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人には霊魂などの存在はないとゆうことはもう自明なことなのでしょうか?
例えば それを肯定する実体二元論はほとんどの科学者 哲学者に支持されていないといいます
そして人に霊魂などないとそのうち証明されるのではないでしょうか?
例えば人の心はただの脳の機能だと証明するとか?

A 回答 (11件中1~10件)

絶対音感というものは万人に共有できるのか。


空き缶を蹴ったらその音はC#である。共有できるのか。

後半で手塚修の世界観をあいまいに語ってどうするのか。訳が分からない。
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証明とは何でしょうか。



死後の世界から帰ってきた(臨死体験をした)という人が居て、それは当人にとっては唯一の真実ですが、その事実は、誰が認め、何人に共有されれば、万人にとっての真実と成り得るでしょうか。
現時点での博識者が多数同意したらでしょうか。それとも、ただ一人の主体であるわたしが真実と確信した時点で本当になるのでしょうか。

人が存在するためには、多数の個体に同様に共有された肉体という構造に依って外界を捉えることが必須であり、また存在の「証明」には、感覚、知覚、認知、言語能力、認識、意識といった一聯の特有のメカニズムが必須なので、それらを適えている肉体の消滅=死後の世界の証明は不可能なのです。

しかし証明できないのと無いことは違います。
だれも見ていないときに月は存在しますか?
地球があり、空と土があり、虫や犬や鳥が見、一人の人間が見ます。どこで世界が現れてきますか?
どこかで見た話ですが、陸に上がってきた爬虫類がふいに意識を持ち、なんで俺はここに居るんだろう、と訝りましたが、周りの同じような形の同類はなにも返してはくれません。やがてこの唯一の爬虫類も死んで消えますが、この爬虫類の意識は存在したのでしょうか。
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霊魂をあるなしするのは、人間だけです。


これは仏教でいいますが、この世はあるともないとも言えないものによって成り立っています。
ですから霊魂があるとかないとかいうのは、ナンセンスなことにすぎません。
霊魂は、自分というものを意識するからで、自分を意識しない無の状態にあるとすれば、あるともないとも言えない世界に挿入していけます。
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質問とかみ合わない回答するお前らは頭がおかしいぞ。


NO.1はがんばれ。これからいろいろと多面で頭に来ることがあると思うが、
心と頭でがんばれ。
常人は頭で考えるから頭がおかしくなる。
お前らのことである。どうも、警告は私のことではないと考えるようである。
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A たましい:



1. 身体組織としての感性 
2. こころ 
3. 霊

B こころ:

4. 感覚を意識し 認識すること。また 認識した内容。 

5. いっさいの認識をもとにして 自己および他者あるいは世界に相い
対するとき人間存在に生じるはたらき。
     
6. これは 好悪の感情や 喜怒哀楽の気持ちであったり こころ差し
(志)であったり あるいは要するに 《わたし》という意識そのもので
あったりする。

7. さらには たましいが霊としても捉えられる場合があるのと同じこ
ころがある。つまり たましい=霊=こころ の場合。

8. これは 肉(つまりこの場合 精神および身体を言う)をあたかも
超えて伸び広がるかに思われるところがある。→《信じる》

C 信じる(信仰):
   
9. 非経験の場を想定した上でこの《信じる》が持たれる。
  
10. 《非経験の場》とは 《身体と精神から成る人間およびその見て
いる経験世界を超えた場のこと。

11. それは 一般に《かみ》とよばれ この神とわれとのカカハリが 
信仰とよばれる。

12. とうぜんこのカカハリは 経験思考(ないし感性)を超えている。
《考えるや感じる》を超えているので 別の言葉を用いて《信じる》と言
う。

13. あるいは 神は 絶対のことであり 信仰とは 絶対とわれとの
関係を言う。→《絶対》

D 絶対:
   
14. そういう想定である。経験的な相対世界を超えたところと規定し
想定する。思考を超えている。
 
15.(=12) 《考える》を超えるこころのはたらきは 《信じる》
と呼ばれる。
 
16. それは 有神論と無神論とに分かれる。神――普遍神――が人の
自由にえらぶところによって 《有る神》派と《無い神》派とに分かれる
ということ。

17. 両派は どちらも 互いに同等である。《神がある》と言うのも
《神がない》と言うのも ともに《信じる》の中身としてのあり方である。
なぜなら 《絶対》は表象しえぬゆえ。

E 肉:

18. 身体 

19. 身体および精神。すなわち経験的な存在の全体を言う場合がある。

F 精神:

20. こころのこと。特にこころの(6)のはたらきとして 基本的に
言って 記憶・知解・意志の三つの行為能力を言う。
  
21.( a ) 記憶行為:
精神の秩序。
感性内容を意識し記憶する。
意識内容を知解行為が加工したものをも記憶する。
その組織・その過程。
先験的に 存在じたい もしくは その自然本性じたいの秩序を司ると思
われる。

22.( b ) 知解行為:
記憶組織という宝庫から ものごとを捉えて認識し さらにあらたな整合
性をもった認識内容につくる。

23.( c ) 意志(愛):
大きく広く 直接的にせよ間接的にせよ 記憶および知解を行為するとき
に すでにそれらを促すように発動していると思われる。
    
知解行為の結果から取捨選択しその内容を みづからの意志(おもむくと
ころ)として判断し決定する。実行にも及ぶ。 

G 三一性( trinity ):
   
