礼が長くなって申し訳ありません。

ご回答をいただいて、私なりに、もう少しかっきり線を引いて、けじめをつけようか、という気持ちになりました。

お時間をとって、素敵な詩をご紹介いただき、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/04 01:30

追記です



強靭な精神が必要になるのは、世の中の理不尽さの中で耐え抜くためにあるのではなく、それをはねかえす力とするためだろうと思います。いやな場所に、それでも踏みとどまる「強さ」ではなく、嫌なことをいやという強さ、振りほどき自由になる強さ。
それであれば必要なものになるのでしょう。

いわずもがなのことかもしれませんが。
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この回答へのお礼

再度のご回答、ありがとうございます。

まさに、その通りです。常に正直であろうとすると、どうしても摩擦が起きます。それを緩和するための、コミュニケーション能力ですが、それにも限りがあります。

枠から自由になる、というのが、私の人生の課題だったかもしれません。今、気が付いてように思います。

ご指摘、ありがとうございました。もう少し、考えてみますね。

お礼日時:2016/06/04 01:37

もって生まれた性質という人の根幹は変わらないと思います。


人の行為、言動、思考などはその人の根幹である性質から"発現"していると思うから。

ただ、その表われ方は"天然"と云われるような事もあり、この場合は"天然"さえも性質のうちと捉える事も出来ます。
普通は子供時代は性質で活動している、と思いたくなりますが成長するに合わせて自意識が発達し、自身の性質を覆い始めるのではないでしょうか。

時間が無くなってしまったのでとりあえず投稿します。

私の拙い質問や回答?を見て「あなたのそれは自尊心ではなく虚栄心だ」と指摘されたことが有ります。

☆ ピエロットは"強靭な精神"に有効かと思います。そしてそれは自尊心にも。
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この回答へのお礼

言葉の意味を正しく理解して、使い分けるのにも訓練が必要ですね。虚栄心というのは、また、随分な。心の分野を分類するのには、暗い迷路を手探りで進むようなものでしょうか。自尊心がまっとうな精神に属するなら、虚栄心は劣等感に根差しているようにも思えます。

変えられない本質を、飾り付けるのではなくて、その弱さを受け入れて、一言でいえば、しぶとくなるのが理想なのですが。

ピロエットの練習には、これは、限りがありまして。。。

お忙しいところ、ご回答をいただき、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/05 10:35

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