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そういう人の深層心理というか、心の奥底に隠された本当の欲望とはどういうものなのでしょうか?

ずばり回答お願いいたします。

A 回答 (10件)

批判ばかりする人は


「確固たる信念を持っていないのに、信念を持っているかのように振舞いたがる人」
なのではないでしょうか。

批判をしていれば、なんとなく格好よく見えると思っているのでしょう。
しかし、自分の信念がないので、自信を持って肯定できるものがない、ということではないでしょうか。
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この回答へのお礼

これは私自身にも思い当たる節があります。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/07/22 23:57

こんばんわ、


【…心の奥底に隠された本当の欲望とはどういうものなのでしょうか?】

聴いた話ですが…

わたし達が受けている教育“良い(上)・悪い(下)”の条件づけからくる〔パワートリップ〕

 ******* ******* *******

なんらかの物(人物&芸術作品なども含む)にたいする批判=俺は“これ”を良い&悪い と批判できるから→“これを作った奴(は下)”よりも、俺は(上で)エライのだ!
(評論家)

 ******* ******* *******

同じく“よい・わるい”の条件付けからくる、自分は良いと証明?する一番簡単な方法。

あらゆる客体を悪く批判すれば、主体の自分は「良い人」となる。
(エゴが喜ぶ・自己満足&欺瞞)

 ******* ******* *******
【批判の変形パターン】
自己顕示欲のトレメンダス強い人、を(A)として。
(A)と(B)が二人っきりだと、とても優しい(親分肌)。
ところが…そこに(C)が現れるやいなや、豹変!
(A)は(B)か(C)を批判しだす。
『俺Aが、“エライ”のだぁ!』
(支配欲)

 ******* ******* *******
今の教育を受けてる人間は 誰でも、大なり小なり(支配欲が)ありますよね。
で、纏めて〔パワートリップ〕でしょう。

参考URL:http://www.peer-net.net/j/Kato/report_Etsuko_Kat …
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この回答へのお礼

わかりやすい説明でありがとうございます。
少し質問からそれますが、私は常日頃この国で生きていく難しさを感じております。

色々と参考になりました。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2004/07/25 09:20

いろいろあると思いますが、まずは自己愛、自尊心が満たされるからでしょうね。



物事の分別の基準とは正邪、善悪、好き嫌い、損得・・・と二元的なものですから、
批判者であるということは、二元的に優位な立場になれるんですから気持ちが良いんです。

「邪」を駆逐する「正義」です。
子供向けヒーロー番組の悪影響もあると思います。

これには「怒り」がつき物です。
怒りは「嗜癖」になります。
怒ってる間は自己愛がピークに達しているんですから、怒ってる自分に酔ってしまうんです。
怒れば周囲も従ってくれますから、「自信」にもなってしまうんです。

つまり「怒れる正義の味方」の出来上がりです。
こんなに自尊心、自己愛を満たすものはありません。

しかし、逆に、突っ込まれるともろくも崩れ去ってしまいます。
だって、この世に絶対的な正義なんてありませんし、動機からして不純なんですから、無理もありません。
その脆弱性を隠すように、さらに攻撃的になります。
「最大の防御は攻撃なり!」とばかりに攻撃してくるんです。


ですから、一つには、幼い心に「正邪」という二元的な価値観を植え付けるヒーロー番組の害悪があるかも知れません。

「正義」という一方的に偏った価値観に、「巨悪」というこれも短絡的に偏った価値観です。さらに「万能感」も与えますし、怒りという嗜癖も与えますし、敵と仲間をハッキリと区別した二元的な価値観も与えてますし、・・・・かなり悪いと思います。


奥底に隠された欲望とは「快感」でしょうね。
人から認められる快感。
他を制圧する快感。
誰かに感謝される快感。
自己愛、自尊心が満たされる快感だと思います。

批判は大切なことですが、批判”ばかり”するという「行為」そのものに対する認識が欠如していることから考えて、何かに踊らされているように思います。
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この回答へのお礼

要は愛すべき単純な人ともいえるのでしょうか?
受け取り方が違っていたらごめんなさい。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/07/24 13:25

自分が自分をどう決めるかによって、批判するものと認めるものが必然的に分かれてきますから、


果たしてそんな人がいるのかは知りませんが、すべてを認めずにすべてを批判する人がいると言う場合、
その奥底にあるものは、羨望や不安や怒りという感情だと思います。
羨望はやがて不安になり、さらに怒りになる。
こうなってしまえば、状況によっては何でもかんでも見境無く批判に走るような、ある種の逸脱行動に走る場合もあるかもしれません。
しかしこの社会にそれを抱かせる原因が混沌としているのは事実ですから、それらの人が良いか悪いかということは結論をつけられません。
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この回答へのお礼

そこまでいくと狂気的なものを感じさせますね。

仰るようにこの社会はますます混沌化していくのでしょうか。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/07/24 11:03

[批判ばかりする人]


