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ソビエト連邦、ソ連、ロシア
全てが、国の名前?
昔から、独立国だったの?

A 回答 (2件)

ソ連=ソビエト連邦の略 であり、「連邦」という名称が示すように、複数の国が集まって「連合」したものです。

そのうちの一つが「ロシア連邦共和国」で、これまた「連邦」で、多くの「共和国」の連合体です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7 …

現在のアメリカだって、日本では「合衆国」という漢字をあてていますが「United States = 合州国、連合国」です。「州」が一種の独立国です(state:辞書を引けば分かるように「主権を有する国家」)。各州にあるのが「州政府」「州議会」。ワシントンにあるのは「連邦政府」「連邦議会」です(ワシントン自体はどの州にも属さない「ワシントン特別区=ワシントンD.C.」)。

ドイツも似たようなもの。「ドイツ連邦共和国」です。その上に「EU」が存在します。
http://m.japan.diplo.de/Vertretung/japan/ja/01-W …

江戸時代の「幕府」と「藩」を想像すればよいかも。
どこまでが独立した「主権」なのかは、憲法や法律、実質的な支配関係などによりまちまちです。
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名前の定義


・ロシア
 ドイツの東側からシベリアを含む世界最大の領土を持つ地域の国名
 狭義にはウラル山脈以西の初期の帝国を指す

・ロシア帝国
 ロシアの地域に存在した帝国、初代はピョートル大帝・最後はニコライ2世
 ロシア帝国時代にシベリア地域に進出し、植民地化することで、世界最大の領土を持つにいたった

・ソビエト共和国
 1917年にロシア帝国を革命で倒して出来た共産主義の政府、領土はロシア帝国とほぼ同じ

・ソビエト連邦
 ロシア帝国時代に、属国や保護領化していた各地域に共産化した独立政府を作り、それを中央のソビエト共和国がまとめる連邦制の政府

・ロシア共和国
 ソ連が崩壊した後、ロシア領土に出来た民主資本主義の国
 ソビエト連邦の国はそれぞれ共産主義をやめ、民主的な○○共和国に変化した
 

・歴史的経緯
現在のロシアのあたりはむかし1917年までは「ロシア帝国」でした。最後の皇帝はニコライ2世です。

ロシア帝国は元々ドイツやポーランドの東側、ベラルーシやウクライナという国の隣にあり、17世紀ごろからシベリアに進出し始めた国のことをいいます。
当時のシベリアはあまりにも寒い地域だったため、原住民はいても政府と呼べるものは無かったため、19世紀の中庸にはシベリアを横断して植民地化し、北海道周辺まで領土化しようとして日本人と争っています。

また、現在はドイツとロシアの間にあるベラルーシやウクライナといった国々は強大な軍事力があったロシアに進出され、ベラルーシは事実上の属国、ウクライナも保護領になっていました。

1917年に共産主義者が革命を起こし、ロシア帝国は終焉を迎えます。皇帝制が終わり共産政府の時代になったのです。
この政府をソビエト政府と呼びます。ソビエトはロシア帝国の領土を引き継ぎ、さらに周辺を共産革命か軍事力で共産化していきます。

ベラルーシやウクライナなども一応「一つの国」と認め、独立した政府を置いたうえでソビエト連邦に帰属するようにさせました。また第2次世界大戦後はドイツまで影響力を行使できるようになったためドイツの一部を分割占領し、東ドイツ共和国(共産国)を作り、ドイツととなりのポーランドなどを共産化させて衛生国としました。

ソビエト共和国は元々の帝政ロシアからシベリアにかけての領地をいい、ウクライナやベラルーシなど帝政ロシアの属領や保護国とされていた国々を、それぞれに政府を置いたうえで「ソビエト連邦」に組み入れたのです。

そのソビエト連邦も1989年の東ドイツのベルリンの壁崩壊で崩壊していきます。1990年になると、ソビエト政府は機能不全に陥ったため、エリツィン氏がソ連の最高議長に就任すると、ロシアをソビエト連邦から脱退させロシア共和国(資本主義制)にすることを宣言します。リーダーのいなくなったソビエト連邦からほかの国も独立し、共和国宣言(資本主義化)をしていきました。

しかし、1990年代はこの地域は不安定であり、ロシアも影響力を行使するために独立国家共同体:CISを構築したが、2000年代を超えるにあたって、これから離脱する国がでてきたため、ロシアと紛争になっている。

紛争になったのは
2008年の南オセチア紛争
ロシアとグルジア(現在は英語読みでジョージアとされる)の間の紛争、ジョージアは2009年にCISを脱退

2014年ウクライナ内戦
 2006年にウクライナは事実上CISから脱退したが、親ロシア政権だったため、問題は起きなかった。2013年に親ロシア政権が終わり、親NATO政権になるとロシアはウクライナ領土のクリミア半島に侵攻した。
クリミアはロシアにとって重要な軍港などがあったため、ロシア系の住人も多く、ロシアの影響化で住民投票をした結果、クリミア自治政府を作ることになった。ウクライナ政府はこれを認めていない。
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