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ペリーが、日本に来航した時(1853年)、日本には、良質の石炭があることを知っていたようである。
 そして、欧米列強は、その石炭を狙っていた。アメリカや、イギリス、フランスは、長い航海の後、復路の燃料を日本で調達できるとなれば、大幅なコストダウンが可能であり、日本の石炭は垂涎の的であったと聞く。
 だれがそんな情報を欧米に漏らしたのか。当時、日本には、石炭を必要とする産業などなかったはずで、石炭に関心を持つ者など居るはずもないのだが・・・・
ましてや、鎖国をしていた日本が、欧米人に、鉱産物を調査することを許すわけがない・・・・・・
 欧米は、どういった経緯で、日本の石炭のことを識ったのでしょうか、教えてください。

A 回答 (1件)

石炭は九州(香焼島、長崎県等)で元禄年間(1700年前後)から


採掘されています。始めは、家庭で使う自家消費用の燃料(燃え石)
として農民が細々と露天掘りで採掘していました。
幕末の頃には、炭鉱としてより組織化されていました。用途は家庭用
燃料から産業用の補助燃料(釘鍛冶屋等が使用)へと拡がっています。
香焼島からは天明六年(1786年)には12万8千俵の石炭を輸出して
います。これらの多くは長崎(出島)から中国に輸出されたものです。
その後、他の鉱山からの出炭量も輸出量は増えていますので、幕末の
頃には、日本には石炭が有ることとその品質が良い事も(船の燃料
としては十分に使える事)も諸外国には広く伝わっていました。
それで、諸外国(オランダと中国以外)は捕鯨船の燃料、食料、水の
補給地として日本に開港を求めて来たわけです。

詳しくは次の文献を見てください。
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstr …
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この回答へのお礼

早速の回答をありがとうございました。質問を投稿した後に、一般社団法人石炭エネルギーセンター(JCOAL)の出している資料の中に、江戸中期には、日本でも石炭が使われ始めたことが記されていました。瀬戸内海で盛んに行われていた製塩の窯焚には、筑豊炭田の石炭が使われていたようですね。もやもやが晴れてすっきりしました。本当に、ありがとうございました。

お礼日時:2016/11/26 15:06

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