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石原慎太郎が百条委員会の宣誓書に確約の印を押すときに判子ではなくわざわざ母印押しました。
これは弁護士の指示なのでしょうか。
それとも石原慎太郎のうっぷんばらしの嫌がらせなのでしょうか。
とにかくこれには甚だ品の無さを感じたのですが、周囲からもブーイングがありましたね。
判子でなく母印を選んだのにはなにか法的な意味合いが存在するのでしょうか。

A 回答 (4件)

病気の後遺症で、自分でハンコを握って


ハンコを押すことが出来ないのかも。
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この回答へのお礼

それなら右手で判子握って左手で押せばいい。
ただ判子押したくなかったんでは。

お礼日時:2017/03/21 21:52

慎太郎といえば「障子破り」です。

凡百の作家志望学生だった彼が、世に出るきっかけとなりました。当時大ウケしたんです。
このたび、またもウケ狙いで紙に肉棒(84歳)を突き立てたんでしょう。大江健三郎(82歳)がこの肉棒(じゃなくて拇印した親指)を描写するなら、「君は激しく勃起したな」というでしょう。雀百まで踊り忘れず。

慎太郎はしょせんヘミングウェイの亜流で、出世作の『太陽の季節』も『武器よさらば』を矮小化させたようなものでした。アプレゲールの行動派の男が、遊び相手の女を妊娠させてしまいます。女は中絶手術の失敗や難産で死ぬが、男は(通夜・葬式の間)遺体に付き添うでもなく悲嘆にくれるでもなく、さっさと立ち去るというハードボイルドです。
また、有名な障子破りも慎太郎のオリジナルではなく、武田泰淳のほうが先だそうです。パクっても一概に悪いとは言えず、芸術分野で二番煎じは低評価・換骨奪胎は高評価ですが、慎太郎はデビュー作『太陽の季節』がピークで、あとは劣化していきました……。立場の弱い女性をさんざんレイプして捨てるという話を、繰り返し書きました。あんたは大藪春彦か。
その点、大江健三郎は当初「サルトルのまね」などと言われたものの、次々と独自の深化を遂げた作品を書いています。独自過ぎて読みづらいともいえますが。
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良くわかりませんが、今回の百条委員会の前に何らかのインタビューで「果し合い」がうんたらかんたらと述べていたので


武士らしく血判のつもりで押したのではないでしょうか?

石原さんらしいパフォーマンスのような気がします。

間違っていたらゴメンナサイ。
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この回答へのお礼

後ろに弁護士が付いているので、かなり計算を入れた上での作戦ではないかと勘ぐりますね。
でその目的は、
1.まず印象操作。判子忘れるくらいボケが回ってますとアピールすること。
2.判子押せだの、母印しか押せないだのやり取りになったときの時間稼ぎ。
  はしたないけどこれで1分くらいは稼げるんではないかと踏んだはずです。

お礼日時:2017/03/21 19:17

判子を持っていなかったからでは?

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この回答へのお礼

判子はテーブルの上にあったよーに見えましたね。
少なくともポケットの中には入っていたのではないでしょうか。

お礼日時:2017/03/21 18:59

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