の心の内は「評価してほしい。あるいは評価されて当然」というものでしょうね。社会では優秀だからといって評価されるわけではありませんね。勉強よりはむしろ人柄の方が出世には大きい部分ですね。「おれはこんなに知識もあるのに何故評価されないんだ!」と心の中で叫んでいるのでそれが批判として顕現していると思いますね。学校はテストの点だけで評価される公平さがあるのですが社会での評価は違いますので社会で評価を受けるための知恵がいりますね。それは批判を少し減らしてほめる側に立つことに他ならないのですがね。 参考程度に
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この回答へのお礼

充分参考になり得ました。
ありがとうございます。

お礼日時:2004/07/23 12:58

当たってないかもしれない、自信ないですけど…。


参考までに「批判」する人たちの一面として、私なりの考えてることを書きます。

「批判する人」
自分の望んでいることをのあらわれではないだろうか?
「望み」や「希望(hope)をもっている」
愚痴のようにして笑いながら批判できる人(そんな人いるんだろうか?^^;)は「前向きな人」なのかもしれない。そういう人は人間の持っている「孤独」「欲」「愛」といった類のなかの、「愛」が出現したかたちではないだろうか? とおもう。

「批判ばかりする人」
自分のことばかり考えている人(自己中心的人物)。かもしれない。
人間の持っている「孤独」「欲」「愛」といった類のなかの、「欲」が出現したかたちではないだろうか?とおもう。
また、「批判」ばかりする人は「批判」しかできない気がする。
そして「批判」されると弱く、もろい。
「批判」したことは「自分の望みのあらわれ」であって、「多数の望み」ではない。また、「批判」することそのものがどういうことなのか自覚できていないような気がする。

余談
ただ、「批判」するなら誰でもできますよね~。
また、「批判」する人に課題としたいのは「そのあと何をするのか」「どうしたのか」というのを私は知りたいと思うところです。
「批判」だけではただの「愚痴」と私は考えています。
 
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この回答へのお礼

そうですね。ひどく孤独なのかもしれませんね。
愛されたいと望んでいるのに愛してほしくないといってるような・・・

ありがとうございました。

お礼日時:2004/07/23 12:56

他罰傾向が強い、ということだと思います。


何らかのストレスがあった場合、自分を責める人、責める人と、大きく分ければ2種類あるんでしょうね。
自分を責めすぎればうつ的になるし、他人を責めすぎれば、被害妄想なんかになってしまいやすいようです。
どちらにしても、ストレスに対する健康的な対処法とはいえません。
どちらの場合も、結局のところ、「自分はだめだ」というところに行き着いてしまいます。
適応的な対処法を身に着けたいものですね。
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この回答へのお礼

どちらにしても悲しい人ですね(:_;)
ありがとうございました。

お礼日時:2004/07/23 12:45

批判ばかりする人、という表現から、批判する人に対してネガティブな思いを抱いているようにお見受けいたします。


私も、精神科医から、「批判の名手」などと名づけられたことさえあります。
最近では、批判や不平不満などをあまり口にしてはいけないと考えるようになりましたが、まだまだ制御できずにいます。まさに、私自身それらの行動に移さなければならないという真の動機を知りたいとさえ思います。
別の医師からは逆に、私が「批判に弱い」という言葉もいただき、この二つの話を合わせると、私という人間は「自分への批判に弱いが、他人の批判は得意」ということができます。
そして、その医師は、批判に弱いということの理由として、それは「批判されつづけてきたからだ」というふうに言っていました。これは、私のケースにおいてその理由が成り立つのではなく、一般に批判を受けてきた人間は、批判に弱い、ということ、そして、また他人を批判するようになる傾向にあるということかもしれません。質問者様の期待する答えには至らないかと思われますが、考えるヒントとしてとらえていただけると嬉しいのですが、、、そして、批判する人を今より少し多めに見てやってくださいませんか。(笑)

この回答への補足

いえ。
もちろん私自身も批判精神も持ち合わせていますし、聖人君子ではありません。

ただ、私が?に思っているのは批判ばかりしているのは、現状に満足していない。何かを欲しているからだと思われたのです。それは人によって違うだろうけれど突き詰めれば何なんだろうかなぁ?と疑問に思った訳です。

補足日時:2004/07/22 23:29
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この回答へのお礼

考えるヒントありがとうございます。
違った視点から見ることができました。

お礼日時:2004/07/23 00:03

その方が楽だからです。



人を批判する事によって、あたかも自分が何かを成し遂げた様な優越感に浸っているのです。

実際何かをした訳ではないのに、何かを成し遂げた気になる。

批判するだけなら楽なので、つい、やり勝ちなのですが、程々にしないといざ自分が矢面に
立ったとき辛くなるのは目に見えているので、自分に明確なプランが無い時は謹だ方が良い
です。
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この回答へのお礼

なるほど、楽だからですか。
わかるような気がします。ありがとうございました。

お礼日時:2004/07/23 00:01

決して悪いのは自分ではなく、他の人のせいである。


自分で責任をとれない、またはとりたくないところからはっせられるようです。

自分で責任とらなくていいわけですから、いくらでも人のせいにできます。

犬の遠吠えにも似ています。
つまり、臆病ということです。

特徴として、人を恫喝する、声がやたら大きい、群れたがる、などがあるようです。

行動派では、ないような気がします。
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この回答へのお礼

う~ん。
確かに納得できる点がありました。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/07/22 23:21

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