24. これら記憶・知解および意志の三つの能力行為は 経験的・時間
的な過程にある。時空間ということは 他者との関係にあるということで
あり 《身と心から成るわれ》どうしの社会的な関係をむすぶ。
   
25. このとき 時間的な隔たりを持って 三つの行為はけっきょくの
ところ 一体性を有すると考えられる。
   
26. 社会形態(一般に国家)にあっては順番に 司法・立法および行
政という役割にそれぞれ相当する。

H 三位一体( Trinity ):
   
27. これは 《絶対》という表象しえぬものを 人間のことばという
代理物(シルシ)で 仮りに表象し仮りに表現しようとした説明である。
   
28. タトへとして:
( a ) 記憶能力が 父なる神。光のたとえとして 光源。
( b ) そこから生まれる知解行為が 子なる神。光の発耀。
( c ) それら両者から発出するかのような意志行為が 聖霊なる神。光
 の持つ明るさ・暖かさ。

29. 絶対の領域では とうぜんながら 三つのものは 一体である。時
空間から自由に 一体である。

30. 三つのそれぞれの個は全体と 全体は各個と 各個は各個と それ
ぞれ等しい。絶対である無限の半分は 無限であり 三分の一もやはり元の
無限である。

I 霊:
   
31. 《絶対》ないし《絶対者》のこと。

J 《イエスはキリストである》:

32. 霊なる神(キリスト)が 肉(精神および身体)(イエスなる男)
になった。という物語。

K 人間:
   
33. このキリスト・イエスつまり 《かみでありひとである存在》に似
る存在者である。と言われる。

34. それは 霊なる神を分有するというかたちだとされる。
   
35. 《絶対》によってあたかも指先でのように触れられている。あたか
もこころの明けまた伸びとして窓が開かれている。これを称して《分有する》
という。

L 《人間は神の似像(にすがた)である》:
   
36. 三位一体なる神のはなはだ不類似にしていくらかは類似する三一性
をそなえた人間をいう。

37. この人間は 神にかたどって造られたと表現された。   

38. 一定の社会形態(国家)も 三権の分立かつ協業というかたちで一
種の三一性を有し 似姿の様相を呈している。
   
M 生命: 
   
39. これは 以上のすべてを言うものであろうか?
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例えば人の心はただの脳の機能だと証明するとか?質問者がハードプロブレムかイージープロブレムか切り分けできてないっぽい。

でもまいっか。いいですもんね。脳。そんじゃあ次は量子脳力学だ!おもしろかっこかわいいぜ!!

https://okwave.jp/qa/q138247.html Q脳量子力学より
 場の量子論を使って、脳細胞の間隙にある水を巨視的凝集体としてみて
 記憶の素過程を明らかにしようとするものらしいです。
  A no.1
  「治部眞理&保江邦夫 『1リットルの宇宙論』 海鳴社」
   https://www.amazon.co.jp/dp/4875251378
  「われわれはフィジカルな世界をもっともっと知る必要がある」
   http://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic025/html/10 …
  「脳と場の量子論」~脳の量子場模型を提唱したノート~
   http://www.saiensu.co.jp/?page=book_details&ISBN …
  A no.2
  (臨死体験)
   http://www.gem.hi-ho.ne.jp/katsu-san/audio/note. …


これもう一回読み返す方が先かも。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9739461.html?isShow …
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>例えば人の心はただの脳の機能だと証明するとか?



別スレでも書きましたが、「人の心はただの脳の機能」であることは、客観的に真偽の判定ができることではありません。なぜなら、これが心である、とするための客観的な判断基準がないからです。心であるための、必要条件を羅列するくらいはできるでしょうが、、、。
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物質:認識:混乱から認識へと至る一般の人間知というものがある。


これは止揚と呼んではいけない。

人間ならば誇りが有り、誇りどおりの自己でありたいと血をにじむ。
イチローは幸いだよ。彼は努力上手だから。努力にも天分が必要。
努力が反映される、これは心強い。これは前世からの努力から。
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「心は脳の機能」≒「脳は宇宙の一部であり、その宇宙は脳の中の現象」


この違いが分かりますか?
前者は唯物論であり、後者は「唯物論と唯心論の融合」です。
我々の認識する宇宙は、「心=記憶(過去)=時間軸」と
「物質=予測(未来)=空間軸」の相補分化(量子的な相補的
不確定性に基づく)と、その止揚によって派生しているのです。

全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、
無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、
無と等しくなる。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の
闇に認識体の仮定断面(潜在的認識可能性)の運動
(時系列化=プランク定数hの収束=物体収縮=宇宙
膨張)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、
認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、
自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識する。

超弦(量子定常波)において光速に還元される本質を、
仮説的に階層現象を表面的に(いい加減に)捉える事
によって、潜在的認識可能性(現在)から、自我仮説
(記憶=時間の流れ=過去=超光速)と空間仮説(予測
=空間の広がり=未来=光速下)に相補分化する。
「いい加減な認識」=(本質的な)無とは認識できない
ことが有なのだ。
「人には霊魂などの存在はないとゆうことはも」の回答画像3
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神はおわしますし、善良な霊は居るし、他者を攻撃して邪悪を楽しむ霊も居る。


宇宙は霊で覆われているし、この日本社会にも邪悪や悪意あるいたづら霊で覆われている。
間違いない。
邪悪霊や悪意あるいたづら霊は量産されている。生きている人間がそうだから。
生きている人間は肉体をまとった霊なのである。
死んで天国や地獄に行かずに生きている人間に悪を及ぼす。なぜなのか。
私は明言したのである。
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