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世界史について質問

7世紀の初めにアラビア半島でムハンマドやその信者によってイスラム教が成立し、イスラム教を広めるためにジハードを行いイスラム教改宗者には税金を免除し非改宗者には僅かな税を納めさせたと書かれていました。
正統カリフ時代に
642年にニハーヴァンドの戦いでササン朝ペルシャを破り滅亡へと追い込み、ビザンツ帝国とも戦いシリアやエジプトなどの地域を奪取しイスラム教を中東地域や北アフリカに広めたと書かれていました。
そこで疑問が二つあります。
①なぜイスラム教が中東北アフリカ地域にまで広がったのか
②なぜササン朝ペルシャを滅ぼしたにも関わらずビザンツ帝国は滅ぼさなかったのでしょうか?
イスラム教徒はキリスト教徒やユダヤ教徒のことを啓典の民としており、
ササン朝ペルシャはゾロアスター教を国教としていた上に衰退していた為に滅ぼされ
ビザンツ帝国はキリスト教を国教としていていたために滅ぼさなかったと
いうのが理由だったのでしょうか

①と②の理由を詳しく知っている方がいましたら教えてください

A 回答 (1件)

元々旧イスラーム教(アブラハム)が浸透していたからです。



迫害されて、カナンへモーゼが逃げて、作ったのがユダヤ教。
モーゼもまたイスラーム教徒であったのです。

アブラハム以前は、一時期ノアの時代がありますが、それはセトの子種が繋がらなかったためのカリフの伝説を打ち立てるために必要な伝説です。
セトはオシリスの弟と伝承されてますが、実はパレスチナの神で他所者です。
オシリス王朝を簒奪しましたが、息子のホルスに再奪取されます。
以降、エジプトはセト信仰(イスラームの元)が衰退し、現在の地域宗教のホルス教へと改宗しました。

なので、主はアッラー(ラー神)で、そのカリフがセトという位置付けなのです。
イスラームのカリフは
1.セト
2.ノア
3.アブラハム
4.モーゼ
5.ムハンマド

と、このようになっています。

なので、現在でもイスラーム国の主導者が、それぞれカリフを名乗っているのです。
イランも指導者もまた、カリフを名乗っています。

3.のアブラハム以降、アラビア半島の聖地を守ってきたのが、現在のサウジアラビアのサウード家で、これもまた正統を主張しています。
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